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◇
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その夜は珍しく、真夜中に目が覚めた。
寝ぼけた頭は朝だと思っていて、最初はどうしてこんなに暗いのかがわからなかった。
朝ではないことを教えてくれた月と星の明るさを、覚えている。
ランが家を飛び出して行方がわからなくなってから、しばらく経った夜だったと思う。
セアラが大丈夫だというから、大丈夫なんだ言い聞かせるように毎日を過ごしていた。それでも、玄関の扉が音を立てる度に走っては確かめに行く。そんな日が続いていた。
奇妙なほど喉の渇きを覚えていた。そう感じると我慢できなくなってきた。寝る前に何かを飲むことをセアラは禁じているけれど、放っておくと眠れそうに無い。
そう思って、そっと部屋を抜け出すと階下には、ほのかな明かりが灯っていた。
階段からは背中しか見えないセアラが、蝋燭の灯を頼りに何かを覗き込んでいた。彼の前の卓上に散らばっている、揺れるように光を反射する丸いもの。
興味をそそられて、その背中に聞く。
『セアラ、それは何?』
セアラは驚いたように振り返り、微笑んだ。
『ミラール。起きてたのかい?』
『ううん。……目が覚めちゃって。喉が渇いたの。お水、飲んでもいい?』
『いいよ』
怒ると思っていたセアラの声が優しかったので、その側に寄り、好奇心のままに問いかける。
『綺麗だねぇ。紐を通して首飾りにするの?』
『何に見える? ミラール』
『宝石じゃないの?』
『《ジュラ》だよ』
一つ摘んでこちらへ向ける。
黒い中に揺れる光が、蝋燭のものなのかそれ自身の光なのか、わからなかった。
けど、すごく惹かれた。
喉の渇きが酷くなる。
ごくりと唾を飲み込んだ。ひどく喉が渇く。
セアラはふと微笑んだ。
『これはね。【種】。
過剰な愛から生まれた闇《ゼク》だよ。
創ってははいけないものを創ってしまった、罪から生まれた罪無き罪……』
といってから、セアラは赤い瞳を細めた。
『と言っても、難しいか。君には』
『……う、うん……』
そう語るセアラの顔がいつもと違うように見えた。
光を反射する赤い瞳。いつも微笑んでいるその赤い瞳が、別人のように思えた。笑顔のまま、低い声でセアラは言った。
『君は、これで生きてる』
『え?』
『私が、生かしている。
これが君を……私の望むものに変えて行く』
蝋燭の光が揺れて、セアラの顔がとても怖く見えた。
影の落ちた赤い瞳。それが何を見つめているのか、わからない。
『君という存在が、この世界に在る意味だよ、これは』
笑っているのに。
僕の好きなセアラの笑顔なのに。
手を差し伸べて肩に優しく触れる。その瞬間だって、叫んで逃げ出したくなっていた。
『だけど。
……ミラールはまだ知らなくていいんだよ。さあ、寝台にお戻り。眠りなさい……そして忘れるがいい……』
耳元で囁かれる。
『その時が、来るまで』
◇
叫び声が、とても遠く聞こえた。長い長い響きだった。
目の前の女性の顔が歪んだ。
優しい人だった。
その瞳が何も映さなくなる。自分に倒れこんでくる女性を一瞬だけ受け止めて、そのまま地面に落とした。
目の前に集まり視界を遮っていた黒い粒が、広がって、そして、飛び跳ねた。
茜色の空を黒いものが覆いつくしていく。
耳障りな声だ。
地面から沸き出でる黒い者達。あっという間にあたりを埋め尽くし、視線をやれば跳ねて辺りへ散らばっていった。
悲鳴だ。
悲鳴がする。
だけど、すぐ止む。
聞こえなくなる。
たくさんの悲鳴の中で、風《ウィア》の悲鳴も聞こえた。
ラスメイの声が聞こえた。
『命をかけたんだぞ!』
そうだよ。
変わるのは怖い。
だから、命をかけたんだ。
生きていたら、僕は化け物になる。
セアラの望むものになってしまう。
知ってしまったから。
思い出してしまったから。
僕は、この世界への『贄』。
生きていたら……。
生きていたら?
笑い声が口から漏れる。浅く笑って、顔を覆う。
(本当に、『生きてもいないのに』)
胸を掻き毟る。
自分の中にある『何か』を追い出すように叫ぶ。叫び続ける。
爪を立てた痛み。もっともっと痛みを!
境目を見失いたくない。
ラン。
どこに居るの?
『ミラールは音楽家で、僕は剣士だ。そして、世界中を旅して探そう』
『僕がミラールを守ってやるんだ』
僕は、君になりたかった。
僕は……僕でいたくなかった。
喉が乾く。
ひどく、乾くよ。
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