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 その夜は珍しく、真夜中に目が覚めた。
 寝ぼけた頭は朝だと思っていて、最初はどうしてこんなに暗いのかがわからなかった。
 朝ではないことを教えてくれた月と星の明るさを、覚えている。
 ランが家を飛び出して行方がわからなくなってから、しばらく経った夜だったと思う。
 セアラが大丈夫だというから、大丈夫なんだ言い聞かせるように毎日を過ごしていた。それでも、玄関の扉が音を立てる度に走っては確かめに行く。そんな日が続いていた。
 奇妙なほど喉の渇きを覚えていた。そう感じると我慢できなくなってきた。寝る前に何かを飲むことをセアラは禁じているけれど、放っておくと眠れそうに無い。
 そう思って、そっと部屋を抜け出すと階下には、ほのかな明かりが灯っていた。
 階段からは背中しか見えないセアラが、蝋燭の灯を頼りに何かを覗き込んでいた。彼の前の卓上に散らばっている、揺れるように光を反射する丸いもの。
 興味をそそられて、その背中に聞く。
『セアラ、それは何?』
 セアラは驚いたように振り返り、微笑んだ。
『ミラール。起きてたのかい?』
『ううん。……目が覚めちゃって。喉が渇いたの。お水、飲んでもいい?』
『いいよ』
 怒ると思っていたセアラの声が優しかったので、その側に寄り、好奇心のままに問いかける。
『綺麗だねぇ。紐を通して首飾りにするの?』
『何に見える? ミラール』
『宝石じゃないの?』
『《ジュラ》だよ』
 一つ摘んでこちらへ向ける。
 黒い中に揺れる光が、蝋燭のものなのかそれ自身の光なのか、わからなかった。
 けど、すごく惹かれた。
 喉の渇きが酷くなる。
 ごくりと唾を飲み込んだ。ひどく喉が渇く。
 セアラはふと微笑んだ。
『これはね。【種】。
 過剰な愛から生まれた闇《ゼク》だよ。
 創ってははいけないものを創ってしまった、罪から生まれた罪無き罪……』
 といってから、セアラは赤い瞳を細めた。
『と言っても、難しいか。君には』
『……う、うん……』
 そう語るセアラの顔がいつもと違うように見えた。
 光を反射する赤い瞳。いつも微笑んでいるその赤い瞳が、別人のように思えた。笑顔のまま、低い声でセアラは言った。
『君は、これで生きてる』
『え?』
『私が、生かしている。
 これが君を……私の望むものに変えて行く』
 蝋燭の光が揺れて、セアラの顔がとても怖く見えた。
 影の落ちた赤い瞳。それが何を見つめているのか、わからない。
『君という存在が、この世界に在る意味だよ、これは』
 笑っているのに。
 僕の好きなセアラの笑顔なのに。
 手を差し伸べて肩に優しく触れる。その瞬間だって、叫んで逃げ出したくなっていた。
『だけど。
 ……ミラールはまだ知らなくていいんだよ。さあ、寝台にお戻り。眠りなさい……そして忘れるがいい……』
 耳元で囁かれる。
『その時が、来るまで』
 
 
   ◇
 
 
 叫び声が、とても遠く聞こえた。長い長い響きだった。
 目の前の女性の顔が歪んだ。
 優しい人だった。
 その瞳が何も映さなくなる。自分に倒れこんでくる女性を一瞬だけ受け止めて、そのまま地面に落とした。
 目の前に集まり視界を遮っていた黒い粒が、広がって、そして、飛び跳ねた。
 茜色の空を黒いものが覆いつくしていく。
 耳障りな声だ。
 地面から沸き出でる黒い者達。あっという間にあたりを埋め尽くし、視線をやれば跳ねて辺りへ散らばっていった。
 悲鳴だ。
 悲鳴がする。
 だけど、すぐ止む。
 聞こえなくなる。
 たくさんの悲鳴の中で、風《ウィア》の悲鳴も聞こえた。
 ラスメイの声が聞こえた。
『命をかけたんだぞ!』
 そうだよ。
 変わるのは怖い。
 だから、命をかけたんだ。
 生きていたら、僕は化け物になる。
 セアラの望むものになってしまう。
 
 知ってしまったから。
 思い出してしまったから。
 
 
 僕は、この世界への『贄』。
 
 
 生きていたら……。
 生きていたら?
 
 笑い声が口から漏れる。浅く笑って、顔を覆う。
 
(本当に、『生きてもいないのに』)
 
 胸を掻き毟る。
 自分の中にある『何か』を追い出すように叫ぶ。叫び続ける。
 爪を立てた痛み。もっともっと痛みを!
 境目を見失いたくない。
 
 
 ラン。
 どこに居るの?
 
 
『ミラールは音楽家で、僕は剣士だ。そして、世界中を旅して探そう』
 
『僕がミラールを守ってやるんだ』
 
 僕は、君になりたかった。
 僕は……僕でいたくなかった。
 
 喉が乾く。
 ひどく、乾くよ。
 
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