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『私の願い《シスタ》は……』


 ねぇローザ、私ねナキシス様よりエノリアの方が好きかもしれないわ。……そんな顔しないで。
 でもね、なんとなく。本当にね、なんとなくなんだけど……。
 エノリアと会ったとき、嬉しくなったのよ。すっごく嬉しくなったの。
 うん。変ね。
 エノリアは太陽の娘《リスタル》じゃない……。
 けど、ナキシス様に会うよりも、エノリアに会いたくなるの。
 ナキシス様は静かな方で、ご招待しても、滅多にお茶会にもきてくださらないからかもしれないけれど……。
 ときどき思うの。
 エノリアも……。
 ううん、エノリアこそ太陽の娘《リスタル》なんじゃないかって……。


 目を開く。それで自分が今まで眠っていたことに気づいた。その視界が横向きなので、自分が横たわっていることに気づいた。手を伸ばして周りと探る。ふかふかとした手触りだ。
 エノリアはゆっくりと身体を起こして周りを見まわした。
 なに、ここ。
 目を何度か瞬きした。夢、かと思ったのだ。
 光宮《ヴィリスタル》を思わせる美しく細かい装飾の施された壁と天井。天蓋付きの寝台に自分が横たわっていたのだと気づいて、額に手をやる。だんだん覚醒してきた意識にまかせて、記憶を辿った。
 フュンラン城へ入った。それから城門が閉じて……。
 額をさすってみる。そうすればもっと鮮明に記憶が戻るような気がした。
 ランが呼んだ? ……そうだ、振り返ったらランがいて、それから、何か叫んでた。
 追いかけてきたんだ。
 嬉しいという思いを素直に受け入れることができる自分に戸惑った。
 ランが追ってきてくれた。
 ランの後ろにミラールとラスメイの影も見とめられて。
 そして。
 それから……。
 エノリアは身体をずらして寝台から両足を下ろし、床につけた。ほうっと大きく息を吐いて、吸いこむ。と、どこからともなく花の香りが漂ってくる。視界を辺りにやるが、その香りの元となる花を見つけることはできなかった。いや、正確に言うとどれが元の花なのか見極めることが出来なかった。部屋のあちこちに置かれた小さな植木鉢、大きな花瓶に生けられた生花。どれが香っているということはないのだろう。
 見まわして、どの花の香りなのか特定することを諦めると、エノリアはこめかみを抑えた。
 自分がフュンラン城に入ったのならば、ここはフュンラン城だろうか。だが、どうして眠っていたのかが思い出せない。
 彼女は立ちあがると、窓の方へ身を寄せた。ここから見えるのは広大な庭。華やかな庭の花々。斜め前のほうに影が落ちている。高く細長い何か……。塔、だろうか。
 あの通りから見た城の風景を思い出す。城にたった一本目立つ高い建物。香が封じられているのだと語られ、そして、あの不思議な青年がそこで待つと言い置いた場所だ。
 エノリアは窓に手をかけた。この外に出て、身を乗り出せば少しその塔の様子を伺うことができるかもしれない。だけど、その思いは静かな部屋に響いた扉を叩く音によって断ちきられた。
 ふとエノリアは自分の腰のあたりに手をやるが、そこには携えていた剣の堅い感触はなくなっていて、頼りなく空気を掴む。
 携えた剣がない。エノリアは眉間に皺をよせる。
 ここに自分の足で来た覚えがないということは、誰かがつれてきたということだろう。そして、剣がないと言うことは?
「何」
 自然と声が強張ってしまう。油断なく睨みつけるエノリアの視線の先で扉がゆっくりと開かれた。一瞬構えたエノリアだったが、そこから現れたのは1人の女性だ。
 落ちついた色の服に身を包んだ彼女は、険しい顔をしたままのエノリアへ優雅に一礼する。
「お加減はもうよろしいのですか?」
 その言葉の意味を捉えかねて、エノリアは首を傾げる。そんな動作も彼女には些細なことらしい。言葉はすぐにつなげられた。
「お起きになったら主がお会いしたいと」
「主?」
 ここはどこ? という言葉を飲みこんでエノリアは彼女を見た。少しも表情の変わらない女性を見ながら、エノリアはこくんと唾を飲みこむ。
「案内していただける?」
 エノリアの感情を抑えた言葉に、女性は膝を折って答えた。
 ぐっと力をこめて背筋を伸ばす。しっかりしなくては。
 エノリアは顔を上げた。こわくない、というわけではない。
 だけど望んだことだったのだから、一人でやれるとこまでやる。
 足を踏み出す。その仕草一つ一つを自分の優雅さを最大に出して……。精一杯自分に虚勢を張る。それを意識しながらエノリアはその部屋を出た。
 飲みこまれるな。
 すたすたと寸分の狂いもなく一定の速度で先を歩く女性を追いかけながら、エノリアはあまり首を動かさずにあたりを伺った。誰もいないのだろうか?
 しんと静まり返った城。
 本来、城とはこのように静かなものなのだろうか?
 エノリアの知っている城はシャイマルーク城だけ。もっと人がいたように感じる。
 もちろん1部分しか知らないが、この静けさは異常ではないのだろうか。いや、勿論このフュンラン城が閉じられていること自体が異常なのだが……。閉じられてからだいぶ経っている。それでは、その間ここに居た人や来た人はどうなったんだろう。
 想像はどんどん暗い方向へ向かって行った。
 人影がない。誰一人出てきていない。ということは……。
 しばらく歩いているとその先にようやく別の人影を見ることができた。それでエノリアのいやな方向へ向かう思考はようやく止まった。
 少しほっとしてその人影を観察する。重々しい扉の左右に1人ずつ槍を手に携えた兵隊たち。瞬きさえ忘れてしまっているかのようだ。だから、どこか置き物のようにも見えた。
「こちらでございます」
 女性が左右にものものしく扉を開ける。エノリアは女性の視線が示すままに、その部屋へ足を踏み入れた。
 急に空間が広がったかのように感じられた。それは天上が高いせいでもあったし、左右が硝子張りになっていて、外の風景に繋がり、充分な太陽の光が指しこんでいたからかもしれない。
 一歩踏み出せばふわふわとした感触が足を包む。壁には細かな金糸と銀糸の刺繍。だけどそれは上品でその色の持つけばけばしさを綺麗に抑えている。
 だが、エノリアの目はそのようなものよりも、真っ直ぐに部屋の奥へ向けられていた。
 その奥は数段の階段があり、その1番上には玉座が置いてあった。そしてその隣に王妃の座が。それがそうだとエノリアに分かったのは王と王妃と思われる人が座っていたからだ。だがエノリアは足を一歩踏み入れて、そこで止まってしまった。挨拶すべきかどうか迷う前に彼女はそれ以上進むことができなかった。
 王と王妃は微笑んでいた。エノリアの方を向いて穏やかに。安心感を与えるような微笑のまま……、動かない。
 エノリアは階段を辿って視線を下に下ろす。その下には一つの椅子が置いてあった。そこにも人が座っていた。位置から言っておそらくこの国の王女だろう。フュンランには王女が一人居ると聞いていたから。つまりはシャイナのお姉さんが。
 柔かな曲線を描いた亜麻色の髪は、柔らかく光を反射していた。その曲線と色はアルディラを連想させる。口元に笑みを刻んで、少し首を傾けたまま彼女も……動かない。
 エノリアはもう一歩踏み出そうとした。だけど意志とは反してその足を一歩後ろへ。
 その足が地についた瞬間、エノリアは踵を返すことを思い出した。ここまでつれて着てくれた女性がそこに、いた。
「ねぇっ」
 女性の二の腕を掴みかけて、エノリアは手を止めた。
 彼女は固く目を閉じたまま、その場に立っている。
 一瞬だけ触れた手を、咄嗟に引っ込めて自分の胸元へ当てる。
 エノリアはぎゅっと唇を噛み締めた。そうしなくては、叫び声をあげてしまいそうだったから。
 扉を開け放って、その部屋から逃れた。そして、左右を見る。そこに立っていた衛兵は、さっきも動かなかった。それが彼らの役割かと思ったのだが……よく見ればその衛兵も動かない。息をすると胸が上下に動く。その動きさえない。
 エノリアはしばらく衛兵を睨みつけるように見つめていた。意を決したようにぐっと拳を握り締めると、衛兵の腕に手をかける。その顔を覗きこむ。誰だって何らかの反応を見せるだろう至近距離でも、硬く閉じられた両目。それよりも……。
 恐る恐る手を伸ばし、彼の頬に触れた。
 冷たい。
 それにまるで、まるで……。人形のように硬い。
 エノリアは身体の奥から上ってくる恐怖を一生懸命に抑えこんだ。静かな城。動かない人。
 エノリアは衛兵の腰から剣を鞘ごと抜き取った。それを両腕に抱えたまま足を城の内部へ向ける。コツコツと響く彼女の足音だけがこの城に現実感を与えている。その足音は徐々に早まっていった。
 誰か!
 エノリアは手前の扉を勢い良く開けた。その向こうにあるのは、彼女の予想通り、ぴくりとも動かない人影だけだ。
 エノリアはその部屋から飛び出した。向かいにあった扉を開け続ける。深刻な顔をして書類を覗き込んでいる老人たち。飛び出して、継ぎの扉を開く。微笑みながら会釈を交わす身なりのいい女性たち。その周りで退屈そうにしている子供。
 開いては閉じるという動作を繰り返していたエノリアは、その廊下の1番奥の部屋を開け放った。見たことのある風景だと思った。当たり前だ。自分が目覚めた部屋だったからだ。後ろ手に扉を閉めて、持たれかかる。背中に扉の固い感触を感じて、気持ちが徐々に落ちついて行く。だが、実際には心臓は早鐘のようになり続けていた。
「……何、これ」
 声をぽつりと落とすと、幾分頭の中は冷静になってきた。ぼとりとその足元に剣を落として、エノリアはぐっと唇を引き結んだ。
 もっと自分を落ちつかせようと、そして、次に何をすべきか考えるためにもあらためてその部屋を見まわす。
 落ちつけ。
 そう思いながら目に入る一つ一つの物に注意を払いながら見ていた。そうすることで意識を恐怖以外の物へ向ける。
 と、そのうち、彼女はふと気づいた。この部屋がとてもかわいらしい作りになっており、今まで見てきた部屋とは少し趣が変わっていることに。
 美しい花の刺繍は、他の部屋で感じさせられた豪奢さよりも、優美さを醸しだしていたし、揃えられた白い家具の一つ一つを飾るささやかな彫金は触れたら壊れてしまいそうな繊細さだ。絨毯は優しい薄紅色だった。
 そんなことを考えながら、窓際に目を向けたエノリアが気に留めたのは安楽椅子であった。他の家具の印象に洩れなく、かわいらしさと優美さの共存したような装飾。
(あんなのあったっけ?)
 よくみると、それはゆっくりとゆれていた。
 エノリアの身体がぴくりと動く。動いている。何一つ動かない城の中で、動いているものがある。それは安堵感よりも一層の不安感を呼び起こす。
 誰も動かない城。
 入って帰って来れない人たち。
 この城で何かが起こっている。それは……
 エノリアの全身が震えた。
 急に心臓が音を立て、鼓動が早くなる。
 安楽椅子が大きく揺れ、光の中、人影が動いた。
 自分が息を呑む音が、耳に響いた。思わずあとずさる自分を叱咤してそこへ留まる。
 立ちあがったその人影。その人の髪が光を反射する。
 動いて長い髪がさらりと揺れた。
 エノリアは金色の瞳を大きく見開いた。自然と彼女の手は自分の耳に添えられる。そこにある小さな硬い感触。
 これはあのとき交換した耳飾。
 嬉しいと思えないのは何故だろう。
 この異様な空間での再会だからだろうか。
 だけど、私は彼女がここにいると判っていて、ここにやってきたはずだ。なのに……。
 何故こんなに悲しいのだろう。何故こんなに辛いのだろう。
 嘘だと叫びたくて、どうして嘘だと否定したいのか、自分の中で答えは出てこない。
 ただきっと、彼女がもしもここで他の人たちのように動かない存在になっていれば、きっと泣くことも怒ることもできたのだと思う。
 だけど彼女は動いている。この異様な空間で、しかも晴れやかな笑顔で。
「エノリア。きっと来てくれると思ったわ」
 銀色の瞳に優しい光を反射して、彼女は首を傾げて微笑む。
「……シャイナ」
 その言葉を紡ぐ自分の唇が震えているのはどうしてか。
 その理由はやはりあまり考えたくなかった。


 
 私が欲しいもの。
 貴方が得たもの。
 
 ねぇ、キールリア?
 どうして、貴方だけ得る事ができたの?

 そして、私も失ってしまった。
 貴方も、貴方の得たものも。



 頭のどこかで囁かれる言葉を、エノリアは意識から締め出していた。
 ラスメイの声だ。
 御伽噺を語る、ラスメイの透き通った声。
 ただ、それだけだ。
 ふとシャイナが動いた。それを目で捉えて、エノリアは我に帰る。
「ここは私の部屋なんですって」
 シャイナは嬉しそうに目を細める。
「綺麗な白い家具がそろえてあって素敵でしょう、ね?」
 白い小さな箪笥に手を置いて、その上に飾ってある小さな人形を覗きこむ。
「シャイナ……。あの、ね」
 何を聞けばいいのか迷った。
 今までどうしてたの?
 いや、魔物に攫われたって聞いてたけど大丈夫?
 それとも……。
「どうして、ここにいるの?」
 1番素直な質問が唇からこぼれた。シャイナはそんなエノリアを見て、微笑む。あのときと変わらぬ微笑。
 無事でよかったと抱きしめることが出来たらどんなにいいのか。だけどその前にエノリアの頭には疑問ばかりが生まれてしまう。
「だって、ここは私の生まれ故郷ですもの」
「そうじゃなくて……」
 エノリアは前髪をかきあげた。頭が混乱している。何をどう聞いたら1番いいのか。
 シャイナはくすっと笑い、目の前のソファを指し示した。
「落ちついて、ね。エノリア。どうしてあなたがそんな顔してるのか、わからないけど。座って、ゆっくり話してちょうだい」
「うん……」
 エノリアはよろよろと歩きながらその指し示されたソファに腰を下ろした。向かいにシャイナがゆっくりと座る。
「久しぶりね。エノリア」
「シャイナは今までどうしていたの?」
 やっと言葉が出た。
「今までって?」
「……リーシャが死んだわ」
「ええ……かわいそうなリーシャ。私なんかを庇うから」
「それからどうしてたの? 魔物に攫われたんじゃないかって、だから私はこうしてあなたを探してたのよ!」
 悲しそうな顔をしているシャイナ。リーシャの死を悼んでの表情か。だけどそれはどこか、違う。
「魔物? そう、魔物かしら……彼は」
「彼?」
「私を解放してくれたの」
「待ってよ。待って……。違う、そうじゃなくて……。どうして」
 エノリアは前髪をかきあげたまま顔を上げた。目を見開いたままゆっくりと首を横へ振る。そして、真っ直ぐにシャイナを見つめる。
「貴方……誰?」
 シャイナは光こぼれるような笑みを見せた。
 エノリアは髪から手を離し、両手の指を組み合わせた。それを唇に押し当てる。眉間を寄せて、もう1度聞く。
「誰?」
 シャイナは目を細めて笑った。
「シャイナよ。シャイナ=コウス=フュンラン」
 エノリアは立ちあがった。その名前を名乗る意味を、彼女は痛いほど分かっている。自分も名乗り続けた。
 本当の名前を。
「シャイナ……」
「あなたがどうしてそんな顔をするの? エノリア」
 シャイナもゆっくりと立ちあがる。
「光宮《ヴィリスタル》を捨てたあなたが……」
「私は捨てたわけじゃない」
「そう。そうなの?」
 シャイナは不思議そうに顔を傾け、ややしてゆっくりと唇にほのかな微笑を浮かべる。銀色の瞳からエノリアは目を離せない。違和感? そして微量の恐怖。
「あなたは太陽の娘《リスタル》じゃないものね。貴方は太陽の娘《リスタル》に重ねられただけ。あのままだと殺されてたわ。
 私も何度も何度も……そう言い聞かせたの」
 シャイナは微笑んだまま。貼りついたような笑みを見せたまま。
 エノリアはごくりと喉を鳴らした。
「だけど、私にはずっとあなたは太陽の娘《リスタル》に見えるの」
 シャイナは両手を持ち上げて、掌をじっと見つめた。
「あなたはずっと言ってたわね。ここには居場所がないからって……。自由が欲しい。外に行きたい。故郷に帰りたい。
 可愛そうなエノリア。私はそれを叶えてあげたかった。だから、手伝ったの。あなたが自由を得れば、喜んでくれると思ったから」
 ゆっくりと握り締める。
「壁の中に残されたのは私……。私は見てみたかったのよ。壁の外に何があるのか」
 シャイナは両手を下ろす。そして、エノリアへ視線を上げた。
「どうして、月宮《シャイアル》を出てはいけないの? 私だって、欲しかったのよ」
「シャイナ。でもあなたは、ちゃんと月の娘《イアル》として」
「そうね。私もそれでいいと思ってたわ」
 そういってシャイナはエノリアに微笑みかける。しばらくそのまま、見詰め合っていた。
「だけど」
 張り詰めた空気に落とされるシャイナの言葉。エノリアはびくりと肩を振るわせる。
「ね、エノリア。庭に出てみない? 綺麗なの。池があるの。あなたが来たら一緒に歩こうと思ってたのよ」
 シャイナは、パッと明るく笑ってエノリアの腕を取る。
「……ええ」
 もっと聞きたいことはあった。だけど、何故かエノリアは聞けないでいた。
 光宮《ヴィリスタル》を捨てた。
 違う。
 何度も繰り返す。
 私は太陽の娘《リスタル》じゃ、ない。
 何度も繰り返す。
 私を殺そうとしたのは二人目と言う理由で。
 私が太陽の娘《リスタル》だからじゃない……。だから逃げなくちゃならなかった!
 シャイナに腕を引っ張られながら、エノリアは彼女の導くままに足を動かした。
 違う……。


 

HOMEイマルークを継ぐ者第3話

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