ラスメイはじりじりとした圧力に懸命に対抗していた。
結界の元、それを感じ取っている。結界は本人が源となる。その本人が近くにいるようではない。ということは、どこかにその元があるはずなのだ。
一つ間違えると、反動が来る。それをミラールとラスメイで受けとめていた。
服の腕の部分に大きな裂け目が出来、そこからどす黒いしみが広がっていた。思ったよりも、反動は弱い。
ミラールも彼女の隣で、懸命に風《ウィア》で対抗している。
こう長い間闇《ゼク》と対峙していると、何か懐かしい気持ちになる。自分の中の闇《ゼク》と、この闇《ゼク》の違いは何なのか、果てしない問答を繰り返しそうになるのを止めた。
何故。そう考えれば、この世界はきりが無い。
光《リア》が放たれれば、闇《ゼク》は強くなると言う。
では何故、イマルークはそんな不安定な世界を作ったのだろう?
光《リア》と闇《ゼク》。どうしてこの二つだけが相反するのだろう?
二つだけがお互いに影響しあうのか。
何故、闇《ゼク》は禁忌とされる。
何故?
ラスメイはふと紫色の瞳を見開いた。
さきほどまでの反発力が嘘のように弱まった。
何が起こったのか一瞬理解できなくなった。結界を精神で辿る。自分の要素を辿らせる。
と、城門の辺りの厚みが、もつれた糸が解けていくかのようにゆるまっているのだ。
「ミラール。結界が」
「どうしたの?」
ラスメイは振り向いた。気も同時に弛めたのだが、反発はこなかった。そこに青色の不安そうな瞳があった。
アルディラ。
フュンラン家に近い血。
「アルディラ」
「ごめん。何か邪魔した?」
ラスメイはよっぽど険しい顔をしていたらしい、その視線を受けるアルディラの態度はいつもよりもびくびくとしていた。
いや、と呟いて眉を少しでも下げようとした。そこに特別な意識が必要なほど結界に対する集中は強かった。同時に恐る恐る弛めてみたが、やはり結界からの反発はない。
「ミラール」
「うん。わかった」
そう言ってミラールは全ての力を納めた。よっぽど張り詰めていたのだろう。それと同時に足の力が抜けた。
「っと」
「ミラール」
均衡を崩した彼にアルディラは思わず手を差し伸べた。だけど彼女が支える事が出来るはずが無い。ミラールはその場に両手と膝をついた。
からんっと何か堅くて小さな物が落ちる音がして、ラスメイはそちらを見る。と、指先ほどの大きさの丸く小さな玉が、その場に落ちていた。ラスメイは軽く目を見開くと反射的にそれをすばやく取り、手の中に納めた。
耳元で誰かが言葉にならない悲鳴を発したような音がした。それはラスメイが目を瞑ると同時に収束する。
(何)
掌を開く。と、黒い玉は七色の光沢を放ち、沈黙するかのように光を納めた。
それを見とれる様に見つめていたラスメイだったが、ミラールが不意に名前を呼ぶのに我に返り、自分の腰につけていた小さな袋の中へするりと納めた。
「まって、私も解く」
ラスメイは躊躇せずに闇《ゼク》を納めた。そして、改めてアルディラの方へ向き直る。
「どうしてここへ」
ラスメイの問いに、アルディラは頷いた。
「私も城へ行きたいの」
ラスメイもミラールも落ちついた表情で彼女の瞳を受けとめた。決心と言うものがにじみ出た強い光。ミラールはその場に片膝をつき、彼女の青い瞳を覗きこむ。
彼女が外出する際には、カイラが常に側に居た。その彼が見当たらない。
「アルディラ様、カイラは?」
「……黙って出てきたわ。誰も連れずに家を出るなんて、そう思えば出来る事だもの」
「今の状況をご存知ですね?」
ミラールの言葉は柔らかい。が、そこには念を押すような強さがあった。アルディラは叱られたような目をして、ミラールの茶色い瞳を受けとめていた。
「貴方の立場もご存知ですね」
「城が最悪の事態に陥っていて……。お母様もお父様も……だったとして。私が1番王家に近いってことよね」
「わかってても行くのですか」
「城を救えないならフュンランも終りだと思うから」
アルディラはミラールをまっすぐに見つめて、はっきりした声で言った。
「みんな私がいざとなれば治めなくちゃならないから、危険な事をしちゃいけないって言うわ。だけど、それって違うと思う。ただ待ってろって言われたって。どうしたらいいのか、わからなくて」
「しかし、アルディラ様。貴方は自分の身を守るのも義務です」
「それだって分かっているわ。何が起こるかわからないし、怖いし。でも、だからって何もせずにじっとしてるのも違うと思って」
アルディラは城門を見定めた。
「来て、どう感じるかに任せてみようと思ったのよ。少しでも側に居たいのよ。もし、入れないとしても。入っちゃ行けないとしても、せめてここに居させて欲しいの」
ラスメイが頷いた。それに気づいてアルディラが堅い表情にわずかな笑みを浮べた。
ミラールが溜息をつきかけたとき、馬の蹄の音が近づいてくるのに気づいた。ミラールが立ちあがり、近づいてくる馬を迎える。ラスメイとアルディラもそれに気づいた。
ランだ。ランと1人の女性を乗せた馬は、彼らの前で止まる。と、慌てた様にランがラルディからおり、ラスメイの腕の傷を見て固まった。
「ラスメイ、怪我をっ」
「……うん」
焦ったようなランの顔を見上げながら、ラスメイは戸惑いながら頷いた。
「どうした? そんなに焦って」
「どうしたも何も、お前がまた無茶やるんじゃないかって俺は! エノーリア、傷を見てやってくれないか」
振り返ったランの後ろに、近づいてくるのは黒髪と金色の瞳の女性だ。誰だと思いながら見上げるラスメイに彼女は微笑み、しゃがみこんでラスメイの腕を取った。
「大丈夫これぐらいならすぐに……」
「ありがとう」
ラスメイの細い二の腕に、治療を施して行く。ランはラスメイの事はエノーリアにまかせて、ミラールへ視線を返した。
「結界のほうは解けそうか?」
「うーん……。強いね。ただ」
ミラールがちらりとアルディラの方へ視線をやった。
「……アルディラと一緒ならば入れると思うんだけど」
アルディラがその言葉に気づいて、ランの方へ駆け寄った。ラスメイもエノーリアが包帯を結び終わるのを確認してアルディラの隣に並んだ。同じような身長の二人が並んでランを見上げた。
ラスメイが少し低めの声で呟いた。
「フュンランの血も標的だろう」
「だけど、アルディラさんを中にいれるわけにはいかないだろう」
ランが戸惑った様にそう言うと、アルディラは首を振りながらランを仰いだ。
「私は行きたいわ。行きたいの。さっきの、私と入らなきゃ入れないってことでしょ? じゃあ……!」
「安全が保証できない」
ランがぽつりと呟くと、アルディラはますます大きく首を振った。
「そんなのどこに居たって一緒よ。このフュンランの街でさえ、いつ魔物が現れるかわからない。何が起こってるのか見極めて解決しない限り、ずっとそうなのよ。
それにはここの中に入らなくちゃならないし、私が居なければ入れないし。だったら道は一つよ」
「私も行こう。アルディラが一緒なら、何人か同時に入る事ができるからな」
ラスメイが杖をとんっと突いてそう言った。
「私はアルディラを守ることに専念する。ランはランで動けばいい」
渋った様にランが唸る。だが、こうしている間にもエノリアの身に何が起こっているのか分からないのだ。
「それしかないと言えばそうだけど」
うめくような声でそう言うランに、畳み掛ける様にラスメイが言葉を重ねる。
「行くしかない!」
「私も同行させてくれないか」
低い声が響いて、渋い顔をしていたランは顔を上げた。そして、口を開けて、その声の主を見つける。
「セイ……」
そこには薄茶色の短い髪をした剣士が立っていた。剣に手をかけて、暗い紺色の瞳を鋭く光らせてこちらを見ている。その気は人を圧倒する様で、ランは背筋を伸ばして向き直った。ミラールとラスメイもそんなランの様子を見て、彼に身体をむきなおす。
「私の名前はセイ=シャド=レスタ。シャイマルーク国王・ゼアルーク王の命によって旅をしている。この件に力を貸す事は、シャイマルーク王の意思に沿うかと思う」
そう言ってから、彼はランの方を見た。先ほどから身体に緊張感を漲らせているランに、セイは微かな笑みを見せた。彼をよく知っているものにしかわからない笑顔だったろう。ランは剣のある位置へ手を動かしかけ、止めた。
「貴公もつくづく人助けが好きらしい」
「……そういう性分だ」
二人が目をあわすのを見て、ミラールがこっそりとランに聞く。
「ラン、知り合いなの?」
「メロサで馬車を助けたと言っただろう? あのときに助けてくれたのがこの人だ」
「ああ……じゃあ、この人がね……」
といって、ミラールは注意深くセイを見る。ゼアルーク側近といえる人間がこんなところをうろついている理由は、一つしか見当たらない。エノリアの捜索だ。だが、変に断ることも出来ない。セイの力は貴重な戦力になる。またシャイマルーク王の側近という立場から見ても、断ることは不自然だろう。
ランから目を離し、セイは近くに居たエノーリアに顔を向けた。
「貴方も見た顔だ。ダライア様の元にいらっしゃった方では? もう、8年ほど前のことになるが」
「私も……。ゼアルーク王の側で常に見かけていた顔だから、印象に残っているわ」
ミラールもラスメイも警戒を解かない。彼らをゆっくりと見渡して、セイはアルディラに顔を向けた。不安そうな顔をした彼女へセイは一礼した。
「この件はシャイマルーク王には既に早馬にて連絡しています。もうあと2日もすればそれ相応の援助が来ると思われます。アルディラ様」
アルディラは話の内容を飲む込むと、膝を軽く折って礼をした。
「ありがとうございます」
「……各地にも不安は広まっているようです。領主を欠いた地域では、残された者たちで情報を抑えようとしていますが。ソウナ・テイラルあたりは……領主が今まで無茶をしてきた分、反応も」
アルディラは小さく頷いた。頷いたまま、顔を上げない。
「どういうことだ」
確認する様にランが聞くと、セイは眉一つ動かさずに、ランを見た。
「チュノーラの様になるかもしれぬと言うことだ。王の安否の不明、そしてフュンランの半数以上の領主がこの城にいたと聞いている。その領主の安否の不明。そして、去年の不作と重税が重なった地方の不満は、これを期に膨れ上がるだろう。その先は」
ランは眉をひそめた。言いたいことは想像できたが、肯定したくない。
「……チュノーラの政権は、王から市民へ移っている。それがここでも起こるということか?」
「チュノーラはまだいい。あれは王や王族の意思が伴ったから、緩やかに移行した。それゆえに血は一滴も流されなかった。だがフュンランは」
「領主は残っているところもあるし、王もまだ亡くなったと決まったわけじゃないから、当然反発する力には抑える力もまだ残っているってことだよね」
ミラールがそう言うと、セイは頷いた。ミラールは先を続ける。
「ぶつかり合えば、必ず血が流れるね」
囁くような声は、ラン達の間に不穏な沈黙をもたらす。それを遮る様にセイが言葉を続けた。
「城を開放して、王の安否を確認し、それ相応の対応をせねばならないということだ。この城に居た者が全て亡くなっていたとして」
アルディラが唇を噛みながら、必死にセイの話を聞いている。彼女の両親もこの城の中に居るのだ。
「その場合は、アルディラ様を女王とし、その名のもとで再編成せねばならない。シャイマルーク国はそれに力を貸すつもりだ」
「まだ死んだと決まったわけじゃないだろ」
アルディラの表情を見て、ランがそう反論してもセイは無表情でそれを受け取った。
「だがそうでないとはいえないだろう」
「……アルディラさんを連れて行き、且つ、安全を確保か……。やってのけるしかないってな」
ランがそう言うと、ラスメイが一歩前に出た。
「だから私が守ると言っているだろう?」
セイはラスメイを一瞥すると、ランの方へ向いた。
「貴公とアルディラ様、この少女。そして、私だ」
ランは目を伏せた。
1番の不安要素はアルディラのことだけではない。エノリアとセイが出会い、セイがエノリアに剣を向けたときのことだ。
(その覚悟があるか)
ランは顔を上げた。
剣を手にして守るとは、そういうことだ。
ランはミラールに目を向けた。
「ミラールは」
ミラールは掌をランに向けた。
「分かってる。ここで待つよ。事情を話す人間が1人居た方がいいだろうし。外にも1人ぐらい居た方がいいんでしょ? 魔術師が」
そう言って、ミラールはランに笑った。
「早く帰って来るよね?」
「ああ」
そしてミラールはラスメイに視線を向ける。
「ラスメイ、君自身も無事に」
「わかってる」
ラスメイがこくりと頷くと、ミラールは満面の笑みを浮かべた。そして、ラスメイの隣にいるアルディラに目を向けた。その前にしゃがみこむ。
「アルディラ様。貴方の決断は無事に帰って来れたときに評価されるものですよ」
「ミラール……」
「無事に帰ってくることを約束してくれますね?」
アルディラは、ミラールの首に抱きついた。
「帰ったら、ミラールの手料理よ。食べた事ないんだから!」
「沢山ですよ。アルディラ様」
「全部食べきるわよ」
アルディラはそう言って、ミラールから離れた。その小さな手をミラールの掌に乗せて、そして笑う。
「じゃ、行ってくる」
気丈に見せる笑顔に微笑みながら、ミラールは掌を振った。
アルディラの隣にはラスメイ、ラスメイの隣にはセイ、アルディラノもう一方の隣にはランが立ち、城門を睨みつけた。
アルディラが一歩前へ出る。と、結界の真中がほころんだのをラスメイは感じた。
「行ける」
ランとセイが城門に手をかけ同時に押すと、先ほどまで頑なに人の侵入を拒んでいたそれが、大した抵抗も無く開いた。
「行くぞ」
ランの短い一言に、アルディラは促される様に足を進める。同時に3人も城門を潜り抜けた。
4人は振りかえらない。そして、4人が入るのと同時に、金属音をたてて城門は閉じ、同時に白い靄がうごめき、ミラールとエノーリアの視角から完全に4人の後姿をかき消した。
「完全に獲物を捕らえたってことか……」
ミラールはそう呟き、不安そうにそれを見つめていた。ふと、隣の気配に気づいて視線をやると、同じように不安そうに城門を見つめるエノーリアを見つける。
「ここで、待ちますか?」
囁くようなミラールの言葉に、城門を見つめたままエノーリアは首を振った。
「私は帰ります。患者さんを診なくては……。それが、今出来る私の精一杯だから」
そう言って、彼女は金色の瞳を微笑ませてミラールを見た。
「それに、私が待っていても、意味はないでしょう」
「……ランが帰ってきたら、真っ先に報告に行きますよ」
「いいえ」
ミラールの言葉に、エノーリアは首を振った。
「信用してます。無事に帰ってくると。だから、いいのです。それに……」
続きを言いかけて、エノーリアは口をつぐんだ。ミラールがその先の言葉を待っていると、彼女はふっと微笑んだ。
「フュンザス家には私が言っておきましょう……。貴方はずっとここに?」
「はい」
ミラールはさきほどエノーリアが言いかけた言葉の先が気になった。だがそれを問う言葉を胸の奥にしまいこみ、先の見えなくなった城門を見つめる。
やがてエノーリアが言葉無く隣から立ち去る気配を感じた。だが、ミラールはその気配を意識だけで追って、茶色の瞳は城門に向けたままだった。
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