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5 愛する君たちへ |
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私が何をしようとしているのか知ったら、君は何と言うだろう。
『可哀想』だと言うだろうか。
だけど、私が言わないから。
言わないから、知っていても君は止めない。
私を責めても、止めることは出来ないから。
私は知っている。
このままだと何が選ばれて、何が捨てられていくのか。
あのときの覚悟は徐々に薄れ始めている。
言葉を交わしたときから、ずっと揺らいでいる。
そして、共に旅をしてみて、新しい覚悟が出来た。
君は哀しい顔をして、それでも頷いてくれるだろう。
『チュノーラのターラという山に』
私の言葉が生むその流れの先を、私は見届けなければ。
◇
僕が何をしたか知ったら、君は何と言うだろう。
『可哀想』だと言うだろうか。
だけど、僕は君の唇を塞いでいくから。
君の血で唇を染めて、僕は、何にも囚われずに思うままに歩んでいく力を得た。
背中に君の視線を感じて。
君が僕を置いていったように。
僕は君を置いていく。
捨てて行った。
奪って、捨てて、もう君には与えない。
だけど・・・・・・。
満たされない。満たされることはない・・・・・・。
もう、二度と、戻れない。
◇
背中の後ろで扉を閉めようとしたときに、軽い抵抗力がかかった。振り返ると白く華奢な指が扉にかかり、驚いた隙を縫うようにして、彼女は扉を抜け、静かに閉じる。
「貴女は残るかと」
気配に気付かず、扉を閉めようとした理由を思わず呟くと、エノリアは軽く首を振る。ユセの視線の下で、ほぼ金色になった髪がふわりと揺れた。
「今は」
覇気を欠いた言葉は、先を続けることなく落ちた。続けようとしていた唇はニ三度震えて堅く閉じられる。
「・・・・・・下に降りましょうか?」
そう聞くとエノリアは頷く。そして、ようやく顔を上げる。戸惑いの残る瞳を前に、心の中でたじろぎながら、ユセは微笑んで見せた。
「温かくて、甘いものを飲みませんか。
きっと・・・・・・落ち着きます」
ユセはエノリアを促して階下へ降りた。階段を下りた奥は、小さな食堂になっている。宿泊客向けに始められたのだろうが、地元住民もよく利用する評判の食堂だった。
まだ夕食には早すぎる時間帯である。気まぐれに寄る客がいなければ、人の目は少ない。外へ出るよりは安全であろうと判断した。
そして、ここなら2階の各々の部屋よりは人の動きがよくわかる。窓に近づかず、それでも窓から外の様子が見える場所をユセは選んだ。人の流れを確認する。この宿を気にしている者は居ないか、不自然な人の流れが生まれてはいないか。
そう気を巡らせているうちに、店員が近づいてきた。この宿で働いている少女で、今日、ユセにランたちのことを忠告に来てくれた子だ。
何か言いたそうな少女の気配を笑顔で断って、果汁を温めた飲み物を頼む。エノリアに視線をやると、こくりと頷いたので2個頼んだ。
エノリアに向き直ったとき、エノリアは視線を卓上に落としたまま、囁きを落とした。
「ミラールは、どうなりますか」
ユセはその問いを予測していた。だが、彼女を納得させるような答えは持っていない。
「・・・・・・正確なことは何もわかりません」
「ユセさんの予想は?」
彼女の眉間に深く刻まれた皺を、ユセは苦々しく見つめた。
「たとえ予想でも、憚られます」
「では」
彼女は口に出すことをためらった。何を聞かれるかはわかっていた。だから、ユセは言うべき言葉を捜していた。
エノリアは視線を上げる。
「ランのことは、わかりますか?」
ようやく出た彼女の問いかけに、ユセはやはり答えを探し切れなかった。
「あの場所で、ドゥエルーラに資格を戻したとか、力を戻したとか・・・・・・言われました。
ランは・・・・・・。
・・・・・・変わってしまうのでしょうか」
ユセはエノリアをまっすぐに見つめた。
「貴女は、どう思います?」
「・・・・・・わかりません」
そう言いながら、エノリアは視線を再び落とした。
落ちる沈黙の間に、頼んでいた飲み物が運ばれる。
2人に一つずつ置かれ、持ってきた少女は何か言いたそうだったが、再び厨房へ戻って行った。
足音が十分に離れたのを聞いて、ユセはほうっと息を落とす。
わからないと言っても、きっと貴女は、何かを察している。
口にしたくないだけでしょう?
「私にも、まだわかりません。
でも、私には、『こうなればいい』という願いがあります」
「こうなればいい?」
「貴女はきっと怒ります。
・・・・・・私の願いは、とても自分本位で」
ユセは人の流れにもう一度視線を戻す。
「私は、私の大切な人を守りたい・・・・・・それが最優先ですから」
エノリアは自分がどんな反応をしたらいいのか迷っているようだった。
「そのために、ターラ山へ行くように言ったの?」
落ち着いた声でそう聞くエノリアに、ユセは何も答えられない。ただ、随分と長い沈黙を作り出した。その沈黙にエノリアも辛抱よく付き合った。
ユセは長く息を吐き出す。
「選択肢を増やしたかったんです」
ようやく自分の発した言葉の声色の柔らかさに、自分で驚いた。これをこんな声で語れるのか。
ユセは驚きを微笑みで隠した。
「情報をあなた達が受け取ることで、新しい選択肢を、あの大魔術師が用意している中に、紛れ込ませたかったんです」
ユセは椅子の背にもたれかかり、両手の指を組み合わせた。
「このままでは、あの大魔術師の願う場所へ、この世界は行きついてしまうと思ったのです。
私達はこの世界に生きています。
貴女もランもミラールも生きています。
そして、私の大切な人たちも生きています。
多くの人が生きています。
・・・・・・私は、許せないんですよ」
自然と握られる拳の力を抜いて、ユセは視線を上げた。
こちらを見つめる金色の瞳と、自分の中にある記憶の瞳が重なる。
だけど、彼女は『彼女』ではない。きつくなりかけた視線が緩んだ。
「この世界に既に肉体を持たぬものが、この世界で懸命に生きるものたちの生きる筋を決めようとしていることが。
この世界に残るイマルークの意志。
ドゥエルーラの悔恨。
ナーゼリアの呪い。
そんなものに、今ここにある命の生きる道が、浸食されてはいけない。
だから、あなた達は知る必要があると思いました。
この世界に何が残されているのか。
それをあの大魔術師はどうしようと思っているのか、伝えようと思ったんです」
ユセは長く長く息を吐き出した。エノリアはその間何の言葉も発しない。だが、聞いているということが、肌で感じる真剣な気配で十分に分かった。
「それが、貴女やランやミラールに、とてもつらい結果を残すとしても。
それでも貴女が、『選ばされた』のではなく『選んだ』という意志を持って未来に臨めるのなら、と」
そこまで言って、ユセは力を抜いた。目の前の湯気の上がる茶器を両手で包みこむ。
「それでも私も、残された大きな意志に従っているだけなのかもしれませんね。これも、大魔術師の計算のうちなのかもしれません。
私は、ただ、何かをしたということを自分に納得させたいだけなのかもしれません。
貴方達に辛い思いを残すだけなのかもしれません・・・・・・」
苦笑いを見せた。エノリアが自分よりも幾つも年下の少女だとわかっていも、弱音を吐いてしまったことを少し後悔した。
「あの【無音の塔】で、私が言った言葉を覚えてますか? カイネ家のこと、その血に記憶を封印し、何代も何代も伝えてきたということ・・・・・・。
正確には私達は記憶を移していくのです。一族の長が亡くなると、その一族の中で一番強い力を持つものに記憶が移るのです。不思議でしょう。
私たちは、多分、真実を残すという役割を強く持っていたのでしょう。誰に移るかはわからない。けど、一族で一番、風《ウィア》の強さに耐えられる、長に相応しいと判断された者が記憶を持つのです。逆に、その記憶を持つ者が私たち一族の長になるんです。
昨日まで知らなかった記憶が、急に頭に存在するなんて、ちょっと想像しにくいですよね?」
エノリアは素直に頷いた。ユセはその素直さに微笑んでから、話をつなげる。
「そんな風にして私達はいわゆる『神話』を受け継いできたのです。
私は比較的早く父を亡くしました。そして、一族にその記憶を受け継ぐものがほとんどいなかった。
私は記憶を継ぐには、とても幼かった。長となった者の中では、一番早くこの記憶に触れることになった者でしょう。
だから、神話については長く長く考える機会がありました。
だから・・・・・・ときどき、この気持ちが私のものなのか、創造神《イマルーク》のものなのか、わからなくなる時がありました」
「創造神《イマルーク》の気持ち?」
ユセは微笑んで、少しだけ首を振った。
「それはとても愛に溢れているようにも感じ、ときおりとても孤独にも感じていました。
でも、彼はずっとずっと一点の思いを等しく持っていた。
この世界への怒りを・・・・・・ずっと持っていたんです。
だから、彼は自分で作った調和神を狂わせたんですね。何にも触れず、何にも揺れずにいさせれば、永遠の平和を望めたのに」
「狂わせたって・・・・・・」
「キールリアに、会わせたでしょう?」
あ、とエノリアは口を開いた。
「彼は気まぐれに、静かな池に石を放り投げたんです。広がる波紋に、身をゆだねてみた・・・・・・」
一瞬傷ついたような顔をするエノリア。その表情が平静に戻るまで、ユセは口を閉じた。やがて、エノリアが問う。
「その波紋が、今、まだ残っていますか」
「いるでしょう。
その波紋は、新たな波紋をゆがめ、そして、様々な思いもゆがめ、この地に深く刻まれているんです」
エノリアは遠くを見つめる視線をしていた。その思いの先に、キールリア、ドゥエルーラ、そして、ナーゼリアがいることをユセは手に取るように感じていた。
創造神《イマルーク》の記憶を通して、痛いほどに。
「何のために・・・・・・」
ぽつりと呟くエノリアに、ユセはふと言葉をかぶせる。
「・・・・・・愛したかったのでしょう」
「え」
「創造神《イマルーク》は、本当に愛せるものを見つけたかった。
創られた愛ではなく、定められた愛でもなく。
自分の手から離れた、自分の意志から離れた愛が欲しかったのでしょう」
「それは・・・・・・どういうことですか?」
「創造神《イマルーク》は、自分の手の内に世界を作ってしまったから、その全てが自分の思いにそって動いていました。
幸せそうな人々から寄せられる多くの愛は、彼が作り出した愛ですから・・・・・・」
ユセはしばらく考え込んだ。相応しい表現が見つからない。
何と言えば伝わるのだろうと、自分の中に言葉を捜す。
その間、エノリアは息さえ潜めて、静かに、辛抱強く次の言葉を待っていた。
ユセは一瞬の微笑みを落とした。
「少し、違う話をしてもよいですか?」
エノリアは表情も姿勢も変えずに、頷いた。真剣な瞳を愛らしく思える。ユセは微笑みを深め、そして、語りだした。
「・・・・・・私たちは、声を封じられた一族です。だけど、その風《ウィア》の呪いを超える風《ウィア》の強さを持つ者を輩出し、『声』を得ることが一族の悲願でした。
ときには一族同士、そして、ときには強い風魔術師《ウィタ》を交えて、結婚を繰り返してきました。もちろん、要素は親から受け継ぐものばかりではありません。
それでも、それによって風《ウィア》の強い者を生み出す可能性は高かった。
同族での結婚を何度も繰り返してきたのです。
一族は随分減ってきていて、おそらく、次に記憶を移されるのは私だと言われていました。風《ウィア》を強く持ち、そして、『声』も発することができる、一族が待ち望んでいた存在でした。
だからか、私は、生まれて間もないうちから婚約者が決まっていました。
生まれたばかりの赤子を渡されて、この子は将来お前の『妻』になるのだと。
どう生きるべきか、何を愛するべきか、決まっていました。
その生まれたばかりの子供もね」
「それは・・・・・・」
「ああ、そんな悲しい顔をしないで下さい。
それは、私の中では当たり前のことなんです。そう教えられてきたから。
決められた道筋。決められた愛するべきもの。
それは、あなた達から見れば『愛』でもなんでもなかったのでしょう。けれど、私にとっては『愛』だったのです。私が決めたことではなく、彼女が選んだことでもない」
凝視するエノリアの視線に気付いて、ユセはふと笑みを刻んでから続けた。
「その娘を娶り、一児をもうけました。
それはすべて当たり前の出来事だった。
そして、その子供を二人で育て、そして、その子供にこの記憶を継がせる。それだけが私の生きるという意味だったんです。
だけど、子供は・・・・・・育たなかった」
「・・・・・・」
「亡くしたんです。病気か、それとも私の一族の血に体が耐えられなかったのか。
ただ、そのときに、『失う』という意味を心底考えた。
だけど、私には悲しみがなかった。
大声をあげて泣く妻の横で、ただ、失ったことだけを考えていた。
決められた道筋が狂うこと。この手にあったものが亡くなること。
そのことに衝撃を受けただけだったんです。
そして、それ以外の反応を持たない私を責める妻を見て、私には何かが欠けていることに気付いた。
気付いて、それを、多分、悲しく思ったのでしょう」
エノリアはユセの自嘲的な笑みをじっと見つめていた。
飲み物はすっかりと冷めてしまった。互いに一口も口をつけていない。
「創造神《イマルーク》も、それに気付いたのではないでしょうか。
決められた道筋。それをただ歩いていく中で、そこには大きな悲しみもない代わりに、大きな喜びもない。
彼が創った世界は、いわば、彼の創った道筋。
彼は自分の創った道を、永遠に歩く者。
創ったものは、彼には逆らわない。彼は、永遠にその世界を行くのです」
ユセは語り終えて、エノリアに視線を戻した。
それは予想通り真剣な眼差しであり、真剣な表情だった。ただ、その瞳にうっすらを浮かぶ光だけが予想外だった。
泣いている?
エノリアは涙をこぼすことはなかった。それを懸命に耐えているようだった。それをユセは優しさだと感じた。
「ユセさんは・・・・・・孤独、なんですね。
ずっと、そうやって責めて生きてきたんですね」
ユセは息を呑んだ。唇をかみしめて、慌てて彼女から視線を反らす。
「・・・・・・今は、違いますよ。
だから、二人目の子供を得て、失った子供のことを考えるとき、あのときとは違う感情があふれ出すのです。この子に、この大きな重荷を背負わせたくないと考えたとき、あなた達に会うことを思いついたのです。記憶を渡そうと・・・・・・。
とても自己中心的な思いで、あなた達に負担を背負わせています。
自分の子供を救う代わりに、あなた達に苦しみを」
「違います」
きっぱりとした言葉の強さに、ユセは思わず胸を押さえた。
「違いますよ・・・・・・ユセさん。うまく、言えないけど・・・・・・」
「・・・・・・私はこれを貴女に打ち明けることで、贖罪を乞うているのかもしれませんね・・・・・・。
それは、ずるいことだ・・・・・・」
そう言って、ユセは否定の言葉を口にしかけたエノリアに強い視線を向けた。
「私の持っている記憶の中で、渡せるものは全て渡しました。
その上で、待っているんです。
貴女とランの決断を」
ユセはそう口にして目を細めた。エノリアの口が開いたまま、ユセを見据える。
エノリアの中で渦巻く様々な思いを、外から見ていた。
それが怒りでもあっても、ただの困惑であっても、当然だと思う。
どんな思いであれ、それがランを思ってのものであれば、それさえも、この世界を残すための条件。
視線を外へ向ける。
もう日は落ちかけ、この食堂にも人が徐々に増えてきていた。
「夕食をいただきましょうか・・・・・・。ランは」
「声をかけてきます」
エノリアが席をはずして二階へあがって行くのを見て、ユセはあたりを見回した。この隅の席なら目立たないだろう。
暗くなれば、蝋燭の明かりが灯り、彼女の眼の色も髪の色もそれほど目立たなくなる。
だが・・・・・・。
厨房の少女を呼んで聞く。
「今日は夕食をいただくのに、個室を用意していただけないですか?」
ユセはそう言った。ここ2日ほど、ユセはここで夕食を食べるたびに、ここを訪れる人たちの相談に乗ったりしていた。
あのとき魔物を一掃するのに、街の警備隊や魔術師と協力しながら活躍したユセを、精神的に頼る人たちがいるのは致し方なかった。自分の食事もそこそこに、にこやかに対応するユセを心配そうにみていた少女は、素直に頷く。
二階から降りてきたエノリアが、ランが眠っているようだと言う。ユセは少女に2人分の夕食を頼むと、案内に従って場所を個室へ移した。
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