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III 嘆く花の声
 
 赤く染められた幼い指が、同じく赤く染まった銀色の髪の間をくぐる。糸のように細い銀髪についた赤い玉がぽたりと音を立てて落ちた。
(ハジメテミタノハ赤イ色)
 だから、目は赤く。
(ハジメテ口ニシタノハ、誓イノ言葉)
 暗く熱い空気がまとわりついた。
 自分を産みだした女の、もう冷たくなった頬に柔らかな頬を寄せる。
 わかったといわねば、女の嘆きは収まらない。
 それは頭を埋め尽くし、狂気へと駆り立てる。
 広がる赤に染められる世界。
 じわりじわりと侵蝕される大地。
 言葉を失いだした嘆きに、私は答えてやらねばならない。
 誓った。
 貴女が欲しい物を、必ず贈ると。
 生まれたばかりの意識は、既に辟易していた。
 呪いの言葉をかけられたこの世界を哀れに思い、ただ自分にまとわりつく空気を、壊すことだけが頭に流れ込んだ。
 嘆きを切り離し、その魂を空に放す。
 そこに、彼女の求めるものは、まだない。これから、自分が送るのだから。
 
 それで良いだろう? ナーゼリア。
 
     ◇
 
 目の前に広がる花達の饗宴に目を細めた。こんなに美しいところがあったのかという思いが、ここへ足を運んだ理由を忘れかけさせた。
 城の中心部にある庭園の一角は皮肉を込めて『大魔術師の暇つぶし』と呼ばれている。勿論、目の前を先導してくれた王の侍従から聞いたわけではない。
 王から聞いた話だ。
 ジェラスメインは、綻びかけた口をきゅっと締めた。
「で、最高魔術師《フォルタニー》は?」
 侍従が答えようと息を吸ったのと同時に、声がかかる。
「ああ! 待ってたよ! ジェラスメイン」
 見事な花たちの間から、その花にも負けない美しい顔がにょきっと『生えた』。
 その仕草に噴出しかけたジェラスメインの気も知らないで、最高魔術師は笑顔で手招きする。
「こちらに! 丁度、始めたところなんだ」
「はぁ」
 その頬に土をつけ、嬉しそうな笑顔に、ジェラスメインはやはり自分が何故ここにいるのかがわからなくなりそうだった。
 先日、花を植えるのを手伝うことを約束させられた。無論、その場の会話の流れに沿って出た話だと思っていた。だがこの魔術師は、朝早くに丁重に使いをよこし、時間まで指定してきたのだ。
 王の侍従は、そそくさとその場を立ち去ってしまう。その気持ちは分からないでもないと思った。
(できれば私も、関わりたくなどない)
 そう思いながらその花の群れに足を踏み入れた瞬間、ぴりっとした感触が頬を撫でた。
(しまった)
 ジェラスメインは慌てて踵を返す。その背中にのんびりとした声がかけられた。
「手伝ってくれないのかな?」
 ジェラスメインは目の前の空間に手を伸ばした。やはり、ぴりっとした感触が指先に走り、柔らかに弾かれる。大きなため息を落としてから、彼を振り返る。
「遊びにしては、冗談が過ぎます」
「そうでもしないと、君は逃げるからね」
 セアラはわざとらしく額の汗を拭うふりをし、にこりと笑う。
「優雅だろう? 花になぞらえた結界だよ」
「解きます」
「解けないよ。君は風《ウィア》と水《ルーシ》を持っていても、大地《アル》は持っていないから。
 風《ウィア》と水《ルーシ》と大地《アル》のフォルタがいたら、泣いて喜ぶ高等芸だよ」
「そんな奇特な存在、貴方ぐらいですよ」
「いやいや、過去には居たさ。
 君のおばあちゃまのおばあちゃまのそのまたおばあちゃまとかね。
 キャニルス家には不思議と優秀な魔術師が生まれる。特に女性に」
「おばあちゃまのおばあちゃまのそのまたおばあちゃまですか」
 胡散臭そうな目を向けると、彼は誤魔化すように笑い、彼女を手招いた。
「ゼアルークにうるさく言い続けた甲斐があって、手に入ったんだよ。わかるかい?」
 と、セアラは両手に一つの花の苗を掲げる。
 赤い小さな花の苗だった。
「それは……」
「そう噂のカタデイナーゼだよ。カタデイキールよりも、滅多にお目にかかれない、貴重な種だ」
 ジェラスメインは、様々なことを諦めて、少しだけ彼の側に寄る。と、彼の足元には既にたくさんの赤い花が植えられていた。
 なぜか背筋を冷たいものが走る。
 この花の赤は、群れれば群れるほど不吉なことを連想する。
 まるで、血の赤。
 あの御伽噺のように、ナーゼリアの血を吸った赤。
「これ、どこから見つけた苗だと思う?」
「どこですか」
 気もそぞろにそう答えたが、問いかけ、セアラから敢えて答えを引き出さなくとも、ジェラスメインはこの花を見たことがあった。しばらく滞在したあの王宮のあの場所で。
 他者を拒否する空気を持つ塔の中へは、足を踏み入れることは出来なかったが。
 セアラは手に持っていた苗を丁寧に足元に植えると、愛しそうに土を押さえた。
「フュンラン城の塔の中にね」
 やはりかと思いながら、ジェラスメインはセアラの動作を見続けていた。
 土を掘り、苗を植える。その緩慢な動きを見ているこの瞬間も、ジェラスメインは張り詰めた空気の中に居た。
 次の瞬間、自分がここに倒れ、意識を失ったとしても、それは至極当然のことだと受け止めることが出来る。そう思った。
 微笑みながら牙を隠す、そんな相手の手の内なのだから。
「実はこの結界は、君を閉じ込めるためだけのものではないんだ。だから、そんなに警戒しなくてもいいんだけどね」
 セアラは一つ植え終えると、立ち上がった。頬についた土を、長い指で拭う。植栽の出来映えを目を細めて見ていた。
「どうだい? もう少し詰めた方がいいと思うかい?」
 そんなセアラの問いかけは、ジェラスメインの耳を素通りしていく。
 答えないジェラスメインに、問いかけるセアラの目は、にこやかで楽しそうだ。向けられている本人とは対照的に。
「それ以外に何の意味があると」
 少女の声にある硬質の響きに、セアラは息をついた。やれやれ、とでも言いそうなその響きに、ジェラスメインの眉がぴくりと動く。
「内緒話をしたいんだよ」
「結界を張らなくても……」
 と言いかけて、ジェラスメインは微笑んだ形のセアラの唇に目を止めた。
「……何を言うつもりだ」
「それより私は君の答えが聞きたいね」
「答えが出たら、私をどうするのだ」
 思いつく答えは、それこそ一つしかない。だが、セアラはにこりと笑った。ジェラスメインの緊張感をほぐすように。否、少し嘲るようにも。
「君はノーラジルの契約によって護れてるんだよ? 君が私に何をしようと、私が君を傷つけることはないから。
 そんなに警戒しなくても」
 ジェラスメインの険しい顔が、セアラの言葉を切った。
「契約など、あなたの意志一つで破れるだろう?」
「そんなことはないよ。『意志』は大切だ。それに、契約は言葉だ。言葉は響きだ。
 響きの重要さを、君は良く知っているくせに?」
 セアラは敷き詰めるように植えたカタデイナーゼに手をやった。
 その手に揺れる花を見ていると、心臓を鷲掴みされたような圧迫感を感じる。
 不思議と目頭が熱くなり、喉を押さえつけられる。
「どうして貴方は……ランにあんな予言を」
 問いかけながら、ジェラスメインは怖いと思った。
 自分は、この目の前にいる美しい魔術師が、心の底から『怖い』のだ。
 セアラは手をカタデイナーゼに向けたまま、ジェラスメインを見上げる。
「あんな予言?」
「次の子供が男なら、その子供はこの世界を『滅ぼす者』になるというやつだ。
 貴方の方が、よっぽど『滅ぼす者』じゃないか」
 紫の瞳を吊り上げて、赤い瞳を見据える。
 ジェラスメインの怒りの前で、最高魔術師の表情は場違いなほどに穏やかだった。
 促すように柔らかな光を持って細められる瞳。
 どうして、そんなに優しい顔が出来るのだろう。
 貴方の名が正しければ、貴方の目の前にある全てのものを、呪い、憎み続けているだろうに。
 その対象は『私』でもありうる。
 どうして微笑むことが出来る?
「《呪われし者》の名を持つ貴方の方が!」
 叩きつけるような言葉に対し、朗らかに笑って、最高魔術師は立ち上がり、ジェラスメインは一歩後ろへ下がった。
 じわりと揺れた空気の動きが、四肢にまとわりつくようだと思い、ジェラスメインは出来るだけ気付かれないように、小さく喉を鳴らした。
 その様子を見て、大魔術師は弾けるように笑い出す。
 ジェラスメインは鏡がなくとも、自分の頬が赤くなっていることを確信した。熱い。
「そんなに笑わなくても!」
「いやいや……。そんなに警戒しなくてもいいと言ってるのに」
「……わざとやってるんだろう」
 恨めしそうな少女の表情は、再度笑いを引き起こす。大魔術師が目を軽く指で拭いながら笑いを収めるまで、ジェラスメインは怒りから諦めに移り変わる過程を、ゆっくりと辿ることになった。
「嬉しいんだよ。ジェラスメイン。
 君は本当に、賢い」
「賢いといわれて悪い気はしない。
 けど、分からないことがある」
「なんだい?」
 ままごと遊びをする子供を、ほほえましいと見る目だ。ジェラスメインはその目を真っ直ぐに見つめ返した。
「『ナキシス』の存在の意味は」
 赤い瞳にある光は何も変わらない。
 変わらないから言葉を重ねてしまった。
「彼女は……『人』?」
 ジェラスメインは懸命に凝らした紫の瞳で、赤い瞳の中にわずかに揺れた光を、辛うじて掬い取ることが出来た。
 
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