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 フュンザス家はフュンラン城下町のすぐ隣にあるフュンザーデ地方を領地とする。フュンザーデは比較的豊かな土を有した農業の盛んな地方であった。大地《アル》の恵を受けていることから、かの領主の一人娘は大地《アル》の名前を頂いた。その名をアルディラという。
 アルディラはフュンラン王家に男の子が生まれれば、そこに嫁ぐことになっていただろう。だが、フュンラン王家に生まれたのは、娘ばかり三人である。一人は月の娘《イアル》として血の繋がりを断ったために、実際には二人とされているのだが……。年頃の息子が産まれなかったのは、アルディラにとって幸か不幸か。少なくとも、ミラールに熱を上げている彼女には不幸ではないのだろうが。
 その深窓の礼嬢・アルディラは館の中庭のベンチに座って、大きく欠伸をした。朝からミラールは(ミラールとそのご友人は)出かけてしまっていた。ミラールのつれてきた小娘との対決に夢中になっているうちにミラールが消えてしまっていたのだ。
「つまんない」
 既に日は傾きかけている。なのにミラールは戻ってこない。両足を抱えあげ膝を抱きしめた。
(お父様もお母様も、フュンザーデに帰る前に1度来て下さったら良かったのに)
 アルディラは勉強のためにフュンランのこの館に一人暮しをしているのだ。父と母はフュンザーデに住んでいる。それでも王城に用があるときはこの館へ留まってくれるのだが。
(そう言えば、お父様とお母様が帰った直後だったわ。お城があんなことになったのって)
 アルディラは首を傾げた。
(運がよかったというかなんというか。でもそれからカイラは1日中つきっきり。早く城にいけるようになってくれたらな)
 以前からアルディラの教育係としてそばにいるとはいえ、このように1日中べったりと顔を合わせることなんてなかったのだ。カイラは嫌いではないが、口うるさく言われつづけるとげんなりとしてしまう。何気なくそのまま後ろに顔をそらすと、ちらりと視界に黒いものが入った。
(黒?)
 アルディラがむっとする。黒い髪で紫色の瞳の少女を思い出したのだ。
(あの小娘)
 後ろの気配はこちらを伺っているようだった。声をかけてもいいようなものなのに。客人として迎えてはいるが、ミラールのおまけのおまけのおまけなんだから。
(どーゆー育てられ方したのかしらっ!)
 敵意しか感じられないあの目が嫌いだった。あんなに鮮やかな紫色で綺麗なのに。そう、ちょっと綺麗な色なのに……。
「ちょっと!」
 アルディラは足を下ろし、振りかえった。
「ずっとそんなところにいない……で」
(何?)
 アルディラは身体を半分ひねった状況で凍りついた。黒いふさふさした髪はあの少女のものではない。それは髪ではなかった。
 黒い……毛。
 アルディラは動けなかった。まさか館の中に、魔物が現れるなんて。
 狼を一回り大きくしたようなその動物の背中には、2枚の小さな翼が生えている。
 魔物はこちらを見て、そして唸り声を上げた。
 ぐっと筋肉が動くのをアルディラは冷静に見つめてしまっていた。いや、それしか出来なかった。
 目をそらせば襲ってくるだろうけど、目をそらさなくてもきっと襲われちゃうんだ。
 悲鳴を上げたほうがいいのかな? 悲鳴を上げたらどうなるかな。
 だけど、何といえば言いのだろう?
 どうして、カイラがここにいないの?
 あの小娘でもいい。魔術師みたいだったから、何かしてくれるはずだわ。
 見つめていると、その魔物の口元にキラリと光るものを見つけた。口に何かをぶら下げている?
 アルディラの目はそれに釘付けになった。
 魔物の黒さには不相応なそれ……首飾りだろうか? 緑色の石の首飾り。
 どこかで見たことが……。
「ぉ……お母……」
 アルディラの目がふと弛んだ。それと同時に、魔物は地面を蹴った。アルディラの目はその小さな緑色の石を追う。それがどんどん近づいてくるのを幻のように見つめていた。
 お母様の……首飾り。
 それが何を指しているのか、アルディラには判断できなかった。
「《ディス・ウィア・メル》!」
 小さな声がアルディラの止まりかけた思考に刺激を与えたのと、アルディラに向かっていた魔物の身体が軌道を変えたのは同時だった。
 魔物は小さな悲鳴と一緒に、地面に叩き付けられた。アルディラはそれをじっと見ている。
 風が走ったんだと、気付いた。
 同時に目の前に小さな背中が立ちふさがる。自分より3つほど年下の女の子の背中が、自分を守ろうとしてくれている。黒い髪が目の前で揺れた。
「止めをさす。目を伏せて」
 尊大な言葉遣いでそう言い放って、ラスメイは持っていた杖の先を魔物に向けた。
「《メルシア!》」
 風は彼女の言うことに忠実に動いた。先ほど走った風よりもするどく魔物を切り裂き、魔物は反撃の隙も与えられずに絶命した。
 アルディラは自分の目を両手で覆い、塞いでいた。ラスメイがふぅっと息をはいても、両手は目から離れようとしてくれなかった。震えて思うように力が入らない。
「大丈夫。終わった」
 憎たらしいはずの小さな少女の声が、とても優しく聞こえる。だけど両手が言うことを聞いてくれない。
「どうした?」
 アルディラはラスメイの心配そうな声に首を振った。動けないなんて、こんな情けない姿を見せたくなかった。
「大丈夫だから、あっちに行きなさいよ!」
 助けてもらったのにこの言い草はないだろう。自分でもそう思ったけど、アルディラはその言葉を止めることが出来なかった。きっとこの子も呆れているはず。怒っているはず。
(どうしてこんな言い方しか出来ないんだろう)
 ジャリッと小石のすれる音がしたので、ラスメイが立ち去るんだと思った。今までよりも険悪な雰囲気になってしまうのだろう……。しかし、ぽんっと肩に暖かい手が置かれる。
(何?)
「目を瞑ったままでいいから、立ち上がって」
 腕にも優しく手が添えられて、アルディラはびっくりした。
「居間でいいか?」
 アルディラは頷いた。今度は彼女の誘導するとおりに歩き出す。今ごろになって、使用人たちが慌てたように駆け寄ってくるのが足音で分かった。自分を支えているラスメイが、近寄って着た一人に暖かいお茶を入れるように指示する。人を使うのになれている口調だとアルディラは感じた。
(キャニルスって名門だって聞いたっけ)
 ぽんっと軽く肩を下に押された。
「そこに座って」
 アルディラは恐る恐る腰を下ろした。ふわりとした感触が彼女を捕らえて、やっとアルディラは息を吐く。ゆっくりと手を下ろし、目を開けた。目の前に差し出されたカップに両手を添えて受け取る。
 アルディラは口を開いた。そして、紫色の瞳をした少女を見上げる。まだ少女の横顔は険しく、ついさきほどの戦いの緊張感を残している様だった。
 助けてくれたんだ。
 アルディラはどうしようか迷った。さっきまで口喧嘩をしていた相手だが……。
「ありがとう」
 アルディラはそう呟いた。弾かれた様にラスメイがこちらを振り向く。驚いているのはラスメイだけじゃなかった。アルディラも無意識に出た言葉に驚き、みるみるうちに顔を赤くする。
「何、よ。お礼、言っただけじゃない」
「うん」
 ラスメイはそう言うと、表情を戻した。だけど先ほどまでの険しい表情ではなく真剣な顔に。アルディラは跋が悪くなり、顎を引いてラスメイを見ていたが、近づいてくる足音に気をとられた。
 ようやく慌てたようにカイラが姿をあらわしたのだ。
「アル様!」
 カイラの姿を見て、アルディラは身を乗り出した。
「遅いわっ!」
「申し訳ありません。お怪我は」
「ないわよ。ないわ、ない!」
 ガシャンと令嬢にあるまじき音を立ててカップをテーブルに置き、申し訳なさそうにこちらを見るカイラにここぞとばかりに罵詈雑言を浴びせ掛けようとした。が、ラスメイが一歩前に出て、カイラに状況を説明する。
「魔物が出た」
「まさか」
 カイラは一言だけ言うと絶句した。目の前のカイラよりもこの少女の方が落ち着いているように見えた。
「フュンザス家の守りは?」
「水《ルーシ》を……私が」
 カイラは長い髪を忙しなくかきあげる。細い目をさらに細めて、カイラは首を振った。
「まさか破られるとは」
「……フュンザス家を狙ったようだ。街に現れる魔物は神出鬼没なのだろう? それは出やすいところに出るんだろう。
 だが、さきほどの魔物はフュンザス家を明かに狙っていたようだ」
 と、ラスメイは自分の服をさぐり、その小さな手に魔物が咥えていた首飾りをカイラにつきつけた。カイラが息を呑む。
「お母様のよ!」
 アルディラが身を乗り出し、カイラを睨みつける。ラスメイはカイラにその首飾りを渡した。カイラはアルディラを見ようとせず、アルディラは余計に腹が立って、カイラの腕を掴んだ。
「説明してカイラ! お母様もお父様も、フュンザーデにいるはずじゃないの?」
 カイラは唇を噛み締め、掌の首飾りを握り締める。
「お城からは出ることができたんだって、言ったよね? カイラ!」
「公も夫人も……城に取り残されました」
「……嘘ついたの?」
 アルディラはがたんっとたちあがった。テーブルにぶつかり、カップがカシャンと倒れ、琥珀色の液体が年輪の創り出す渦の上を流れだす。
「このわたしに嘘を!?」
 臙脂色のふかふかの絨毯にもそれが流れ落ち、ラスメイはその動きを目で追っていた。沈黙の中、アルディラの荒い息遣いだけが聞こえているようだった。アルディラは怒りや興奮を振りきる様に首を振り、一旦俯いた。そして、息を整えると顔を上げる。
「あなただけ、外に? いえ、城にお父様とお母様をおいて逃げたっていうの?」
「……私は公に逃がされたのです。アルディラ様を城に連れて来ないようにと。城が閉じられれば、民が不安を感じる。今、フュンラン城下にいる王家の血族はアルディラ様だけ……。守れと」
「何が起こったの?」
 カイラは項垂れた。アルディラは握り締めた拳を振り上げて、カイラに叩きつける。
「お父様とお母様はっ!」
「ご無事だと、思います」
「また嘘?」
「アルディラ様……」
 アルディラは、カイラの胸を叩きつけた。
「嘘?!」
 カイラはそれを見下ろし、ただただアルディラの気が済むのを待っていた。
「あれから七日は経ってる! 何が起こったって言うのよ!」
「アルディラ様……落ちついてください」
「お前がそんなこと言うの!? お父様とお母様を置いてきたお前が!」
 アルディラはぐっとカイラを睨みあげた。だが、アルディラのきつい視線は一瞬だけ弛む。カイラがひどく傷ついて、静かな目をしていたからだ。ラスメイはその二人の表情と雰囲気の変化を、外から眺めていた。
 アルディラの憤りは痛いほどわかった。そして、カイラの立場も。
 カイラは落ちついた瞳で、アルディラを見つめた。何を言われても受け止めようとしている瞳だと、ラスメイは傍から思う。
 深い色だ。
「少し、休んだ方がいいのでは?」
「私……お城にいかなくちゃ」
「アルディラ様」
「お母様もお父様も助けないと! カイラ、お城に!」
「今は状況を把握してからでないと動けません」
「7日間もたっても駄目なのに、あと何日まってろっていうのよ!」
 アルディラの混乱と興奮の入り混じった気に、ラスメイは我慢できなくなった。声を張り上げる彼女の耳元に、ラスメイは口を近づけた。そして、ぼそりと何か呟いた。
 と、アルディラはひき込まれる様に眠ってしまったのである。
「ラスメイ……さん?」
 何か問い質したいようなカイラの瞳に、少しの恐怖を見とめてラスメイは小さく笑う。
 闇《ゼク》の力を目の前にすると、誰もがそんな風な目で見る。
(魔物を見る目)
 自分の知らなかった存在を目の当たりにするその目。
 ラスメイは唇を曲げると、どうにか笑顔をつくりだす。その表情を見てカイラは少し開けていた口を引き締めた。いつもと同じ瞳をその小さな少女に向ける。
「眠ってるだけだ。部屋に連れて行ったらどうだ」
 カイラが頷き、アルディラを抱えあげた。寝室へ彼女を運び、再び居間に戻ってくるまで、ラスメイはソファでじっと座っていた。
 キャニルス家にはフォルタがいる。その噂はいつも畏怖と共に伝えられる。禁忌とされた闇魔術師《ゼクタ》でもあるフォルタ。その言葉を、人々はどんな思いで聞くのだろう。キャニルスという名の一族が代々作り上げてきた王家との関係への羨望も手伝って、闇魔術師《ゼクタ》であるということは必要以上に汚点として取り上げられてきた。だがフォルタであるということはキャニルスの優秀さを示すことにもなる。
 ラスメイはいつもその狭間で揺れていた。闇魔術師《ゼクタ》であるがフォルタでもある。それがまだラスメイの救いだったのかもしれない。純粋な闇魔術師《ゼクタ》であれば、その存在はひた隠しにされただろうから。
 だが闇魔術師《ゼクタ》……その力を実際見れば、気味悪く思われる。
『あのキャニルス家に』という言葉を何度聞いただろう?
 父親がそれを必死に否定し、存在も隠そうとする。
 それに反発する様に、私はキャニルスを名乗る。その繰り返し……。
 そんなに悪いことなんだろうかと、何度も考えた。
 闇《ゼク》の力は限られてる。風《ウィア》や水《ルーシ》のほうが絶対に怖いと思う。
 闇魔術師《ゼクタ》は人の死後に関わる事が出来るし、要素になってしまう前の段階なら声を聞くことも出来る。だけど、決して人の命を奪ったりする事なんて出来ない。
 死者を蘇らせる事が出来るとはいっても、新たな肉体を与えつづけるなんてできない。メロサでのカタデイキールのように、死体を媒介に存在を止めることしか。
 人を惑わせる事も出来る。人の思いを幻として見せる事も。でもそれは……そんなに悪いことだろうか? 恐れるのは、闇《ゼク》に対してじゃない……、人の心に対してのはずだ。
(闇《ゼク》は人を狂わすからか)
 ラスメイの心臓は自分の心の独白を聞いて大きく鳴った。
(狂わす。……いつか狂う?)
 どうして、闇《ゼク》の解釈はこんなに違ってしまうのだろう?
 狂わせる闇《ゼク》。
 安らぎの闇《ゼク》。
(私の中の闇《ゼク》は、安らぎの闇《ゼク》)
 かつて祖母が繰り返して言った言葉は、ラスメイの心を徐々に落ちつかせて行く。
 そして最後に思い出すのだ。兄と母の笑顔。
 メロサの館で、水鏡に映った兄の顔と、あの言葉を何度も思い出して自分を落ちつかせる。
『お前はお前の道を』
「信じた道を」
 ラスメイは呟いて目を閉じた。
「『だけど僕は、いつまでもラスメイの兄だから』」
『キャニルス家なんて、どうでもいいんだ』
「『キャニルスを捨てたって、僕はお前のお兄ちゃんだ。それだけだよ。それだけは、忘れないで』」
『お前の重荷になるために、僕はこの道を選んだわけじゃないんだから』

 

HOMEイマルークを継ぐ者第3話

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