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IX  希う
 

 家の軒先に飾られた花に水が注がれる。枯れかけていた花々は徐々に生きる力を取り戻してきた。笑い声、子供の歓声、そして、笛の音色、弦の響き、歌声……町は音を取り戻した。
 穏やかな時間が町に戻ってきたのは、つい最近の事だ。
 城は再び解放され、もう2度と帰ってこないかもしれないと思われていた者たちは、歓声を連れて町へ戻ってきた。分宮《アル》には、まだかつてのような華やかさは戻っていないが、巫女《アルデ》たちの笑顔だけでも見たいと、人々は押しかけた。
 領主たちは急いで自分の領地へと帰って行く。次々に町から出立する馬車を人々は、様々な思いで見つめていた。
 これでもう大丈夫だと顔を合わせるたびに繰り返される言葉。
 その中で4人の旅人を城の解放に結びつけるものは少なく、また、その裏に魔物がからんでいることを知る者はもっと限られた。
 その空気に浸りながらも、その限られた人物の一人であるエノーリアは、大きな荷物を玄関先に運び出し、その扉に鍵をかけて、息をついた。
「本当に、いっちまうのかい」
 この貸家の持ち主である隣家の老女に背後から声をかけられ、エノーリアは振りかえり、微笑みながら鍵を渡した。
「ええ」
「あんたが隣にいてくれると、安心なんだけどねぇ」
 腰に持病のある老女は、エノーリアの患者の1人だった。
「そう言っていただけるのは嬉しいのですが」
 そう言いながら、エノーリアは小さな馬に荷物を括りつけた。馬は大人しく鼻息一つ鳴らさずに、少々重い荷物を受け入れていた。
「大丈夫なのかい? 1人でいくのかい? それとも誰かいい人でも」
 心配から詮索に変わって行く言葉に苦笑して、エノーリアは首を振る。馬の首をさすりながら、老女を安心させるための笑みを浮かべる。
「そういうのじゃないんですよ。心配しないでください。知り合いの旅芸人の方に頼んで有るので」
「まぁ、1人よりはいいだろうけど」
 エノーリアが医者としてどういう人種との関わりも持っているかを知っている老女は、渋い顔をした。それもエノーリアは微笑みでかわす。そして、軒先にある小さな木の枝を切り取った。馬の首に括りつけた筒の水の中へ浸す。
「その花、よっぽど好きなんだね」
 彼女の行動を見ていた老女が、感心するような声を洩らす。エノーリアは頷きながら、首を傾げた。
「申し訳ありません。勝手に植えてしまって」
「いいんだよ。そういうわけじゃないんだよ。私もその花、嫌いじゃないからね」
 老女が慌てて手を振るのと見て、エノーリアは愛しそうな視線を木に向けた。白い花はほとんど落ちてしまっているが、風に揺れる度に柔かな芳香をあたりに振りまいていた。
「ここはこの花に向いてない環境だから、もっとちゃんとしたところへ植えようと思うんです」
 金色の瞳を細めて、エノーリアは老女に語った。
「本当に大きな木になるんですよ。それが楽しみなんです」
「なんていう名前だい、その木は」
「エノリア」
 噛み締めるように彼女はその名を口にし、顔を上げた。
「私の名前と似ているでしょう?」
「もしかして、その木のために引っ越すのかい」
 老女の呆れたような言葉に返ってきたのは、今まで見たことのない様な明るい笑顔だった。
「そうです。生き続けるように……」
 それからエノーリアは深深と頭をさげて、別れの言葉を口にした。また寄りなさいという老女の言葉には社交辞令以上のものを感じて、彼女は微笑んだ。
「行こうか」
 小さな馬に囁いて、彼女は歩き出した。彼女の旅路の無事を願うように、そして医者としての彼女に感謝するように、周りから名残惜しむ声がかかった。それの一つ一つに笑顔で答えながらエノーリアの心は前だけを見つめていた。
(カーディス、今なら、あなたの言葉を素直に聞ける)
 エノーリアはふと振りかえって視線を城へ向ける。そして、誰にも気づかれない程度の会釈を向けて、再び前へ視線を返す。
(元気で)
 ここであの子に会えてよかった。
 あの子とあの子の大切にしている子に会えて、よかった。
(もう会うこともないと思うけど……いつか)
 その先も心の奥に仕舞いこんで、エノーリアは歩き出した。


 

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