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VI 私の願い |
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シャイマルーク城の奥、王の居住区となっているそこにゼアルークの憩いの場所がある。それは城に存在する5つの中庭のうち、最も小さく最も美しい庭に面した書斎である。『ゼアルークの』と言うのは少し限定し過ぎかもしれない。そこは代々の王が憩いの場としてきた場所だ。ゼアルークも自分の父がそうしてきたのでそうしているだけだった。そこは王が許したものしか立ち入れぬことになっていた。そういう暗黙の了解が続けられてきた場所だからこそ、ゼアルークもここを自分の私室としていた。日当たりも良く見晴らしも良い。だが、ゼアルークには大して大切なことではない。そう、最近……少しだけこの部屋の良さがわかるようにはなってきたが……。
シャイマルーク城を作り上げたレイルークが、自分の憩いの場となるように作らせたという。レイルークはここを妻の部屋としたというから、彼がどれだけ妻のことを愛していたか想像に難くない。歴代の王達は好きなように使ってきた。時にはお茶会の場として、時には若君の部屋として……。ゼアルークは特に何の希望もなかったので、先代に引き続き自分の書斎にしている。勿論、先代もその先代から書斎として引き継いだようだ。いつから書斎として使われてきたのかも不明であるが、膨大な量の本を見ていると書斎として使われ出してから、他の使い方はしていないだろうとも思える。引越しをするにも一苦労であろう。
現在、ここを自由に使う権利を持つゼアルークは、これから妻を迎え、また子が出来たときにどうするかは考えていない。妻……と考えてゼアルークは息をついた。妻はもうすぐ迎える。婚約式の準備も進めさせている。だが、その妻に子は望めない。
【娘】と結婚した王は多くはないが、まったくいないというわけではない。だが、【娘】との間に生まれた子供はいない。形だけの結婚しか許されないと聞く。
それがどうしてなのかは、ゼアルークは考えたことはなかった。何故か、と考えると少し気になる。時間が開けば調べて見ようかと思いながらまた重々しい息を吐く。どちらにしてもすぐに側室を迎えねばならないということになる。妻はできれば1人でいいのだけれども……。
ナキシス。あの太陽の娘《リスタル》の面影を思い出した。うっすらと笑い言った一言を。
『殺してくださいますか?』
あのもう1人の太陽の娘《リスタル》のことだとは思う。だが、あの一言はどうしても、自分自身のことを指しているように感じられるのだ。
そしてその響きはいつまでもこの耳に残っている。
「ここからの庭の眺めは最高だね、ゼアルーク」
ゼアルークの沈鬱な溜息を払うように、その美声は降りかかる。そしてこのシャイマルーク城に長年住んでいた大魔術師は、ゼアルークの迷惑そうな顔も彼の人知れぬ憂鬱も無視して、庭に咲き誇る紅色の花に見とれていた。少し前に勝手に部屋に入ってきたことは知っていた。努めて無視していたのだが。
彼も一時この部屋へ住んでいたことがあると聞いた。200年ほど前だろうか? そのときの王はセアラを師として仰いでいた。幼いときに王を継いだ彼……シュルークは彼が支えた中で、1番小さな王だった。破格の待遇として彼はセアラにこの部屋を与え、にこにこと笑いながら訪問した。早くに先立ってしまった父の変わりにセアラを慕っていたのかもしれない。また、虎視眈々と王座を狙う叔父に、自分の後ろにはセアラがついているということを見せつけるためでもあったかもしれない。幼い彼にそんな計算が出来ていたかは、もう確かめることもできないことだが。ただ、彼が成人を迎えたときにセアラはこの部屋を返した。この美しい部屋を、彼の憩いの場として返したのだ。
「そうそう、私が探している【ナーゼ】の花は見つかったかな。あの花を見ていると思い出すよ」
細長い指で紅色の花を指差し、セアラは微笑んだ。その微笑を『花の美しさが霞むよう』と称えるものは多く居るだろう。ただ、その微笑を向けられた本人は、一欠けらも感情を動かされなかっただろうが。 ゼアルークは顔も上げずに返答する。
「今探させているところだ。別に急ぐものでもないだろう」
「君にも見せたいんだよ。是非ね」
【カタデイナーゼ】の花。赤い色の小さな花は大変貴重だと言われ、またある一定の気候でしか育たない。それをセアラは育てて見たいといいだした。ゼアルークはセアラを利用するために呼び戻したが、必要以上の仕事を申し付けることはなかった。だから暇なのである。それならば、と彼は一つの趣味を作り出した。植物に関心の無いこの主の変わりに城の花を育てること。ことごとく仕事を邪魔される庭師の訴えもあって、ゼアルークは庭の一つを彼に預けることにした。
そこに、育てにくい花【カタデイナーゼ】を育ててみたいのだと。
セアラはじぃっとゼアルークの頭を見つめる。綺麗に分かれ目の作られた黒い髪。黒く美しい光沢を放つ髪は、先代譲りだななどと思う。彼の母は美しいどちらかというと青みを帯びた黒髪だ。それがルスカ王家独特の髪の色ではあることを、セアラはよく知っている。
「で、なんだ?」
ゼアルークは視線を落としていた本を迷惑そうに音を立てて閉め、顔を上げる。ささやかな不機嫌さを含めた深緑の瞳を見つめ、セアラは唇に笑みを刻んだ。
「あ、ゼアルーク、ちゃんと栞を」
「はさんだ。だからなんだ?」
「そんなに忙しいのかい? せっかく顔を見に来たのに」
赤い瞳に芝居がかった寂しそうな光を浮かべて、セアラはそう言った。ゼアルークの苛立ちを楽しむためだけに、そういう顔をすることを彼ははよく分かっている。だから、あまり無下にするとこのどうしようもない大魔術師の思う壺なのだ。
いや、そう計算して話を聞かせようとしているのかもしれない。そう思うとゼアルークはやるせなくなる。
結局はこの大魔術師の望み通りにするしかないのだ。ゼアルークは皮肉げな笑みを唇に浮かべる。笑わない瞳。この二つの組合せを前に平然として居られるのはセアラぐらいではないだろうか。
そう考えてゼアルークは否定した。
もう1人居るな……我が婚約者殿だ。
「光栄ですね。セアラ様に気にかけて頂けるとは」
「ふふふ、そうだろう。そうだろう」
セアラは満足そうに、そして嬉しそうに笑う。それもどこか遠く。
「そう少し前にナキシスに出会ってね。それでしばらく君の顔を見ていないことに気づいたのだよ」
「ナキシスが城に?」
ゼアルークは軽く驚いた。彼女は自分が呼びでもしなければあの光宮《ヴィリスタル》から出ることは無いとどこかで思いこんでいた。勿論最近は民の前に出て笑顔を見せているとも聞く。シャイナの満面の笑みとはまた別に、仄かに見せる微笑が美しいと……民は喜んでいたとも。
その噂を聞いたとき、ゼアルークは少しだけその微笑を見てみたいと思った。ナキシスの笑顔は中々思い出せない。思い出そうとするとあのときの微笑みを思い出すのだ。
『殺せる理由ができたではありませんか』
薄い笑み。だが、ゼアルークにはその笑みも美しく見えた。どこか冷たさと熱さの奇妙な均衡がとられた笑み。
「私のもとにはよく顔を見せるけどね。彼女の婚約者殿はお忙しいようで、未来の妻としては邪魔するのは気がひけるようだね。
もう少し仲良くしておいたほうがいいのではないのかい? 演技とはいえ」
セアラの言葉に少しの皮肉が含まれているのを、ゼアルークは認め、冷ややかな笑みを返した。
「彼女の優しさなのだろう」
「君とナキシスが仲良いところを見せておけば、婚約式までの明るい話題となるんじゃないのかい。陛下と太陽の娘《リスタル》は仲が良いけどあの噂は本当かしら……と言ったようにね」
わざわざ声色を変えてそう言うセアラに、ゼアルークは鼻で笑った。
「ありがたい忠告だ」
それだけこたえると、ゼアルークは目の前の赤い本の表紙を手でなぞった。
「君のために彼女は結婚を決めたのではないのかい」
「そういうことを話したくてわざわざ足を運ばれたのですか、ここまで」
「そうだね、それもあるだろうな。太陽の娘《リスタル》、されど1人の女性だよ? もう少し優しく接するとか、こう微笑みつーつ、お茶のみつーつ、語り合いつーつ、楽しい時間を一緒に過ごすとかさぁ」
無理だろうとゼアルークは苦笑した。視線をセアラに向けずに呟いた。
「そう勤めることにする。ご用はそれだけですか、セアラ様?」
セアラは庭から視線を話すと、ゼアルークの傍らに立つ。
「せっかちだねぇ。そんなに私が嫌いかい?」
「今更確かめる必要もないだろう」
「ふふふ、まぁ、私は君のそういうところが好きだけどね」
セアラはそう言いながらゼアルークの側を離れると、目の前に一応設えてある応接用のソファに寝そべった。
長居をするつもりのようなその態度に、ゼアルークは片眉を冷ややかにあげて見せる。その視線に気づいてか気づかないでか、セアラは腕を天上に伸ばした。そして指先をくるくると回す。まるで踊るような優雅な動きにゼアルークは意識を取られた。
「ラシータが少し気になる報告をしてきたんだけど、君、興味あるかい?」
「ラシータ……キャニルスのか」
「不幸が起きて、水鏡の管理が出来なくなったある水魔術師《ルシタ》から仕事を引き継いだね」
長々とした説明は、ゼアルークの小さな心の傷をえぐるために用意されたものだ。1度ゼアルークは水鏡を管理していた自分の水魔術師《ルシタ》に、セアラの水鏡と地宮《ディルアラル》の水鏡に密かにつながせたことがある。それがばれてセアラから攻撃を受け、水魔術師《ルシタ》は片目を失った。
そのことについてセアラを責めることはできない。盗み見をしていたと言われればそのとおりである。王ならばなんでもというわけにもいかない。特に、この目の前の化け物には。
片目を失った水魔術師《ルシタ》の代わりに、水鏡の管理を任されたのはキャニルス家の長男だった。そしてこの長男はつい最近、引退した父に代わってキャニルスの当主となる。
まだ15になったばかりの若き当主。
柔らかい瞳と柔らかい物腰。少しも緊張を見せない落ちついた態度で挨拶をしにきたことを思い出す。利発そうで柔和な顔。それに実力の備わった名門の血筋と言えば、さぞかし宮の仕える者たち《ニア》に人気であろう。
ふとゼアルークは目を細めた。
「キャニルスの先代とは全然似てないな」
「どちらかというと彼は母親に似たんだろうな。月宮《シャイアル》で先代月の娘《イアル》の侍従だったね。綺麗な娘だった」
セアラは指を組み合わせ、動かしながらそう言った。
「キャニルスに嫁ぐと言ったときは驚いたものだったね。嬉しそうにそう言っていたが……今は日陰の身とは……もったいない」
セアラは何か思い出す様にそう呟く。
「で、そのラシータがどうした」
何かを思い出すような表情になったセアラに、ゼアルークが後を促した。
「うむ、そうラシータだ。フュンランがおかしいと」
「ん?」
フュンランだけでなく他の国とは少しずつ連絡を取るようにしている。まぁ、どんなに水鏡をつかっても、その術者の力量で届く範囲はしれている。遠距離になればなるほど、中間点が必要となる。
だがフュンランとは、ラシータとあちらの水魔術師《ルシタ》のお力の兼ね合いから言って、ぎりぎり届く範囲であったはずだ。
「それがいつもよりも不鮮明なのだと」
「どういうことだ」
「相手が変わったような気がするのだとか……。うん、律儀な子だね、あの子は。ゼアルークに会いに行けばいいじゃないかって言ったら、許されていませんからだってさ。それに確かではないからと。だが、見過ごしておくわけにもいかないだろうと、私に相談してきたんだね。
キャニルス家当主なら、ここは入り放題だろうにね」
「露骨に入ってくるなという顔をしても入ってくる奴がいるのにな」
「誰だい? 君にそんなことを出来る厚顔無知な奴は」
「曇らない鏡でも送らせていただこうか」
「いや、結構だよ。美しい顔は多少曇った鏡で見たほうが身の為さ」
といいつつセアラはくすくすと笑った。そうしてようやく緩慢な動きでたちあがった。ようやく目の前から消えてくれるのかと喜びを見せるゼアルークににんまりと笑う。
「さて、私は地宮《ディルアラル》へ行くとする。ダライアの様子をみてこなくちゃね。ああ、あの花を貰ってもいいかなぁ?」
庭の紅色の花を指してセアラは首を傾げた。ゼアルークは再び手の中の本に目を落とし、「勝手にしろ」と短く返答する。
「そうそう、君も女性に会うときには花ぐらい贈り物に用意したほうがいいよ。世の中に花束を喜ばない女性はいないんじゃないかな。まぁ、私の会った中ではね……。
ナキシスもきっと喜ぶよ」
意味ありげな視線を、楽しそうに歪めてセアラはそう言った。ゼアルークがちらりと冷たい視線を向けると、それじゃあねと軽く手を振って部屋を退出する。
ぱたんと本を机に置いて、ゼアルークは窓から見える庭へ目を移した。
紅色の花、その向こうには小さな白い花。
紅色の花の名前はなんだったろうか。少しは有名な花だったとは思うのだが、自分の知っている名前のどれにあてはまるのかがわからない。そして、向こうの白い花となるとその検討さえつかない。
庭師に会ったら聞いてみるか。
持っていくのなら名前も知っていたほうがいいだろう。
自分が太陽の娘《リスタル》であることも嫌っているだろうあの女性。自分と結婚することで立場と言うものにますます縛りつけてしまう。
……ナキシス。
(私が人を愛せる人間ならば)
少しは救えるのかもしれないのだが……。
セアラが花を摘みにその庭へ戻ってくる前にとゼアルークは再び花から視線をそらし、本を手に取る。
パラパラとめくるが、目は文字を追っていなかった。
セアラのもう一つの話に気が取られる。
フュンラン。あそこには今セイがいるはずだ。おかしな様子があれば、早馬か鳥で知らせてくれるのだろうが。
そう思いつつゼアルークはふと溜息をついた。次から次へと、嫌な報告ばかりだ。波紋が広がるように、混乱も広がりはじめているのかもしれない。
音を立てて本を閉じるとゼアルークは部屋を出た。近くに控えている侍従に目をやる。
「お茶を用意してくれるか。……そうだな、太陽の娘《リスタル》をお誘いしよう。頼んだぞ」
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