ファイに連れられて、二人は森の中の家に案内された。
「ここはラグ王国いうんだ。地上には3つの国があるんだ。小さな王女シータが治めているのがラグ。
そこと対立しているのが、ゾイ国。王シロンが治めてる。あとは中立を保ってるフィーネ。
国ではないのだけど、もう一つラグ王国とゾイ国の間に領域がある。『竜たちの領域』だ。ここは、どの国も侵さないことが暗黙の了解なんだ」
ファイはそこに向かう途中にさっと説明をしてくれ、それを半分わかったような顔をしながらタウは聞いていた。
「竜ってさっきの?」
「そう。物言わぬ風……といっても、この感覚は俺らにしか解らないみたいだけどな。その物言わぬ風を生み出して空を飛び、地を守る。
お前らが降りたところは、ラグと竜たちの領域の狭間だな。
大体、ヨバルズシアたちが降りてくるのはそこらへんなんだよな」
「ヨバルズシア……ね。ほんと、地人の仲間入りって感じ」
イクロがポツリと呟く。
「『地人』はお前達を敬意を込めてそう呼ぶんだ。勿論、幻の存在だと思ってる奴も多いけどな。
俺達みたいな存在がいる限り、幻と言いきってしまえないんだけど」
怪訝そうなタウにファイは少しだけ肩をすくめた。そして、自分の耳を指し示す。
「完全に『地人』になってないんだ、俺。尖った耳は、ヨバルズシアと地人の中間だって言われる。たまにそういう子が生まれるんだ。元はヨバルズシアなんだって、証明するように。
地上では結構神聖視されるんだ。気味悪いというやつも多いけどな。
俺はこんなナリだから、シータ王女に拾われて今では『竜たちの領域』との間を守る騎士ってことになってる。」
「だからそんなおかしな格好してるのね」
「イクロ!」
タウがとうとう怒鳴りつけた。イクロはつんと顔を逸らしてしまう。ファイが苦笑いをして、タウに首を振った。
「で、でも、ファイすごいよね! 竜ってやつをおっぱらっちゃったんだもんな」
「いや、剣の腕はまだまだ……。はったりってやつなんだ。ま、俺もこんなごてごてしたのを着てるの、笑えるけどな。俺が王女に頼んだんだ。
好奇心でやってくるヨバルズシア達を、天空に無事に帰せる位置に居たかったから」
と言いながら、ファイはタウに視線を下げる。
「お前らには、事情がありそうだけど。空大好きなタウと、地人大嫌いなイクロの組合せじゃな」
と言いつつ、ファイはその家を指し示した。レンガで造られた小さな家。煙突があるから暖炉もあるのだろう。
「この任についてるのは何人かいるけど、領域は広くてね。家は一人一つずつなんだ。誰もいないから、入って」
タウは言われるがままに、家に入ろうとした。だが、タウの肩に掴まっていたイクロは入り口で足を止めて、こちらをじっと睨んでいる。それに気付いたタウは、小首を傾げた。
「イクロ?」
「あたし……」
イクロは険しい顔をして拳をにぎりしめた。
「ちょっと外を見てくる」
「ちょっとって、イクロ、足が」
「大丈夫よ、すぐそこにいるから」
タウの頭上からファイのため息が聞こえて、タウは思い立った。
「あの領域には近づくなよ。竜はヨバルズシアが好きなんだ。食われるかもしれないからな」
食べるの? と驚くタウ。
「ぁ……かってるわよっ!!」
叫んでイクロは踵を返し、右足を引きずりながら来た道を戻っていく。後味の悪そうなタウだったが、追いかける事はできない。なぜか、イクロの背中がそれを拒んでいたから。
「タウ、お前も聞きたいことあるだろ」
ファイの言葉のトーンがぐんと落ちた。見上げると、ファイの生真面目な目がそこにある。
「うん……」
タウは家に入っていく。そして、ファイはその扉を閉じた。
中に入って、落ちつきなくあたりをみまわすタウに、ファイは暖炉の近くに木の小さな椅子を寄せて、座らせる。
カシャカシャと背後で音がしてから、ファイが暖炉の側に歩み寄りしゃがみこんだ。火をつけてから側に置かれていた大き目の椅子にファイは座った。身を包んでいた鎧はもうはずしていて、空にいたファイを思い起こさせる。徐々に立ち上る煙と炎を見ながら、彼は黙ったままだ。
タウはそっとファイを見つめた。黒い髪は出て行ったときよりも長めになっている。釣り上がり気味の赤茶色の瞳には、空にいたときよりも落ちついた光が宿っていた。
少し大人になったファイ。
人に近づいた『翼』……【地人】で言う『耳』をみて、タウは自分の翼に手をやった。
不安そうな顔をして、翼を触っていたのだろうか。ファイはこちらに顔を向けた。
「大丈夫だろ」
「でも、ファイは……」
「普通、地上に触れた瞬間に記憶と翼を失うんだ。みんながみんな俺みたいに尖った耳になるのか、それとも他の人間と同じようになるのかは、元翼人でも記憶を失ってしまうからな。わからないけど……、お前らのは異常だよ」
タウは服の上から、首から下げた袋を掴んだ。その動作をファイは黙ったまま見守る。タウはあることに気付いてファイに目を向けた。
「どうして、ファイは僕達の記憶があるの?」
ファイは困ったように笑いを漏らすと、言いにくそうに呟いた。
「俺は、空が嫌いだったからな……」
「え?」
ファイはくすりと笑った。指を組み合わせて、落ちつきのある瞳で、タウを見つめた。
「地上は、ヨバルスの美しい記憶だけ欲しいんだよ。ヨバルスをたたえる思いだけ欲しいんだ。
俺はヨバルスから逃げたくて、地上にやってきた。だから、そんな思いはいらないってことだ」
「ヨバルスから逃げたの……?」
タウが少し寂しそうに呟くと、ファイは誤魔化すように笑う。それ以上は何も喋らないファイに、タウは顔を上げた。
「地上は、さびしく無い? 風が全然しゃべらないね」
「慣れるとそうでもないさ」
と、ファイは立ちあがり、部屋の一角に足を進める。部屋の隅に設けられた竈に寄った。何かを準備するように動く背中を、タウはじっと見つめている。
「イクロは、泣いたよ」
ファイはその言葉にも振りかえらなかった。何の反応も得られなくて、タウは思わず俯いた。
ひどく、自分が要らないことを言ったような気がしたのだ。
ファイがいなくなったとき。あのとき僕とイクロは12才になったばかりだった。
僕もファイが居なくて寂しかった。居なくなったって知って、すごく寂しくて。
でも、イクロの涙は違った。
僕はそのときだけ、何か違うんだって感じてた。
うつむいたタウの頬に、そっと暖かいものが触れた。タウが顔を上げるとファイが小さなカップと差し出している。
「紅茶。飲めるだろ」
「あ、ありがとう……」
タウはそれを受け取り、珍しそうに眺めている。
「ヨバルズシアは……」
タウがそれに恐る恐る口をつけかけたとき、ファイが椅子に座り暖炉の炎を見つめながら、呟いた。
「ヨバルスの実を食べれば、次の実がなるまで何も食べなくても平気だったな」
「ファイ?」
どうしていまさらそんなことを聞くのだろう。タウは首をかしげる。ファイは少し笑うと、タウに紅茶をすすめる。タウはその温かい液体を、ゆっくりと飲もうとした。
「っち!」
思わずカップを遠ざけ、舌を出すタウを見て、ファイは小さく笑った。
「熱いだろ。こうするんだよ」
と、ファイはカップの中身を吹いて見せる。タウも心得たように息を吹きかけ、そして、今度は慎重に少しだけ飲みこんだ。
「温かい」
「ヨバルズシアは、これを楽しむことができないんだよな」
ファイがタウを遠い目で見つめながら呟くのを、タウは眉を寄せて聞いていた。
「ファイは、これが飲みたくて空から出ていったの?」
少し不快な気分を込めてそう聞く少年に、ファイはただ笑った。静かに笑い、こう呟く。
「ヨバルズシアでは、知ることのできないことがたくさんある」
「地上に?」
「そう。俺はそれが欲しくて空を出たんだ」
「それは、何?」
タウの真剣な問いかけに、ファイは目元で笑って答えなかった。
タウにはわからない。
そう言われたみたいで、タウは赤茶色の液体に視線を落とす。
僕は、ヨバルスの側で不満を感じたことがなかった。
一体、ファイは何が欲しかったんだろう……。
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