ミラールは静かにその部屋を退出した。
「ミラール?」
声をかけられてミラールは、我に返った。
ランもミラールについて出てきたのだろう。ミラールは、笑みを見せた。
「僕、城の外で待ってるよ」
「そうか?」
「ラスメイも、泣くところあまり見られたくないだろうし」
ランは、軽く目を開いた。
「そうだよな。じゃあ、俺も」
「ランはここにいなよ」
そう言うと、彼は不思議そうな顔をする。まったくもって、言葉の要らない奴だとミラールは思った。
(そして、鈍い)
「ラスメイの側にいろってこと」
「……? うん、だけどお前は?」
ミラールは曖昧に笑った。答えを誤魔化しても、ランは滅多にそれ以上を聞こうとしないし、答えたい気分でもなかったから。
「後でね」
「ああ」
不審そうなランの顔に当たり障りのない笑顔を残した。
いろんな思いを溜息にして吐き出し、ミラールは一人城門へ向かった。
廊下を歩きながら、ミラールは考えをめぐらせていた。
『フュンザス家の音楽家にならない?』
別れ際に何度も言われた台詞を、フュンザス家の一人娘は『最後にもう1度言わせてね』と前置きして言った。いつもの台詞には、懇願にも似た響きが加わっていた。それが、ミラールを迷わせていた。
別にフュンザス家以外の場所で活動してはならないといわれたわけでは無い。第1の支援者にフュンザス家がなってくれると言うことだ。
今までは、断ってきたけれど。
彼は前髪を少しひっぱった。
(落ち着いた方がいいのかもしれない)
少し、離れた方がいいのかもしれない。ランともエノリアとも。
『僕は剣士で、ミラールは音楽家だ』
脳裏に浮ぶ声は、幼いころの約束。そうやって、世界中を周って両親を探そうという約束だった。
そのときの声も、ランの真剣な眼差しも覚えている。多分、言った本人以上に……。
(小さいころの、ほんの些細な約束だよ)
鼻で笑ってみせてから、ミラールは視線を足元に落とした。そして、振り払うように、首を振る。
フュンザス家は王家に1番近い家。そこの音楽家になるということは、王家にも近づける。王家に近づけば、他の国でも……。
僕の音楽が世界中に。
ミラールはそう考えながらも、額を押さえた。城を出て、庭を横切る。色鮮やかな花たちを視界に入れながらも、ミラールはその一つ一つにどんな思いも浮んでこなかった。
ふいと視線をそらして、ひたすら城門へ向かう。
ラスメイは決断した。
そして、僕は……何も決められないでいる。
シャイマルークを出発して、4人でいることが当たり前になってきていた。けど、違うんだということを今、思い知った。
(このままで、いられるはずがないんだ)
ランとエノリアと僕で、このまま旅を続けて、それでどうなる?
側にいれば、守ることが出来る?
僕も、ランのようにエノリアを守るなんて言える?
それよりも、自分は。
(どうしたいのか、わからない……)
迷ったまま、ミラールは城門を抜けた。城門を固める兵士達はミラールをすっと一瞥するときだけ、わずかな人の気配を表に出し、そして、再び彫刻のように気配を消した。
ミラールはつい最近までの空気とはうってかわって、明るくなった町の様子に目を細める。前にも何度かこの地を訪れたが、どの時期とも重ならない空気だった。
開放感と安堵と、まだ少し残っている不安。その奇妙な均衡に身を置くことを心地いいと感じてしまう。
彼は無意識に腰にさしていた笛を取り出す。質素でありながら、華やかな印象をもたらす彫り物を手でそっと撫でた。
そのまま唇に寄せ、目を閉じる。心のままに音を創り出した。
しばらくして風のように流れていた曲は「花の都へ」へ転じた。1人でフュンランの音楽祭へ来たときに奏でた曲だった。
あのときランは居なかったな。
ランの居ない2年間は振りかえると不思議と記憶に薄い。セアラと二人だけで暮らした。音楽に明け暮れ、時間を埋めるように手の込んだ料理に挑戦したり、菓子作りにまで手を出したり……。
(そうか……あのころかなぁ)
ランが居なくてどこか寂しそうなセアラに笑って欲しい一心でいろんな料理を作った。そのときだけ、セアラは自分を見てくれたから。
ふと、ミラールは笛から唇を離した。
セアラ、元気だろうか。
また、あんな顔をしていないだろうか……。
自分が居なくなっても、大して寂しくは無いだろう。けど、ランが居ないから。
ランの居ないときのセアラ。そうだ……少しも自分を見てくれなかった。ずっとランを待っていた。よく外を見つめていて、僕はとても寂しかった。ただ見てくれるだけでよかったのに……少しも見てくれないから、僕は……。
「やめてしまうのかい」
ミラールは弾かれたように顔を上げる。声は自分の左隣の方からした。恐る恐る顔を向けると、少し離れたところに一人の老人が座りこんでいた。ミラールが演奏に夢中になっている間に、そこへ訪れたのだろう。それに今まで気がつかなかったのは、ミラールが他の事に気をとられていたからだ。
煙草をふかしながら、長い白色の眉の下、赤みを帯びた茶色の瞳をミラールに少し向ける。
「続きは?」
しわがれた声は不思議と耳に優しい。
老人は煙草をゆっくりと吸う。大きく煙を吐くと、ミラールから視線を前に戻した。
「いい音が聞こえるから、寄ってみたんだよ。多分、皆聞いておる。聞かせてくれんか?」
皆にということだろう。ミラールは頷く変わりに再び唇を寄せた。「花の都へ」を願いをこめて吹く。この曲をはじめて吹いたのは、2年前だ。ランが居なくなってすぐ、1人でフュンランへ着た時だ。その花の美しさに少なからずとも心慰められた。
セアラにその美しさを伝えたくて、思いを音にした。
その後は、あの劇団の為に作った曲を2曲。
(劇団とあったのも、そのすぐあとだったかな)
どれも、柔らかく優しい曲ばかりだ。ミラールは無意識にその曲を選んだ。
余韻を残して、ミラールは唇を笛から離した。
(自分が今、やさしい曲を求めてるってことかな)
「悲しいな」
老人の呟きに、ミラールは最初目を見開いた。だが、その言葉を噛み締めてから、ミラールは頷く。その言葉を素直に受け止める事ができたから。
「もっと、自分を愛しなさい」
老人はそう言ってから、ミラールを手招きする。腰をあげて老人の近くに腰を下ろすと、ミラールは自分の方から老人を覗きこんで声をかけた。
「音楽に携わっていた方ですか?」
「まぁな。少し前までは、ノーブに居た」
「では楽器を作ってらしたのですか?」
「自分で吹いていた事もあるがなぁ。その後はずっと作ってたな」
「……笛ですか」
老人は再び煙草をくわえる。しばらくして、ミラールの手元に視線を落とした。老人は煙草を口から離し、煙を吐き出した。
「見覚えのある笛だよ」
「貴方が作ったんですか?!」
繋がった。心臓が高鳴った。こんなところでこんな風に出会えるとは思わなかった。今まで悩んでいたことを忘れて、ただ目の前の情報にだけ意識が集中する。
ミラールを支配する感情は驚きと期待、そしてどこかでその思いを抑制する不安だった。
老人が手を出す。ミラールはその仕草の意味をすぐさま察して、笛を渡した。老人は煙草を傍らに置くと、まじまじと笛を見つめた。いろんな角度でしばらく観察しはじめた。老人が手を動かすたびに、ミラールの動悸は早くなって行く。
だけど、老人にせかすようなことはしなかった。それは、ミラールが自分の両親に近づく事を望みながら、怖がっているからかもしれない。そして、やはり知らないといわれるのが怖いからかもしれない。
「うん。そうだ。紛れも無い……。この木、この木目、この彫刻……。わしの最後の作品だ」
「……そう、ですか」
吐き出した言葉は、そのほとんどが吐息となって消えた。
「お前さん名前は?」
「ミラール。ミラール=ユウ=シスラン」
「ほう。あのシスランという音楽家はお前さんか」
「音楽家というか、まだ」
ミラールの戸惑った言葉に、老人は眉を吊り上げた。
「音楽家に、まだももうもあるか。人が認めたときがそうだ。お前さんはもう、認められてるよ。わしはあの曲をこの町で何度聞いたことか……」
老人は笛をミラールに返して、また煙草を手に取った。ミラールは手渡された笛をじっと見つめる。
「あの……」
「ミレリータは元気かい?」
そう切り出そうか迷って紡いだ言葉は、老人の言葉と重なる。
ミラールは目を見張った。女性の名前のように聞こえた。息を飲みこんで、止めた。ミレリータ。そしてその名前には聞き覚えがあった。華やかな印象と共に奥底にあった記憶を、目を細めながら引出した。
(ミレリータ……。歌姫ミレリータ)
老人はミラールの反応に気づかず、言葉を続けた。
「彼女に笛を一つ作って欲しいと言われたとき、わしは悩んだよ。もうやめようと思ってたところだったからなぁ。フュンランにいる息子夫婦が一緒に住もうと言ってくれてた。ノーブではもう店じまいだ。そんなときだった。最後の大仕事だよ。あの歌姫ミレリータに直に頼まれたんだから。だから一層覚えているさ」
ミラールは自分の手の震えをとめるのに必死だった。
噂で聞いた事があるだけだ。美しい歌姫ミレリータ。先のシャイマルーク王からの求婚を断ったことは彼女の噂を伝説に仕上げた。ルスカ女王の弟君からも、フュンランの王族からも。
そして、今、彼女の噂は聞かない。伝説は伝説として鮮やかに彼女を彩っているだけで、それが彼女の華やかさを一層色あせぬものにしていた。
「綺麗だったなぁ……。そうかい。あのミレリータの息子が君だとはねぇ」
ミラールは、老人の視線に首を振って答えるしかなかった。笑って違うと言おうとして失敗した。
「そうかい? でも、この笛を持っていると言う事は、よっぽどミレリータに見込まれたんだな。名前も、もらったんだろう?」
「えっ、名前、ですか?」
老人はミラールの反応に不思議そうな顔をしつつも、説明をしてくれた。
「ミレリータの名前だよ。ミレリータ=ユウ=シス」
どういうことだろう。
ミラールは笑おうとして失敗した。口元を片手で覆う。
ミレリータ。そのミレリータが母なのだろうか。
いや、しかし。名前の一致は。
僕の名前は、捨てられたときに、笛と一緒に残されていたもの……。
だとしたら、やはり?
「今、どこにいらっしゃるかご存知ですか?」
老人はミラールの迫力に気圧されたようだった。ミラールは必死になって、頭の中を整頓した。何を伝え、何を聞けばいいのか? もどかしい。
「僕、この笛を持って捨てられていました。
この笛だけが、僕の両親を探す鍵なんです。いままで何の手がかりも無かったんです。そのミレリータ……さんが、多分、大きな鍵になると思うんです!」
老人はミラールの迫力に気圧されていたが、しばらくして唸り声を上げた。
「ミレリータ……なぁ。わしも関係者の根も葉もない噂で聞いただけだが……」
だから、信じられても困るんだがと前置きして老人は言った。
「チュノーラの山裾の町で、音楽を教えていると聞いたな」
チュノーラ。その地名を聞いて、少し喜ぶ自分が居る。
理由が、出来た。
(『僕は剣士で、ミラールは音楽家だ。そして、世界中を旅して探そう』)
まだ、一緒に居ても大丈夫。
「なんという町です?」
「ドゥアーラだったかな? そうだなぁ……聞くたびに場所は点点としていたから。最後に聞いたのがそこだったというだけだけどな」
「十分です。ありがとうございます」
ミラールは頭を下げた。不安は不安のままだったが、どこかで少しの喜びを感じていた。またこの思いは不安に変わる事を自覚していたけれど。
会ってどうする?
その疑問が重くのしかかる。だけど、今は会いたいと願っている。
そう思うことがずるいとも感じた。
ただ、一緒に旅をする理由を見つけることのできた喜びのような気もしていた。
空を仰ぐ。流れる雲を見つめて、思いっきり息を吸った。
真っ白になりたい。
すべての思いを捨てて、そして、本当に自分が何を望んでいるのかを探ろうとした。
(僕は……)
目を瞑る。何故か、遠くて。本当の自分も、本当の自分の望みも、遠くて、考えれば考えるほど遠くなって行って。
ただ、風を感じることだけに専念していた。
『僕を見て!』
そして、ふと目を開ける。
おそるおそる自分の胸に手を当てる。しこりのような塊がずっとその奥にいるような気持ちになった。
『僕を見て!』
ミラールは眉を寄せて、拳で自分の胸を叩いた。
(うるさい)
『僕を……』
(黙れ!)
彼はその場に立ちあがった。そして、息を止めていたことに気づいて、ゆっくりと吐き出し、吸いこんだ。
顔を両手で覆う。わめきたくなる気持ちを抑えた。
……愛してくれるのだろうか?
本当の母に会ったら……、この思いは。
(欲しい。何かが)
誰かを抱きしめて、誰かに抱きしめられたくなって、ミラールは戸惑った。体温が欲しい。
当たりを見まわして、そして、目を瞑った。誰も、いない。
誰も……。
(行こう)
会おう。そして、それから決めよう……。
ドゥアーラに行っても会えるとは限らない。だけど、それまでは、一緒に旅する事が許されるから。
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