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 ランはその目を疑った。一瞬見開いた瞳は、唇を噛み締めるのと同時に細められる。
「《ウィア・ジェラスメイン=ロード=キャニルス・ディス》」
 ラスメイが杖をつき、精霊を呼ぶ言葉を呟くのを背後に聞いていた。
 ここは町中で、しかも城のある町だ。どの町よりも守りは堅いはずだ。その国最高の魔術師達が集められ、結界が張られているはずだ。シャイマルークの常識から言えば、王の居る町なのだから。
 そう、1番魔物の出ない場所のはずだ。
 ぐるるるると低く唸る異形のものたちを睨みつける。狼のような黒い獣たち。5匹……。一匹がその前足で抑えつけられている女性の白い指が微かに動いた。うつ伏せに押しつけられた女性の腹部に広がる血だまり。
 ランは脳裏にライラの姿を思い浮かべた。ランの会ったはじめての人の形をした魔物。あれは、結界をものともしなかった。だけど、獣の形をしたものは、そうではないと思っていた。
 思いこんでいただけなんだろうか? 実際魔物のことなど、本当にわかっていることのほうが少ないのだから。
「ラン。あの人、危ない」
 ラスメイの囁きに、ランは思考を止める。まずは、この魔物をなんとかせねばならない。こちらに意識を向けて、女から離れてくれれば……。
 周りから人は潮が引くように消えていった。建物の影からこちらを不安そうに覗いている女性達。捕らえられている女性の名を、誰かが半狂乱に呼んだ。
 リュザーナ。名前を聞くと助けたいという思いが大きくなる。リュザーナ……。
 一瞬動きを止めたランに向かって、女を押えていた獣は踊りかかった。ランは一歩下がり剣を一閃させた。その切っ先をかわして、獣はラスメイに躍り掛かる。
「《メルレン》」
 ラスメイが呟くと、彼女の周りを守るように風《ウィア》が渦を巻く。その鋭い刃に全身を切られ、獣はその場に叩きつけられた。
 ラスメイの黒髪を風《ウィア》は巻き上げる。紫色の瞳が強い光を灯した。杖をまわし、地面に突き立てる。ランの背後で補佐に回る。最高潮に集中し、精霊たちに伝える言葉を最小限に抑える。自分の要素を感じ、周りの精霊に溶け込ませることで、言葉は最小限に出来る。魔術はより想像に近く発動する。
 残りの4匹が同時にランに向かった。側面から向かってきた獣を振り払い、振り向きざまに一匹を斬った。返り血を避けて、ランは目を細める。どこを狙うか決めた。首よりも胸元を。
「《メル》!」
 ラスメイが指し示した方向に風《ウィア》が従い、2匹が地面に叩きつけられた。
 3匹の死体を前に、残った2匹の獣たちは立ちあがり、ラスメイとランに唸り声を上げる。
 ランは無言で剣に付いた血糊を振り払う。青色の血がいやな音を立てて地面に飛び散った。
「《トヴァ》」
 ラスメイが倒れている女性の周りに結界を張ると同時に、ランは向かってきた一匹の獣に一歩踏み出す。その黒い毛に覆われた胸に彼は刃を一閃させた。
「《メル》」
 ラスメイの声が背後からして、最後の一匹は風《ウィア》に巻きこまれ上空から地面に叩き付けられた。動かなくなった5匹をみまわすと、ランは息をつく。
 抜き身の剣を右手に下げたままその死体を見つめていると、周りを遠巻きに見つめていた人々が恐る恐る近づいてきた。はっと気付いてランが倒れている女性を振りかえる。すでにラスメイがその手を握り締めていた。
「ラン!」
 遅れてやってきたミラールとエノリアに手を上げる。
「ミラール。怪我人を頼む」
「わかった」
 軽く頷くと、ミラールは慌てて彼女の元に駆け寄った。それを目の端で捕らえて、ランは静かな目をして倒れている獣たちの死体に歩み寄った。
 黒い狼……だと思ったが。
 死んでいるのを確認し、足元の最後の一匹を見下ろしながら、ランは目を細めた。
 鋭い爪と牙。狼より耳は大きく、骨格はがっちりとしている。
 闇《ゼク》……。
 本当にこれは、一体何だろう?
 ライラは……人の望みから生まれたと言った。自分はあまり覚えてないが、メロサにもそれが現れた。
 ジュラとラー。シスタで生まれる。
「シスタ……」
 呟いて、ランは額を押さえた。
 これが、もし人の心から生まれたのだとしたら……。どうして、人を襲うのだろう?
「ラン! 属性が違う。大地《アル》か火《ベイ》だと思うんだけど!」
 ミラールの声にランは我に返り、倒れた女に駆け寄った。エノリアが躊躇なく自分の外套を傷口に当て、止血をしようとしている。倒れているリュザーナの頭を膝に乗せて、涙を浮かべながら覗き込んでる赤毛の女にも、ランは見覚えがあった。
「ザーナ……」
 泣きそうな顔で彼女の名を呼ぶ。強く手を握り締めている。
 ランはエノリアの隣に膝をついた。青白い女性の顔を覗きこむ。
「血が止まらないし、さっきから体温が……」
 エノリアの呟きに、ランは眉間にしわを寄せた。
「彼女の属性を知っているか」
 リュザーナと呼ばれた女の頭を膝に乗せている赤毛の女の顔を覗きこんだ。女は弾かれたように顔を上げる。
「火《ベイ》……よ。お願い!」
「得意じゃないんだけどな……」
 ランはリュザーナの片方の手を取ると、両手で握り締めた。そして、もう一人、覗き込んでどう動くか迷っているような女の方に顔を上げる。
「治療ができる火魔術師《ベイタ》がいたら呼んで来てくれ。あと巫女《アルデ》とか、いるだろう?」
 女はこくこくと頷くと、裾の長いスカートを翻して、小走りに駆けて行く。
「分宮《アル》は駄目だわ……」
 赤毛の女がそう呟くのに返答するのももどかしく、ランは小さくつぶやいた。
「《ベイタ・ソラ》」
 そして、ぐっと眉根を寄せた。急激な脱力感に耐えながら、ランは唇を噛み締めた。自分の中の要素を使い、彼女の中の要素を活性化させる。または、要素を注ぎこむ。
 相手に要素を注ぎこんで治癒力を高める方法は、かなりの荒業である。セアラは涼しい顔をして、エノリアにやってのけたが。
 人を治療することをランはあまりやらない。注ぐ量の調節が苦手だからだ。また、同じ要素でないとできないと言うのも理由の一つだけど。
 ランは遠のきそうになる意識を必死に止めた。
 注ぎこんだ要素は、どうなるのだろうと考えたことがある。巡り巡って帰ってくるのだろうか。
 要素の器があって、それを満たすように作られてるのかもしれない。少なければ吸いこむけど、それ以上を超えることはないのかもしれない……。新しく生まれることは無くて、そして、なくなることも無い。
 じゃあ、今の自分はなんだろう?
 要素の器でしかないのだろうか?
 巡り巡る要素を一瞬だけ止めておく……ただの……。
『器』
 ランは一瞬目を見開いた。
 どこかで、そう言われた気がする。
『器でしかない』
『表層』


  まだ、駄目だよ。ラン。そこにはまだ、早い。


「ラン! 手を離せ!」
 ラスメイの声が上がり、ミラールがランの手首を掴むと無理矢理引き離した。
「全部やるつもりかっ?!」
 非難めいたラスメイの声の意味を、ランは一瞬考えこんだ。くらりと身体が揺れ、ランは地面に手をつく。そのまま立てた膝に額を乗せた。
「ラン?」
 心配そうなエノリアの声が、頭の中で反響する。
 心配するなよ。その声の響きが1番苦手なんだ。
「……彼女は……?」
 声がスムーズに出せないことに驚いた。
「大丈夫だよ」
 ミラールの落ちついた声が、ランを安心させた。だが、顔を動かせない。その小さな動作さえ、吐き気を誘う。
「ザーナ……! よかった、気がついて……!」
 女性の嬉しそうな声と、大きな安堵の吐息を聞いて、ランは額をつけたまま少しだけ手を上げた。それが精一杯だった。
「しばらく、このまま……」
 小さく呟いて、ランは目を瞑る。
「あの……よかったら、横になってもらった方が」
 リュザーナの頭を抱えたまま、背後の建物を指し示した。ミラールは顔を上げ、館を見つめていた。
 躊躇するミラールの腕に手をかけて、彼女は懇願するように言う。
「いいから、しばらく休んでいって」
「君、劇団の人?」
 ミラールがその建物を見ながら、そうポツリと呟いた。彼女は、えっと呟いて、頷く。
 そして、彼女は遠巻きに見つめていた女たちに声をかける。我に返ったように一人二人と館から飛び出し、まだぐったりとしたリュザーナを支え、女たちはその館に入って行った。
 それを見送ってから、ミラールに彼女は顔を向けた。
「えっと……貴方は?」
「僕の名前は……」
 と、そこに馬の足音とカラカラと車輪の回る音が近づいてきた。振りかえる面々の目の前に現れたのは、さきほどランが誰かを呼びに行かせた女性と、彼女が誘導する立派な馬車である。
 ミラールはその馬車についている家紋を見て、目を見開いた。4枚の花びらと2本の剣の家紋は、フュンランに住んでいる者なら誰でも見覚えがあるものであろう。
「フュンザス家」
 ミラールが少しだけ声を低くして呟いた。それをエノリアが振り返る。
「ミラール!」
 という声に、エノリアは視線を再び馬車に向けた。
 ひょっこりとその馬車の窓から顔を出す、少女の青い目が目に入ってきた。鮮やかな明るい青に嬉々とした光を浮かべて、少女は白い腕を振る。美しい栗色の巻き毛が揺れた。
 少女はラスメイよりも少し年長であるようで、おそらく十二才ぐらいではないかとエノリアは予測する。思わず目を留めてしまう強い存在感を感じた。愛らしい顔に、透き通る白い肌。
 それを見とめて、ミラールが小さく息をついたのをエノリアとラスメイは聞き逃さなかった。
 エノリアがその少女を見ながら、呟く。
「フュンザス?」
「王家の血縁だな。確か、現国王の従兄弟にあたる」
 ラスメイが吐き捨てるように呟いた。
「貴族の中の貴族ってわけだ」
「ラスメイ? フュンランのことにも詳しいの?」
 彼女はふんっと鼻で笑う。紫色の瞳が皮肉そうに細められて、彼女の表情を大人びさせる。
「遠縁だ。とは言っても、父の『ほんさい』のな。それだけが自慢の種みたいだったから、小さい頃よく耳にした。関係ないがな」
 と言いながらも、きつい視線でラスメイは彼女を見つめていた。関係ないの一言が、まるで自分に言い聞かせているようにも感じて、エノリアは少し不安になった。
 ミラールがしぶしぶといったような態度を一瞬見せながらも、見事なお辞儀をして見せた。
 馬車は止まり、少女は馬車から飛び降りた。
「アル様!」
 叱咤する低い声が馬車の中から響くと、少女は振りかえってムッとした顔をする。
「いいじゃない!」
「お怪我をすれば、父上が嘆かれますよ」
「カイラ、私にお説教する前に、怪我人をみてあげたらどう? そこに一人倒れているし」
「アルディラ様」
 ミラールがそう声をかけると、少女は花開くように笑った。
「何? 何? ミラール」
「彼はひとまず大丈夫ですから、まずはあの建物の中に運ばれた女性を助けていただきたいのですが」
「もちろん大丈夫! だって、カイラ。さっさと行ってよ」
「……私の教育のどこが悪かったのでしょう」
「失礼ねっ。そんなこと言われる筋合いなんてないわよ」
 少女はミラールの腕にしがみつくと、にっこりと笑った。
「ほら、さっさと行って頂戴」
 大きな溜息と共に、馬車の中から現れたのは、見事な黒髪をした青年であった。黒いというよりは深い青にも見える、美しい長い髪が光沢を放ち揺れた。切れ長の茶色の瞳を馬車を誘導してきた女性に向け小さく頷く。薄い唇に少しだけ微笑みを浮かべるとミラールにそれをむけた。
「お嬢様をしばらく見ていてください」
「ええ……」
「お互い苦労しますね」
「カイラ!!」
 アルディラの声に、カイラはくすりと笑うと、待ち構えていたという様子の女性に誘導され、建物の中に入って行った。
 その姿が消えると、アルディラはミラールの首に飛びつくようにして抱きつく。
「久しぶり!!」
 苦笑は篭っていたがミラールは穏やかに微笑んだ。
「ええ、アルディラ様もお変わりなく」
「お変わりなく? ちょっとは成長したでしょ。綺麗になった? なった?」
「ええ」
 苦笑交じりにそう言うミラールとはしゃいでいるアルディラを交互に見つつ、エノリアが遠慮がちに声をかける。
「あの……ミラール、ランが」
「そうです、アルディラ様。ランをしばらく馬車で休ませていただけませんか?」
「いいわよ。それぐらい」
 アルディラは御者に目配せすると、御者はランに肩を貸し、丁重に馬車の中に運びこんだ。
 それを見送りながら、アルディラはやっとエノリアとラスメイの存在に気付いたようだ。ミラールの首にしがみついたまま、二人を見遣る。
「貴方たちはだぁれ?」
「人の名前を聞くときは、自分の名を名乗ることは最低限の礼儀だと思うが」
 ミラールもエノリアもギョッとした顔で少女を見つめた。紫色の瞳を不快そうに細めて、ラスメイがそう言いきったのだ。アルディラはしばらくきょとんと彼女を見つめていたが、自分に言われた言葉の意味にようやく気付いて、その小さな少女を睨みつけた。
「この私が誰だか分かって言ってるの?」
「分かっていないから、聞いている」
「あの家紋を知らないの?」
「私は、シャイマルークの出身だからな。興味は無い。それより、ミラールを離したらどうだ」
 アルディラはむっとした顔をしてラスメイを睨みつけた。ラスメイはそのきつい視線から目を反らさずに、真正面から見つめ返す。しばらくして、アルディラはミラールから離れたが、その変わりにラスメイに近寄る。身長はラスメイよりも拳一つ分ほどあるディラの方が高く、少し視線を下ろす。
「生意気な子ねっ」
「その台詞、そのまま返す」
「何なのこの子っ。ミラール!」
 泣きそうな声が上がってミラールは思わず額を押さえたくなった。だが、少しだけ微笑む。エノリアも同じように二人を見つめていた。顔が引きつっていたが。
「私の友人です。アルディラ様」
 そして、ミラールはラスメイの肩に優しく手をやった。
「ラスメイ、こちらはアルディラ=レイネル=フュンザス様。フュンザス家のお嬢様だよ」
 エノリアはそのミラールを介しての自己紹介を見つめていた。ラスメイがアルディラに食って掛かったのは分かる気がする。
(ミラールを取られた気分になったのかな……)
 しかも、相手は自分と同じぐらいの年の女の子だったから余計に。
 それに加えて……『ほんさい』の自慢の種だった家の娘。
 エノリアは無意識に眉をひそめた。
 アルディラは青い瞳でラスメイを睨み、ラスメイはアルディラを睨みつけている。ミラールは溜息をついた。
「アルディラ様……ラスメイは僕の友人ですから、仲良くしていただけませんか」
「でもミラール!」
「ラスメイ、ラスメイもだよ。アルディラ様は僕の友達だから……」
「友達?」「友達?」
 アルディラは少しだけ失望した響きを持って、ラスメイは少しだけ疑うような響きを持ってそう言った。
 ラスメイはぐっと唇を噛んで、ふんっと顔をそむけた。
「ミラールに免じてな」
「なっ、なんて生意気なっ」
「アルディラ様……」
 悲しそうな目をして、ミラールがそう言うと、アルディラはぐっと黙りこんだ。
 両手を握り締めて、耐えるような表情をしていたが、ふっきるように顔を上げると、ラスメイの前に進み出る。
「アルディラ=レイネル=フュンザスよ……。貴方のお名前は?」
 抑揚のない声でラスメイにそう言う。自己紹介をやりなおそうと言うのだろう。ラスメイはふと目に篭っていた力を緩めた。だけど、こわばった顔のままアルディラに向き直る。
「ジェラスメイン=ロード=キャニルスだ」
「キャニルス?」
 アルディラの顔に、不満そうな色以外のものが宿った。
「最近、その響きを聞いたわ……そうね……カイラかしら?
 カイラがそんな言葉を言ってたような……」
 ラスメイも不快な顔をやめて、眉をひそめた。
「キャニルスが何かあったのか?」
 アルディラは先ほどまで険悪な雰囲気であったことも忘れて、首を傾げた。そして、しばらくして自分が目の前の少女に嫌悪感を持っていた事を思い出すように顔を反らし、突き放すように言った。
「忘れたわ。カイラに聞いて御覧なさいよ。んで、そう」
 アルディラは、キッと視線をエノリアに向けた。するどい視線に、思わずエノリアは肩を震わせてしまう。
(何?)
「私はアルディラ=レイネル=フュンザスよっ」
 自己紹介をしろとラスメイに言われて、ムキになっているのだろうか。そう思うと、思わずエノリアは吹きだしそうになった。
(素直な子)
「貴方はっ」
「私はエノリア=ルド=ギルニアです」
 エノリアは微笑みながら出来るだけ上品に言って見せた。シャイナの側で覚えた優雅な仕草で礼をし、その金色の瞳を微笑ませた。そうするとエノリアに、高貴な雰囲気が漂う。
 その表情と雰囲気に、アルディラは一瞬見とれたような顔をしたが、思いなおしたようにまた眉を吊り上げる。そして、腰に左手を当て、右手の人差指でエノリアをさした。
「んでっ、貴方は何?」
 貴方は何、と言われても……。エノリアは思わず「えっ」と聞き返してしまった。
「貴方は何よ? ミラールの恋人? どうなの? ちがうの? そうなの? 正直におっしゃい!」
 ミラールは困ったように笑みを浮かべていた。エノリアはミラールの顔を見てしまう。どうしたらいいかと目で聞くと、ミラールは諦めたように首を振った。
 エノリアは思わず笑みを洩らしてしまう。
 彼女の一生懸命な思いが伝わってきたからだ。
「いいえ、違います。旅の仲間……です」
「そう、ならいいわ」
 本当に心底安心した顔を見せると、アルディラはふぅっと大きく息をつき、力を抜いた。そして、にっこりとエノリアに微笑む。
「貴方は私の味方にしてあげるわね」
 エノリアは懸命に吹きだすのをこらえた。ふとラスメイを見ると、何か思いつめたような顔で、アルディラを見つめている。
「どうしたの? ラスメイ」
 声をかけると、ラスメイはこちらに目を向けて、少し笑って首を振った。
「なんでもない。ランの様子を見てくる」
「あ、私も」
「いい。あの子を見てて。私とエノリアが消えたら、ミラールにここぞとばかりにくっつくだろうからなっ」
 少しだけ頬を膨らませて、そう言うラスメイにエノリアは何も言えなくて、その小さな背中を見送った。
 案の定ミラールの腕に抱き着いて、アルディラは嬉しそうに笑っていたわけだが。
 建物の中から、カイラが姿をあらわすと、ぱっと離れてエノリアの方に寄って来た。
「カイラ、早かったのね」
「ランとか言う方の応急処置に救われましたね。あとは、良いものを食べて安静にすごせばいいでしょう。縫わなくていいのなら、それに越した事はありません」
 カイラは淡々とそう言うと、アルディラに含みを持った笑みを浮かべた。ミラールに目をやり、溜息混じりにアルディラを見つめる。
「アルディラ様」
「何よ」
 噛みつくように返答するこの高貴な身分のお嬢様に、深深とわかるように溜息をついてからカイラは深い黒色の髪をかきあげた。
「……まぁいいでしょう。久しぶりにお会いしたのですからね。ミラールさん、挨拶は後で」
 カイラの静かな瞳を受けて、ミラールは頷いた。
「貴方のお友達を見て差し上げねば。私は水魔術師《ルシタ》ですから、治療は出来ませんが」
「お願いします」
 カイラは馬車に入って行った。それを見送って、アルディラが思いきり舌を出して見せる。
 絶妙なタイミングで振りかえったカイラと目があって、アルディラは凍りついてしまった。
 油断無い光の浮かぶ瞳で、カイラは微笑む。
「アルディラ様、帰ったらすぐに書斎に」
「ええっ」
「もう少し、品性というものを学ぶ必要があります」
「カイラの馬鹿っ!」
 その罵倒に楽しそうに微笑んで、カイラは馬車に入って行った。

 

HOMEイマルークを継ぐ者第3話

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