セイの剣の切っ先が、ランの肩を掠めた。ランは痛みに顔をしかめることなく、ただ戦いに集中していた。何度合わせたろうか。お互いに魔術を使う事はなかった。そんな隙も時間もない。繰り出される剣の数だけ、剣で受けた。
カキィンっ。
一際大きな金属音が響いたとき、両者は数歩の余裕を持って分かれていた。大きく息を繰り返す様子は同じ。ただ、セイのほうが少し余裕のある呼吸を繰り返していた。
「もったいないな」
セイがそう言う。だが、ランは首を振った。
「剣も持たない者を殺すようなやつに言われたくないね」
セイがふと唇を引き上げた。
「些細な問題だ」
「だろうよっ!」
再び激しいぶつかり合いが始まった。前に押し、また引く。なんどか繰り返して、今度はセイの二の腕に朱線が走った。
二人を見つめながら、エノリアもラスメイも動けないでした。 眠り続けたままのアルディラの頭を抱え、ラスメイはラスメイなりに彼女の目覚めを促している。微弱な闇《ゼク》の波動を薄皮を剥ぐように慎重にさぐりながら。そしてもう一方で大きな力に耐えていた。
「ラン=ロック=アリイマ」
名を呼んで、セイは剣を上下に動かした。ランはそれを受けとめながら、セイを睨みつけた。
「この状況で、お前も無事で居られるとは思うまい」
「……この状況なら、あんたが1番不利だぜ」
「そうか?」
そう言いながら、セイはちらりとラスメイを見た。ラスメイが動けばセイに勝機はない。だが、ラスメイはアルディラのことで精一杯だ。ザクーがこの場から消えた瞬間から、ラスメイの意識は城に向けられたまま。
術の元が消えた今、その術が一気に解かれようとしていた。糸で今まで天高く引き上げられていたものが、急にそれを断ち切られて地面に落ちるように。そうなれば、その物は地面にたたきつけられてしまう。それは今この城内にいる者、つまり術にかかって心臓を止めてしまうほどの深い眠りに落ちている者たちの死を意味する。そうならないように、ラスメイは糸を一時的に支えていた。だが彼女にも限界がある。
ラスメイがこの戦いに横槍を入れる事ができないのは、そういう事情があったからだ。ランにはわからない。だが、セイにはそれを感じ取る事が出来ていた。彼もまた、闇魔術師《ゼクタ》の資格を持つ者であったから。もちろんラスメイほどの力はなく、その身の属性は風《ウィア》である。
無論、余裕があってもラスメイが横槍を入れるようなことをするかどうかは、ランにしても疑わしかったが。
ランの剣を跳ね上げて、セイはランの首に剣の先をつきつけた。
「ラン!」
エノリアの悲鳴。ランは目を細めた。セイがそのまま動かない事に疑問さえ覚えて。
「何故、やらない」
「頭は冷えたか?」
セイは静かに問う。ランは何度か息を繰り返した。そして、セイを睨みつける。
「簡単だろうが。俺を殺せば、エノリアも殺せる」
「お前を殺すには、ゼアルーク様の意志を仰ぐ必要がある」
セイは簡単にそう言ってのけた。そして、ランを見据える。紺色の瞳の静けさは、殺気よりも怖いものを秘めている。
「そうだろう?」
「あんた、まだ俺のこと王家の血縁とでも」
その言葉にセイは唇を少し引いて見せた。彼が肯定する意味がないと思っていることをランは悟る。彼はもう疑いを越えて確信している。ランの焦りを余所に、セイは自分の中で話を進めた。
「二つ目の太陽の娘《リスタル》を、殺すわけにはいかなくなったからな」
セイの台詞に、ランは軽く目を見開いた。
「それに……」
ラスメイを顎でしゃくりながら、セイは続けた。
「フュンラン家を人質にとって、お前の命を懇願している」
見ればラスメイが食い入るようにしてランとセイを見ている。状況の飲みこめないランに、セイは目を細める。
「術が解かれた。今、この城の住人の命を支えているのは彼女の力だ。末恐ろしいな……。あんな闇魔術師《ゼクタ》が許されているとは」
「エノリアを……利用するのか」
ランの言葉に、セイは薄く笑った。その笑いがランには気に入らない。目を吊り上げながら、一歩前に出たランの首の肌に剣の先が食いこむ。セイは微動だにせず、ランの怒りを見つめている。
「ザクー達をおびき寄せるために」
低い声だった。そこに含まれた怒りはいかほどのものだろうか。セイはそれさえも受け流してしまう。
彼にとっては関係の無い事だった。
「今、1番危険なのはシャイナだ。二つ目の太陽の娘《リスタル》でなく、あのような意志を持った月の娘《イアル》」
「どこから、聞いてた?」
ランの質問を聞きながら、セイは後ろの気配に気づいた。跳ね飛ばされたランの剣を持った人影。エノリアだ。
剣を持つ手は少し震えている。ランの剣はエノリアのものよりも重い。両手で支えているのだが、静止させるのは難しかった。
「使えるのか?」
「使えるわよ。ちょっと、重いから手元は狂いそうだけど……。ランを放してくれる?」
セイはエノリアとラン、どちらにも意識をやりながら、ランを見た。ランは先ほどよりは幾分落ちついた様子だった。セイは呼吸を読みながら、ゆっくりとそのままあとずさる。
ランの元へ寄って、エノリアは真正面からセイと対峙した。ランはエノリアの手から剣を受け取って、そのままセイへ向けた。
「フュンラン家にはこの1件で、充分な恩を売れるわ。ここで、シャイナ死去の連絡が入ったとしても、フュンランはシャイマルークにそれほど大きな反感を持つことができない……。
だから、シャイナを駒のように……扱える……」
エノリアの声は段々低く擦れるようにして消えた。震える肩から、ランはエノリアの憤りを察した。そうすると自分の怒りが和らぎ、冷静な判断が戻ってくる。
感情を切り替えてセイを見ると、セイはエノリアを興味深そうに見つめて、ただぽつりと呟いた。
「本当に……惜しい」
そう言いながら、セイは剣を収めた。それは、もう攻撃する気がないということを表す行動だ。ランはこれを襲撃する事が出来た。だが、彼の誇りがそうさせないだろうことは、セイには予測できていたことだ。
だから、見せ付けるようにして剣から手を放す。
「どこから、聞いていたのよ」
エノリアの問いに、セイはふと視線を返して見せただけだった。城の様子を見て、自分たちの会話を影から聞き、判断し、シャイナを殺せる瞬間を狙っていたのだとしたら……。そう考えただけでも嫌悪感に似た怒りが沸いてくる。
「あの闇《ゼク》の者、お前達を必要としているようだったな。だったら、お前達についていくのが1番……」
「断る」
ランは剣をおさめながらそう言いきった。
「いつ殺しにかかるかわからないやつを側に置けるか」
「もっともだ。まぁ、私もしばらくはここを動けないだろう」
セイはそう言いながら、ラスメイに視線を返す。と、アルディラが目を覚まし、ラスメイの支えを受けながら、ゆっくりと身を起こしているところだった。まだ意識ははっきりしていないようで、こちらを見つめながら現状を把握できずにいるようだ。
「他に、闇魔術師《ゼクタ》に心当たりがあるか?」
セイの問い掛けにラスメイは息をつきながらも、辛そうに身動きをした。
「ない」
「支えられるか?」
ラスメイは珍しく瞳を伏せて、首を振った。
「少し、つらい」
「私が補佐する。ゆっくり解いてどれくらいだ」
「10日ほど。シャイマルークから援助は求められるんだろう?」
「光宮《ヴィリスタル》から4名の光魔術師《リスタ》は向かっている。王だけでも、早く解いてくれ」
短いやりとりの末、ラスメイは溜息をつきながらランとエノリアを見た。
「私はしばらくここに留まらなくちゃならない。アルディラはすぐに解けたが、こちらはしばらく時間がかかる。深い眠りだからな。だが、解かなくてはならない」
「ああ……」
ランはそう答え、そしてしばらく黙りこむ。ラスメイの決心は堅い。アルディラを守ると言いながら、守りきれなかった後悔の念が、彼女に予断無い決断をさせたのだろう。ランはそう思いながら、ラスメイの真っ直ぐな目を見つめた。
ここで、ラスメイが自分たちと離れ、この1件を解決したなら、セイを通して王家との繋がりが個人的に出来るということだ。ゼアルークが噂通り、能力を優先させる人物であるなら、彼女の能力は闇魔術師《ゼクタ》であろうと彼女の将来に繋がる。キャニルスという名を越えて……。
こういうきっかけがなければ、ラスメイはどんなに止めても自分たちについて来るだろう。それを自分は拒む事が出来ない。だから、正直言って安堵していた。
(問題は自分たちか?)
ランはラスメイに頷いて、視線をエノリアへ向けた。
シャイナとは出会えた。ならば、事実上エノリアの旅は終わった。むしろ、今度はザクーが来るのを待てばいい。
彼の目的はエノリアとランにある。
セイがエノリアを見逃すといっている。差し迫った命の危険性もなくなった。むしろ今度はエノリアがシャイナとザクーを引き寄せる役がある。いや、それが終われば今度こそエノリアは用済みになるだろう。
1番危険なのはシャイナになっただけだ。
ランの視線の先で、エノリアは地面を睨むようにして考えこんでいた、だが、視線の先にある影に目を留めたようだった。ランはそんな彼女の仕草を見ている。
(影?)
いつのまにか、時間は経ち、影の位置が微妙に変わったのだ。それをエノリアは視線で追い、同時にランの視線も同じ場所を辿った。その先にあるのは、あの塔。
エノリアが急にこちらを見るので、ランは少し驚いた。差し迫った迫力でこちらへ足を向け、はっしと手首を掴まれる。いきなりの出来事に、ランは戸惑ってしまった。
「エノリア?」
「来て!」
駆け出すエノリアに、ランは引っ張られ少し体勢を崩しながら付いて行く。途中、セイを振りかえると、彼は追いかけようともしていなかった。ただ、紺色の瞳で、ラスメイを見下ろす。
(そうか)
ラスメイはセイにとっては自分たちと繋がる糸にもなる。
ランは目を細めた。
きっと、蜘蛛の糸にからまった虫とはこういう気分なんだろう。そう思いながら……。
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