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VIII 贈りたかったもの
 

 (森の奥には、行ってはいけないよ。
 入ってはいけないよ。
 真っ暗闇だよ。
 闇には何がいるかわかんないよ。
 蛇が出るかもしれないよ。毒蛇かもしれないよ。
 熊が出るかもしれないよ。食べられちゃうかもしれないよ。
 だから、行ってはいけないよ)
 大人はすぐにそうやって止める。そうやって止める大人を真似して、子供達も歌う様にはやす。
 行ってみたいのに、森は暗くて不気味だったから行けなくて、悔しいから他の子供が行くのを止めようとする。
 だけど私は確かめたかった。
 森に何がいるのかを。
 蛇も熊もいやしない。
 暗闇の先に明かりがあり、そこには一人の少年がたたずんでた。
「誰?」
 少年は振りかえった。私のよく知っている顔がそこにあった。レイ様?と聞きかけて飲みこむ。
 彼はこんな儚げではない。今にも消えてしまいそうな空気は似合わない人だ。だけど、彼は……。
「君こそ誰?」
 返ってきた言葉に私は夢中で答えた。早く答えなくては、飛んで消えてしまいそうで。
「私はナーミよ。ここの巫女《アルデ》よ。貴方は?」
 彼はじっと私を見つめて、ただぽつりと呟いた。
「髪。もっと近くで見てもいい?」
 私はすぐに頷いた。近づいた彼の名を知りたかったけど、それはまた今度でもいい。
 消えてしまいそうな彼の存在をここにとどめることを、一生懸命に考えていた。



「約束だからね。きっと迎えにくるからね」
 だから、キールは囚われてしまった。
 森から出られなくなってしまった……。
 私のたった一言で。
 大きくなるにつれて、自分の立場に縛られて。
「《アルデ》だから」
その一言に逃げこんで。
「『いつか』」
 あいまいな言葉に逃げこんで。
 空虚な人形から逃げていた。その目に写っているのは、私自身だったのに。
 いつも笑っていなければ、不安が襲ってくる。だからずっと笑ってた。強くなろうって決めて、そのとおりに振舞ってたのに。
 少しも強くない。
 私は、迎えに行く決心が――出来なかった。



 目の前の公園から人通りが絶え、何か起こる前の静けさに似た空気が漂っている。子供の声も、遠くに消えた。
「メロサーデ家の双子がどうして、森に?」
 ミラールのごく普通の疑問に、ナーミは薄く笑った。
「双子は不吉なんでしょ? 特に、後に生まれた者は」
 ナーミの言いたいことはよくわかったが、ミラールは続けた。
「聞き方が悪かったかな。どうして、その双子の片割れが『生きている』んだい?」
 ラスメイの非難と悲哀の混じった視線に気付きながら、ミラールは言いきった。
「領主をしてるほどの血筋なら、双子の存在は隠すだろう? 特にフュンラン国は貴族と平民がはっきりしてる。貴族にとって双子が生まれたってことは汚点じゃないの?」
「……はっきりと聞くのね?」
「あまり、親切な聞き方はできないよ。この件に関しては、僕の幼馴染も攫われてるみたいだからね。カタデイナーゼが知ってるなら、すぐに見つかるだろうけど……」
 ミラールは茶色の瞳に、少しだけ剣呑とした光をともす。
「事情は少しでも知っておきたいんだよ。僕としても。
 それに君は……話を誰かに聞いてもらいたかったんじゃないのかな?」
 ナーミは少しだけ目を見開いた。ミラールは逆に目を細める。
「僕の気のせいなら、謝るよ」
 じっと注がれるナーミの視線を、ミラールは真正面から受け止めていた。ナーミはしばらくして、その返答の変わりに語り始めた。
「メロサーデの当主・オーグ様は彼を殺そうとしたらしいの。でも、奥様がすごく反対なさって、今はメロサから離れたところに住んでいるメロサーデの遠縁に養子に出されたそうよ」
 ナーミのうつろな空色の瞳をミラールが首を傾げて、それを見つめている。
「遠縁とは言っても、事情は全部わかってる……。キールがどんな風に育てられたかは、言わなくても想像つくかしら?」
 無言で頷くミラールに、ナーミは軽く頷いた。
「奥様はもともと、体の弱い方。最愛の子供と引き離されたショックも手伝ってか、年々元気がなくなってきて……。心配したオーグ様は、最後の決断をなさった。12年振りにキールを呼び戻し、奥様に会わせることを……。
 だけど、屋敷には入れたくなかったらしいわ。誰も入らない森の奥に小さな小屋を立てて、そこに住まわせた。
 そして、仮面を与えて夜にだけ、奥様の元を訪れるように言ったの。誰にも内緒だった。だけど見てる人が居たのよね、やはり。仮面で顔を隠しているから、いつのまにか【醜い者】と呼ばれるようになったのよ」
「で、君はどうして、その誰も入れないという森に住んでる彼とあったの?」
「好奇心ね。森には魔物がいるって言われてたから。本当にいるのか確かめて見ようと思って。そうしたら、いたのは魔物じゃなくて、カタデイナーゼそっくりの少年だったの。
 私とカタデイナーゼとキールと、内緒で森で遊んでたわ。だけど……」
 ナーミが眉を寄せて黙りこんでしまうのを、ミラールはじっと見つめ、そして、後を続ける様に話す。
「当主に見つかって、離れ離れにされたってとこかな。君は巫女《アルデ》で、ここの分宮《アル》を守ってるとは言え、領主に睨まれればそれこそ終りってところかな」
「嫌な事を言うのね……」
 ミラールは少しだけ微笑んだ。
「そうよ。
 オーグ様からの監視は強くなって。そのうち奥様がなくなってキールが森にいなくてはならない理由は無くなったわ。
 でも、キールはずっと森に住みつづけた。人形を創って、それを売って……そうやって暮らしてた」
「人形を……」
「からっぽの人形……。昔、作り方を教えてあげたのよ……」
 ナーミは大きく息を吸った。
『この人形はナーミにあげる』
 ここに僕は何も込められないけど、ナーミの素敵な思い出をこめてね』
「キールの作る人形は、何も込められてない。それは、私へのメッセージだった。私が忘れない様に。私が……キールのこと忘れない様に。
 忘れるはずないのに」
「何も持たない人が作った人形?」
 ラスメイがぽつりと呟いた。
「あの、なぞなぞの話か」
 ナーミは小さく笑った。ラスメイはナーミの膝に手を置いて、顔を覗きこんだ。
「今の話は」
 ラスメイがポツリと呟く様に聞く言葉に、ナーミは俯いただけだった。
「好きなのに、引き離されて……そのまま、一緒にいられないってことか? 相手が双子の片割れだったから、不吉だったから。知られちゃいけない存在だから」
 ラスメイの呟きに、ナーミは顔を上げた。隣に座った黒髪の少女は、まっすぐにナーミを見つめていた。
「仮面を与えて、醜い者と蔑まれるのを見て、それでも何もしなかったってことか……?」
「……そういう……ことね」
 ナーミは何かに耐えるように、言葉を発した。
「好きならそれでいいんじゃないのか? 一緒に居ればいいんじゃないのか?」
 感情を抑えようとし、抑えきれない声。自分の膝に置かれた握り締めた手にナーミは視線を落とした。
「もっと大切なものがあるから離れられたのか?」
 ナーミは何か言いかけて、口をつぐんだ。そのとき何を言っても言い訳になることに気付いた。
「そういうのって……寂しくない?」
 小さく問う少女の声は、ナーミに向けられていないような気がした。それでも、ナーミは答えを探した。
 どうしてだろう?
 どんな理由も、愚かに思えてきた。
「……巫女《アルデ》だから……」
「不吉な片割れがいると、何かと面倒だってこと? 不吉な片割れを守ったりなんかしたら、ナーミがみんなにいじめられるから?」
「そうじゃない。だけど」
(恥じている)
 そんな『つまらない』理由をかざしていたんだろうか。
 あの時は、メロサーデの当主に引き離された。
 カタデイナーゼの父は、今はメロサには住んでいない。カタデイナーゼに全てをまかせて、フュンランに引っ込んでしまった。一番気がかりだった存在は、近くにもういないのに。それから、二年は経ってる……。
(今は?)
 ナーミは急に頼りない目をした。
(今は、どうなの)
「いつ、死んでしまうかわからない」
 ラスメイはそう呟くと、上体を起こしてナーミから離れ、自分の指を口にやった。
「……人なんて、いつ死ぬかわからないのに」
 ミラールはラスメイを見る。
「近くにいられるなら、いればいいのに」
 かりっと関節を噛むラスメイの右手を、ミラールは掴んで離させた。
「ラス……」
「近くで守りたい。でも、近くにも行けない。そういうこと、あるのに」
 ラスメイの紫色の瞳は、大きく見開かれていた。
「好きなら、近くにいられるなら、そうすればいい。簡単なことじゃないか」
「私は」
「巫女《アルデ》であるからなんて、愚かな言い訳だ。そうだろう?
 巫女《アルデ》であるから、守れる物だって大きいはずじゃないか」
 ラスメイはナーミの方に顔を向けた。
「ナーミもカタデイナーゼも……馬鹿だ。守れる手があるのに、どちらも空っぽにしてるんじゃないかっ!
 守るものが違うだけ? 名誉とか立場とか。そういうものが大切になっていくだけか?」
 顔を向け、そして、うつむき黙りこんでしまう。ミラールはそっとラスメイの掌を、両手で包みこんだ。
「ラスメイ」
 ラスメイは、視線を上げてミラールのとがめるような茶色の瞳をじっと見つめていた。ミラールが小さく首を振る。悲しそうな瞳を見つめて、ラスメイは視線を落とした。
「……ごめん。ミラール。もう、しない」
 少し強くその小さな手を握り締めてから放すと、ラスメイはすっと右手を引っ込めた。
 ミラールが小さく息をつくのを、ラスメイは上目遣いに見つめた。
「ごめんなさい」
「いいよ……」
 できるだけ優しい声で言って、ミラールはナーミを見つめた。
 だが、彼は決して話しかけたりはしない。
 ナーミは膝を抱えて、視線を落とした。
 『強い』ってなんだったのだろう? 自分が求めた強さって、なんだったんだろう?
 巫女《アルデ》にしがみついて、その立場さえも言い訳に使って。
 目をそらしていく強さだった? 忘れて行く強さだった?
「……風化してほしかった……」
 ナーミは金色の髪をかきあげる。水色の瞳が少しだけくすんだ。
「思いも、何もかも。このまま通りすぎて行けば、誰も傷つかない。誰も……」
 小さく呟くナーミを、ラスメイとミラールは見つめていた。
「結局、町のみんなを巻きこんで……。キールにそんなことさせても、まだどこかで違うって思って……」
「……目をそらしつづけるのって、辛いと思うよ」
 ミラールがぽつりと呟いた。
「何もせずに待つのも辛いと思うよ。傷つくことはないだろうけど……。でも、ずっと心が重いんだ」
 ナーミは水色の瞳を公園の噴水に向けていた。
「間に合うよ」
 ミラールがそう呟くのに、ナーミは少しだけ目を上げた。ミラールは茶色い瞳をじっと遠くにはせていた。ラスメイは暗く沈んだ顔でミラールを見ている。
「まだ、ね。取り戻すことは出来なくても、これから作ることって出来ると思うよ」
「……優しいのね、今度は」
「優しくなんかないよ。作ることは難しいんだからね。よっぽど目をそらしてた方が楽なことだってあるんだから。でも、逸らしつづけるのは辛いんだよ……」

 

 
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