急激に下降しながらも、風は優しく二人を包んでいた。
「すっごーい!!」
イクロが歓声を上げたのは、雲の切れ目から地上が見え出したからだ。タウは目を丸くした。
初めて降りる地上。
地面が延々と続くってどんな感じなんだろうって想像してた。
「全部、木?」
「タウっ、風が」
呆然としているタウの耳に、イクロの焦ったような声が届いた。タウははっとして翼をはためかせる。
風が急に静かになったのだ。
「風がしゃべらなくなっちゃったよっ!」
イクロが大声をあげた瞬間、二人を包んでいた風は、すぅっとどこかへ引いて行ってしまう。
ごぉっと翼に風の怒鳴り声のような音が叩きつけられて、二人は思わず目を瞑った。
「そうだっ。キューレルさんが言ってたよ。地上の風はちょっと違うんだって」
大声を出さなければ、イクロにさえも届かない。
「どう違うのよっ!」
「知らないよ! でも、地上の風はきっと無口なんだ。ううわあっ!」
タウの身体を支えていた風の力が急に消滅して、タウが急下降した。
「タウ!」
イクロが咄嗟に手を伸ばして、タウの右手をつかむ。左手で風を強引に掴んだ。
「落としたら承知しないんだからねっ」
風に大きく叱りつけて、イクロは歯を食いしばった。二人は木の葉の様にくるくると回りながら、地面に落ちていく。
ざざざざざ!
二人は木々の多い繁る中に、落ちて行った。木の葉の擦れ合う音の後に、悲鳴と大きな衝撃音が響き渡った。
「ったあ……」
ようやく掴まっていた風のおかげで、落下の衝撃は緩和されたとは言え、したたかにお尻を地面に打ちつけたイクロは思わず顔をしかめた。
そして、掴んでいたはずのタウがいないことに気付いて、思わず真っ青になる。
「タウ? タウ! タウ!?」
3種類の呼び方をして、イクロは回りを見渡した。
「……ここ」
上から情けない声がして、イクロは涙を浮かべた目で仰ぐ。と、木にタウが引っかかっていて、小さな傷のついた顔でイクロを見下ろしていた。
「よーかったぁあ」
「よくないよ……」
タウは情けなく呟いて、一生懸命に身体を起こす。
いつもの癖で、そのまま手を離すと、重力に逆らうことなくタウはイクロの近くに落ちた。
「ったぁ……」
「本当に、風が自主的に助けてくれるわけじゃないのねぇ」
落下したタウを見つめながら、イクロは感慨深げに呟いた。
「感心しないでよ」
「地上は今までと同じようにはいかないってことね。よく考えておかないとね」
そう言いながらイクロは回りを見まわした。急に無言になったイクロとタウの間に、沈黙が満たされる。
タウも地面に座りこんだまま、自分達が着地(落下)した場所を確認する様に見まわす。
回りは木で囲まれていた。木の間にも木が見え、その間も木、木、木!
木の間に空の色や城の壁が見えないのが不思議だ。どんな隙間も暗闇か木で埋まってしまっているなんて。
タウは息を吐き出しながら上を仰いだ。
木の枝の間からは空が見えた。
だが、暗い……。
タウは急に不安になってきた。だいたい、一体ここはどこなのだろう? こんなに静かなところに地人がいるというのだろうか?
急いで立ちあがり、タウは自分のお尻を叩く。と、イクロがそっと身をよせてきて、頼りなさそうにタウの右腕を掴んだ。
その手が微かに冷たく震えているのに気付いて、タウはぐっと両拳を握り締めた。
イクロが不安がるというのが、すごく不思議な感じがした。
(がんばらないとね)
「ひとまず、誰かに会わないと」
出来るだけ力強くそう言って、イクロを見ると、イクロはタウとは全然逆の方を見つめていた。
「タウ……」
「何?」
出来るだけ明るくを努めて、タウは聴き返す。
「変な音がする」
「えっ?」
タウは耳をすました。イクロが見つめる方向から、その音は近づいている様だった。
何の音かよくわからない。けど、何かが壊れ地響きもする。それは確実にこちらに向かってきていた。
「何?」
「わからないよ!」
先ほどまでの決心もわすれて、タウはわめいた。が、二人ともそこから離れられない。こちらに向かってきているものの正体を知りたかったのと、逃げることを忘れていたからだ。
二人はいつのまにかお互いに抱き合って、その方向を見つめていた。
音が急に止んだ。二人はほっとして、お互いを見詰め合い、そのときに鼻と鼻の間が拳程度にしかあいていないほど、顔が接近していることに気付いた。顔を真っ赤にしてイクロがタウを張り倒す。
「何、抱き着いてるのよ!!」
「イクロが抱き着いてきたんだろ!」
どちらもどちらが先に抱きついたかなんて、覚えていないのだが……。
「人のせいにするわけ?」
「それはこっちのセリフだよ!」
違う理由で顔を先ほどと同じ距離まで近づけにらみ合っている二人に、すぅっと急に影が落ちた。
同時に見上げる二人。と、同時に目を丸くする。
二人の上に、何か知らない生物が浮いていたのだ。
二人から見える部分は、腹だった。なぜ、腹だとわかったかというと、その部分に4本の足がついていたから。そして、尾が。
二人はその生物の名を知らない。
知ってても無意味だっただろう。二人はそこから逃げることも出来ずにいた。
その生物が長い首を動かして、こちらを向く。ギョロリとした大きな瞳は、タウと同じ琥珀色だった。
大きな翼を一振りすると、冷たい風が生まれた。
物言わぬ風に、タウとイクロは煽られそうなって、足をふんばった。
二人の前にその生物は着地すると、タウとイクロを検分するように見つめていた。
二人はそんな生物の動き一つ一つを見守ってしまう。
「何、するつもりかしら」
ようやくイクロがやっとの思いで口を開く。タウは、意味の無い相槌をうつことしかできなかった。
そして、嫌な予感にいきつく。
「食べられたりしないよね?」
「見て、大きな口だわ」
「まさかなぁ」
「まさかねぇ」
二人は笑っているのか泣いているのかわからない表情で、顔をくしゃくしゃにすると、その生物を見つめてしまう。
生物は瞬きすると、急に首を上げ、一吼えする。どこまでも届きそうな咆哮にイクロとタウは、今すぐ逃げることを決心した。
だが、いつものように風に乗れない。タウは困惑したイクロの手を取ると、通りすぎた風の端を見定めて、握り締める。
風は悲鳴も上げなかった。そんなことをすると、空でなら怒ってふりほどこうと滅茶苦茶に暴れるのに。
生物はまた吼えると、こちらにドスドスと地響きを上げさせ走って追いかけてくる。
「来るよ!」
「わかってるよ!」
タウは右目をつぶった。左手だけで握り締めた風は、まっすぐに走るが、手が持たない。
「イクロ、側の風に掴まれない?」
「やってみる」
イクロもタウが辛そうなのがわかっていたみたいだ。指図されて、文句も言わずに頷いた。
タウの手を握りながらも、イクロは側を通りすぎる風を掴もうとした。
話しかけても無理な相手なら、力ずくで掴むしかない。
イクロは風を掴もうとした。だが、風は寸での所で逃げる様に方向を変えてしまう。
タウの手からも風からも手を離してしまって、イクロが地面に落ちた。
「イクロ!」
タウも咄嗟に風から手を離し、地面に擦りながら落ちる。いくつもの擦り傷を気にせずに、タウはイクロに駆け寄った。
「タウ! 逃げて!」
あの生物はすぐそこまで迫っている。
できるわけないじゃないか!
心の中で叫んで、タウはイクロの肩に手をかけた。イクロは自分の右足首に手を当てている。
「大丈夫?」
「バカっ。逃げなさいよ」
「バカなのはイクロだろ! いつも出来ないことばかり言うんだから!」
タウはそう怒鳴りつけてから、迫ってくる生物を睨みつける。そんなタウの横顔を、イクロは唖然と見つめてしまった。
戦う方法なんて、習わなかった。
空には戦いなんてない。そんなものは必要無かった。
その生物は二人を見つめ、その口を大きくあける。どんなに楽観的にみつもっても、その生物に友好的な雰囲気はない。
イクロを首に捕まらせ立ちあがり、次の風が来るのを待つ。その生物の攻撃までに見つけられるか、風が来ても掴まえることが出来るかはわからない。
だけど、戦う手段がないなら逃げるしかない。
生物が足を振り上げ、それを落とす瞬間まで、タウは諦めない。
そのとき、タウとイクロの前に何かが出てきた。
それが人の背中だというのに気付いたのは、それが声を発したからだ。
「大馬鹿野郎が。踏まれるつもりか」
銀色の鎧の背中。剣の切っ先をその生物に向けて、男は大きく息を吸った。
「去れ。ここからは人の領域だ!」
その言葉は生物に向けられたもののはずだった。だが、タウは一瞬自分達に向けられたものだと思った。
地人の領域だから、自分達はこんな生物に追われるのかもしれないと。
その男と生物の睨み合いは、しばらく続いた。だが、タウにもわかった。男の気迫は生物を押している。
タウはその男の後姿を見つめていた。
落ちついてきたところで、あることを思い出す。
黒い髪の頭を見つめながら……。
『大馬鹿野郎』
このフレーズ……。あの声。
黒髪の間から出ている耳は、微かに尖っていた。「翼」は地人の「耳」になるらしい。「耳」は微かに翼の形をしているけど、肌みたいで先が丸くて、ただ音を聞くだけにあるという。
尖った耳には、翼のなごりがあるような気がした。
もしかして……。
タウは目を輝かせた。それを見て、イクロも思いたったらしい。
しばらくして生物は翼をはためかせはじめた。そして、風を生みだしその場から飛び去ってしまう。
と、男は剣を鞘に収める。そして、振りかえった。
「相変わらずだな。タウ、イクロ」
「……ファイ?」
赤茶色の瞳を細めて、彼は笑った。唇の両端を上げて笑う。
そう、この笑いかた。
イクロを支える左腕はそのままで、右腕で彼に抱きついた。鎧が堅くてごつごつしていたけど……。
「ファイ!!」
「大きくなったな。タウ。少しだけだけど」
「少しってのは余計だよ!」
再会に喜んでいるタウは気付かなかった。イクロが困惑を隠さずにファイを見つめていることを。
喜びの表情は一瞬だけだった。伸ばしかけた腕をおろし、俯いてしまった。
そして、そんなイクロを、ファイも少しだけ困った顔をして見てから、視線をタウに戻した。
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