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 エノリアとカタデイナーゼは、黒服の彼のあとに続いた。彼の腕に自分の腕をからませた女性の揺れる髪を見つめながら。
 闇《ゼク》の塊だと、エノリアは気付いていた。
 そう、あのオオガのライラと同じものを感じていた。しかし、根本的なものに違和感を感じる。
 彼女の後姿は、静けさしか感じられないのだ。
(感覚の問題だから、あてにならないけど)
 それでも、ライラの持っていた残虐性は見うけられない。闇夜の静かな湖面を見ているような感覚だった。
 ライラと同じものなら、彼女も何かから生まれたのだろう……。
『原因がなければ闇《ゼク》もできないってことだよ……』
 ライラの言葉が頭に浮かんだ。
(原因)
 あれは、人の強い思いのことだと思っていた。根拠もなにもないけど。
 では、彼女はこの黒い人の思いから生まれたのだろうか?
「エノリア?」
 そっと声をかけられて、エノリアは弾かれた様に顔をあげた。カタデイナーゼが珍しく心配したような顔をする。
「どうかしたのか?」
「心配しないで」
 そうかと言ってすぐに引き下がる。
 どうかすると、カタデイナーゼの口調はランにそっくりに聞こえるのだ。
『どうかしたのか……?』
『心配してるんじゃないのか』
 本当はしてるわよ。
 気づけば拳を強く握り締めていた。手のひらに爪が食い込んでいる痛みに、いまさら気づく。
 あんたのことで、こんなに心配してるわよ!!
(冗談じゃないわよ……)
 緑色の屋根を持つ、小さな家に着いて彼は振りかえった。同時に振りかえった女は、腕を解いて扉に寄り開ける。
 空間が一瞬ゆがんだような気がして、エノリアは眼をこすった。カタデイナーゼも同じように眼に手を当てたので、エノリアの気のせいではなかったようだ。
「どこに、つれていこうっていうの?」
「人形をお見せするのです」
「妙な空間につれて行って?」
 エノリアはあくまで冷静に問いかけた。黒服の彼は、女を振りかえる。
「ナミ?」
 ナミと呼ばれた女は、扉を支えたままエノリアに眼をむけた。
「大丈夫です。信頼していただけないのはわかります。
 でも、キーラ様はもう何も望んでいらっしゃらないので、私も何もする気はありません」
「だから、『そう』なんて言えると思う?」
「……貴方は、お探しではないのですか?『ラン』という方を」
 エノリアは肩を震わせた。
「脅迫っていうのかしら」
「違います。その方もこちらで、お預かりしているのですよ」
「そうとしか聞こえないのだけど!」
 前のめりになったエノリアの両肩に、カタデイナーゼの大きな手がかかった。
「信頼、してやってくれ」
 驚くほど落ちついた声がかかって、エノリアは肩越しに彼を振りかえる。
「どういう根拠から、そういう言葉が出てくるの?」
 カタデイナーゼはすっと黒服の男に顔を向けた。
「久しぶり、ぐらい言ってくれるかと思ったけどな。キール」
 カタデイナーゼは黒服の男にそう声をかけた。
 黒服の男はしばらく無言でいたが、ぽつりと仮面の間から声がもれる。
「久しぶり?そう、久しぶり……。どれくらい経ちましたか」
「十二年だよ」
 エノリアはカタデイナーゼの顔を大きな目でみつめ、そして黒服の男に目を向けた。
「じゅうに……。そうですか。やっと」
「顔を、見せてくれないか」
 カタデイナーゼは少しだけ、顔を傾けた。
「十二年ぶりの兄弟の対面だ」
 弾かれた様にエノリアはカタデイナーゼを振りかえった。目を見開くエノリアの顔も見ないで、カタデイナーゼは視線を落とすようにして肯定した。
 黒服の男は、仮面に手をかけ、そして躊躇する様に手を止めた。
「いいのですか」
「いいんだ」
 黒服の男は仮面に細い指をかけ、すっとはずした。白い陶器の仮面をおろす。
「一応、聞いておいてもいい?」
 エノリアは大きく息を吸った。
「双子の弟ってやつ?」
「そうだ」
 キールの顔はカタデイナーゼよりも細い印象があった。少し幼くも見える。少なくとも、そっくりだとは言えない。キールは戸惑った様に、二人を見つめていた。
 カタデイナーゼは少しだけ笑った。
「もう、間違えることはないな……」
 目を細めるカタデイナーゼに、キールは無表情な目を向けていた。
「十二年ぶりですか。こうやって『ここ』で『こんな風』に対するのは」
「そうだ」
「どうして、今」
 キールの言葉は簡潔で、どんな感情も込められていない。カタデイナーゼは眉を寄せた。
「好きに、させてやりたかったけどな」
「僕を、今ごろ止めに着たんですか」
「そうだ」
「『いまごろ』」
「……そうだよ」
 カタデイナーゼの苦しそうな表情に、エノリアがつられて眉を寄せる。
「どうして、もっと早くに来なかったんですか」
 キールの問いに他意は含まれない。純粋に聞いているのだ。
「僕がやってるって、気付かなかったんですか」
「信じたくなかったんだ」
「僕を信じてたんですか」
「信じていたかったんだ」
 カタデイナーゼの目を、まっすぐに見つめるキール。
「十二年、放っておいた人間にそんな気を使う必要があるんですか」
 キールは瞬きもせずに彼を見つめる。
「じゃあ、どうして今?」
「そうせざるを得ないだろう?」
「十三人目で、動く気になりましたか」
 まっすぐなキールの瞳に耐えられぬように、カタデイナーゼは足元に視線を落とした。時が止まったようにしばらくそうしていたが、ポツリと言葉を落とした。
「…………お前、何のために」
「貴方には、わからない」
 キールはそこで微かに口元をゆがめた。
「わからないでしょう。お兄さん」
 キールの目は暗くにごる。
「待ちくたびれたんです」
 カタデイナーゼが拳を握り締めるのを、エノリアはなんとなく見つめていた。
 強く握る……。
「いつまでたっても、ここから出られない。
 僕が『醜い』から?
『約束』したのに、こなかったじゃないですか。
 お兄さん。『いつか』って、いつですか。
 僕は、いつまで待ってれば良かったんですか」
「キール……」
「僕は待った。
 人形を創って、町に持って行って。
 そうすれば、忘れないでしょう?
 そうやって待ってたのに。お兄さんはこない。ナーミもこない」
 キールはゆっくりと顔をかしげた。
「『いつか、迎えに来るから』」
 カタデイナーゼが目をつぶり、軽く顔をそむける。
「そう、言ったのに」
「そうだ、『いつか』だ。
 お前が幸せに暮らせる状況になってからじゃないと、迎えに来れない!」
「そうその『シアワセ』です」
 キールは首をかしげた。
「僕にはその『シアワセ』が判らない。ねえ兄さん。ここでずっと貴方を待つのと、あの時無理にでも森を出るのと、どちらが『シアワセ』だったんでしょうね」
 カタデイナーゼは眉根を寄せた。キーラは首をかしげたまま、ぴくりとも動かない。
「僕は待ってました。
 貴方とナーミが『待て』と言うから、待ってました。
 でも、待ちきれなかった……」
 キールは天を仰いだ。
「待ちきれなかった……な」
 そして、キールはカタデイナーゼに顔を向けた。澄んだ瞳は、カタデイナーゼを苦しめる事を知っているようで、少し残酷に見えた。
「キール……。攫ったものは……」
「そうそう、兄さんはそのために来たんですよね」
 抑揚の無い言葉を吐き出し、キールはすっと背中を見せ、小屋の方へ歩き出した。
「ついて着てください」
 伺うようにこちらを見るカタデイナーゼの目を受けて、エノリアは頷いた。
「行こう」
 エノリアはカタデイナーゼを少しでも元気付ける様に、明るくそう言って小屋の方を振りかえった。小屋の扉がゆっくりと開き、その向こうは陽炎の様に揺れていた。
 それを睨み付けながら、エノリアはそう言った。
「でないと、始まらない」
 キールが微かに頷くのを、エノリアはじっと見つめていた。壊れそうに儚い印象。
 やさしい輪郭となんとももろい空気。
 風が吹けば、消えてしまいそうだ。
 キールはすっと扉の向こうに消えた。ゆらっと揺れた空間にまるで吸い込まれる様に。
 エノリアはしばらくそれを見つめていたが、とにかく前に進むことにした。
 そうさっき自分で言った。『はじまらない』のだ。
 エノリアは足を踏出した。しかし、扉をくぐろうとして躊躇する。
 その前で揺れているものが、自分と反発している様で、頭の中が揺れる。
(怖いかも)
「貴方には辛いかもしれません」
 美しい声がすぐ後ろで響いて、その瞬間、エノリアは細い腕に抱きかかえられていた。 ふわりと亜麻色の髪がエノリアの顔に少しかかり、懐かしい香りがする。
 何の香だろう……。
 花かと思ったけれど。
「少しの間、触れることを許してくださいね」
「別に良いわよ。闇《ゼク》、嫌いじゃないから」
 後ろでナミは微笑んだらしい。
「珍しい方ですね。その身に尋常でない光《リア》を宿しているというのに?」
「光《リア》、きつくないの?」
 闇《ゼク》の塊に、光《リア》はどう映るのだろう。などと思いながら言うと、ナミは苦笑 した。
「闇《ゼク》も光《リア》も、肉体を通せばなんともありません。そうでしょう」
 そういうものなのか、と感心してしまった。
 オオガでラスメイが自分を抱きかかえたとき、苦しさが半減したのはそういうことなのかもしれない。
「それに、貴方の光《リア》は心地よいです」
 そして、ナミはエノリアをゆっくりと押した。
「生命の輝きとでも、いうのでしょう」
 歌を歌っているように、そう言うとナミはエノリアを抱える力をこめて扉をくぐった。
 エノリアは思わず目をつぶる。上昇か下降かよくわからない感触が一気に襲ってきて、首を振った。
「はい」
 ぽんっと肩を叩かれ、エノリアは目をおそるおそる開いた目の前に広がったのは、あの小さな家の中とは思えぬ広い部屋であった。
 あの不可思議な扉を越えたのだから、こういうこともありえるのだろうけど……。
「闇《ゼク》は幻影を見せます。それを物質化したものです」
「この広さも?」
「そうですね……。『まぼろし』ですから」
 カタデイナーゼが後に続き入ってきた。立ち尽くすエノリアの隣にカタデイナーゼは立った。 先に来ていたキールは、二人を確認する様に見ると、ソファに座らせていた一体の人形を大切な ものに触れるように手に取った。
 キールが人形を手に取ったときに、周りの人形も自然に目に入ってきた。13体の人形は、棚の上、窓際、床などに置かれている。
 青い瞳、緑の瞳、茶色の瞳。赤茶色の髪、濃紺の髪、赤毛の髪、黒い髪。いろんな格好をした性別もばらばらの人形。
 その存在が強く主張されていることに、いまさらながらにエノリアは気付いた。
 まるで、13人、人が居る様に。
 キールはその手の中の人形を、エノリアに渡す。
「これが、ザックラの美しいもの」
 エノリアはその人形を受け取った。髪の短い人形は、穏やかな表情をしてエノリアを見つめていた。
『娘……』
 急に人形の口元から声が聞こえて、エノリアは思わず人形を取り落としそうになる。それを慌てた様でナミが支えた。
「どうかいたしましたか」
「だって、この人形!」
 まじまじと覗き込むエノリアに、キールは優しい目をして問うた。
「声、聞こえましたか」
「しゃべるの?これ」
「いいえ」
 キールは横に首をふる。カタデイナーゼの顔をもう少し若く繊細にしたような彼の顔は、 この部屋に入ってからは穏やかで笑みが絶えない。
「でも、聞こえましたかって」
「しゃべらないのです。伝えてくれるだけ」
 キールはエノリアからそっと人形を取り上げると、大事そうにその頭を一撫でし、二人に顔を向ける。
「ザックラのたいせつなものってことは、やはり記憶を」
 キールはそれを表情も変えずに聞き、目を伏せた。微かに感じた純粋とも透明とも言える微笑を前に、エノリアは思わず息を飲みこんだ。
「記憶を取って」
 ようやく発した言葉の後を、キールは穏やかに続ける。
「人形に込めた。そうすれば、美しい人形が創れるから」
「それだけ?」
「……それだけ」
「それだけのことで、人を攫って記憶を奪って……」
「そう、それだけのことで……。僕には、込めるものがなかったから」
 キールは人形を見下ろした。長い睫毛が彼の瞳に影を落とす。
「それで、他人の」
「悪いこと」
 困った様に笑うキールを、エノリアは拳を震わせながら見つめていた。
「キャノを知っている?」
「13番目に連れてきた女の子」
「キャノが忘れたものを知ってるわよね」
「恋人のことでしょう」
「そのあと、どうなったか!」
「それでも僕はやめられなかった」
「それが、幸せを得るためだったってわけ?」
 理不尽さへの怒りのこもった叫びさえ、キールの前では意味のないもののようだ。彼は睫毛を少し伏せた。
「知りたかったんだ。『シアワセ』って何か。僕も、欲しかった。
 そうすれば、ここから、出れる気がした。
 美しいものを持っていれば、『醜い者』って呼ばれなくて済むような……。
 そうすれば、彼女に会いに行ける」
 どこかで、用意されていたような台詞。カタデイナーゼが拳を握り締めた。
『シアワセ』。キールの口から発せられるその単語は、彼を苦しめている様だった。
「ナミは僕の思う様に、人を森にまで連れてきてくれた。
 そして、眠らせて、語らせて、それを結晶にして、僕に渡してくれた。
 僕は、それを人形にこめて、人形を作り、人形の伝えてくれる『シアワセ』を知る」
 キールは一瞬だけ目を閉じた。
「どんな思いも、僕の心を満たしてはくれなかった……」
 エノリアの少し前でそれを聞いてたカタデイナーゼが、項垂れるのを見つめていた。それが何故か苦しい。
 その気持ちがエノリアの中に入ってきて、静かな哀しみを撒き散らしているようだった。
「それは、ないものねだりだからよ」
 エノリアは思わず言葉を吐き出してしまう。
「自分にとっちゃ大切でもね、他人にとっては、たいしたことなかったりするのよ。
 だって、その人だけのものだもの。
 見たものも、その感触も、喜びも。
 どう他人に上手に伝えたって、そのまま伝わるわけないじゃない!」
 キールはまぶしそうにエノリアを見ていたが、こくりと頷いた。
「そうだね……」
 諦めがこもった呟き。エノリアは今更に気付いた。何を話していても、 この人は全てを諦めてしまっている事に。
 美しさが欲しいと願っていても、
 その目はもう諦めてしまっている。
「違うんです!キール様は、分かってたんです。
 だけど、やめることができなかったのは、私のせいなのです」
 先ほどまで黙って聞いていたナミが声を張り上げた。叫ぶような声も、美しいとしか感じられない。
「私が『そのため』だけに、産まれた存在だから。
 私がやめられなかったんです……」
 泣きそうな闇《ゼク》の塊。エノリアは目を細めた。
「キールさまは……私を生み出したことに責任を感じていたのです。だから」
「あ、あああ、ちょっと待って」
 エノリアは二人の話を止めるために、両手のひらを二人に向けた。
「待って。ナミはキールの思いから産まれたの?闇《ゼク》から?」
 ナミは困った様に眉を寄せる。
「私が覚えているのは、キールさまの強い思い。
 気付けば私はあの小屋にいて、ただただ人の思いを狩るだけ」
 エノリアは無意識のうちに、眉を寄せていた。
「【種】が【芽】となるのです」
 ナミは小さくつぶやいて、目を伏せた。
「え」
「そういうことだと……、私は『知っている』だけなのです」
「ナミは何も知らない」
 キールは人形を抱えたまま、エノリアとナミの間に割って入った。
「僕も分からない」
 そして、その人形を大きく振り上げる。
 ナミの小さな悲鳴と、空気を引き裂く陶器の割れる音が重なり、床に散らばった白い破片をエノリアは目を見開いて見ていた。
「これで、ザックラに戻るよ」
「ちょっ……と」
 諦めしか浮かんでなかった目に、泣きそうな悲しみが宿って、反ってエノリアは戸惑った。
 泣きそうなキール。立ち尽くしたままのカタデイナーゼ。口を押えたまま、こらえる様にキールを見守るナミ。
「人形に込めた思いは、これで解放されるかもしれない。でも、彼はどうかな……」
 エノリアは弾かれた様に顔を上げた。
 脳裏に浮かぶのは彼の名前。食い入る様に見つめるエノリアの強い視線をかわして、キールは2体目の人形に手を向ける。
「ラン」
「その扉の向こうだよ」
 病的なほどに白い指で、一つの扉を指すと2体目の人形から手を放した。
 カシャン……。
 人形は静かに悲鳴を上げる。エノリアは扉を食い入る様に見つめたまま、動けないでいた。
(戻るかなって?)
「何をしたの」
(戻らないかもってこと?)
「彼からは、人形は創れなかったよ」
 淡々と話すキーラ。3体目の人形が悲鳴を上げ、そのたびにナミが泣きそうな顔をする。
「僕にあの目は創れないから。
 だから、そのまま眠ってもらった。
 彼の見た美しいものは、僕が求めたものに一番近かったから……。どうしても欲しくて」
 言葉が終ると解き放たれた様に動き出し、大股で扉に近づくと、エノリアは力任せに扉を開いた。開け放たれた扉が、壁に当たった音と4体目の人形の叫びが重なった。

 
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