イマルークを継ぐ者・新春企画

源氏物語(みたいな) その2


  光源氏(ラン)は、縁の手摺に持たれかかり、ひたすら庭の石を眺めていた。右手は自分のお腹に載せ、あまり効果がないだろうと思いながらもゆっくりとさする。
(あーくそ……)
 胃がきりきりと痛い。理由は分かっている分、情けなくなってしまう。昨夜のことを考えると、かなり……気分が鬱に入ってしまうのだった。
(……馬でも走らせてくるかな……)
 大きな溜息をつきつつ、彼は昨夜のことを思い出して眉間にしわを寄せた。


 昨晩……六条御息所と別れ、そのまま葵上(エノリア)の元へ出向いた。彼女は珍しく上機嫌で迎えてくれた。
「いらっしゃい。ラン。今日は月が綺麗ね。一緒に見ようと思って着てくれたの?」
 にっこりと微笑んでそう言う。こうやっていつも迎えてくれたなら、こっちだって言い争いしなくてすむんだけどななどと考えつつ、光源氏(ラン)は部屋に足を踏み入れた。
「惟光(カタデイナーゼ)がそうすればって勧めてくれたから」
「そうよね。貴方にはそういう自発的な甲斐性は期待できないわ。でも嬉しいな」
 にこにこと笑いながら部屋に迎え入れてくれる。その口調はいつになく柔らかい物言いだった。しかし、どうして少しチクっとするのだろう。
 考えればその理由はわかる気がしたが、あえて光源氏(ラン)は思考を止めた。無用な喧嘩はするまい。
「これで歌でも読めると様になるんだろうけど」
「そうね。でもそれも期待してないわ。今まで貰った文で十分わかってるんだもの」
 にこにこと笑って……いるよな? と光源氏は葵上(エノリア)を改めて見つめた。彼女は微笑んでいる。だがその笑顔は……どこか貼りついたように見えるのは気のせいだろうか?
(気のせい、だろ)
 光源氏(ラン)はふと気を取りなおし、近くにおいてあった琵琶を手に取った。
「ミラールは? 一緒に曲なんて合わせてみたいが」
「兄様なら数多く居る恋人たちの1人の元じゃないかしら? 甲斐性がありすぎるのも困り者よね。今夜は順々に巡れるだけ巡るんじゃないかなぁ。律儀よね。
 貴方は? 廻るところあるんじゃないの?」
 チクチクする。いや、キリキリする……。
「いや、俺は別に忙しくも何も」
「きっと噂だけが一人歩きしているのね。お気の毒」
 噂……。六条御息所(ナキシス)との噂もあまり当てにならないものなのだが……。まぁ、通ってないというわけでもないし。だけど、どこぞの未亡人に手を出したとか、女御の妹に手を出したとか、あばら家に居る子持ちの女性に手を出したとか。
 甲斐性がないない言われるわりには、そういう噂は後を立たない。
 光源氏(ラン)は気を取りなおして縁側へ座って柱にもたれかかった。月を見上げながら腕の中の琵琶をかき鳴らす。これぐらいならたしなみ程度には奏でることが出きる。
 気づくと側に葵上(エノリア)がしゃがみこんで、頬杖をついて月を見上げていた。
「きれーよねぇ……」
「エノリア」
「たまにはこうやって月を眺めるのもいいわよね。あんたのちょっとだけマシな琵琶を聞きながら。意外だけど」
「今日はあんまりつっかからないんだな」
「まぁそういう気分なときもあるのよ。一応、結婚してるわけだし。あんたにいっつもつっかかってても、損するだけなのよね」
 こちらを見てにっこりと笑う。
 光源氏(ラン)はその笑顔にほっとして、少しだけ笑みを洩らした。
「いつも不機嫌な顔してるから、どうしたらいいのか分からなかったけど……」
 だがエノリアは笑ったまま、光源氏(ラン)に顔を向ける。
「調子にのらないでね。私、まだ結婚に納得してるわけじゃないのよね。形は大切かもしれないわ。あんたにもろくな後ろ盾ないから、うちで支えればいいし。
 私もいつまでたっても嫁に行かないじゃ、おとうさんうるさいからね。こうやって形だけ整えてくれることには感謝するけど」
 葵上は庭に目を向ける。
「それ以上は期待しないでよ」
「別に期待なんか」
 光源氏(ラン)はふんっと顔を背けた。
「よかった。そういう意味ではあんたと結婚してよかったかなーって思うのよね。他の男だったらこうはいかないもんね」
 葵の上は心底安心しているようだった。光源氏(ラン)はなんだか複雑な気分になり、微妙に情けなくなる。
 数々の噂も噂の範疇だと思っているのだろう(噂の範疇だけど)。誰と浮いた噂が立っても安心していられるのはそう思っているからだ(本当に噂の範疇だけど)。
 これで自分が他に本当に恋人がいるとしたら、彼女はどんな顔をするんだろうか。
 少し想像してみて、光源氏(ラン)は溜息をついた。
(それでも平然としてそう……)
 噂を本当にする。その可能性が高いのは六条の御息所(ナキシス)だが……。
(けどああいうタイプ、苦手なんだよな)
 それにそういうことは気が進まない。華やかな数々の恋愛をこなす他の貴族たち。
 その器用さはどこからやってくるのだろうか。
 光源氏(ラン)は手持ち無沙汰にまた琵琶をかき鳴らした。



「うかねぇ顔してるな。ラン」
 縁側から声をかけられて、光源氏(ラン)は億劫に思いながらも顔を上げた。
「ああ、ナーゼか」
「昨晩は遅かったじゃねぇか。ナキシスんところとエノリアのところ、はしごするなんてやるねぇ」
「お前が勧めたんだろ」
「のわりにはうかない顔してんなぁ……」
「どうせ、名ばかりの結婚だ」
「お前も押しがよえーからなぁ。ほら、あれだろ? エノリアにも手ぇだせねぇってことは、踏ん切りついてねぇんだろ。お前、未だに思ってるやつがいるんじゃねぇの?」
 光源氏(ラン)は顔を上げた。そうなんだろうかと考える。
「おめーも律儀だからなぁ……。しゃーねぇな。このカタデイナーゼ様がいないと、なんにも進められねぇんだから。
 よし、待ってろ。俺がなんとかしてやっから」
 そう言って出て行く惟光(カタデイナーゼ)の後姿をみつつ、光源氏(ラン)は呟いた。
「あいつ、相手を知ってるのか?」
 自分でも曖昧な感情なのに。
 だけどこういうときに浮かぶ顔は一つ。そして、最近はそれに重なるようにもう一つの顔が浮かぶ。
「さいてーだな、俺……」
 溜息思ったよりも重くなった。



 何を考えたのか、惟光(カタデイナーゼ)が光源氏(ラン)をひっぱっていったのは、ある屋敷の垣根の中だった。ここは……と光源氏(ラン)は思い当たる節に直面する。
「藤壺の宮(エノーリア)のお里の屋敷では」
「こっち里帰りだってさ。こういう機会はめったにないぜ。行ってこいや」
「お前どうしてここだと思ったんだ」
「さてね」
 にやにやと笑う惟光(カタデイナーゼ)に押されて、光源氏(ラン)の身体は垣根から押し出された。振りかえると惟光はまだにやにや笑いながら、手を振っていた。
(……ま、いっか)
 光源氏(ラン)は決意して、屋敷の方へ足を向ける。不法侵入もいいところだ。もうここまで来たのだったら引き返したって同じだ。
(話だけでもして帰ろう。ひさしぶりだもんな)
 頭に手をやりつつ、光源氏(ラン)は庭をつっきっていった。おりしもまだ月明かりの明るい夜。その姿を惟光(カタデイナーゼ)とはまた違う目が見つめていたのを彼は知らない。



 それから数ヶ月後。
 突然光源氏(ラン)は帝(セアラ)に呼び出される。
 ここ数ヶ月は自分に仕事を増やして、できるだけ葵上に合わないようにしていた。六条の御息所のところもである。
 不思議と胃は痛むことはなくなっていた。またときどき御所の藤壺の宮のところに行って、穏やかに話をする。勿論顔を合わせることはできない。御簾越しに機嫌を伺うだけだったが、彼にとってもっとも心穏やかになれる時間となった。
 彼女からは時間をかけなさいといわれた。
 葵上(エノリア)とはすぐに結婚ということになり、相手も戸惑っているのだと。
 今は、彼女の言葉は一つ一つが心に染みる。
 母が居ればきっとこのような方なのだろうと思うようになった。
 そう考えるようになってから、ふと心に思い出す顔は一つになってきた。だが今は会わない。ときどき文は出す。だけどそれはようやく代筆ではなく自分の言葉で……。そうやって少しずつやり直そうと思っていた。
 そんなときに帝(セアラ)に呼ばれた。至急にと呼ばれるときほど、その内容はどーでもいいことだということを既に学習していた。
「忙しいからさっさとしろよな」
「つれないなぁ。最近ちっともこっちに寄ってくれないよね。私はどんなに忙しくても君が来てくれれば時間ぐらいつくるけどなぁ」
「忙しいだろな。遊ぶことでな。あんたが仕事しないぶんこっちに仕事が増えるんだ。それで忙しいんだよっ!」
「あー、じゃあ、私が君にあえないのはもしかして悪循環?」
「さっさと用件。俺、暇じゃない」
 すねたようにこちらを見つめる帝(セアラ)に、光源氏(ラン)は言葉を強くした。帝(セアラ)の表情は切り替えたように明るくなる。
「朗報だよ。あのねぇ。どうしようかなー。聞きたい?」
「……聞きたくない」
「いじわるだねぇ。君にさ、弟ができるんだよっ」
「はー……それはオメデトウゴザイマス。んで、どこの女房? 誰のお付きの人?」
「ランちゃん、私のこと誤解してるね……」
「いや、正当な評価だ」
 帝(セアラ)はやれやれと肩をすくめると、少しだけ膝を前にすすめた。
「それがねぇ。藤壺ちゃんっ」
「……へぇ」
「君にそっくりな子が生まれるよ。きっと」
 きっと。妙に強調したその言葉に何かひっかかりを感じて光源氏は顔を上げた。帝(セアラ)の瞳。楽しそうだ。だけどその目はどちらかというと、自分をからかって楽しんでいるときの瞳に似ている。
 子供ができて嬉しいっていう顔じゃない……。
「なんかさ。ランって私のとこには来れないぐらい忙しいらしいけど、藤壺ちゃんのとこにはせっせと通ってるらしいね」
「通ってるって……俺はただ挨拶に」
「いやー、いいんだいいんだ。藤壺ちゃんと君が仲良くしてくれるのは父親としてもありがたいことだよ。だけど、藤壺ちゃんが里帰りしているときにさ。女房からね。なんか聞いたんだ。光源氏らしき人を見かけたって……」
「あれはっ!」
 あのときは……と口を滑らしかけて、光源氏(ラン)は硬直した。帝がにっこりと笑う。
「まさかと思うけど、君、行ってないよね。そんな軽はずみなことしないよねぇ?」
 行って無いわけではない。
 光源氏(ラン)は帝を見上げた。
「なら、いいんだよ。ただね……。ちょっとね。気になるんだ。彼女が御所から退出していた時期は結構長くてね……。こちらに戻ってきてから、私もあまり藤壺ちゃんと会う時間はなかったものだから。
 だけど、私の子供じゃないなんてありえないよねぇ、あはははは」
 笑ってない。笑ってない。
「ふふふ。楽しみだな。君にそっくりな子だよ。きっと……」
 自分じゃないと言いかけて、光源氏(ラン)は言葉を飲みこんだ。たしかにあのとき屋敷に行った。それだけでも充分疑われる要素はある。
 しかも。
 もう1度帝(セアラ)を見ると、彼はにっこりと微笑んだ。
「楽しみだね、ラン」
 確信してるし……。しかも楽しんでるし……。
 大きな溜息を飲みこんで、光源氏(ラン)は一生懸命に笑みを作った。

 

 エノリアは絶対現代にいたら「結婚なんて」って感じのタイプだろうなぁ。だけど大恋愛で電撃結婚しちゃいそうな感じ。
 いやー、しかし。なんか、真面目な展開に。もっとコメディにしたいんだよ、私は!