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VII 欲したもの
 

 森の暗い静けさをエノリアは苦手だと思った。おそらく一人で歩いていれば、不安が自分を押しつぶそうとするだろう。
 そんな思いにかられるのは初めてだった。
 14歳までは母に包まれ、14歳からは城壁に囲まれ、そしてそこから出た瞬間に、ラン達に守られた。
 こんな森を怖くないと思っていたのは、自分の強さだと思っていたけれど、それは錯覚だったのかもしれない。
 守られているなかで、必死に守られまいとしていた自分がいた。そんなことに、気付く。
 無言で草を掻き分け、木に手をかけながら前に進む。
 カタデイナーゼの足音が、妙に安心感を与えてくれていることに気付いてしまった。
 バサバサ……。
 突然の鳥の羽音にエノリアは思わず上を仰いだ。迫るような木々の枝の重なりからこぼれる微かな光。
 木は好きだったけど、それは開かれたところに一本ある大木だったからなのだろう。密集した木々の枝の重なりは、頭に突然落ちてきそうな重さを感じた。
 苦しい。
 小さく息をつくと、カタデイナーゼの低い声が前から響いた。
「疲れた?」
「そんなことないわ」
 噛みつく様に即答して、また足を動かす。
 今、労わられるとしゃがみこんで泣き言を吐きそうだった。泣き言を吐けばそれは自分の心を侵食するだけだ。情けなくはなりたくない。
 情けなくなりたくない。強い人間でありたい。明るさが欲しい。
 落ちこむのは嫌だから。
 ふいに父の顔を思い出した。気遣うような目が苦手だった。だから、父の前ではずっと笑っていた。平気だと『わからせたかった』。それもあからさまだったのだろうと、今ならわかる……。
 父の目からあの光が消えることはなかったのだから……。
 エノリアは軽く額をおさえて首を振った。
「静かなのはいやね……。なんかしゃべってよ」
「何かって?」
 カタデイナーゼが困った様に反復した。エノリアの無言の要求にやれやれと肩をすくめて、カタデイナーゼは何を話そうか考えている様だった。 
「お嬢ちゃんには言ったんだが……。俺には双子の兄弟がいたんだ」
 エノリアは話ならなんでも良かったのだが、生真面目に語り出すカタデイナーゼの背中を思わず見つめてしまった。
「双子ね……」
 反復は空々しい。そこに何の感情も込めない様にした。同情と奇異とどちらも含まないように気をつけた言葉になった。
「双子は忌まわしいんだろ。俺にはよく分からないがな。その感覚が分からないってのは、自分が実際双子の片割れだからかもしれないな」
「私にも、わからないわ」
 それはカタデイナーゼへの単なる同意からの言葉ではなかったはずだ。エノリアは「二人目」であるがために、迫害をうけることになったのだから。
「双子が駄目だというのなら、創造神《イマルーク》も作り出さなければよかったのにな。
 神など実際にはいないのかもしれないよな」
 言っている内容とは裏腹に、カタデイナーゼはのんきにそう呟いた。
「いらないものをつくって楽しんでるんじゃない?」
「なるほど」
 エノリアもカタデイナーゼも前を見ながら話しているので、お互いの表情はしれなかった。だが、そのカタデイナーゼの言葉には苦笑が含まれていて、エノリアも少しだけ笑みを浮かべる。
「そうだな。うちに生まれなければ、珍しいねってなことで、好奇の目にさらされる程度で済んだんだろうけどな。悪いことに親はメロサの領主だからな。
 何代もさかのぼれば、フュンラン国王の血にも繋がる。まあ、微かにという程度だけどな。そんな家であることが、弟には不幸な話だったな」
「あんたは?」
「俺?」
「あんたには、不幸な話じゃなかったわけ?」
 その言葉に対する返答までに、少しだけ時間がかかった。しんと静まり返り、二人の草を踏む音だけが間に存在した。
「俺か……。考えもしなかったな」
 自嘲めいた笑い声は、カタデイナーゼにはあまり似合わない。
「ま、俺はいいんだよ。『メロサーデのわか』ってちやほやされてきた。家の重さを特に重いとも感じなかったしな」
「それは、あんたの変わりに不幸を背負ってしまった弟がいたから?」
「そうかな……。そう言ってしまえるのかな」
 他人事の様にそう呟いたカタデイナーゼの言葉が、エノリアの脳裏に焼きついた。
「弟さんは?」
 聞いてはいけないような気がしたが、聞いてしまっていた。カタデイナーゼは珍しく言葉を選ぶ様に黙りこみ、しばらくして呟いた。
「生きてるよ。あれを、生きてるといっていいんだったら」
 言葉尻が消えた。そんな風に解答をするカタデイナーゼは珍しい。
「もしかして」
 言いかけてエノリアは止めたのは、カタデイナーゼが急に足を止めたからだ。
「レイ?」
「剣」
 一言だけ呟いたカタデイナーゼは、木の根もとの草むらから一振りの剣を拾い上げた。
「光ってた」
「何それ、剥き身……」
 と言いかけて、エノリアは彼からひったくるようにして、その剣を手にする。
 段自分の持っている剣の重さでなれているから、その剣はエノリアの手にズシリとした感触を与えた。
「これは……」
 うろ覚えだが、ランの剣に似ている。
「心当たりがあるのか」
「ランのだと思うわ」
 柄の尻のほうに赤い石が埋め込まれていることに、そのとき気付いた。
 血の色に近い赤さだった。そっと、エノリアがこする様に触れると、覗きこむように見てたカタデイナーゼが呟く。
「これ……持ってていいやつか?」
「え?」
 思わずきつい視線を向けると、カタデイナーゼはその視線に押された様に、少しだけうろたえた。
「あ、いや。あれだろ、普通のはもっと明るい赤だろ。これ、血の色に近くないか?この色の宝石を持つのは、あんまり良くないだろ?」
 エノリアは眉を寄せた。
「どういう……こと?」
「ん、いや。気分の問題だろうけどな。赤い石は【血】と【火】に分かれるんだって教えられたけどな。
 一般に許されるのは【火】だな。ほら、火魔術師《ベイタ》なんかが持つ色だよな。
 【血】は、シャイマルーク家にしか許されないだろ?王様のしるしなんだろ?【創造神《イマルーク》の血】ってさ。
 だから、他の人間がもっちゃいけないんだろ?そういう色に似たものを。不敬だとか、不吉だとか」
「意外……博識ね」
 言われた内容の指し示すことと、カタデイナーゼが意外に物知りだと言うことのどちらにも驚いてしまって、出た言葉はかなり単純だった。
「そりゃ、俺もそれなりに……。旧家はそういうこと、うるさいわけよ。
 っていうより、【血】の宝石はめったに出てこない代物らしいぞ。だから、不敬とか不吉とか言う前に、あんまりないな」
 そこまで言って、改めてカタデイナーゼはエノリアを見た。ずっと考えこんでいるような様子の彼女に、遠慮がちに聞いて見る。
「そのランって、いいとこの坊ちゃまかなんかか?」
「……ちがう……と思うけど」
 だけど、あのセアラと暮らしてたんだったらなぁ。こういう代物を持ってても……、おかしくないけど。
 ランって……。セアラに拾われたみたいなこと言ってたけど。
 エノリアは眉をひそめた。
(あいつのめ、みどりいろ)
「まさかね」
 じゃあ、なんでわざわざ城下で暮らしたりしてるのよ。
「これって、本当にその……【血】の宝石だと思う?」
「いや、なんとなくそう思っただけだ。少しだけ暗い色をしてるからな」
 はめこまれた小さな宝石を良く見ると、微妙にいびつな形をしている。少しも研磨されていないようだ。先のとがった細長い宝石を、縦に埋めこんだような感じがした。
 何か、何かが解けそうな感じ。ざわざわと胸の奥で疑惑が広がって行く。
 何故、そういう可能性を考えなかったんだろう。
 一度だけちらっと思って、消した可能性。
 ランは、目の色のことを言われるとふさぎこんでしまう。
 ランは、セアラに育てられた(ミラールもそうだけど)。
 でも、もしランがシャイマルーク家の血縁なら、どうしてそれを隠さなければならないわけ?
 何か、あるんだ。
 聞かれたくない秘密なんだ。
(ミラールは知ってるのかな?)
『ランの事情は、ぼくからは話せない。きっと、ランがいつか話すと思う。話さざるを得ない状況が来るまでは、知らないほうがいいよ』
(知ってるんだ)
 軽く爪を噛む。
 事情ってこれだろうか?血縁者だって?
 それだけじゃないよね?
(ここまでも、憶測でしかない)
 エノリアは息を吐いた。それよりも……。
「ここに来たんだね」
 エノリアは自分の心を抑える様に小さく呟いた。肩にかけて胸元で結んでいたショールをはずし、それで剣の刃をくるんだ。そして、大切な物を持つように胸に抱く。
 カタデイナーゼは、そんなエノリアを見下ろしていたが、ふと顔を前に向けた。
「もう少し、奥だ」
 軽く頷いてから、前方を見つめた。そのとき、ざわざわと頭上の木々が揺れた。カタデイナーゼの身体が緊張した様に固まり、エノリアはざわめきを仰いだ。
「ちょっ……」
 頭上を覆う枝を押しのけて、一つの塊が落ちてくる。目をつぶる合間もなく、目の前で白い光が走った。
 どずっ……。耳をふさぎたくなるような音と小さな悲鳴を聞いて、エノリアはやっとその塊の正体を知る。カタデイナーゼがとっさに抜いた剣に串刺しにされているのは、黒い魔物だった。カタデイナーゼは剣を振り払い、魔物の身体は無造作に地面に投げ出された。青い血が少し飛び散り、カタデイナーゼの顔に点々と付いているのを、成す術もなく見つめていた。自分の服にも飛んでいることを、頓着する様子もなくエノリアはゆっくりと息を吐いた。
「魔物」
「これかな……。森に入っちゃ行けない理由」
 少し戸惑いを含んだ目で、魔物の躯を見つめていた。
「小さな頃から言われてた。あの森に入っちゃ行けないって。
『なにか』いるからってな。それでも……」
 カタデイナーゼはふつっと言葉を切り、そしてトーンを落として先を続けた。
「よく遊びにきたけどな。会ったのは初めてだ」
「村を襲わなかったの」
「分宮《アル》があるからかな。シャイマルークはどうか知らないけど、魔物が現れ出してからは、各分宮《アル》にフュンラン国から魔術師が派遣されてるって。
 ……村を守ってたのかもしれない……」
 こんな森に、何が居るというのだろう。
 自分が追い、カタデイナーゼが案内しようというところ。魔物が住んでる森に、共存する者は……魔物ではないのか。
 エノリアはカタデイナーゼの表情を見ていたが、何か視線を感じてふと顔を向けた。
 薄暗い森のうっそうと繁った木々の間。
 エノリアは目を見開いた。
 人影が……。
 黒い服に身を包んだ人がそこにいた。エノリアは、息を呑んだ。勿論、人がいること自体に驚いたのだが。
 その纏う空気の異質さに。
(違う)
 その人間は仮面をつけていた。
 白い陶器の仮面が、冷たく光った。眼の部分はくぼんでいて、影になってよく見えない。けれど、その『人』はこちらをじっと見つめていた。カタデイナーゼの周りの緊張感を、エノリアはひしひしと感じていた。
 時間が止まったように感じた。その『人』肩からかけられた布も黒で風になびくことで、時間の流れを示している様だ。
「お前、か?」
 エノリアはその声を一瞬誰のものか疑った。
 カタデイナーゼのものなのに、問いただす声に含まれているのは、諦めに似た悲しみで、彼のものでは無いように思える。
「やはり、といわなきゃいけないのか?」
 その『人』は微動だにせずにこちらを見つめていた。
 言葉を知っているのだろうか……、そんな気持ちでエノリアはそれを見つめていた。
 精霊語で話しかけられても、驚きはしないだろう。そんな浮き世離れした空気をそれは持っている。
 純粋だと、感じている自分に少し驚きながら。
「聞こえてるんだろ!」
 怒号さえも体から搾り出すような悲鳴に聞こえる。
「俺達のせいか……?」
 それは、しばらくエノリアとカタデイナーゼを見つめていた。どうすべきなのかを測るように……。
 そして、その黒ずくめの体に、木の幹の陰から生えるように白い腕が差し伸べられた。
(闇《ゼク》……!)
 エノリアの体が条件反射の様に萎縮する。だが、それは自然に解けていった。
(でも、なんて……優しい?)
 白い腕は彼の肩を抱く様に差し伸べられ、その持ち主が木の影からすっと現れた。
 カタデイナーゼも、エノリアもその腕の主の姿をみて凍りついた。
 見たことのある姿。
 色は違うが、その軽く波のかかった髪も、大きな水色の瞳も、二人はよく知っていた。
「失敗、しました」
 声は天から降ってきたように清らかで、まるで歌を歌っているようだった。
「申し訳、ありません。彼女の光《リア》は思いのほか強く」
「いいよ……」
 仮面でくぐもった声は、細く消えて行った。
「いいんだよ」
「キール様……」
「少しだけ、ほっとした」
 柔らかに言って、彼は彼女の腕にそっと自分の手を置いた。指に力がこもるのを、その小さな動きさえ、エノリアは見つめている。
「僕は、十分に夢を見た……」
 わけがわからずに、二人は立ち尽くしていた。仮面の彼はゆっくりとこちらに手を差し伸べる。びくっと震えたエノリア。
「やっとだ」
 抑揚のない声が、仮面の隙間から流れ出る。
「終わろう・・・・・・」


 
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