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◇
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(……割りきる)
自分は自分。何度もそう言い聞かせてきた。
(自分のこの力が生かせるかもしれないんだから)
ラスメイは人の気配に瞳を開いた。
使用人の一人が忙しなく彼女の目の前でこぼしたお茶を片付ける。絨毯にしみこんだ琥珀色は、決してとれないだろうなと思いつつラスメイは視線をやった。
そうして、使用人が一礼して出て行く頃、カイラが戻ってきた。出て行きかけた使用人にお茶の用意を頼むのを、ラスメイは頭を空っぽにして見つめていた。
ラスメイの視線を受けて、彼女の目の前に座る。カイラの表情は普段通りだった。闇《ゼク》の魔術を見て現れた感情は、嘘のように消えていて、ラスメイは正直言って安心した。
「城の件、私たちに頼むつもりじゃなかったのか?」
カイラが座った瞬間に、ラスメイがそう呟いた。カイラは無表情でラスメイに視線をやる。
「だから、泊めてくれたんだと、思っていたんだがな。アルディラがどうこう言ったところで、私たちのような正体もわからぬ輩をフュンザス家の別館に二つ返事で入れるようなことを、ディスルーシ家がするはずないと」
「正体もわからぬ輩ではないでしょう?」
カイラが苦笑してラスメイに言うと、ラスメイは唇を少し引いた。笑ったのかどうか、カイラがその表情を計りかねるような微妙な揺れ。
「力を目の当たりにすれば、計算は速いか。キャニルス家の末っ子のことは知っているだろうし。ランの火魔術師《ベイタ》の力も……」
「そんなことは」
「私が『あなたたち』の間でどう言われているか知らないとでも? 子供だから?」
ラスメイは紫の瞳を上げた。
「ノーラジルには闇魔術師《ゼクタ》の孫がいるという噂ぐらい、流れるだろう」
それに……とラスメイは意地悪な笑みを浮かべる。
「今、見た」
アルディラを眠らせた力。だけどそれは、下級闇魔術師《ゼクタ》にだって出来る技だ。勿論、闇魔術師《ゼクタ》が表だって存在するわけがないが。
カイラは大きく息をついた。
「たしかに……、思惑がなかったとは言いません」
ラスメイはその言葉を聞いて、微笑む。その大人びた表情を見つつ、カイラは正直な思いを述べる。
「……ランさんの回復を待ってからにしようと思ったんですが」
目の前の少女を年齢通りに考えてはいけないのかもしれないと思いつつ、カイラは前に落ちてくる髪を耳にかける。
「私が行かないのかとは、言わないんですか?」
そのカイラの言葉に、ラスメイはふと笑った。
「……だって、ディスルーシは守ってるんだろう? 守りの消えたこの街を。だから、昨日、私たちはあんな町中で出会う事ができたんじゃないのか?」
二人の話はお茶の香によって一時中断された。使用人が一礼して出て行くのを横目で見つつ、ラスメイはカップに手を伸ばす。目の前の小さなお菓子を指差した。
「これは?」
カイラの周りにあった張り詰めたような雰囲気が、ラスメイの子供らしい仕草と言葉に打ち破られた。カイラはようやく柔かな笑みをこぼす。
「ジェラスメインさんははじめて見るのかな? リッツェの甘煮を1日干した物です」
「リッツェ?」
「貴重な果物ですからね。そう、フュンザーデは名産だけど……シャイマルークまでは届かないかもしれないね」
黄色い楕円形をした小さな実をつまんで、ラスメイは口の中に放りこんだ。甘酸っぱくて噛むと同時に強い芳香が口に広がる。ラスメイは口のへの字に曲げるので、カイラは微笑んだ。
「苦手な人は苦手だから……」
芳香が強すぎて、香水を食べている様だという評を何度も聞いているカイラはそう言った。ラスメイはあまり噛まずに飲みこんでしまう。
「私はこちらの焼き菓子を頂こう」
ラスメイが口を注ぐようにお茶を飲みこみ、口直しとばかりに見なれているクッキーに手を伸ばすのをカイラは見つめていた。
「魔物の出現が、あれほど抑えられているのは、あなたのおかげだろう?」
もぐもぐと口を動かし終えてから、ラスメイはそう聞いた。カイラは目の前のお茶にも手を出さずに、手を組み合わせて視線を落としている。
「町の至るところに結界が張ってあったよ。水《ルーシ》のね。なんで、アルディラを連れてるのか、わからなかったけど」
不思議そうにこちらを見るカイラに、ラスメイは少しだけ笑った。
「あのあと、ミラールと一緒に街を歩いて見たんだ。フュンザス家の令嬢とあなたが魔物からみんなを救ってくれてるんだってありがたがる人もいたな」
「……城が閉鎖されたのと同時に、魔物が現れ出したからね。民にとっては城が自分たちを見捨てたって思う人も多いのです。だけど、アルディラ様は、フュンラン王家の血をひく方ですから。彼女が動けば、少しはみんなの不安も緩和される」
「……そのアルディラが狙われた」
ラスメイは静かにカップをテーブルに置く。半分残った液体をじぃっと見つめていた。
彼女は知っている。ライラにナミ、人と同じ形をして同じように感情を持った【魔物】を……。そして、その後ろには必ず人の哀しみや欲望があると言うことを。
「どういう狙いだ?」
彼女の独り言を受けて、カイラはようやくテーブルの上にあるカップに手を伸ばした。一口含んで息を吐き出す。二人はその場に座りこんだまま、流れる沈黙に身を任せていた。
ラスメイが手を伸ばし、2杯目のお茶を注ぎ、新しく暖かな湯を貰って三杯目のお茶を入れようとしたときに、居間の扉は静かに開いた。
「ミラール、エノリア」
おかえり、と言いかけてラスメイは口を閉ざす。どちらの表情も沈んでいたのだ。ラスメイの表情を見てミラールがようやく顔を上げた。そして無理矢理笑顔を作る。
「ただいま」
「おかえり」
エノリアが疲れたようにラスメイの隣に腰をかける。カイラが立ち上がり、お茶の追加を命ずるのにミラールは礼を言って、カイラの隣に腰掛けた。
さきほどから一言も発しないエノリアを気遣って、ラスメイが目の前のお菓子の入った器を差し出す。エノリアは弱弱しく笑い、掠れた声で礼を言うとリッツェをつまんだ。
あ、とラスメイが止める間もなく彼女は口にそれを放りこみ、噛み締めて飲みこんだ。感情の無い声で「おいしい」と呟くのを、ラスメイは恐ろしいものを見るような顔で見つめてしまったのだ。
「エノリア?」
呼ぶとエノリアは顔を上げる。覇気とでも言うか、エノリアが持ち得る空気が薄くなって居るように感じて、ラスメイは眉をひそめた。ただ彼女のうちにある光《リア》だけが不相応に輝きすぎているような印象がある。
ラスメイはふと気付いた。ランが居ない。
「ランは?」
その名前を口にしたときのエノリアの微妙な表情を彼女は見逃さなかった。こわばったように頬がピクリと動く。
「ランは……」
「あとから来るよ、ラスメイ」
ミラールが穏やかな口調でそう言うと、出されたお茶を受け取り一口飲む。
「美味しいね。いい葉っぱを使ってる」
カイラが礼を言う変わりに曖昧に笑うと、ミラールはリッツェにも手を出した。ラスメイはそんなミラールを見守った。ミラールも『おいしい』と言えば、自分の味覚を疑おうと思いつつ。
ミラールは黙ったあとに「変わった味だね」と評して、そのあと思い出した頃にもう一つ食べただけだった。
◇
ラスメイとカイラは二人に、館に魔物が現れた一件を説明した。城の件についてカイラは特に何も言わなかった。だが、エノリアもミラールもこの件に関わらざる得ないと言うことを感じてはいた。
エノリアは出遭ったユセのことと、彼が指し示した塔のこと、そしてシャイナがここにいる可能性のことを含めて、話しておいた方がいいのかと迷った。だが、カイラがいる前では話せなかった。
(それよりもランに話さなくちゃ……)
そこまで考えて首を振る。
(頼りたくない……)
そう考えると自然にエノリアの表情も暗くなる。するとミラールもラスメイも心配になってしまう。ミラールは彼女がこのような表情をする心当たりがあるだけ、どう声をかけていいものか迷う。
「アルディラのこと見てくる」
ラスメイはそう言って自ら進んでアルディラの部屋へ向かおうとした。少し驚いたような表情をするミラールに、ラスメイは真面目な顔で答えたのだ。
「恩を売る!」
そう言ったラスメイの頬に赤みが指しているのを見つけて、ミラールは微笑んだ。
「仲良くね」
「違う。恩を売るっていってるじゃないか」
「うん、わかってるよ」
笑みを見せるミラールに、ラスメイはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、諦めた様にカイラを追って出ていった。その後姿を見送り、ミラールは意識をエノリアに向ける。
目の前の卓を瞬きもせずに見つめつづける彼女を真正面から見つめ、ミラールは少しだけ首を傾けた。
他の話から入ろうかと迷ったが、エノリアが自分と話したい話題は一つしか無いだろう。
「ランのこと、気になる?」
エノリアは顔を上げ、ミラールをしばらく見つめた後にこくりと頷いた。ミラールは目を細める。
「エノーリアと呼ばれた女性のこと、かな」
「……年上、っぽかったね」
エノリアはそう呟いて、無理に笑顔を作った。
「綺麗な人だった。金色の瞳だったから、宮の関係者なのかな? それに私と同じ意味の名前だよね、あれって」
次々に言葉を重ねて行ったエノリアだったが、ミラールの穏やかな目の前ではその言葉も収束してしまう。
自分の頬に右手を当てて、視線をミラールの座っているソファの右奥にやった。そして落ちつき無く頬を撫でていたが、その手をぱたりと落とす。
「……気にならないと言えば嘘になるわ」
エノリアは、大きく息をついた。そして、両腕を伸ばす。
「誰かな、とか。どういう人なのかな、とか」
エノリアは引きつった笑みをミラールに見せる。
「どういう関係なのかなとかね」
そう言ってからエノリアは、唇をひいた。
「気にしてもさ、仕方ないよねぇ」
声を大きくして明るく言いきるエノリアの心が、ミラールには苦しい。
エノリアの本当の思いも彼には痛いほどわかる。
(伊達にずっと見てきたわけじゃない)
ミラールは大きく息を吐く。
「エノリア、僕も気になるよ」
ミラールはそう言った。
「ランと一緒に育って、ランの事なんでも知ってるつもりでいたけど。
彼女のことを、僕は何も知らない」
ミラールはそう言いながら、自分の中に少し寂しい思いが生まれるのを感じ、それがとても自分勝手な感情だと思った。
「ほら、前に言ったよね。ランはしばらくのあいだ緑の館から離れていた時期があるって。
僕たちはバラバラになってた時期があったんだ。
そのころ僕はフュンランによく着ていて……、アルディラにあったのもその時期だし、いろんな劇団で曲を作らせてもらってたりしたんだ」
「あ、あの劇団のイルアさんとか」
エノリアがそう言うのに、ミラールは頷く。
「そうだね。そのころ知り合ったんだけど。よく来るよって言ったでしょう?
……きっと勘違いしたままだと思ったけどね」
柔らかく笑うミラールに、エノリアは苦笑いをする。
「そのころに出遭った人かもしれないね。エノーリアさんは」
そう言っても、エノリアの心が晴れるわけじゃない。未だに気の抜けた表情をしているエノリアの表情を見つつ、ミラールは自分の口に掌を当て、目を細める。
「……僕はさ。エノリアがなんでそんなに落ちこむのかがわからないな」
少し意地悪な言葉だろうかと思いつつミラールはそう言いきった。
エノリアが落ちこむ理由を、彼はよくわかっていた。
だけどランを疑う要素なんて、ミラールには見つけることができないのだ。ランが見てる先に、エノリアが見てる先に、いつも誰がいるのかをミラールはよく知っているのだから。
(すれ違ってばかりで……。第3者はこんなによくわかってるのに……)
溜息をついたミラールは頬杖をついて、エノリアの困ったような顔を見つめている。
「エノーリアという人がランにとってどんな人かわからないけどさ。エノリアが心配してるような関係じゃないと思うよ」
エノリアはまだ不安そうな顔でミラールを見る。その顔が徐々に焦りによって赤くなるのをミラールは楽しそうに見つめていた。
「心配って別に私は何も」
「じゃあ、どうしてそんなに落ちこんでるのかな」
「落ちこんでなんかいないわ!」
向きになる彼女がかわいくて、ミラールはクスクスと笑う。
「そうかな……。でもさ、エノリア。ランの性格から言って、彼女のことをランが好きなら、あんな風に抱きしめたりできないと思うよ」
「そうかしら」
「そうだよ」
「そう、かな?」
少しだけ安堵したような表情を見せるエノリアを、ミラールはまぶしそうに見つめた。
そんな表情を見せながらランのことを好きなんかじゃないと彼女はまだ言うんだろうか?
こんな風に、ランの事で一喜一憂するくせに?
(でも、彼女の喜ぶ顔を見たくて、こうやって慰めてしまうんだよね……)
綺麗に光る彼女の存在。
彼女は光《リア》を持つ事を、恥じてさえいるけれど、その光《リア》は周りの者にどんなにまぶしく、どんなに美しく映ることか知らないのだろう。
(知らないのは、本人だけ)
どんなに強烈に人を惹きつけるのか。
(知ろうともしないのだからね)
そして、どんなに苦しめられるのかも。
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