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III 光を持つ名 |
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銀色の髪がさらりと揺れて、銀色の瞳が優しく微笑む。私は手を伸ばした。
シャイナ!
声を出そうとして、咽に引っかかってしまい、伸ばした手を自分の咽に当てる。
声がでない。
シャイナ!
シャイナは微笑んで、私に手を伸ばす。だけど、その手はどんどん遠くなって。私は必死に追いかける。
シャイナ、どうして逃げるの!
『だって、エノリア』
クスクスと笑いながら、シャイナは私にそう言う。
何? 聞こえないよ。
『だって、エノリア……。私に』
駄目だよ、シャイナ。
そっちは駄目。
帰れなくなる!
(帰れなくなるってどこに?)
『教えてくれたのに』
何?
何を言っているの?
『なのに、エノリア』
ガンっと、周りの光が急激に落ちた。暗闇。
肌に触れる空気が急激に冷たくなっていって、私は自分の体を抱きしめる。心細く暗闇を見つめながら、そっと口にその名を呼ぶ。
シャイナ?
『私には』
シャイナ、手が……。
手が汚れてるわ。早く洗わないとローザが心配するじゃない? また私が怒られてしまう。
でも何?
それは……赤い、それは。
『私には、許されないのね』
キールリア。
貴方には与えられ、
私には与えられなかった。
◇
目が覚めると、自分の額をつたい落ちる汗の感触が生々しくて、エノリアはしばらく暗い天井を見つめていた。美しい花の絵が描かれた天井。赤い大輪の花の数を数えると、段々落ちついてきた。赤い大輪の花の名を、エノリアは思い出せずに居た。とても華やかな名前だったと思う。なじむことの出来ない私からは遠い花。
シャイナは、もっと小さな花の方が好きだわ。
ささやかな小さなもののほうが好きだって言ってた。白い茶器が好きだった。大きな花柄のついていたり、金のちりばめられていたりするものよりも、質素で形が美しいものが好きだった。
庭の片隅に咲く小さな花に目を細め、微笑んだ。摘もうとせずに、ただそっと眺めたりする方が好きだった。
赤い花の周りに描かれた小さな白い花。その花の方が、シャイナは好きだろう……。
「月の娘《イアル》と太陽の娘《リスタル》はひきあう……」
だから、私はシャイナを探すために旅をしている。そして、二人目の太陽の娘《リスタル》であることの意味を知るために。
何故だかわからないが……頬を伝っているものが、涙だと気付いた。
「ここにいるわ」
ぽつりと呟く。
シャイナはこの地に居る。
それは確信以外の何でもなかった。しかし、自分が泣いている理由はなんだろう? 悲しいことなんて、一つもないのに。
ラスメイは大きく欠伸をすると、客室の扉を開けた。杖をしっかりと握り締め、床に敷き詰められたふかふかの絨毯の上を滑らせながら移動する。
太陽は思ったよりも高く昇っていた。エノリアの部屋(というよりも客室)を先ほどノックしても反応がなかったと言う事は、おそらく皆食堂辺りにいるのだろう。
迷いそうなぐらい広い屋敷だったが、ラスメイは迷うことなく昨日案内された場所に辿りついた。
エノリアは深刻な顔をして、ソファに座っていた。重そうなテーブルを睨むように見つめて、腕を組んでいる。ランとミラールの姿は無かった。
「おはよう」
ラスメイがそう声をかけると、エノリアはハッとした顔をしてこちらを向いた。本当に自分に気付いてなかったらしい。それが意外で首を傾げる。
「おはよう。よく、眠れた?」
「ぐっすり」
「ねぇ、寝心地のいい寝台だったわ。もったいないぐらい」
と言うわりにすっきりしない顔をしているエノリアが気になった。ラスメイはひとまずエノリアの対面に座る。
「あの子は」
「あの子?」
「アルディラ」
「あの子って、ラスメイより年上よ」
「たった三つだ」
ここは、フュンザス家のフュンランの屋敷である。フュンランの、ということは他にも屋敷がある。こちらはフュンラン滞在の時に使う別邸のようなものであり、フュンザス家の本邸はフュンランから少し離れた広大な領地の真中にあるらしい。
ミラールから離れたがらなかったアルディラは、宿がまだ決まってない事やランがしばらく動けなかった事などを理由にして、こちらの屋敷への滞在を強く進めた。
ある意味「要求」であったのだが。
どうやらこちらの屋敷に滞在しているのはアルディラとカイラだけだったらしい。彼女の父と母の姿はなく、一人でこちらに来ているのかというミラールの問いに、彼女はあいまいに笑って見せた。それ以外の話題なら、ミラールには聞かれもしないことまで話していたのだが……。
エノリアはそれを思い出してくすりと笑ってしまう。ずっと不機嫌なラスメイには悪いが、ミラールに嬉々として離しかけるアルディラの姿は、一生懸命で……本当にかわいいと思ってしまったのだ。
アルディラはカイラに注意されるまでは、ミラールとしか話そうとしなかった。カイラに注意されてからは、社交的に皆に会話をしようと勤めていたみたいだが。
「不愉快だな」
ぽつりと呟いたラスメイの言葉が誰に向けられたのかよくわかってエノリアは苦笑した。
「昨日……ラスメイが見せてくれたじゃない? あの書きかけの物語」
エノリアがそう聞くと、ラスメイはふと顔を上げた。
「ああ、あれは私が書いてるわけじゃない。御伽噺を書きとめておこうと思っただけだ」
「あれ……なんだか夢にも出てきたわ」
目が覚める直前の言葉「キールリア」。
どこで聞いたのだろうと一生懸命思い出していて、やっと心当たりに行きついた。夜にラスメイから聞いた話だった。
「そうなんだ? どんな夢」
「うん、まぁそれで……みんなに言わなくちゃならないことがあって……」
エノリアが言いにくそうにそう言うと、ラスメイはしばらくこちらをじっと見つめていたが、ただ「そうか」と呟いて、足をふらふらと揺らした。
「今日はもう出立するだろうか」
エノリアに聞いているというよりは、そう願っている響きでラスメイはそう言った。エノリアは困ったような顔をしてしまう。
ラスメイはこの屋敷から早く出たいのだろう。
「どうかしら……」
エノリアはそう言った。シャイナはここにいるのだ。絶対に。
しばらくして、廊下が騒々しくなった。ランの声とミラールの声が重なり、やがて扉が開いた。
「ラン、まだっ」
「もう大丈夫だ。心配性だな、ミラールは」
ランは自分に注目しているエノリアとラスメイに気付いて、軽く挨拶をする。ミラールもランを心配そうに見ながらも、二人に目を向けた。
「おはよう」
エノリアがやや緊張した面持ちでそう言うと、ミラールは少しだけ微笑んだ。
「おはよう。エノリア。どうしたの? 眠れなかった? 顔色、少し悪いよ」
「ううん。違うのよ」
そう言いながらエノリアはミラールの目敏さに感心してしまう。そう? と首を傾げただけで、ミラールはそれ以上追求はしなかった。
ミラールは引き際がわかっているのだと、エノリアはよく感じる。気付いてほしいことに気付いてくれる。気付いてほしくないことには、気付いても何も言わない。
聞いて欲しく無いと示せば、それ以上追求しない。
エノリアはランをじっと見つめた。
ランは……よくわからない。何もわかって無いような気もするけど、それでもどこかでわかってくれてるような気分にもなる。
メロサでのことは、なんだったのかなって思うことがある。全然態度が変わらないから。
別に何かを期待してるわけでは無いと、エノリアは自分に言い聞かせた。そのうちランがこちらを向いて、目が合ってしまう。ぐっと身体に力が篭る自分が少しだけいやになった。
気を取りなおして、シャイナのことを言おうと口を開きかけたとき、ランが不愉快そうに眉を寄せた。
「何か用か?」
「なんにもないわよ」
反射的に反論してから我に返った。
シャイナのこと……。
「なにもないなら、じっとみるなよな。気持ち悪いだろ」
その言葉がエノリアの神経をさかなでた。
(メロサでの告白めいた言葉は何だったのよ!)
「見てないって言ってるでしょ。自意識過剰すぎるんじゃない?」
「自意識過剰? よくそんな難しい言葉知ってたな」
「あら、通じたのね。『そんな難しい言葉』が、よく」
シャイナのことを言い出せずに、皮肉の応酬をしているとランが突然会話を止めた。
「辞め辞め、俺、町に出てこようと思ってたんだ。こんなことしてる暇無い」
「町? ああ、昨日の女の人」
ラスメイがそう問いかけると、ランが頷いた。
「まぁ、気になるしな」
と、ミラールがふと顔を上げた。
「昨日の人のところに行くの? ラン、あそこが何やってるか知ってるわけ?」
「何って?」
ランが問い返すと、ミラールが微妙に笑った。
「いや、いいよ。行ってくれば? 僕はあとで行くから」
変な奴とでもいいたそうにランはミラールを見ていたが、ふと視線をラスメイに向けた。
「ラスメイは? 行くか?」
「行かない。私はミラールを見張ってるから」
「僕を?」
ラスメイは生真面目に頷く。
「正確には、あの小娘をだ」
「小娘だなんて……彼女が怒るよ」
ミラールが苦笑しつつそう諌めると、ラスメイは口をへの字に曲げる。
「別に私は、アルディラのことだとは……」
「小娘ですって?! 聞いてたわよ!」
金切り声が響いて、ランは退散とばかりにその場を離れていった。
ずるい、とミラールもエノリアも思ったが、その声の持ち主が現れるまで、動けないで居たのも事実である。ランと入れ替わるように現れた少女は、ミラールに挨拶もせずにラスメイの前に立ちふさがった。
「どうして、貴方なんかにそんなこと言われなくちゃならないのよ」
「小娘は小娘だ」
「生意気よ、あなたっ」
「生意気なのはお前の方だ」
延々と繰り返される不毛な喧嘩を目の前に、エノリアなんかはハラハラとしてしまうのだが、ミラールは心なしか楽しそうに見えた。
「ミラール、止めなくていいの?」
「いいよ。ラスメイもアルディラ様も、同年齢で喧嘩なんてしたことないだろうからね」
「だから、止めなくちゃ」
焦るエノリアに、ミラールは微笑んだ。
「それより、エノリア。ランに何か言いたかったんじゃないの?」
「え?」
「なんか、言いたかったんでしょ?」
エノリアはミラールの微笑を前に、目を大きくした。
「よく、わかったわね」
どうしてと目で問うエノリアに、ミラールは静かに笑って流した。
「僕で良ければ聞くけど」
エノリアは嬉々とした表情でミラールを見つめてしまった。
「それより、ランになんか言ってたわね。意味ありそうに。あの女性、劇団の人じゃないの? そう言ってたじゃない」
ミラール自身がそう言っていたのを思い出して、エノリアは首を傾げた。ミラールはそうなんだけど、と言葉を繋ぐ。
「なんていうか、それだけじゃないんだよね。あの界隈は……」
ミラールは、困ったように笑って唇に指を置いた。言葉を探すように軽く指で唇を叩いていたが、しばらくして思いついたように呟く。
「花街っていったら分かるかな?」
「はなまち?」
エノリアはほんの少しだけ怪訝な顔をして聞き返すと、彼は少し声の音量を下げた。
「劇団っていっても、いろいろだからね。フュンラン国王が公認する大劇場で公演を行う劇団から、旅芸人のようなところとか。あとは劇団とは名ばかりの娼館」
「し……」
エノリアがどういう顔をしていいのか分からずに、ひとまずミラールをはたと見つめていると、ミラールは伏し目がちに言葉を続けた。
「フュンランは貧富の差が激しいんだよね。地位や身分の差ってのが大きい。そうでもしないと、生きていけないっていう環境もあるんだよね。
国自体はね、娼館を認めてないんだよ。だけど実際は存在するんだよね……取り締まってるわけじゃないし、黙認状態だよ。劇団ってのは嘘じゃないよ? だけど、本当にそれだけを生業にしてるところがいくつあるのかな。
フュンランの花の都っていう呼び名は、皮肉でもあるんだ。綺麗な人が集まるから」
「はぁ」
ミラールが何故こんなに詳しいのかという方がよっぽど疑問なんだけど……と思いつつエノリアは口を開けて聞いていた。ミラールは顔を上げると、その顔に笑みを浮かべる。
「まぁ、でもラン、困ってるだろうなぁ。追いかけて見物でもする?」
楽しそうに笑うミラールをみて、ああこの人はやっぱりセアラに育てられたんだなぁと納得してしまい、自分が少しだけ悲しいエノリアだった。
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