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 陶器のぶつかる音に目を細め、セアラは震えた手に持っていた茶器を卓上に置いて、ゆっくりと窓を振り返った。日が落ち深い緑青色が支配していく空の先に、指を向ける。
 その先に刺すような怒りの震えを受け取って、彼は唇をゆがめた。
「大切なものがあるのだよ」
 もっと、ずっと。
 お前が響きにしてはならない『私の名』を声にして、その怒りをぶつけることと同じこと。
 引き換えに出来ぬ、大切なものがあるのだ。
 囁くようにそう言って、セアラは椅子から立ち上がった。そのまま扉へ足をむけ、その扉を開く。
 少女が立っていた。その扉を叩こうとしていた侍従が、固まったままセアラを見上げる。セアラはそれに優しく微笑むと、少女を招き入れるように部屋へ手を向けた。
「本当に来てくれたんだね。今日はもう無理だと思ったのだけど?」
 ゼアルークとの謁見が終わったあと、直ぐにここに来ることができるとは思っていなかった。
 最年少の王宮魔術師。そして、現在の『筆頭代理』から『筆頭』を受け継ぐことになるだろう10歳の少女。
 祖母がいればまだ違ったのだろうと思うのは、この少女に対して失礼なことかもしれないが。
「ええ。
 今日はもう遅いので」
 まったく申し訳ないと思っていない棒読みに、セアラは微かな笑い声をもらす。
「そうだね。お茶には遅い。次はいつ約束してくれるのかな?」
 少女は暗い瞳をセアラに向けた。紫の瞳に宿っている光には、怒りが篭っている。それを興味深く見つめ返した。
 ジェラスメインは視線を少しだけ落とし、呟いた。
「人払いを」
 セアラの侍従は彼の表情を伺い、セアラが頷くと一礼して離れた。ジェラスメインの従者はしばらくジェラスメインの様子を伺っていたが、ぴくりとも動かない主人を見て、一礼して去っていく。
 二人の動作を見送ってから、セアラは一つ息を落とした。
「とにかく、入りなさい」
 促されるままにジェラスメインは足を進め、セアラが扉を閉めて振り返ると、大きな紫色の瞳で見上げていた。
 その瞳を見て、彼女が言うことを既にセアラは分かってしまった。だから、表面的な微笑みを取り払った赤い瞳を向ける。
「風《ウィア》が泣いた」
「……そう……」
「彼に、つけていた風《ウィア》……です。
 貴方は……」
 少女はセアラに向かって踏み出した。その右拳を感情のままに振り上げて、セアラの胸に叩きつける。
 セアラは敢えて拳を受けた。小さな衝動に目を細める。
「貴方は何をした!?」
「わかっているだろう? ジェラスメイン。
 君には『見えていた』」
「私が見たのは、闇《ゼク》だけだ!
 そして、完全に命を絶つ魔術をかけた。
 なのにどうして!?」
 左拳を上げて再び叩きつける。
「絶てない!?
 残った風《ウィア》はまだ契約を続行している。
 絶てない命にしがみついて!」
「絶ちたかったのかい? ジェラスメイン」
 セアラは自分に叩きつけられた小さな両手をそっと取り、その場にしゃがみこんで、彼女と視線の高さを同じくした。今にも零れ落ちそうな涙を堪えて、きらきらと輝く瞳に浮かぶ怒りが美しいと思う。
 はちきれて毀れそうな感情の力だ。
「殺したいはずがない!」
「では何? 知りたいのかい?
 命を絶つことが出来ない、その理由を?」
 小さな少女の瞳の光が、セアラを射殺してしまいそうだった。押し殺したような声で、彼女は問いかける。
「ミラールに何をしたんだ」
「君が一緒にいれば、もう少しは『まし』な結果になっただろうね」
 セアラは微笑んで見せた。随分、ずるいことをしている自覚を持ちながら。
「彼は回収しているだけだよ」
「回収……?」
「放たれた光《リア》と引き換えに、蠢きだした闇《ゼク》を君達は沢山狩り取ってきたじゃないか。
 人の意志を糧に生を見出した闇《ゼク》。それが、再び意志をなくしたときどこに消えてしまったんだろうね?」
「回収というのは……!」
「ねぇ、ジェラスメイン。君には瞳がある。
 私は何も隠してはいない。
 君は……答えを導き出せるはずだよ?」
 ジェラスメインはしばらくセアラを睨みつけていた。
 風の高く泣くような音が、セアラの意識をひきつける。
 暗い空を引き裂いて、風は訴えかけてくる。
 か細い嘆きを。
「……貴方は、何者だ」
 風の音を引き継ぐように紡ぎだされたジェラスメインの言葉に、セアラは薄く笑った。
「どういう意味だい?」
「……何者だと……。それ以外になんといえばいいかわからない」
 興味深そうに彼は微笑み、そして、何度か頷いた。
「さて、何者か。君にはどんな風に見えるんだい? 君の心はなんて言っているのかな」
「……怖い。誰よりも優しく、誰よりも悲しく、誰よりも……空ろだ」
「詩人だね」
 セアラはにこりと笑って、窓際に立った。その肩越しに空を見上げる。闇に溶けかけた雲は、風に煽られて急速に流れていく。雲の絶え間から覗く弱弱しい月の光が、時折雲の柔らかな輪郭を浮かび上がらせた。
 そのくり返しと変化を眺め、時折、少女の視線を感じながら、セアラは無為に時間が流れることを許していた。
「……恐ろしい名前だ」
 その言葉にセアラの表情がぴくりと動いた。ジェラスメインはそれを見ていなかったようだ。彼女の方へ視線を戻せば、彼女は足元を睨みつけていた。
「恐ろしい、名前を持っている」
「驚いたよ、ジェラスメイン。
 ……約束は早計だったかな」
 ラスメイは顔を上げた。
『私に続く者が必要ならば、その者には決して手を下すな』
 ノーラジルの言葉が脳裏に響いてセアラは赤い瞳を細めた。
(君を殺せないなんて)
 口の中で呟くセアラを見て、ジェラスメインは不可解な顔をした。再び彼女に近づき、その足元に膝をつく。
 紫色の瞳をまっすぐに見つめると、ジェラスメインの周りの気が張り詰めた。
「何」
 構える少女に向けて、セアラは笑みをこぼす。
「ジェラスメイン。君に予言をあげよう」
 反射的に耳を塞ぎかけた少女の腕を優しく制して、セアラは言葉を紡ぐ。
「君は、君の愛するものとは結ばれない」
 少女の表情に浮かんだものを、愛しい気持ちで見つめる。
 人は……揺れる。それが美しい。
「だが、君と君の血に続く者の存在が、彼を支えることになる」
(彼がその道を選べば)
 少女はその言葉を受けて、息を止めた。そして、視線を下ろすのと同時にゆっくりと息を吐いていく。
 その息にまぎれて、彼女は確かに何かを呟いた。だが、セアラは敢えてそれを問わなかった。問わずとも分かる気がしたからだ。
 小さな魔術師は黙ってセアラに背中を向けた、そして扉を開けようと手を伸ばした。その背中にセアラは今一度問う。
「ジェラスメイン。カタデイナーゼとカタデイキールという花を知っているかい?」
 少女は少し振り返った。
「知っている」
「そう。私はね、それをこの王宮に植えたいと思う。
 そのときは君も一緒に手伝ってくれるかな?」
「何のために、植えるんだ?」
 聡明な子だ。嬉しくなって浮かぶ笑みをセアラは押し殺した。
「勿論。愛でるためさ」
 少女は紫の瞳を上げて、セアラをじっと見つめた。何かを探る瞳にセアラは優しく微笑む。
「今度はちゃんとお茶の時間に」
「失礼……いたします」
 重ねるように言って、少女は退室する。その後を見送って、セアラは小さく笑った。
「キャニルスの娘か」
 ノーラジルによく似ている。
 それよりも、レーヤルークの傍らに居たあの女性に。
 真実を背負うためにいる人たちだ。
 
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