|
|
◇
|
|
『いきなさい』
背中を見せて、そういった彼女の。
『いきなさい』
振り絞るような声。震える手。
そこに落ちている剣を手にとって、どんなに俺に突きたてたかったことか。愛しい人の血で濡れた剣は、彼女の目にどんな風にうつっていたんだろう?
『謝らないで』
その言葉さえ封じられて。
『謝れば、殺すわ』
罪だけ身体に封じて、俺はその場から逃げた。
美しい歌を噤んでいた口から吐き出される血を吐くような叫び声。
『いきなさい!』
生きるために。
◇
エノリアは立ち尽くしてしまった。目の前に現れた金色の光を持つ女性を、ランはいきなり抱きしめた。
ただそれだけといえばそれだけだけど。
エノーリアと呼んで抱きしめた……。
私の目の前で。
胸がどうしてこんなに押しつぶされるようなのか、どうしてこんなに心臓がうるさいのか。
どうしてこんなに、目の前のことが現実で無いようなかんじなのか。
説明するのは癪だ……。
そう思ったらエノリアは弾かれたように身を翻した。自分の名前を呼んで、腕を掴もうとしたのはランではなかった。その事実が、ただただ哀しくて走り出した。
エノーリア。
エノリア。
彼女の名前も、【美しい光】、自分と一緒。それが全てを明らかにする。
メロサで、ランが言っていた美しいもの。
『この……腕に、金色の……光《リア》……』
あれがどうして私だと思ったの?
『……ノリ……ア』
エノリア。エノーリア。
どちらも同じ……。
エノリアは走りつづけ、そしてその速度を緩めた。大通りの近くまで歩み寄ると、近くの壁に片手をつく。大きく息をしながら、項垂れた。
(あの人のことだわ)
ランが見た美しいもの。守ってあげたいと思っていたもの。ずっと見つめて居たいと願ったもの。
どうして私のことだと思ったの?
「ばかじゃない?」
目を瞑って呟いた。
ケンカばかりしてた。守ってもらってるって思ったけど、そんなの自分の勘違いだったかもしれない。
こんな厄介なことに巻きこまれて、それでも守ってもらってるって。
ランなら、守ってくれるって……。
守ってくれてるって、いい気になってた。
「馬鹿だわ!」
叫んで首を振る。すべてを追い出してしまいたかった。
悔しいのは、自分がずっと目をそらしていたことに気付いたから。皆の好意に甘えてた自分に気付いたから。
あの時から、強くなろうって頑張っていたのに、全然強くなれていない。どんなに笑ってもどんなに強がって見せても、大本の自分は何も変わらない。
ランのあの言葉が、いつのまにか私が『ここにいていい理由』の大部分を占めてしまっていた。
それが崩れる。
(強いなんて、嘘だ)
行き交うたくさんの人の顔を見ながら、エノリアはそう思った。
昨日の魔物を思い出す。人々を襲う魔物たち、その原因は自分にあると誰もが思うだろう。私だって、そうじゃないかって思うもの。
弱気になっている自分を、立ち直らせることも出来ずにエノリアは人々を見つめた。
二人目の太陽の娘《リスタル》。
どうしてそれをこんなにも強烈に感じるんだろう?
居てはいけないものとしての自分。
光《リア》を持つ自分。
無意味だと思っていた光《リア》の存在感が強くなる。
『私』が弱くなる……。
人の間から、悲鳴が聞こえた。エノリアは反射的にそちらを見つめた。
まただと人の叫び声が聞こえ、人はその地点から放射状に散って行く。エノリアは、無意識のうちに人の流れとは逆方向へ走って行った。
悲鳴のしたほうへ夢中で走る。
あれがいる。
魔物が!
肩がぶつかった人も、逃げるのに必死でエノリアには目もくれない。
危ないと言って彼女を止めるものもいない。
たくさんの果物が盛られた店先にそれは居た。果実の色が作り出す美しい背景と甘い香、それと昨日と同じ狼のような姿をした黒い魔物の存在が妙な雰囲気を作り出す。
エノリアは一旦立ち止まって、魔物を見つめた。四方に逃げる人々の、どれを追いかけようか迷っていた人の血と同じ色をした瞳が、エノリアに向けられる。
その背中に未発達な翼のようなものを見つけて、エノリアは咽を鳴らした。恐怖を感じながらも、一歩足を踏み出した。魔物は近づいてくるエノリアをじぃっと見つめ、低く唸った。
「どこから来るの」
エノリアはそう語りかけた。魔物に言葉が通じるとは思わなかったけど、そう聞きたくて仕方がなかった。
魔物の姿勢が低くなる。攻撃にうつろうと構える魔物を見つめながら、もう一歩足を踏み出した。
恐怖よりも自分の意思が勝った。
二人目の太陽の娘《リスタル》、それがもたらす災厄の一つと考えられる魔物。
本当にそうなのかどうか。今はそれが知りたい。
自分が原因なら……。
「どうしてそこに居るの」
今にも飛びかかりそうな様子にも、彼女は応対しようともせずにただ聞いた。
(自分が原因なら?)
自由が欲しくて、宮を出た。
宮を出て、ラン達に会った。
シャイナを探すために出た旅。でも、私はその中で大切な物を知った。知った気がした……。
ここにいていいんだよと、何度も言われたような気がしていた。
でも、それは嘘だ。
私は、私のことを知りたい。
私は一体何?
「私の、せい?」
魔物から発せられている緊迫感が一瞬だけ途切れた。唸ることを止めてエノリアを見つめる。
「教えて、私が……」
そのとき、風が走った。目の前を黒い服に身を固めた男性が立ちはだかり、閃光が走ったかと思った瞬間に、魔物の断末魔が小さく聞こえた。
視界を黒で遮られたエノリアは目を見開く。
一瞬ランかと思った。けど、その髪は短くて薄茶色をしていた。
彼は剣についた灰緑の血を拭い、鞘に収めてからこちらを振り返った。
「大丈夫か?」
エノリアは返答できなかった。それは魔物へ語りかけていたのを遮断されたからでもあるし、助けてくれた人物に見覚えがあったからでもあった。
金色の目を見開いたまま、エノリアはその人物を凝視した。
その人物の静かな紺色の瞳が、エノリアを見つめ、そして少しの驚きが含まれるのを彼女は冷静に見つめていた。
逃げようという選択も、彼女の中に現れなかった。
「エノリア、か」
エノリアは返答できずに、ただ硬直していた。その低い呼びかけを聞きながら、自分に死が訪れたことを瞬時に理解した。
もういいか。
1番嫌いな諦めというものを、エノリアは受け止めようとしていた。
セイ=シャド=レスタ。
ゼアルーク王の片腕と言われた彼が、今、目の前に居る。静けさを映し出した瞳は、もう小さな感情も浮かべなかった。
「探していた」
セイの声は驚くほど静かで、エノリアはただ頷いた。シャイマルークに1度戻ってから殺されるなんてことを、エノリアは考えていなかった。
シャイマルークにはセアラも大地の娘《アラル》もいる。反対されるのは必至だから、セイはここで私を殺すだろう。
さきほど魔物を殺したその剣で、私をここで殺せば、あとは魔物のせいにすればいい……。その後の処理だって、彼の立場なら簡単。
今なら誰も見ていないのだから。
そして、予想通りに再び剣を抜くセイを見ながら、エノリアはため息をついた。
せめて剣を持っていたら、少しは抵抗しようと思ったかしら。自分の身は自分で守ろうと思って持った剣なのに、いつのまにか荷物にいれたままにしてしまった。
ランが守ってくれたから。
振り下ろされる剣を見ながら、エノリアは頷く。
こんな終わり方って、馬鹿みたい。
視線を下げて、エノリアは少しだけ笑った。
結局は、自分の1番捨てたかったものに殺される。
甘えとか弱さとか。
あのときから、強くあろうと決心していたのに……。
|
|
|
|