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◇
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日が昇り朝日が差し込む。そのときを待って、エノリアは動き出した。ただ、次に朝日が昇ったら始めようと思っていたことに行動を移しただけのこと。
荷物の中から自分の剣を出して、腰に携えた。軽めにこしらえてもらった剣。鞘には繊細な模様がつけてある。これは、シャイナが作ってくれたもの。月の娘《イアル》の祝福を受けたもの。
私はそれさえも忘れかけていた。シャイナも剣もランに預けようとしていた。エノリアは顔を上げる。
多少の路銀を小袋に入れ、最低限の荷物を手に外套を羽織り庭に出る。そして、しばらく朝日を頬に受けて空を見上げていた。
ランと旅をはじめて、オオガの町の分宮《アル》でこうしていたことがある。あのときはランも早くに起きてきて、二人だけで話をした。
あのとき私はランにこういったんだ。
信じているから、と。
そんなに遠くないことなのに、こんなに懐かしいと感じてしまう。
ランが、起きてくればいいと思った自分が意外だった。少しぐらい、顔を合わせて話をすればよかったのかもしれない。でも、そうすれば私はまたランに頼りっきりになってしまうんだ。
私が始めた旅なのに。私がしなくちゃならないことなのに。
一緒にいるみんなに……ランに頼りすぎて、いつのまにか1番安全なところにいる。
そして、わからなくなってしまった。
自分がどうして旅をしているのか。シャイナを探すということだけが目的じゃなかった。
エノリアは自分の髪に手を伸ばした。茶色くなった髪を手で梳いて、視線を落とす。
『二つ目の太陽の娘の仕業なんて言わせないわ! 私が、シャイナを見つけ出してみせる! 魔物の現れる原因を突き止めて、そして、リーシャの敵を討ってみせるわ!』
そう言った自分の思いはこのままではどんどん遠くなってしまう。
「エノリア」
声をかけられてエノリアはビクリと肩を篩わせた。実際に起きてこられると困ってしまう。
エノリアは出来るだけゆっくりと彼を振りかえった。
怪訝そうな彼の顔を見て、エノリアは強張りかけた顔にニコリと他人行儀な笑みを浮かべる。
「傷は、どう?」
「あ、あ。別にそんなに……」
「痛くて眠れなかった?」
ランの言いたいことは表情から伝わってくる。でもそれを言葉にして向けられたくなくて、エノリアは矢継ぎ早に言葉を紡いだ。
「結構血が出てたんだから、横になってなくちゃ駄目じゃない。眩暈とかしないの?」
「そんなのは別に……それよりお前」
「肩掛けのことは、いいわ。忘れて」
エノリアは微笑みながら、ランの言葉をさえぎった。なんて言いたいかなんてわかってる。
そんな格好をしてどうしたんだ、というところだろう。
「どうした?」
ランはしばらくエノリアを見ていたが、その目に困ったような光を浮かべてそう聞いてきた。まるで捨てられた子犬のような光。そう感じた自分自身にエノリアは嘲笑を与える。
主観が入りすぎた感想だわ。
「……城に行くの」
出来るだけ毅然としてエノリアはそう言った。自分で切った髪はあのころより少し伸びてしまった。
「一人でか」
「そうよ。一人で」
それ以上は聞かないでと、エノリアは表情には出さずに願った。泣き言を言ってしまいそうだから。
「……どうして」
「……わからなく、なったからよ」
何が?
ランはそう聞いてくる。
何が?
理由が。
自分が。
何故かそれがとても腹立たしくなってきて、叩きつけるように言う。
「あんたが」
困惑したような目。ランは自分の左腕の傷に視線を落とす。
違う。そうじゃない。
「だから、一人で城に行くって?」
「そうよ」
「危険だ」
ランは緑色の目を精一杯開いてこちらを見ている。エノリアは、首を振った。
「あそこに、シャイナがいるから」
「じゃあ、俺も」
「来なくていいわ」
「今あそこがどうなってるか、知ってるんだろ? お前だけじゃ危ないって」
ランの言葉に、エノリアは少しだけ笑う。そして、顔を上げた。
「どうして、ランは、私と旅をしてくれるの?」
「どうしてって。それは……」
「セアラに言われたから?」
「……」
「……それじゃ駄目なの」
エノリアはニコリと笑った。華やかな笑みに落ちた小さな陰りに、ランが気付いたかどうかはわからない。
「だから、一人で行くわ」
ランはただただ圧倒された様にエノリアを見つめ、情けない表情のまま「ああ」と答えた。
「さようなら。ラン=ロック=アリイマ」
茶色の髪をなびかせて、エノリアは駆け出した。ランを1度も振りかえらずに、その場から離れる。
さっきのが、別離の言葉になっても構わなかった。
それならそれでいい……。
泣きたい気持ちはどこから来るのか、分かるような気がする。
一緒に居たい。
ただただそう思う。
自分がどうとか、そういうのを捨ててしまいたい。
二人目の太陽の娘《リスタル》。そんな特別な部分が私にある限り、純粋な願いは叶わないんだ。
ランは私のために私を守ってくれるわけじゃない。それに今さら気づいて馬鹿みたいにうろたえて……。
エノリアは鼻で小さく笑った。
ランは二人目の太陽の娘《リスタル》としての私だから、側にいてくれる。
私は私を見据えなくては、いつまでたっても「居ていい理由」を他人に求めてふらふらしてしまう。
そんなのは嫌だった。
エノリアは顔を上げて続く道の向こう側を睨む。聳え立つ塔。
そして、自分を呼ぶ……、何か。
無事に着いて、あの塔へ行けば何かがわかるだろうか?
エノリアは剣を握り締めた。
◇
鳥の声で目が覚める。そんな朝ほど気持ちのよいものはない。ミラールはあまり目覚めがいい方ではない。朝食の当番など早起きをしなくてはならない理由があるときは、きっちりとその時間に目を覚ますことが出来た。だから、目覚めがいい方ではないとは言っても、決して寝坊をしたことはない。
居間で朝のお茶を頂こうと思った彼は途中でフュンザス家の執事と出会い、朝食の準備が出来ていると伝えられた。フュンザス家の執事と顔を合わすのは始めてではないが、その顔に私情は一欠けらも加わらない。
そう言えば名前を知らないななどと思いながら、ミラールはランたちを起こしてやろうと踵を返した。
昨日のランの騒ぎで、城の事を聞き損ねてしまった。だから一緒に朝食を取りながらどうするかを話し合おうと思ったのだ。
昨夜の騒ぎを思い出すと、ミラールは自然と眉間に皺を寄せてしまう。ランの動揺した行動を見たのは初めてかもしれない。
いや、前に1度あった。
ランの血……。そう、あのとき以来だ。
4年前。ふらっと帰ってきたランが、セアラの目の前でナイフを自分の額に突きたてた。あのとき以来。
あのとき自分は物陰で見ていたわけで、セアラの影になってランの様子を全て見ていたわけではない。
セアラが気絶したランを抱えて部屋から出てきたとき、ランの蒼白に近い顔を見て息を呑んだ。
セアラが優しい目でランを見つめていた。その赤い瞳と、血だらけになったランの顔を見て、置いてけぼりにされたような気分になったのを覚えている。
ミラールは大きく息をついた。
「どうした、朝から大きな溜息だな」
ぽんっと腰の辺りを叩かれて、ミラールは振りかえる。視線を下ろすと紫色の瞳がこちらを見上げていた。
「おはようラスメイ」
「おはよう」
「ランを呼びに行くなら居ないぞ」
「居ない?」
「ノックしたが返事がなかった。それにエノリアもな」
ミラールは少し首を傾げたが、ランはときどき眠れなかった様に早起きすることがある。
理由を聞くと曖昧に笑う。あの癖も……多分あの時から始まったものだろう。
「そうかぁ。先に食堂にでも行ったかな?」
「さてな。どちらにしても食堂で会うだろう」
ラスメイはミラールを見上げていたが、ふとその目に不安そうな色を浮かべた。
「ラン、大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。ほら……ちょっとふらついただけだって言ってただろう?」
「あのときの治療が後をひいているんじゃないのか?」
ランが腕を怪我したことは、ふらついて窓に手を付いたせいだとされている。
自分で窓を破っただなんて、ラスメイに言ったって余計な心配をさせるだけだ。
「そうかもしれないね。でも、もう大丈夫だって言っていたから」
ラスメイの背中を優しく押して、食堂へ誘導する。
「エノリアも、元気なかったね。お城のこと、心配しているからか?」
「そうだね」
いい加減だとは思ったが、相槌をうつミラール。
「ランもエノリアも、少し疲れているのかもしれないな」
「そうだな。……ミラール、余裕があるならラミュを買いに行かないか? カッシュでもいい」
突然話が変わった様に思えて、ミラールは咄嗟に返答しかねた。
「どうして?」
「うん。疲れているときにはお菓子を食べるといいんだ。ミラールが作りたくないっていうんなら……私が作る。上手く作れるかどうかわからないけど……。
アルディラもミラールのお菓子食べたいって」
ラスメイは顔を輝かせてそう言って、ミラールの驚いたような表情を見て、照れくさそうに俯いた。
「……少し仲良くなったかな……」
「そう」
にっこりと柔かな笑みを浮かべて、ミラールはラスメイの頭をぽんぽんとたたいた。ミラールの掌の下、ラスメイが顔を動かし見上げて満面の笑みをたたえる。
「だけど、お城のことなんとかしたい。アルディラのお母さんとお父さんがいるんだろう?」
「そうだね。カイラさんに話を聞いて……」
ふとミラールは目を細めた。中庭への吹き通しの廊下に出て風が直接当たる。ラスメイを建物側に寄せて、風が彼女に当たらない様にした。と、中庭に目を向けると、そこに人影が一つ。
長身の人影。
長い黒髪が風に吹かれて揺れた。
ランだ。
中庭に十字に交差している小道の途中、建物に背を向けてたっていた。その視線の向こうに続くのは、館の門へ続く道。
薄着の上に外套をお情け程度にかぶっていて、いかにも寒そうだ。ミラールが立ち止まると、ラスメイも一歩踏み出したところで立ち止まり、ミラールの視線を辿った。ミラールは中庭に下りる階段まで寄って、ランに声をかける。
「ラン、どうしたの? 寒いだろう」
ランはミラールの声に少しだけ振り向いた。
「ああ……」
こちらをちらっと見て、また視線を戻す。
「出るんならもっとちゃんと服をきなよ。風邪ひくよ? ……どうしたの」
ミラールの声は最後の一言でこわばってしまっていた。振りかえったランのひどく疲れたような顔を見て。
「傷、痛む?」
ちらりとランは視線を上げた。そうして首を左右に振る。こちらと少しも視線を合わせないランに、ミラールの表情はますます心配の色を濃くした。
「痛まない」
「だったらどうしてそんな顔してるんだよ。朝食用意できたらしいよ。エノリアも先に行ってるだろうし、行こうよ。ほら城のことちゃんと聞かないとね。城に行くんだろう?」
「エノリアはもう行った」
ランは俯いたまま、階段を上ってくる。ミラールはランの言葉にきょとんしてしまう。食堂にだと思った。ランはエノリアが食堂に向かったのを見ていたのだろう。
だが、ミラールと絶対に目をあわそうとしないランの重い空気が、そうではないことを語っている。
だったら、彼女は。
ミラールは自分の口がひきつったのをはっきりと感じた。何へどんな感情を向けたかったのか、自分でも定かではない。だが、次のランへの言葉は幾分低い声となった。
「何?」
ミラールにはラスメイが驚いた様に自分を見上げているのが分かった。怖い顔をしているはずだ。
「エノリアは1人で行ったよ。城に」
「……エノリアに会ったの」
ランは頷いた。ミラールは近くの柱にもたれかかり、ランの表情を見つめる。おそらくひどく責めるような視線をしているだろう。その自覚があるほど、怒りに似たものがこみ上げてくる。
「エノリアが、行くって言ったんだね?」
ランはうなずくことで肯定を繰り返した。
「止めなかったの?」
「止められたか?」
「止めるべきだったんじゃないの?」
出た声は落ちついていて怖い響きになってしまった。ランが拳を握り締めて答えない。わざとらしく溜息をついてミラールは再度問う。今度は言い方を変えて。
「どうして、止めなかったんだよ」
ランはようやく顔を上げて、ミラールに目を向けた。
「あいつが、一人で行くというんだ。俺が止める権利なんてないだろう?」
説得力に欠ける声の弱さに、ミラールは珍しく冷ややかな顔をしてランを見た。ラスメイは口を挟まずにミラールとランの間に流れる空気におどおどとしている。
「今、自分がどんな顔してるかわかってる?」
「そんなことどうでもいいだろう」
吐き捨てるように言うラン。ミラールと目をあわそうとしないのは、ミラールが言ってることを正論だと思っている後ろめたさからか。
「……すっごい情けない顔してるよ」
ミラールはそう言うとランへ近づいていく。
「楽だよね」
自然と紡ぐ言葉には責めるような響きが篭ってきた。ランは顔を上げようともしない。自分が責められることをしたという自覚がそうさせるのだろうか。
だけど、そんなのでは許せなかった。
ミラールは目を細める。
「エノリアの意志に従うってのは楽だね。彼女がこれで死んでしまっても、それは彼女の意志であって君の責任ではなかったってわけだ」
「そんなことは!」
さすがにランが反論しかける。だけど、ミラールは止まらなかった。わかっている、ランがどんな思いで彼女を見送ったのか。
だけど、ミラールには納得できなかった。もどかしさに、ランへの軽い失望感が加わっている。その複雑な感情を人に説明するのは難しい。
「……彼女の意志を尊重する。立派だね。だけど違う気がするな。ランは自分の事で精一杯で、エノリアのことまで気が回らないんだ」
「守ってやりたい! だけど、そう思うのはおかしいだろ。あいつは一人で頑張るって言ってるのに」
「『1人で頑張る』じゃないよ」
「……」
「彼女は『1人で頑張らなくちゃ』って思っているだけだよ。
ランに頼っちゃいけないって思っているからだよ。
彼女はさ、ランに守ってもらうことが怖くなったんだ。だってランに迷惑だと思われているかもしれないから」
「俺は! ……迷惑だなんてっ」
「どうしてそれが言えないんだろうね……」
ミラールは困ったように溜息をつく。
「迷惑だなんて思ってなかったら、どう思ってるの?」
ランは顔を上げた。困ったような緑の瞳。光が揺らいだ。
「どうして、ここまで一緒に来たの」
「それは……俺がこのことに関係すると思ったからで」
「僕が聞いてるのはね、そういうことじゃないんだよ」
ミラールは拳を上げて、ごんっとランの胸をたたく。
「どうしてそんなに難しく考えるんだよ……。どうしてエノリアもランも難しく考えるかな?」
ランは戸惑ったようにミラールを見下ろす。
「たまには自分の気持ちに正直になったらどうだって言ってるんだよ。今、何を優先すればいいか、何がしたいか。言ってみろよ!」
戸惑いを露にした緑の瞳。ミラールはそれを見て口を歪めた。苦笑に見えて欲しい。心境はそんなものではなかったけど。
「それさえもわからないなんて言うなよ」
「エノリア……」
ランはふと呟いた。その響き。
その名を呼ぶ響き。
エノーリアと呼んだ響きと、エノリアと呼んだ響きの差。どうして気づかないんだろう? ミラールは微笑んだ。とっさに沸きあがった感情をランに気づかせないために。
ランはふと視線を床に落とした。答えをミラールは沈黙で待つ。ラスメイがそんな二人を静かに見つめていた。
ランがふと顔を上げた。
緑の中の光は、しっかりとした輝きを持っている。その光にミラールは安堵した。
「エノリアを追いかける」
「上出来。っていうか、それぐらい僕が言わなくたって分かるだろうに」
そこに聞きなれた高い声が加わった。
「ラン、私は城行くぞ。アルディラの両親を助けるんだ」
ラスメイが愛用の杖を掲げて二人にそう言った。ミラールは笑い、ランを見上げる。
「ラスメイの方がよっぽどわかってるって」
ミラールのわざと小馬鹿にしたような響きに、ランは苦笑した。それに微笑みながら、ミラールは胸を押える。
そう、出来るならいつもそうやって立っていて欲しい。揺らいだりしないでまっすぐに。
君が揺らげば、僕の中で何かが……うごめく。
《ジュラ》
冷たく、そしてどこか懐かしい響きが頭に浮かんだ。扉をしきりに叩いている。ラスメイとランの後姿を見ながら、その意識をゆっくりと収めて行った。
いつまで、一緒に居られるだろうか?
ふっと浮かんだその思いに、エノリアの金色の瞳を思い浮かべて、ミラールは目を細めた。
いつまで?
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