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◇
固く閉じられてぴくりとも動かない瞼を見ながら、ユセはそっと息を吐いた。寝台に静かに横たわる少年。その周りを巡る風の猛々しさを感じ取れるのはユセだけだろう。
彼の中心にある闇《ゼク》の波動を、押さえ込んでいるのはユセ自身が契約した風《ウィア》である。ミラールの中にずっと棲んでいた風《ウィア》と、あの少女が契約した風《ウィア》の契約をユセの風《ウィア》を絡めて契約しなおした。
しかし、とユセは目を細める。ミラールの中にある闇《ゼク》は、他の闇《ゼク》を呼んでいる。ユセの封印を突き破れば、またその活動は急激に起こり、この辺りは、急激に集まった闇《ゼク》によって、破壊されるだろう。
「酷い仕掛けですね……」
仕掛けと口に出してから憚られる思いになった。両手の指を組み合わせ、唇に押し当てる。
闇《ゼク》を無理矢理押さえ込んだ反動で、ミラールは昏々と眠り続けている。もう3日経った。
そして、帰らないランとエノリアのことも非常に気になる。だが、この様子のミラールから長時間離れることもできなかった。
多分、あの二人は大丈夫だろう。
むしろ二人がもし……命を失うようなことが起こっていたら……。今、世界は違う局面を迎えているはずだ。
どちらに転ぶか、解らないが。
深い思考へ入りかけたユセの意識を、扉を小さく叩く音が引き戻した。上げた視線に、窓から差し込む赤い光が流れた時の長さを教える。
もう夕方か。そう思いながら、訪問者に返答する。
「はい」
「食事をお持ちしましたので、こちらに置いておきます」
この宿で働く少女の声だった。
「ありがとう」
そう言って、いつもなら少女の気配は遠ざかるはずだった。だが、まだ扉の向こうに気配が残っている。
「どうされました?」
「あの……お客さん。お連れの方は」
「私の連れがどうかしましたか?」
「……あの、そちらの方ではなくて、その……もうお二人」
ユセは立ち上がった。
「帰ってきましたか?」
「ええ。ただ、あの、みんなが」
「みんなが?」
「私はそんなことないって思うんですけど、みんなが」
ユセは珍しく苛立ちを覚え、それを押さえ込んで柔らかな声で言葉を促す。
「みんながどうしました?」
「あの人たちがターラ山に向かってから、あんな変なことが起こったんだって。あの、あっちには滅多に誰も行かないから……二人があの山に行ったの珍しいって覚えてる人がいて。
で……、街中に入れる入れないで問答していて。
あの、私」
ユセは扉を開けた。小さな少女がびくっと肩を震わせ、ユセを見上げる。必要以上におびえている目を前に、ユセは急に扉を開けたことを後悔した。
「すみません。驚かせましたね」
「あの、私……。お客さんのお連れの方々だから、そんなことないって言ったのですけど。
お客さん、あれから残っていた魔物を退治してくれたし、怪我してた人たちを治療してくれた立派な風魔術師《ウィタ》だから……」
ユセはしゃがみこんで、懸命に庇ってくれる少女と視線の高さを同じぐらいにして、微笑んだ。
「ありがとう」
そう言ってユセは、扉を閉めなおす。念のため簡単に封印を施して、そして、心配そうにこちらを伺う少女に再び微笑んだ。
「私が居ない間、この部屋には近づかないでくださいね。お願いします」
「……はい」
そして駆け出した。騒ぎの起こっている場所までの道のりをとても遠く感じる。
魔物たちに破壊された町は、近くの町の援助を得て人々の手で立て直され始めている。それでも所々ですすり泣きと弔いの声が絶える事はなかった。
この規模で済んでいることが奇跡だと思う。
あのとき、あのままミラールが解放されていたら。
あの闇と風の魔術師《フォルタ》、ジェラスメインの契約がなかったら。いや、あの魔術があの少女のものでなかったら。
もっと大規模な破壊が行われ、自分に抑えることができたのか自信はない。
『あの人たちがターラ山に向かってから……』
確かにランがあのときミラールの元から離れていたことも一因だろう。ランの名前が封印していたのは、何もラン自身のことだけではない。
あの二人の育て親である最高魔術師《フォルタニー》が何を目指しているのか。それに思いを馳せると、よくわからなくなる。
カイネ家で代々語り継がれてきたあの最高魔術師《フォルタニー》に科せられた使命と、彼が行っていることはとても矛盾している。
ただ破滅を望むなら、何もしなければよかった。
ランが生まれたことで、彼の望む結果は放っておいても手に入ったのだ。
だけど、彼は多くの選択肢をばら撒いて、何かを待っている。そんな気がする。
ミラールもランもエノリアもジェラスメインも、私さえも選択肢の一つで、そして、全てを同時に選び取ることはできない。
だが、何が選ばれても、最高魔術師《フォルタニー》が幸せになる未来はない。
彼は決して、幸せになどなれない……。
そう思いながらも、頭には固く目を閉じたミラールの顔が浮かび、ユセは眉をひそめた。
(だからと言って、あんなこと許されるわけではない)
ユセはその先に人だかりを見た。
「……違う!」
聞いたことのないようなランの張り詰めた声に、ユセは思わず足を止めた。
「お前らがターラ山に行ってからだ。こんなことになったのは!」
二人を遠巻きに取り巻いて、住人達は口々に非難の声をあげる。一人が声高に叫んでから、その声は段々と大きくなり、二人にじりじりと近寄っていく。
「……待ってください」
ユセがその人ごみに入ろうとしたとき、人ごみの中黙っていた人がふと言葉を漏らした。
「金色?」
はっとそちらを見ると、婦人が口に手を当て、隣の女性に確認するように小さく囁く。
「髪の色、金色に見えない?」
「でも、あの子、瞳も金色じゃない……」
何かを思い立ったように二人は目を見開いた。二人の囁きを聞いていた回りの人たちも、その言葉を確かめようとエノリアに目を向ける。
「すみません! お二人とも、私がちゃんと説明をしてなかったために!」
「ユセさん」
「ユセさん」
人ごみを割って、ユセは二人と群集の間に立った。
「ユセさん、あんたの知り合いでも、何してたかちゃんと説明してもらわないとね。こっちはあの一件以来ぴりぴりしてるんだ、分かっておくれよ」
最初に声高に叫んだ恰幅の良い壮年の男性が多少落ち着きを取り戻してそう言うと、ユセはにこりと笑った。
「ええ。彼女は光魔術師《リスタ》、彼は彼女と私の護衛をしてくれている剣士です。3日前の事故直前に少し、気になることがあるからとターラ山に向かったのです。場所が場所ですし、みなさんに不要な心配は掛けたくないので、きちんと調査してからと思っていたのですが……それが結果、間に合わず、あんな大きな事故になってしまい、申し訳ないと思っています」
ユセは深々と頭を下げた。
「それから以降3日も私も連絡が取れなくて心配していたところです。不審な行動をし、皆さんを不安にさせて申し訳ありませんでした」
男性はユセの頭をじっと見詰め、そして、エノリアへ視線を向ける。
「で、何か分かったのかい。もう二度とあんなことは起こらないんだろうね」
ユセが顔を上げて、エノリアに目配せする。エノリアは少し戸惑いを見せながらも、こくりと頷いた。
「……結界のほころびは一時的にですが直しました。私は正式な分宮《アル》の光魔術師《リスタ》ではありませんので……。
応急処置ですが、正式な光魔術師《リスタ》が来るまでは持つと思います……」
ユセが顔を上げて皆に笑みを向けた。
「……まぁ、ユセさんの仲間なんだし、信用は出来るだろうさ。……悪かったな……」
そして、男は周りを取り巻いている群衆に、散会するように声をかける。それでもエノリアの方を疑わしそうに見ている人もいた。
「ユセさん。何が。あの魔物たちは町も?」
後ろから囁いてくるエノリアに、ユセは振り返らずに答えた。
「お疲れ様でした。宿に戻りましょうか」
そして、くるりと振り返る。まだ残っている人たちに分からないように、囁いた。
「宿に戻ってから、ちゃんと説明します」
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