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◇
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二階の中庭に張り出したテラスから、ラスメイはあの現場を見つめていた。アルディラの襲われた場所。
フュンザス家……。小さな頃からその響きを聞くたびに、胸が苦しくなった。
父の本当の妻は、『あの』フュンザス家の血が流れている……。
『あの』の響きはどうしてこんなにも違うのだろう?
ノーラジルの『あの』孫。
『あの』フュンザス家。
「なんで、助けたんだろう」
ラスメイは呟き、その言葉に自然と表情を暗くする。
ずっと嫌いだったフュンザス家の血をもっとも濃く受けているあの少女。目の前で魔物に襲われそうになるのを見て、一瞬だけ考えた。
放っておけば、彼女はいなくなる。
フュンザス家の人間だから、放っておいても平気だと思った。傷つこうが、構わない。だけど……。
自分の小さな両掌に視線を落とす。
(でも、放って置けなかった)
体が動いたらあとは簡単だった。
憎んでたはずなのにな……。
ラスメイは白い石で作られ、繊細な模様が施してある手すりに持たれかかった。視線の先にはテラスの出入り口がある。薄いカーテンが風で揺れている向こうは、アルディラの私室である。アルディラの部屋から張り出しているテラスに、ラスメイはいるのだ。
部屋の持ち主はカーテンの向こう側でまだ眠っている。ラスメイの術はそれほど強くなかったので、そろそろ起きてきてもいいころなのだが、あまりにも衝撃的なことが起こりすぎて、疲れているのかもしれない。
ラスメイはまた身体を中庭の方に向け、手すりに頬杖をついた。そこから見える星空に目を向ける。
不思議とアルディラがフュンザス家であろうかなかろうが、どうでもよくなっていた。
触れた腕は温かかった。怖さで震えていた……。それが意外だった。彼女も「人」なのだと自覚させられた。
「ありがとう」って呟いた。
(そんな言葉、言われたら……)
諸悪の根源みたいに感じていたのに、その思いがゆるゆると溶け出して行く。
(彼女のせいじゃない)
自分の心に浮かんだ言葉に、ラスメイは眉を寄せた。
「そんなの、そんなの……わかってるよ……」
「……どうしてそんなところにいるの?」
背後から声がかかって、ラスメイは驚いた様に振りかえる。栗色の乱れた髪を撫でつつ、薄着のままで彼女がこちらを見ていた。カーテンが揺れるのを、右手で抑える。まだ眠りから覚めたばかりの気だるげな視線でラスメイを見る。
「私、どれくらい寝てた?」
「……もう、夕食も終わった」
「そう」
アルディラはすぅっと視線を下げた。ラスメイは気まずい空気に身じろぎする。さっきの独り言、聞かれていただろうか?
アルディラはしばらく俯いていたが、今度はいくらかはっきりとした目を上げた。
「もしかして、ずっとついててくれたの?」
「まぁ、な」
今度はラスメイが視線をそらす番だった。自分が何故ここにいたかというと、単純に彼女が心配だったからだ。
そのことに再び気付かされて、ラスメイはなんとなく居心地の悪い気分になった。
「あなた、私の事嫌いなんでしょ?」
アルディラの小さな問いかけに、ラスメイは声を濁した。
「べ、つに……フュンザス家は嫌いだけど」
「どうして?」
アルディラがはっきりとした口調でラスメイに問い掛けた。ふと真剣な眼差しをして、ラスメイは顔をあげた。アルディラの蒼い瞳が、心底真剣な輝きをもって、ラスメイの少し思いつめたような顔を捉える。ラスメイは重く唇を開いた。
「……リアザって知ってるか?」
「人?」
ラスメイは頷くだけで返答とした。アルディラはしばらく考えて首を振る。ラスメイの目が優しさで弛み、言葉が吐息と共にもれる。
「ならいい……」
「どうしたの? ねぇ」
「なんでもないんだ」
ラスメイは首を振った。理由なんていいたくない。彼女が知りもしない人を原因に、彼女を嫌ってたなんて。
「じゃあどうして」
アルディラはその言葉を続ける変わりに、ふといいことを思いついたとでも言うように眉を上げた。
「ちょっと待ってて、待っててよ」
アルディラは有無も言わさぬ強さでそう言いたてると、慌てた様に室内に引っ込み、とりのこされたラスメイは自分の目に触れて、ようやく気付いた。
自分の目に涙がたまってる事。
フュンザス家だっていうことだけで、何も知らない人を傷つけようとしていたんだろうか?
あのまま放っておけば、消えてしまうだろうなんて一瞬でも考えてしまった自分が悔しいのか悲しいのかよくわからない。
ただひどく安心していた。
これでアルディラを恨まなくてもいいんだと。
彼女は何も知らないんだから……恨まなくたっていいんだ。
「ちょっと、来なさいよ」
しばらくしてアルディラはカーテンの隙間から顔を出し、風に吹かれていたラスメイを呼び寄せる。
ラスメイはしぶしぶといった表情で室内に入った。
ラスメイは目を見開いた。テーブルの上に、沢山のお菓子が並べられていた。そして、二つのカップが用意されて、アルディラが自らお茶を注いで居たのだ。
「助けてくれたお礼」
アルディラは恥ずかしそうにそう言った。
「あんたは私の事嫌いかもしれないけど。お礼ぐらいしないと……。こんなことしか今は出来ないけど」
「違う」
「何がよ。これじゃ駄目なの?」
アルディラが不服そうに言う。ありったけの屋敷内のお菓子を全部並べたのだろう。中には今日食べたリッツェの実もあった。その黄色い点々を見ながら、ラスメイは掠れたような声を出す。
「……嫌いじゃ、ないんだ」
「じゃあ、どうして?」
ラスメイはその言葉に正確に答える事ができない。たち尽くしたままのラスメイを見ながら、アルディラは近くにあったショールを肩にかけ、ソファに腰を下ろした。
「お菓子、嫌いなの?」
「夜に食べると怒られる」
「ここで誰が怒るの? 私は怒らないわよ」
アルディラは近くの焼き菓子に手を出すと、小さくかじった。
「おいしいよ。座ったら?」
自分の対面ではなく、自分の隣を指し示してアルディラはそう言った。ラスメイが戸惑ったような顔でアルディラを見る。
アルディラがラスメイの手を掴み、自分の隣に半ば強引に座らせ、湯気が仄かにたつカップを小さな手に押しつけた。
ラスメイがそれを手に取るのを確認してから、アルディラもお茶を飲む。
「私、フュンザス家が嫌いだ」
ラスメイが吐き捨てる様に言うと、アルディラはうんと頷いた。
「そうね。好きだって言ってくれる人ばかりじゃないわ」
「私。あのとき、一瞬でも見捨てようと思った。フュンザス家が嫌いだから」
ラスメイがそう言うと、さすがにアルディラは一瞬言葉を失った様だった。
「だから、こんなことしてもらうと……」
「でも、助けてくれたでしょ」
アルディラがそう言うと、ラスメイは叱られたような目で彼女を見る。
「私はそのことにお礼をするの。そりゃ、フュンザス家が嫌いだから、私も嫌いだって言われたら……気分いいわけないけどね。
でも助けてくれたことに感謝しないほど、礼儀知らずではないつもりよ」
だけど、とアルディラは続ける。
「あなたがフュンザス家を嫌いな理由に付いては、謝ったりしないわ。だってわからないもの。私は確かにフュンザス家の人間だけど、知らないことに謝ったりなんかできないもの。あなたは……気分悪いかもしれないけどね」
ラスメイははっきりと言いきるアルディラの横顔を見ていた。アルディラはすました顔でお茶を一口飲む。
「まぁ、それであなたが私の事、嫌いなら仕方ないわ。確かに私はフュンザス家の人間だもの。それで恨まれるのも、仕方ない事かもしれない。私は私だと思ってるけどね」
そう言って、彼女は小さなバスケットを手に取った。リッツェの入った籠だ。それをラスメイに差し出す。
「食べない? 珍しいでしょ、これ」
「……食べた事ある。今日」
「そうなの?」
「あまりおいしくなかった」
ラスメイが深刻な面持ちでそう言うと、アルディラは吹きだした。
「カイラが出したんでしょ?」
「うん」
「あの人は好きだから」
アルディラはそう言って、ラスメイの耳に口を寄せた。
「私も苦手なの。香水食べてるみたいな気分になっちゃう」
その表現が言いえて妙だったので、ラスメイは思わず吹きだした。
「わかる」
「癖になるらしいけど、わからないわ」
それから二人はリッツェの入っている籠を出来るだけ端に寄せて、他の焼き菓子や果物を食べはじめた。
「ミラールの作ったタルトが食べたくなるわ」
ポツリとアルディラが洩らした言葉に、ラスメイは頷いた。
「美味いな」
「やっぱり美味しいわよね。やっぱ最高なのは……」
『ラミュのタルト』
二人の声が重なって、目を見合わせて笑う。
「カッシュのパイも美味い」
「ねえねえ、ミラールの作ったご飯は食べた事ある?」
「まぁな」
「いいなぁ。私も食べて見たいんだけど、やっぱりうちに来てもらって作ってもらうってのも難しいのよね」
珍しくラスメイもポツリポツリと話し出した。それがきっかけになったように、アルディラと話し始めた。テーブルの上にあった焼き菓子が一皿分無くなり、飲んでいたお茶もカップから無くなったとき、ラスメイが今度は私がお茶を入れると言って腰をあげた。
その後姿に、アルディラが声をかける。
「ねぇ、あなたは……ミラールのこと、好き、だったりするの?」
先ほどまでの声の調子とはうってかわって、真剣みをかなり帯びた口調にラスメイは思わず手を止めた。ティーポットを持った手を止めて振りかえると、アルディラは両膝を抱えていた。
「だから、私の事嫌いなのかなって思ってたんだ」
「……ちがう」
「私、ミラールの事すごく好きなんだ。絶対、振り向いてもらえないって分かってるけどね」
アルディラはそう言うと、にっこりと笑った。
「振り向いてもらっても、いろんなものが邪魔なのよね。だけど、私……この家の一人娘だし……。
そばに居たいけど、ついていくわけにはいかないもの。こういうときに、出来るだけ側に居たいの。
だから、すごく……嫌な思いをさせてるかもしれないね」
アルディラはそう言うと、ごめんねと呟いた。
その目の光が酷く弱々しくて、悲しそうで……ラスメイは思わず強く言い切ってしまう。
「私が好きなのはミラールじゃない」
ラスメイがやけにきっぱりというので、驚いた様にアルディラは顔を上げた。ラスメイは真剣な顔でアルディラを見ていた。
「や、やだなぁ。そんな深刻な顔しないでよ」
「私は……」
ラスメイがそう言い、言葉にしようとすると涙が出てきそうになる。
「私が好きなのは……」
アルディラと一緒だ。
胸に下げている首飾りを握り締めた。貰った指輪の感触が今は冷たい。
(私だって、きっと振り向いてもらえない)
そう思うと酷く泣きたくなってきた。側にいるだけでいいと思ってた。あまり考えない様にしていた。振り向いてもらうとか、ずっと一緒に居るとか、そんなこと望まない様にしてきた。
ただ、一緒に居て、側に居て、役に立てたらそれでいいって。
行き場の無い思いを重く抱えて俯いていると、ふわりと柔らかい空気が振ってきた。
アルディラが自分を抱きしめてくれていると気付いたのは、直後だった。
「あの人、かな」
ラスメイは頷いた。頷いた瞬間に、涙があふれてくる。
「すごく、好きなんだね」
「……望んじゃいけないって思ってた。振り向いてもらうとか……そんなこと少しも」
「そんなことないよ」
アルディラの言葉はすごく柔らかかった。
「好きなんだもの。仕方ないよね?」
その一言がしみこんできて、ラスメイは少しだけ笑う。と、アルディラも少し笑った。
「私は望み薄でも頑張るわ。ラスメイは?」
自分の名前を呼ばれたくすぐったさに目を細めつつ、ラスメイはふと笑った。
「出来るだけのことをする」
「うーん、消極的ね」
「側に居れば……役に立てることもある。それでいいんだ」
「……そういうのも、いいかもね。いつか見てくれるかもしれないもの」
アルディラはそう言って、また微笑んだ。
「アルディラ」
不器用に優しさを込めて呼ぶと、今度はアルディラがくすぐったそうな顔をする。
「何よ」
「……うん、ありがとうな」
アルディラは居心地が悪そうに肩をすくめると、しばらくして片目を瞑って見せた。
「また、お菓子一緒に食べましょ」
「うん」
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