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6 王と小さな姫君 【1】
 

 ファイは、風が人の死を願っているかもしれないという恐れを抱いていた。その予想がタウを困らせていた。
 ファイは地人に何を求めているのだろう?
 風に嫌われるようなことをしているということを、ファイは自覚している。でも、地人を守ろうとしている。
 ファイの横顔はまっすぐに前を向いていて、迷いなんて一欠けらもないようだった。それは彼が空を出て行ってしまったときと同じ顔、同じ瞳。
 ファイは、地人を愛しているんだろうか?
 ファイとイクロはそれからの旅路で、1度も話をしようとしなかった。タウにぴったりくっついて、少し外に出るにも漬いてくる。ファイと二人きりになりたくないんだということが、タウにもファイにもよくわかっていた。
 2日、3日と経って、タウは何度も翼に手をやった。けど、タウの翼もイクロの翼も、耳に変わる事はなさそうだったので、ほっとした。ファイは地上に足をつけた瞬間、翼を失ったんだって言ってたけど……。ヨバルズの一枝を持っているからかもしれない。
 森の小道を馬に乗って、移動していた。小道はすごくごつごつしていて、馬たちのためにもゆっくりと歩ませていた。ファイもタウも降りて、馬の手綱を引きながら歩く。イクロもタウの隣にくっついて、花を振りまわしながら歩いていた。
 大きな枝に覆われて影さす小道。風はゆるやかで、小鳥の声は空と同じ。木洩れ日がさす地には、色とりどりの花が咲いている。
(地も、綺麗なところだな)
 何も変わらない。天も地も、美しい。
 そう思った。だけど、それは間違いだった。
 僕はまだ知らなかった。
 僕たちと地人の何が違うのか。それがヨバルスの哀しみの原因だと思っていたくせに。
 そう人が人を殺すということ。
 戦争ってやつを、僕は……知らなかった。

 

 後を引く奇妙な声が響いて、タウははっと目の前を凝視した。大きく曲がった向こう側からその声は響いた。ファイの腕がピクリと動く。するとそれが引き金になったように、みるみるういちにファイの眉が釣りあがった。
「ファイ?」
「来るな」
 そう言い捨てて、ファイは手綱をタウに投げる様にして渡し、走り抜けていく。先のゆるやかな曲がり道を抜けると、ファイの姿は見えなくなった。
「ファイ!」
「……無だわ」
 ポツリとイクロがこぼした言葉は、まるで別人のような一言だった。その意味と同じく、どんな感情も含まれていない言葉に、タウは眉を寄せる。
「イクロ?」
 イクロの顔とファイの向かった先を何度か見比べてから、タウは決心する様に拳を握り締めた。
「行くよ」
 イクロは当然というようにタウと共に走り出した。タウの心に反応する様に、馬たちは不満なそぶりも見せずについていく。
 タウはその先で何が起こってるのか見なくてはならないと思っていた。
 いつのまにか、風は止み、鳥の声がぴたりと消えた。
「私たち、まだ何も見てないわ」
 イクロの呟きとタウへの衝撃は同時だった。道の先にファイは立ち尽くしていた。ファイが立ち止まったその先に、ファイと同じような鎧を身にまとい、抜き身の剣を手にもった地人が二人いた。どちらも同じような兜を目深にかぶり、その奥の表情はうかがえない。
 そして、地人はあと二人。ファイ達と対称的に粗末で薄汚れた服を身に着けた地人。一人は襟首を掴まれ、一人は地面に倒れこんでいた。
 タウはそう状況を見て、一体これはなんだろうと思った。襟首を掴まれる地人から、何の力も感じられない。だらりと下がった両腕は、服と同じく汚れていた。
 その力の無い目で何を見ているかというと、地面に倒れこんだ地人だ。
(あれ、何?)
 うつ伏せになったその地人の体の下に赤い水溜りが広がっている。それをその地人は見ているのだ。
 暗い瞳で。
(怖い)
 空っぽのものが固まってしまって、その中は今にも嫌な感じのするもので満たされてしまいそうだ。
 イクロは咄嗟に近くの茂みにタウを押しこむ。ファイと二人の地人の間には張り詰めた空気があって、とても怖いと思ったからだ。
「あの人、死んでるのかな」
 タウは囁いた。イクロは答えない。
「無抵抗の捕虜を殺すのが、兵士の仕事か」
 タウたちのところまで届くファイの声はひどく低かった。
「逃げたからさ」
 当たり前だという響きをこめて、二人のうちのどちらかがそう言った。ファイの声とは対称的に聞こえた。
「フィーネに入られては面倒だろ。どいてくれねぇか? あと3人ほど捕まえなきゃな」
「3人でもいなけりゃ、俺達の責任だ」
「殺す必要はないだろう」
「姫君にお気に入りの騎士様は緒気楽でよろしいですな。
 ……俺らの隣にくれば、そんなこと言えなくなるだろうさ」
 吐き捨てる様にそう言って、一人の兵士はもう一人の兵士が捕らえている人間に、剣をつき付けた。剣を目の前にして、空っぽだった表情は、恐怖というもので満たされる。恐怖と懇願と……。
 タウは唾を飲み込んだ。同じ地人でも、彼らの持つ表情はまったく違うものだ。
「もう、逃げねぇから……」
 掠れた声に、兵士達は口を歪めた。ファイが手を伸ばす。
「俺はこれから王都に向かう! この人は俺が収容所へ……」
「騎士様にそんなことはさせられませんよ」
 剣を持っていた兵士はそう言うと、その手に力をこめた。とっさにタウはイクロの頭を抱き寄せてその視線を懸命にそらした。だけど、自分の目を背ける事はできなかった。
 人間の身体に、冷たそうな剣が埋もれるのをタウはじっと見ていた。自分の服を掴むイクロの手が、微かに震えている。その場を目にすることは防げても、おぞましい音を彼女の耳に入れることを防ぐのは無理だった。
 開いた口、恐怖で満たされた表情。それが固まってしまう。タウは音がしないように、けれど大きく息をすったり吐いたりしていた。イクロの体温が今はありがたい。守る様に抱き寄せながら、すがりつく様に抱きしめた。
 地人の身体は剣が引きぬかれたのと同時に、前に倒れこむ。
 重なる地人の体。そこから、急激に存在感が無くなっていくのをタウは見つめていた。
 地人が地人を。
(殺した)
「それに、死体を運ぶ必要はありませんよ。騎士様」
「キサマ……」
「これが、明日は我が身ってやつだな」
 塊になった人間に足を乗せて、兵士の一人はそう言った。
「貴方には、心配ない。姫様もこうなる心配はありません。その前に俺達がこうなるんだから」
 ファイは自分の腰に下げた剣の柄に思わず手をやりながら、兵士をにらみつけた。兵士たちは嘲笑うような表情を残すと、おどけて一礼する。
「それでは、俺達はあと3人、見つけなくちゃならないんで。そうしなきゃ、俺達がこうなりますからね」
 ファイの肩を押しのけて、兵士達は道を逸れて森の中に入って行った。
 ファイはいつまでも動かない二人の人間を見下ろしていた。その時間は永遠に続くような気がして、タウはイクロを抱きしめたまま様子を見守っていた。イクロは少し震えながらも、文句も言わずにじぃっとしていた。
 タウはずっと二つの死体を見つめている。
 美しいと思った世界の色と、地面にこぼれた赤い色。それがゆっくりと交じり合っていってタウには分からなくなってきた。
 これがヨバルスの泣く理由だろうか?
 哀しむ理由だろうか?
 地人達が昔は自分達と一緒だったなんて考えられない。
 地面に降りてしまったら、何を失うんだろう?
 ファイが目を瞑り、胸に手を当てる。
 自分達が死を悼むときにする仕草と同じだった。
 地面に降り立ったファイは、まだ死を悼むことを覚えている。それはファイが地面に降り立ちながらも、天のことを覚えているからかもしれない。だから、死を悼むことも覚えているのだろうか?
 地人は、死を悼むことを忘れてしまったのだろうか?
 タウにはよく分からない。
 それでもやはり、地にある風景は空と同じく美しいから。
 それがタウを混乱させるのだ。

 
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