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 自分に必要なものは強さだと思った。それがないと、きっと生きていけない。
 ただ単純に、戦える強さが欲しかった。自分の中の大きなものと戦うためには、ただ強くなるしか無いと思った。



「駄目駄目。親御さんの許可がないとね」
「なんでもするからさ。頼むよ」
 男の野太い声とそれにすがるような少年の声。その前を通りすぎる人々は何事かと振りかえって行く。黒髪の少年に右腕を引っ張られ、それを乱暴に振り払おうとした男――随分恰幅がよく、いかめしい面構えをしていた――通りすぎる人々の視線を受け、一瞬それを躊躇った。これではいたいけな少年を乱暴に振り払う悪人の図だ。
 こほんとわざとらしく咳払いをし、男はいかめしい顔に無理矢理笑顔を作り少年を見下ろした。無理矢理作った笑顔は微妙に震えていて、怖さを倍増させていただけだが。少年はそれにひるむことなく、挑むように顔を上げる。
「坊主、いいかなぁ? だいたいこーゆーところは金が要るわけ。わかる? 金だよ、かーね!! こっちも慈善事業でやってるわけじゃないんだから」
「だからなんでもするって言ってるだろっ。皿洗いとか上手いぜ。料理だって作れる!」
 真剣な少年の視線を薄ら笑いで受けとめる。
「はいはいはい。そーゆーのは奥さんがやってくれるの。俺の奥さん、美人で料理上手で甲斐甲斐しいんだぜぇ。間に合ってるんだよ」
「けちっ」
 けちでもなんでもない。男はそう思った。美人の奥さんのお腹には4人目の子供が居る。こっちだって商売にならないことはしたくない。しかも住み込みで教えてくれといっているんだ、この目の前の子供は。
「大人社会の厳しさ学んだらさっさといきな。それとも……。お……坊主、お前の目ちょっと見せてみな」
 男はこちらを睨んでいた少年の目を覗き込んだ。影が落ちていて分かりづらかったが、気のせいではなければそのいろは緑。
 一概にはそうとは言えないが、緑の瞳は……王家つながりだ。男の金勘定は速かった。いいとこのぼっちゃんの気まぐれかと。
「……いっ、いいよっ。もういいよ、他行くから」
 先ほどまでの威勢はどこへやら。少年は男の手をぱっと離すと後退りする。
「ちょっとまて、お前もしかして、いいとこのぼっちゃんか? だったらうちに行って事情を話してやろうか?」
 男の声は猫なで声になっていた。いい金づるかもしれない。
「違う違う。そう見えるだけだって。おっさん、悪かったな、困らせて。じゃっ」
「おいっ」
 少年は一目散に去っていく。足の早さに感心しつつ、その後姿を見つめ、剣術を子供達に教えて暮らしている元城兵は、昔の面影みることのない立派な腹をさすりながらつぶやいた。
「目の色、緑っぽかったけどな。違うのか」
 子供をいつか王宮で勤めさせたいと、小さな頃から親に連れられて来る少年を何人か見てきた彼だが、自分で剣術を習いたいと一人やってきた少年を見るのは久しぶりの事だった。
 黒い髪に緑の目。これからどんどん大きくなるだろう体格を思い出して、男は一人うそぶく。
「もったいなかったかな」
 自分が剣術を教えれば、城兵にはなれるだろうし……あの少年なら王の近くまで上り詰めるかもしれない。まぁでもこちらも商売だ、金を払えないような子供に教える暇はない。
 しばらく考えこんでから、男は彼のことを忘れることにした。そして、2度と彼の脳裏に浮かぶ事はなかったのである。



「あっぶねぇ……」
 少年は人通りの少ない路地に曲がって、息をついた。シャイマルークから少し離れた町・ラント。シャイマルークから離れたとはいえ、自分の捜索願が出されているかもしれないのだ。
 いや、そうでもないかな。
 少年は考えて、その場からふらふらと歩きはじめる。
 自分の存在をおおっぴらにするなんてできないもんな。それこそ大騒ぎになるかもしれないんだから。
 たくさんの人が行き交う道。ふと気を抜けば逆に流れる人ごみに巻きこまれそうなところ、隙間をぬって歩いていく。
 人ごみの中にいるのを少年は嫌いではなかった。
 そこでは少年はただの少年になれる。だれも見向きもしない……。その喜びを感じてしまうのは、つい最近自分の出生の秘密を打ち明けられたからだろう。少年は人ごみを斜め横につっきった。人の群れを抜け、大きく息を吸う。そして、少年は近くにとめてあった荷馬車に持たれかかった。馬ニ頭引きの荷馬車の後ろの荷台には幌がかけてあった。少年は好奇心いっぱいにその中を覗き込む。
 そこにはたくさんの果物や野菜がおいてあった。これからどこかに向かうんだろうか?
 その荷馬車の行き先に思いを馳せつつ、少年は思い出す。自分がここ数日の間何も食べていないと言うことを。
 新鮮な果物を前にして、手が出ないっていうほうが不健康ってなものだろう。少年はもそもそと荷馬車に入りこみ、影に隠れた。腹八分にお腹を満たしたのと同時に睡魔もやってくる。そのとき少年は自分がここ数日まともな寝台で眠ってない事にも気付いた。
 少年が意識を睡魔にゆだねてすぐに、荷馬車が少年の思惑に反して動き出しても彼に文句をいう権利は無い。
 次に少年が目を覚ましたのは、ゴトンという衝撃によってであった。荷馬車が動き出しても目を覚まさなかった彼が、飛び起きる様に目を覚ましたということは、その衝撃がいかに大きなものであったか語る事になるだろう。少年は目をこすりつつ開けた。なんだというのだろう?
 聞こえるはずである町の人々の喧騒は耳を済ましても、一向に聞こえない。それに幌の隙間から入る太陽の光は、彼が予測しているのよりも暗くて角度も幾分低くなっていた。自分が寝ていた事に気付いて、少年は1番いやなことに思い立った。
「どこだろ、ここ?」
 その呟きに悲鳴が重なって、少年は身体をびくりとこわばらせた。悲鳴が合図の様に数人の怒声と魔術を唱える言葉が重なる。そして、人以外の物の声。
 少年は幌の中で身体を縮こまらせ、自分の肩を抱いた。
「何?」
 小さく呟く。その刹那、自分の背後の幌が衝撃と共にいやな音をたてて破れた。少年は振り返り、身体を引きずってあとずさる。すぐ目の前の幌から鋭利な爪が飛び出ていた。
 少年は目を見開いたままゆっくりと立った。後ろにまた何かがぶつかる衝撃が走り、少年はその場に前のめりに倒れる。
「何だよ」
 何が起こっているのかとっさに判断できようもない。
 だけど何かと何かが戦っているのだということだけはわかった。
 ズサッ。
 目の前の幌が大きく割かれた。その間から少年が見たのは……。
 粗末な馬車が横転し、馬たちの巨大な体が横たわり、地面が赤くなっている様だった。
 そしてようやくこの場所が森の中であることに気づく。木々の枝の落とす影の下、黒い物体ががうごめいてた。黒い物体と、人。
 いやな声。いやな唸り声。
(魔物)
 人と魔物が戦っている。
 少年は咄嗟にどうすべきか迷った。後ろから迫る殺気に気付くのも遅かった。火《ベイ》を使わなくてはと思ったが、少年は魔物と出遭うのも、何かと戦うのも初めてで、頭で思った通りに言葉が出ない。
 必死に魔物の爪をぎりぎりで交わしたが、他の魔物の動向に気がやれなかった。
 瞬間、背中が熱くなった。
(痛い?)
 熱いよりも痛いだと思ったとき、少年の視界には草しか映っていなかった。ドスっと背中に重みと魔物の息遣いを感じた。
 もっと痛いのが来る。
 そう思った瞬間、少年はただ口の中で叩きこまれた精霊語を繰り返していた。
 自分を養ってくれている魔術師に、危険なときはこれをとにかく繰り返せと言われた言葉を。
「《アルタ・ディス・トヴァ》あるた・ディス・トヴァ。あるた、ディス……」
 ギャンッ。
 悲鳴は自分の背中の上で聞こえた。同時にかかっていた重みが消え、ぼとぼとと何かが背中に落ちてきて、服がベタリと張りつく感触が気持ち悪い。少年は恐る恐る目を開ける。自分の目の前に人の足があった。
「小僧、補佐しな」
 少年は視線を上げる。剣に反射する光と自分をかばう背中が目に焼きついた。少年は咄嗟にたちあがり、自分の失態を補う様に魔術を唱えた。大地《アル》の結界を張り、同時に火《ベイ》で魔物の攻撃力を減退させる。
 鬼神のような剣さばきを目の前にしながら、少年はただ自分の出来る事を一生懸命にやった。
 地上に動いている魔物がいなくなったとき、地面に立っている人影はたったの4つだった。地面に倒れ、ピクリとも動かない人影はその5倍だっただろうか?
 少年はあたりを見まわした。倒れた荷馬車とそこから零れ落ちている色とりどりの果実、布、荷袋。赤い血、青い血、緑の血。折れた木の枝。地面はすべてをかき混ぜた様に散乱していた。
 少年がそれを呆然と見ていたが、急に眩暈を感じてふらつく。そのまだ頼りない両肩をがっしりとした手が支えた。少年は支えられたまま首を上に向ける。
 落ちついた灰色の目がこちらを覗きこんでいた。
「大丈夫か?」
 少年はその手を振り払い、剣士と向き直る。
「お疲れさん、小僧」
 剣士は仏頂面をしながら少年の頭をぽんぽんとねぎらう様に叩く。少年はそれを忌々しそうに振り払った。
「小僧じゃねぇっ」
「そうか、悪かったな。じゃ、名前はなんて言う?」
「おっさんこそ、なんていうんだよ」
 精一杯の虚勢を張って、少年は声を張り上げた。
「おっさん……。ま、いいか。俺はカーディスだ。ほら、名乗ったぞ。お前も教えろ。フォルタ?」
 カーディスと名乗った剣士は、小さな布を少年に渡す。顔の血を拭けと言う意味なのだろう。少年はそれをしばらく見ていたが、素直に受け取ると自分の頬をそれでごしごしとこすりつつ答えた。
「ラン、だ」
「そうか、ランか」
 少年が見上げると、カーディスは先ほどの戦いぶりが嘘のような笑顔を浮かべた。
 赤みを帯びた茶色の髪に灰色の目をした剣士を少年はようやくまじまじと見つめる事ができたのだった。



(カーディス) 
 ランは寝台に仰向けに寝転がり、布の巻かれた自分の左腕を目の前に上げて見つめていた。
 カーディスとの出逢いはまさに偶然だった。剣士として商隊の護衛をしていたカーディスと、その荷馬車に乗りこんでしまった自分。その荷馬車はチュノーラに向かう商隊の一つだったのだ。商人が13人、魔術師が3人、剣士が4人。総勢20人の商隊はシャイマルークからチュノーラへノイド山脈を通ろうとしたのだ。ノイド山脈、それは盗賊と魔物の巣窟である。うまくすればチュノーラへ早く渡る事が出来るが、賭け同然な選択なのだ。
 残ったのは商人一人と魔術師一人、自分とカーディス。あまりにも不幸な出来事だった。魔物の集団に出くわすなど、滅多に無い事である。
 行く先の無い自分をカーディスは迎えてくれた。カーディスの気まぐれだったのか、それとも他に理由があったのか。剣術を教えてやると言ってノイド山脈のふもと、人里離れたところにある自宅に自分を連れかえった。
 その家にはもう一人の住人が居た。黒髪に金色の瞳……。急にカーディスの連れかえった得体の知れない少年を見て、少しの曇りも無い笑顔を向けてくれた。
『そうしていると、お前達、姉弟のようだな』
 カーディスの声が蘇る。自分の隣でカーディスを振り返りながらうれしそうに笑う彼女。振り返るときに髪が揺れてすごくいい香がして……。
 俺は姉弟なんて言われるの少しいやだったけど、彼女が嬉しそうに笑うからいいかなんて考えていた。
 エノーリア。
 あれからまだ4年。俺はまだ、あのときのカーディスの年齢にさえなっていない。エノーリアの年齢にさえ、届いていない。
『貴方を殺すわ』
 楽しそうに歌ってくれたその声で、彼女はそう唸った。
 自分の胸の中で、その暖かさを感じながら、冷たい声がすべてを語っている。
 彼女を抱きしめるなんて許されなかったのに。
『謝らないで、謝れば貴方を殺すわ』
 カーディス。エノーリアの最愛の人を、そして自分の命の恩人であり師である彼を、殺したのは自分なのだから。
 歌声を取り戻せない事など、とっくに分かっていたはずなのに。

 

HOMEイマルークを継ぐ者第3話

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