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『その日に城へ昇っていなかった兵士、魔術師が城の異変を探り、最悪の事態を考慮に入れつつ踏みこんで行ったのです。だが、帰ってくるのものはいませんでした。
 その上魔物が出現しはじめ、人々は漠然と思ったのです』
 ランは愛馬・ラルディの能力を最大限に生かし、街中を駆けぬけて行く。続いてミラール、ラスメイと。動き出した町の中、人々は不安と期待を微妙に織り混ぜた表情で見送った。
 手綱を短く持ちながら、ランは先ほどまでフュンラン家で話していたことを思い出していた。アルディラの白い手に包まれるようにして持たれたカップから立ち上る白い湯気を見つめながら、ランは焦燥感を押さえていた。心なしかいつもよりも小さく感じる彼女の肩。それを守るように彼女の座る椅子の背もたれに手をかけながらカイラは落ちついた声で語った。おそらく、アルディラを少しでも怖がらせないように。
『城は死んだのだと』
 白く糊が効き、皺一つ無いテーブル掛けに置いていたアルディラの小さな手がピクリと動いた。その仕草を見てラスメイが杖を持つ手に力をこめた。それを一つ一つ覚えている。
『人々が逃げないのは、この都を愛しているからと……アルディラ様がいるからです。王家の血を引く者がいるかぎり、城は死んでも都は死んでいない。
 みな、フュンランを愛しているのですから』
 そう言ったカイラの表情をランは思い出す。この国を愛しているのですとカイラは言っているのだ。
 この国を愛しているのだと。
 ランは目を細めた。
 城は占領されたと考えていい。
 だけど、どうしてそこに。
 エノリアの言葉を思い出す。
 シャイナ……月の娘《イアル》がいるのだと。
 魔物に攫われた月の娘《イアル》。月の娘《イアル》のいる城。そして、そこは何者かに占領され、閉じられた。
 その何者かと、月の娘《イアル》を攫った魔物を繋げて考えることはそう難しくない。
 目的は?
 フュンラン王家を襲い、その後に何が残る? それとも魔物のすることとは、自分の想像の範囲を超えてしまうのが当然なのか。何も残らないことさえも目的だと言えるのか。
 遠目に城門が見えた。ランはラルディの腹を蹴る。そんな乱暴な乗り方をしたことは無かった。だが、はやる心がランにそうさせる。ラルディはそんなランの気持ちをよく分かっているのであろう。不満を洩らさずにただその自慢の足で駆けぬけた。
 閉じられた城門の鉄格子の向こうに見える人影。あのまっすぐに背を伸ばした歩き方はエノリア……。
 間に合ったか?
 あの時間差ではエノリアには追いつけないかと思ったが……。彼女は馬を持っていない。どこかに追いてきたのだろうか? 馬で急いだランとエノリアの時間差がここで縮まった。
「エノリア!」
 届かないだろうと思ったがランはその名をありったけの声を出して呼ぶ。エノリアは振り返らない。
 その代わり、その城門の前に黒い点がわらわらと沸いて出た。言葉通り、地面からぼこりぼこりと沸騰する湯のような音を立てて。その正体に、ランは唇を結んだ。
 魔物たち。
 ランたちに威嚇の声を上げる。足止めか。
 何のためにと思った。
 城門を通るときに魔物が出るなど聞いていない。
「エノリア!」
 絶叫に近い声はミラールにもラスメイにも届いていた。近くまで来て、ランはラルディを急停止させる。完全に止まるのももどかしく飛び降りて、残った勢いを滑りこんで弱めた。そのまま地面を蹴る。魔物の群れに向かいながら右腕を周りへ向けて振った。
 無意識に付いた彼の癖、それは大地《アル》の結界を張る仕草だ。ラルディは主人の最後の仕草を認めて、その場に留まる。ランの右手は流れるように柄へ。そして躊躇なく剣を抜いて跳ね上げた。1番端にいた魔物を切り上げて、低く響いていた唸り声の溜りを断末魔が引き裂いた。
「エノリア! 1人で行くな!」
 3度目。微かにエノリアが振り返る。唇が動く。
 ら、ん、と。
「行くな!」
 襲いかかってきた魔物を叩き落す。ランはエノリアへ叫んだ。
 何を言えばいい。どうしたら止められる?
 1人で何もかもしなくてはいけないと思ってる人間に、いや、そう思わせてしまった彼女に何を言ったら……。
「理由なんてないんだ!」
 答えになるだろうか?
『なんのためにこの旅を?』
 エノリアの言葉に答えられなかった。
 その問いに答えようとするといろんなことが渦巻いた。自分の生い立ちから発する理由がないわけじゃない。自分がこんな風に生まれた理由を探したかったという利己的な理由もある。
 けど。もっと単純なのは。
 光《リア》だ。
 ランは一歩踏みだして前の魔物を打ち払った。息を大きく吸う。立ち止まって半分振りかえるエノリアを見る。
「1人で背負う必要なんかないって言ったよな!?」
 返り血を避けることも忘れて、ランはエノリアにそう叫んだ。
「一緒に……!」

 この手に、飛び込んできた光《リア》を美しいと思ったから。
 そこから、始まった。

 エノリアが完全にこちらを振り返った。しばらくこちらを向いて、そしてその足を前に……。
 ランと合流しようとしたのか、ランに文句を言いに来ようとしたのかはわからない。だが、その足は目の前に現れた黒い影によって止められた。外套が風に翻る。
 ランが目を見開き、攻撃を止めエノリアのほうへ気をとられた。
(あれは?)
 ぼうっとするランの隙を埋めるように、ラスメイの放った風《ウィア》が刃となって魔物を切り裂く。
「闇《ゼク》」
 ラスメイはランが気をとられている方向へ目をやって、驚いたように短く呟いた。その響きに髪がざわりと動く。
「エノリア!」
 黒い影が揺れるように動いた。ただそれだけ。その影がこちらを振り返ったとき、その両腕には気を失ったエノリアが四肢をぐったりとさせて納まっていた。
 血が音をたてた。
「エノリア!」
 深く被った外套の下、その者の唇が挑発するように笑みを浮かべた。
「ラン!」
 ラスメイに鋭く声をかけられ、ランは我に返った。剣を振り、ラスメイの援護を受けつつ城門の柵に手をかけた。前後に揺さぶるがびくともしない。
「くそっ」
 背中に鋭い殺気を感じて、ランは振り向きざまに剣をおろす。
 魔物の血にも無頓着に、ひたすら集中して2,3振りで一先ず魔物を後退させた。
「エノリアが!」
 ラスメイの声にランはまた振りかえる。
 さきほどまであった影は、空間へ掻き消えた。
 消えた。
 ギリっと歯を噛み締めると、ランは怒りの表情も露に魔物達を振りかえる。数は数えなくても肌で感じる空気から正確に分かった。
 この感覚は久しぶりだと思った。
 怒っているのだろうかと冷静な部分で自分が自分へ問う。
(むかついてるのは確かだ)
 その対象がどこへ向かうのかは明確で無い。きっと自分というのも含まれてるのだろう。
「ラスメイ! 水《ルーシ》!」
「何!?」
 ラスメイが大きく目を見開くと、ランは端的に用件だけ伝えた。
「放つ」
 ラスメイは反論しようと大きく吸った息を、そのまま飲みこんだ。ランの目は誰よりも真剣だ。その背負った気で魔物達を圧倒して寄せ付けない。魔物たちは威嚇の音だけ発して、ランの動きを戦々恐々と見ている。
「しばらくなら、攻撃は一切させないから」
 ミラールが全てを悟ってか、ラスメイに短くそう言った。
 ラスメイは諦めて、杖を振る。
「《ルシタ・ディス……》」
 ラスメイの唇の動きを追って、ランも少し遅れてその唇に低く精霊語を刻む。
『《メルレン》は……不用意に使っては駄目だよ』
 セアラがその魔術について真っ先に言った言葉がそれだった。いつもの喧嘩だった。その知識だけはあって、セアラを驚かせてやりたくて使った。大地《アル》を使ったそれならば、セアラが最近教えてくれてやったことがあるが、火《ベイ》は初めてだった。ただ、セアラを驚かせてやろうと思って使った。
 火《ベイ》はセアラの頬を掠った。彼を傷つけたのは初めてだった。だけど暴走した火《ベイ》に自分も巻き込まれかけた。思わず目を瞑る間にセアラは淡々と片手でその火《ベイ》を抑えこんだ。
 怒られると思ったのに、彼は怒らなかった。ただ真剣な目で頭に手を置き、同じ高さの視線で語った。
『力の弱いものが唱えても、精霊は従ってくれない。この《メルレン》の命令は細かいところまで定められないから、いかに精霊達と同調するかにかかってるんだからね』
 だから、並大抵の魔術師が使うことは危険を伴うと。
『味方も自分も傷つけかねないからね。どうしても使わなくちゃならないときは、結界を張りなさい。
 特に君の場合は火《ベイ》だよ。火《ベイ》に気をつけて。君の心に従うだろう。けど、中途半端につかっちゃ駄目だよ』
 怒られた方がましだった。頬を赤くしたまま、静かな目でそう語られた。もう使わないと幼心に誓った。
 だけど。
 ランは一歩前に出て、剣を払った。一瞬後退する魔物達。それが戻ってくる前に、すぐさまその言葉を紡ぐ。
「《ベイタ・ディス・ラン=ロック=アリイマ》!」
 剣を上げて隙だらけになったランに魔物たちがいっせいに飛び掛る。ランは剣を上げた腕を振り下ろす!
「《メルレン》!」
 高々と宣言するようにその言葉を発した瞬間、剣を青白い火《ベイ》が包みこみ、一斉に四方に散った。散った火《ベイ》は確実に魔物の身体を捕らえ、悲鳴を上げる間もなく炭にする。
 ラスメイは唇を噛み締めた。散った火《ベイ》の先、彼女の張った水《ルーシ》の結界が彼女にしか聞こえない音を立てる。
(強い)
 悔しいという思いが同時に上ってくる。普段魔術を使わないラン。彼の側にいられるのは自分が魔術師だから……。
 しかし魔物たちを最後の一匹まで討つ必要は無かった。その数が三分の1となったときに、それぞれが城壁に昇り、壁の向こう側に消えて行ったからである。
 それを見送り、肩で息を繰り返しながら、ランはじっとりと浮かんだ額の汗を拭った。剣を振り払い炎を払った瞬間、くらりとからだが傾く。
 それをミラールが咄嗟に出した腕で支える。
「無茶だよ」
「エノリアを」
 ミラールの腕を振り払い、ランはひたすらますぐに城門へよる。何かつっかえているのだろうかと裏を覗き込むが、錠になっているようなものはない。
 2,3度激しく揺さぶってから、無言のまま体当たりしようと後ろへ下がったランの二の腕をミラールが後ろから掴んで止めた。
「無茶だって」
「けど!」
 ランが噛みつくように振りかえった。
「そんなんじゃ、かえって何にもできない!」
 ミラールが周りを見渡す。黒い粉が散っていた。
 自分の破壊した物を見せつけられた後にミラールの落ちついた瞳と目が合い、ランは大きく息を吐いた。
 ひとまずは落ちついた様子ではあったが、緑の目の輝きは変わっていなかった。今、ランに攻撃をしかけようとするのは、魔物とセアラぐらいじゃないだろうかと思うほどに、激しい光を浮かべている。
 ミラールは駄目押しにランの肩に手を置いた。落ちつけと手から伝えて抑える。そうしてラスメイに落ちついた声で語りかけた。
「城門以外にも入り口はあるだろう? ラスメイ」
 ラスメイがしばらく城門を見つめていたが、肩をすくめた。
「物理的には無理だな」
 ランの問うような目を受けながら、ラスメイは城門に手をやる。
「封鎖、されてると思う。うん、結界か。闇《ゼク》……オオガと同じ手だ。あれは内から外を妨害してたな。今まではそうだったのかもしれないが」
 ラスメイはすうっと空間を確かめるように掌を向けた。と、何か熱いものに触れたかのように手を引っ込める。
「ラスメイ?」
 咄嗟にその手を口にやる彼女の仕草に、ミラールが声をかける。
「外から内も。綺麗な壁だ」
 唇に手をやりつつ、ラスメイは二人を振り返った。ランの目に篭っていた光がゆるんで心配そうな光がともった。
(落ちついたな)
 ミラールは内心安堵の息をつく。切れそうな空気が変わって、いつものランに戻った。ランは申し訳なさそうな顔をして、ラスメイの小さな手を取った。
「大丈夫か」
「ちょっと切れただけだ」
 ラスメイの白い指の先に小さな傷がついていた。赤い血がぷくりと珠になって出てくる。
 その小さな手に唇を寄せるランを、真っ赤な顔をして見ながらラスメイは上ずった声で言った。
「さっきのやつ見たか?」
「さっきのやつ?」
 ラスメイの手から唇を離し、血の出ているところに布をあてがいながらランが聞き返す。
「エノリアを攫った奴の顔」
 自分の手当てをしてくれるランを見ながら、ラスメイはそう言った。
「ああ。いや全然。ミラール、何か紐あるか?」
 ミラールは腰につけた小さな袋の首をしめていた紐を巻き取り、欄に手渡した。その紐で傷口を押える布を固定する。出来上がった治療の後をラスメイは見つめながら言った。
「ランは気をつけろ」
「何」
 紫の瞳に思いつめたような光を浮かべて、ラスメイがそう言う。
「あれを創り出したのはランをよく知ってるやつだ」
 ラスメイは視線を動かす。その先の言葉をランは待ったが、ラスメイは一生懸命言葉を探しているようだった。
「どういうことか、私にはわからない」
 ようやくその一言で治めて、ミラールを見る。
「門を開けよう。闇《ゼク》の壁、少しならこじ開けられるかもしれない。ミラールは風《ウィア》で力を加えて欲しい。ランは、出来るだけ強力な結界で自分の身を守って通りぬけて」
「大丈夫か?」
「大丈夫。それが私の出来る仕事だ」
 毅然とした目を城門に向けてラスメイはそう言い切った。
「後で、入れそうなら入る。だけど今はランだけでも……」
「もちろん」
 ランはにっと笑った。
「行く」
 ミラールがそのランに声をかける。
「誰でも入れるはずだった門が閉じられた。この意味、分かる?」
 腕を伸ばして大きく深呼吸をするミラールに、ランは目を向ける。
「……もう誰も通したくないってことか」
「きっと必要がなくなったんだと思うよ」
 ミラールは意味ありげな瞳をランに向けた。
「罠ってのはね、獲物が入ったら閉じる。中にとびっきりの餌を入れてね」
 ランが目を見開く。その意味を理解して、呟いた。
「まさか」
「エノリアだな」
 ラスメイは紫の瞳を細めた。
「エノリアが目的だ」

 

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