(森の奥には、行ってはいけないよ。
入ってはいけないよ。
真っ暗闇だよ。
闇には何がいるかわかんないよ。
蛇が出るかもしれないよ。毒蛇かもしれないよ。
熊が出るかもしれないよ。食べられちゃうかもしれないよ。
だから、行ってはいけないよ)
大人はすぐにそうやって止める。そうやって止める大人を真似して、子供達も歌う様にはやす。
行ってみたいのに、森は暗くて不気味だったから行けなくて、悔しいから他の子供が行くのを止めようとする。
だけど私は確かめたかった。
森に何がいるのかを。
蛇も熊もいやしない。
暗闇の先に明かりがあり、そこには一人の少年がたたずんでた。
「誰?」
少年は振りかえった。私のよく知っている顔がそこにあった。レイ様?と聞きかけて飲みこむ。
彼はこんな儚げではない。今にも消えてしまいそうな空気は似合わない人だ。だけど、彼は……。
「君こそ誰?」
返ってきた言葉に私は夢中で答えた。早く答えなくては、飛んで消えてしまいそうで。
「私はナーミよ。ここの巫女《アルデ》よ。貴方は?」
彼はじっと私を見つめて、ただぽつりと呟いた。
「髪。もっと近くで見てもいい?」
私はすぐに頷いた。近づいた彼の名を知りたかったけど、それはまた今度でもいい。
消えてしまいそうな彼の存在をここにとどめることを、一生懸命に考えていた。
「約束だからね。きっと迎えにくるからね」
だから、キールは囚われてしまった。
森から出られなくなってしまった……。
私のたった一言で。
大きくなるにつれて、自分の立場に縛られて。
「《アルデ》だから」
その一言に逃げこんで。
「『いつか』」
あいまいな言葉に逃げこんで。
空虚な人形から逃げていた。その目に写っているのは、私自身だったのに。
いつも笑っていなければ、不安が襲ってくる。だからずっと笑ってた。強くなろうって決めて、そのとおりに振舞ってたのに。
少しも強くない。
私は、迎えに行く決心が――出来なかった。
◇
目の前の公園から人通りが絶え、何か起こる前の静けさに似た空気が漂っている。子供の声も、遠くに消えた。
「メロサーデ家の双子がどうして、森に?」
ミラールのごく普通の疑問に、ナーミは薄く笑った。
「双子は不吉なんでしょ? 特に、後に生まれた者は」
ナーミの言いたいことはよくわかったが、ミラールは続けた。
「聞き方が悪かったかな。どうして、その双子の片割れが『生きている』んだい?」
ラスメイの非難と悲哀の混じった視線に気付きながら、ミラールは言いきった。
「領主をしてるほどの血筋なら、双子の存在は隠すだろう? 特にフュンラン国は貴族と平民がはっきりしてる。貴族にとって双子が生まれたってことは汚点じゃないの?」
「……はっきりと聞くのね?」
「あまり、親切な聞き方はできないよ。この件に関しては、僕の幼馴染も攫われてるみたいだからね。カタデイナーゼが知ってるなら、すぐに見つかるだろうけど……」
ミラールは茶色の瞳に、少しだけ剣呑とした光をともす。
「事情は少しでも知っておきたいんだよ。僕としても。
それに君は……話を誰かに聞いてもらいたかったんじゃないのかな?」
ナーミは少しだけ目を見開いた。ミラールは逆に目を細める。
「僕の気のせいなら、謝るよ」
じっと注がれるナーミの視線を、ミラールは真正面から受け止めていた。ナーミはしばらくして、その返答の変わりに語り始めた。
「メロサーデの当主・オーグ様は彼を殺そうとしたらしいの。でも、奥様がすごく反対なさって、今はメロサから離れたところに住んでいるメロサーデの遠縁に養子に出されたそうよ」
ナーミのうつろな空色の瞳をミラールが首を傾げて、それを見つめている。
「遠縁とは言っても、事情は全部わかってる……。キールがどんな風に育てられたかは、言わなくても想像つくかしら?」
無言で頷くミラールに、ナーミは軽く頷いた。
「奥様はもともと、体の弱い方。最愛の子供と引き離されたショックも手伝ってか、年々元気がなくなってきて……。心配したオーグ様は、最後の決断をなさった。12年振りにキールを呼び戻し、奥様に会わせることを……。
だけど、屋敷には入れたくなかったらしいわ。誰も入らない森の奥に小さな小屋を立てて、そこに住まわせた。
そして、仮面を与えて夜にだけ、奥様の元を訪れるように言ったの。誰にも内緒だった。だけど見てる人が居たのよね、やはり。仮面で顔を隠しているから、いつのまにか【醜い者】と呼ばれるようになったのよ」
「で、君はどうして、その誰も入れないという森に住んでる彼とあったの?」
「好奇心ね。森には魔物がいるって言われてたから。本当にいるのか確かめて見ようと思って。そうしたら、いたのは魔物じゃなくて、カタデイナーゼそっくりの少年だったの。
私とカタデイナーゼとキールと、内緒で森で遊んでたわ。だけど……」
ナーミが眉を寄せて黙りこんでしまうのを、ミラールはじっと見つめ、そして、後を続ける様に話す。
「当主に見つかって、離れ離れにされたってとこかな。君は巫女《アルデ》で、ここの分宮《アル》を守ってるとは言え、領主に睨まれればそれこそ終りってところかな」
「嫌な事を言うのね……」
ミラールは少しだけ微笑んだ。
「そうよ。
オーグ様からの監視は強くなって。そのうち奥様がなくなってキールが森にいなくてはならない理由は無くなったわ。
でも、キールはずっと森に住みつづけた。人形を創って、それを売って……そうやって暮らしてた」
「人形を……」
「からっぽの人形……。昔、作り方を教えてあげたのよ……」
ナーミは大きく息を吸った。
『この人形はナーミにあげる』
ここに僕は何も込められないけど、ナーミの素敵な思い出をこめてね』
「キールの作る人形は、何も込められてない。それは、私へのメッセージだった。私が忘れない様に。私が……キールのこと忘れない様に。
忘れるはずないのに」
「何も持たない人が作った人形?」
ラスメイがぽつりと呟いた。
「あの、なぞなぞの話か」
ナーミは小さく笑った。ラスメイはナーミの膝に手を置いて、顔を覗きこんだ。
「今の話は」
ラスメイがポツリと呟く様に聞く言葉に、ナーミは俯いただけだった。
「好きなのに、引き離されて……そのまま、一緒にいられないってことか? 相手が双子の片割れだったから、不吉だったから。知られちゃいけない存在だから」
ラスメイの呟きに、ナーミは顔を上げた。隣に座った黒髪の少女は、まっすぐにナーミを見つめていた。
「仮面を与えて、醜い者と蔑まれるのを見て、それでも何もしなかったってことか……?」
「……そういう……ことね」
ナーミは何かに耐えるように、言葉を発した。
「好きならそれでいいんじゃないのか? 一緒に居ればいいんじゃないのか?」
感情を抑えようとし、抑えきれない声。自分の膝に置かれた握り締めた手にナーミは視線を落とした。
「もっと大切なものがあるから離れられたのか?」
ナーミは何か言いかけて、口をつぐんだ。そのとき何を言っても言い訳になることに気付いた。
「そういうのって……寂しくない?」
小さく問う少女の声は、ナーミに向けられていないような気がした。それでも、ナーミは答えを探した。
どうしてだろう?
どんな理由も、愚かに思えてきた。
「……巫女《アルデ》だから……」
「不吉な片割れがいると、何かと面倒だってこと? 不吉な片割れを守ったりなんかしたら、ナーミがみんなにいじめられるから?」
「そうじゃない。だけど」
(恥じている)
そんな『つまらない』理由をかざしていたんだろうか。
あの時は、メロサーデの当主に引き離された。
カタデイナーゼの父は、今はメロサには住んでいない。カタデイナーゼに全てをまかせて、フュンランに引っ込んでしまった。一番気がかりだった存在は、近くにもういないのに。それから、二年は経ってる……。
(今は?)
ナーミは急に頼りない目をした。
(今は、どうなの)
「いつ、死んでしまうかわからない」
ラスメイはそう呟くと、上体を起こしてナーミから離れ、自分の指を口にやった。
「……人なんて、いつ死ぬかわからないのに」
ミラールはラスメイを見る。
「近くにいられるなら、いればいいのに」
かりっと関節を噛むラスメイの右手を、ミラールは掴んで離させた。
「ラス……」
「近くで守りたい。でも、近くにも行けない。そういうこと、あるのに」
ラスメイの紫色の瞳は、大きく見開かれていた。
「好きなら、近くにいられるなら、そうすればいい。簡単なことじゃないか」
「私は」
「巫女《アルデ》であるからなんて、愚かな言い訳だ。そうだろう?
巫女《アルデ》であるから、守れる物だって大きいはずじゃないか」
ラスメイはナーミの方に顔を向けた。
「ナーミもカタデイナーゼも……馬鹿だ。守れる手があるのに、どちらも空っぽにしてるんじゃないかっ!
守るものが違うだけ? 名誉とか立場とか。そういうものが大切になっていくだけか?」
顔を向け、そして、うつむき黙りこんでしまう。ミラールはそっとラスメイの掌を、両手で包みこんだ。
「ラスメイ」
ラスメイは、視線を上げてミラールのとがめるような茶色の瞳をじっと見つめていた。ミラールが小さく首を振る。悲しそうな瞳を見つめて、ラスメイは視線を落とした。
「……ごめん。ミラール。もう、しない」
少し強くその小さな手を握り締めてから放すと、ラスメイはすっと右手を引っ込めた。
ミラールが小さく息をつくのを、ラスメイは上目遣いに見つめた。
「ごめんなさい」
「いいよ……」
できるだけ優しい声で言って、ミラールはナーミを見つめた。
だが、彼は決して話しかけたりはしない。
ナーミは膝を抱えて、視線を落とした。
『強い』ってなんだったのだろう? 自分が求めた強さって、なんだったんだろう?
巫女《アルデ》にしがみついて、その立場さえも言い訳に使って。
目をそらしていく強さだった? 忘れて行く強さだった?
「……風化してほしかった……」
ナーミは金色の髪をかきあげる。水色の瞳が少しだけくすんだ。
「思いも、何もかも。このまま通りすぎて行けば、誰も傷つかない。誰も……」
小さく呟くナーミを、ラスメイとミラールは見つめていた。
「結局、町のみんなを巻きこんで……。キールにそんなことさせても、まだどこかで違うって思って……」
「……目をそらしつづけるのって、辛いと思うよ」
ミラールがぽつりと呟いた。
「何もせずに待つのも辛いと思うよ。傷つくことはないだろうけど……。でも、ずっと心が重いんだ」
ナーミは水色の瞳を公園の噴水に向けていた。
「間に合うよ」
ミラールがそう呟くのに、ナーミは少しだけ目を上げた。ミラールは茶色い瞳をじっと遠くにはせていた。ラスメイは暗く沈んだ顔でミラールを見ている。
「まだ、ね。取り戻すことは出来なくても、これから作ることって出来ると思うよ」
「……優しいのね、今度は」
「優しくなんかないよ。作ることは難しいんだからね。よっぽど目をそらしてた方が楽なことだってあるんだから。でも、逸らしつづけるのは辛いんだよ……」
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