馬と言う生き物にタウは始めて乗った。前にイクロが座り、タウは手綱を握り締めてあたふたと操作する。コツはすぐに掴めた。それを見てファイがうれしそうに目を細めたのをタウは見逃さなかった。
空に居たころ、タウに風と仲良くなる方法を教えたのはファイだった。もちろんイクロも一緒に。ファイは滅多に褒めてくれなかったけど、タウやイクロが上手に風に乗せてもらえるようになったとき、うれしそうに目を細めた。その表情を見るのがタウは大好きだった。
最初、イクロはファイの馬に乗る予定だったけど、イクロがすごく嫌がったから、こうしてタウと同じ馬に乗っている。イクロはあれから無言だった。鬣に手を置いて、その自分の手をじっと見つめたまま動かない。
タウは小さくため息をついた。
ファイとイクロ。ファイと僕。
こんなに距離が離れてしまった。
『殺す』の一言で、こんなに……。
地人は、そういうの平気なんだろうか?
ファイは想像してみようとした。自分が仲間を殺す……。想像して首を振った。
ありえない。
どうしてそんなことが地人には出来るんだろうか?
道中、ずっと無言だった。タウもファイに何を話しかけたらいいかわからないし、ファイもそんなタウとイクロに何も話しかけようとしなかった。
ただ、ファイが身につけている鎧がカチャカチャと音を立てている。嫌な音だと、タウは思った。
町をいくつも通りぬければ、ラグ王国の首都につくという。美しい湖の湖畔にある綺麗な町だとファイはうれしそうに言った。
『竜たちの領域』を抜けて、最初についた町でタウたちは休息をした。賑やかな場所……市と言って食べるものや着るものを売っているところの近くで、ファイは馬から降りた。
売るということ買うということが、タウにはあまりよくわからなかった。自分たちの着ている服や持っているものは、誰かが作ってくれたものだったりする。
お金というものがどんなものなのか、ファイに聞くとファイはちょっと難しそうな顔をした。
「まぁ、物と物の交換をやりやすくするための、ものかな」
そう言ってファイはコインを取りだし、食料を買ってくると言って、二人を置いて人ごみに入っていく。
くれぐれもここを動くなということと、あまり目立つ事をするなと言って。
目立つ事をするなと言っても、誰もタウやイクロを気にかけないようだった。目の前を足早に通りすぎる人々。また、口々にする言葉が重なって、喧騒を産んでいた。
二人は馬を下り、タウは馬のそばに立ち、イクロは近くに座り込んでいた。
「うるさいわね」
膝を抱えて座りこみ、地面を見つめていたイクロはそう呟いた。
「そうだねぇ。賑やかだね」
「なんでこんなに居るのかしら」
タウとイクロは翼を見せないように、フードを深くかぶっていた。イクロはフードの上から自分の頭を抑えこむ。
「なんで、私たちは少なくなって行くのに。地人はこんなにいるのかしら」
不満をこめてそう呟くイクロを、タウは見下ろしていた。イクロは胸に手を当てて、何かをぎゅっと握り締めた。
(ヨバルスの一枝……)
それが入った小袋を握り締めているのだろう。イクロは、すくっと立ち上がると、それを怪訝そうに見つめるタウに真剣な顔で言った。
「歌いたいわ」
「イクロ……! 駄目だよ」
「どうしてよ。私、駄目だわ。なんだか思いが溢れてきて、歌わないと、どこか行ってしまうんだから」
タウはイクロの二の腕を掴んだ。
「駄目だよ。イクロ。ファイが言ってただろう?」
「……タウはわからないのよ。……『歌姫』って一体何なのか」
強い瞳の光に気圧されてしまう。イクロは大きく目を見開いてタウを見つめた。
「物言わぬ風だって、本当は……」
思いつめたような呟きに、タウは眉を寄せる。イクロはすぅっと息を吸いこむ。
「だっ……」
タウはそれを止めようとした。けど、イクロは声にしてしまった。
歌を。
そんな響きの歌を、タウは聞いた事がなかった。イクロの口から朗々と流れるその響きを、タウは放心したように聞いていた。
そして、違和感を感じて我に返って、周りを見まわす。
音が。ざわついていたそれが、ぴたりと止んでいた。
回りにいたたくさんの人々が、立ち止まり、動きを止めていたのだ。果物を手に持ち、お金と交換しかけている地人も、子供をあやしながら物を覗きこんでいる地人も、その子供も。
口を開けたまま、けどその口からは音を洩らさずに、みなが不思議そうに立ち尽くしていた。
(涙?)
タウは全ての人々の目に光るそれを認めた。
その目からは涙が零れ落ちていた。
皆、自分が泣いていることに戸惑っているようだ。
タウの背中に何かが走った。
(イクロ!)
イクロの歌のせいだとしか思えなかった。
「イクロ」
人々はその場に座りこんだり、自分の目に掌をやったりして泣いている。静かに涙をこぼしている。
その止まってしまった人々の動きを、かいくぐるようにしてファイが駆け寄って来た。
イクロはそんなファイを睨みつけるように見つめながら、歌を止めようとしない。
「イクロ」
タウはもう1度呼んだ。ファイの険しい表情に怖気ついているのは自分だけで、イクロは挑むように見つめている。ファイは二人の前で立ち止まり、イクロを一瞥した。怒鳴られるかと方をすくめたタウだったが、ファイは急いで近くの柱に結び付けていた馬の手綱を解いて、片方をタウに投げた。
「乗れ。離れるぞ。イクロ、歌を止めて早く乗るんだ!」
イクロはそれに逆らうように歌いつづけた。ファイはイクロに近寄り、険しい表情のまま彼女を抱き上げて、自分の馬に乗せた。
「何するの! 触らないで、よ!」
「こっちのセリフだ。タウ! 早くしろ。気付かれたいのか!」
タウはあたふたと二人を見て、急いで馬に飛び乗った。それ以上何も言わずに馬を走らせるファイの後に続くように、タウも馬を走らせた。
何度も何度も落ちそうになりながら、その町から遠く遠く離れるところまで、一気に駆けて行った。
ファイが本当にイクロを殺さないように願いながら。
「歌ったら……どうするって俺は言った?」
遠く離れたところで、ファイは馬を徐々に減速させた。道をはなれ、少し森の中に入ったところで降り立つ。
木に馬の手綱を括りつけるときも、ファイはイクロの腕を掴んだままだった。
「痛いわよ! 離してよ! はなして!!」
「どうするって、言った? 覚えているだろう」
淡々と問うファイをイクロはキッと睨みあげる。
「殺すんなら殺せばいいわ! 私たちはもう同じではないって、証明するといいのよ!」
イクロはファイの冷たい目に噛みつくように叫んだ。ファイはそんなイクロの目を見つめていたが、しばらくして大きく溜息をつく。
「……歌姫を同行させた意味は、そういうことだって思っていいのか」
タウは戸惑ったようにファイを見上げる。イクロはファイを睨みつけたまま動かない。
「そういうことか? タウ」
タウにファイはそう問いかけた。抑揚の無い声に、静かな怒りを感じ取りながらタウはそっと聞き返す。
「そういうことって?」
「あんなことになるなんて、私だって思わなかったわよ。タウのせいじゃないし、ましてやルズカル様のせいでもないわ」
イクロはそう言って、ファイの視線を自分に戻す。
「私は風の思いを歌っただけ。そうしないと、風が通り過ぎるたびに、私の中で弾けそうになるのよ!」
「歌姫って……そうなの?」
タウがそう言うと、イクロは小さく頷いた。
「歌姫は、風の思いを歌うだけよ。ここの風は何も言わない分、思いが強すぎるの」
「みんなが泣き出したのは」
タウが自分の中に何かを思い巡らしながら、そう言ってイクロを見つめた。
「風が悲しいって思ってるから?」
「……そうじゃないの?」
「ファイは、知ってたの? そういうことが起こるかもしれないって。だから、イクロに歌うなっていったの」
ファイはしばらく何の反応もせずに、イクロを見つめたままだったが、ふいと視線をずらすと頷いた。そして、髪をかきあげる。
「そうだ」
「イクロを……殺すの?」
「……殺さない。泣いただけだったからな」
「どうしたら、殺すはずだったの」
タウはそう聞いた。その答えはわかっていたけど。
「地人がイクロの歌で死んじゃったら?」
イクロが肩を微かに震わせたけど、その顔は無表情なままだった。
「ってことは、地上の風が……そう思っているかもしれないって……ファイは」
「タウ、シータ姫に会わないか」
ファイは答えずに、そう聞いた。ファイがあえて答えなかった事に、イクロも何も言わなかった。
「シータ姫……」
タウはファイを見上げた。
「会ってどうするの」
「会ってみて、それだけでいいだろう。彼女は、ヨバルスの一枝の継承者だ」
「ヨバルスの一枝の……継承?」
「そして、それが争いの種なんだ」
ファイはそう言うと、小さく笑った。
そうやって笑って、ファイは大きく息をつく。
「今日はここで、休もう」
いつもなら文句を言うイクロが無言のままであったことが、いつもと違う何かを感じさせる。タウはただ頷いた。頷いて……地人のことを考えてみた。
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