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 いくつかの家が密集しているところから、流麗な笛の音が流れてきた。人々は足を止め、音の源を探す。そして、その家をつきとめると納得したように頷いた。
 きっと、デウマが娘を慰めるために、どこかの音楽家を呼んだのだろうと。それほどに笛の音は優しく、人の心を癒すものを持っていた。
 しかし、メロサにこれほどの音楽家がいるはずもないと、首をかしげるものも居る。しかし娘を溺愛していたデウマだ。他の町から呼び出したのかもしれない。
 確かに笛の吹き手はメロサの人間ではなかった。シャイマルークからの旅人である。
 娘・キャノをベッドに座らせ、その近くに椅子を寄せてミラールは心をこめて笛を吹いた。
 キャノはぼぉっとした目を、ミラールの方に向けているのだが、本当に聞いているかどうかは分からない。それにも構わず、ミラールは笛を吹きつづけた。
 ただ、願いだけ込めて。
 クッションを床に起き、ラスメイはそれに持たれながらその音を聞いていた。
 心にその音が染みているのは、外の人々だけではなかった。
(癒されるとは、こう言うことなのだろう)
 そう思いながらラスメイは首を傾けた。ベッドに頭を持たれかけさせ、ミラールを見つめる。
 一曲終り、ミラールが微かに息をついた。キャノの様子を伺うわけでもなく、懐から布を取り出すと軽く笛の中の水を切る。
 一人の世界に入りこんだ独特な空気をかもし出しつづけるミラールの様子を見つめながら、ラスメイは唐突に言葉を落とした。
「醜い者」
 落とした言葉はミラールの関心を得て、彼の意識はラスメイに向けられた。空気が元に戻ったのを微かに感じながらラスメイは言葉を続けた。
「醜い者と呼ばれる存在が、この町にはいるらしい」
「醜い者?それは随分……」
 称号として呼ぶには意地が悪い。少々不快な顔をするミラールを見ながらも、ラスメイの中で話はひとりでに進んでいた。
「なあ、ミラール」
 その話を打ち切って、ラスメイは顔を上げた。まだ何かを考えているような面持ちで。
「最も美しい人形を作る者は、心に何を思って作るのだと思う?」
 ころっと変わった話に驚きもせずに、彼は笛を軽く鳴らした。音を確かめる様にそうした後、ミラールは顔を傾けた。
「なんだろうね」
「ミラールは何を思って曲を作るのだ?」
「……なん、だろうね……」
 茶色の瞳が軽く細められた。それを、大きな瞳で見つめるラスメイ。
「情景かな。薄い幕の張られた思い出……。ほのかな優しさ……」
 ミラールは歌うようにそう言ってから、くすりと笑った。
「優しい思い出だね。小さなころの」
 求めても戻らない物。手の届かない物。根本にあるのは、そんな思いなのかもしれない。
 ミラールの微笑に自嘲がこもった。
 手に入らないものの代償?
(駄目だ)
 そこに行きついてしまったら……、生まれなくなる。
 ふと、ミラールがラスメイを見ると彼女は考え込んでいる様だった。もはや、自分に意識が向いていないことを察して、再びミラールは唇に笛をつけた。
(違う……)
 また心のままに曲を奏でながら、ミラールは頭の隅でなんとなく思った。
(何もない)
 あるのは、願いだけ。音がその人に届けという願いだけ。
(何も、考えてない……)
 空気と願いと流れ。
 それがあれば、曲は生まれる。自分の体を媒介に、曲は『ここ』から生まれる。
 それが、僕の喜びになる。
 しばらく音楽を奏でていると、扉を叩く音がした。遠慮がちに小さく2回なった音に気付いたのはラスメイだった。小さな体を重そうに起こして、扉に近づく。
 扉を開けると中の様子を伺うように、隙間からダラウの顔が見えた。
「貴方は」
「キャノの様子を見に来たんだけど……」
 声に戸惑いが含まれていることを察して、ミラールが立ちあがる。
「だいぶ、落ちつかれましたよ。話をするとよいと思います」
 穏やかな笑みをダラウに向けてから、ミラールは扉を支えているラスメイに視線を落とした。
「僕たちはそろそろお暇しよう」
 ラスメイは頷いて返事とすると、キャノを振り返った。彼女は両膝を抱えて空中を見つめていた。
 泣きそうだと感じたのは何故だろう。その顔に何の表情も表れていないのに。
 空洞。
(ああ、そうか)
 好きな人を忘れるとは、そういうことなのかもしれない。
 そういうことなんだと、思った。
 ふと、風が通り過ぎる。
(ラン……)
 ランは、何を忘れてしまうのだろう。
 後ろでに閉まる扉の音が、心臓を叩いた。
 後ろを振り返り見上げると、ミラールの遠い目があった。不安になった心をさらし出せずに、ラスメイはうつむく。
 一番、心配しているのはミラールだ。
 物心ついたときから、ランは隣に居た存在なんだから。
 兄弟のように育てられた二人なのだから、私よりよっぽど心配してるはずだ……。
 ミラールはラスメイの様子に気付いて、そっと肩に手を置いた。
 優しく触れる手のひら。それは、ラスメイを慰めるために置かれた暖かさであって、ラスメイにすがる暖かさではない。
 それが少しだけ寂しく、同時に嬉しい。
「探しに、行く?やっぱり……」
 ラスメイの妙に歯切れの悪い言葉を聞きつつ、ミラールは微かに目を伏せた。
「気になるから」
「そうだね。キャノも落ちついたみたいだから」
 そして、何かを考えているような様子の少女に気付く。軽く首をかしげて、ラスメイはミラールを見た。
「ナーミに、会いに行きたい」
 唐突に言うとミラールは驚いた様だった。
 紫色の瞳に力をこめて、凛とした表情でミラールを見る。
「なぞなぞを解きたいんだ」
 なぞなぞ?と反復するミラールに、ラスメイはまじめな顔で頷いた。
「来る、必要はないわ」
 二人は同時に振り向いた。豪奢な金色の髪を一つにくくって、このメロサの巫女《アルデ》がこちらを見つめていた。
「キャノに会おうと思ってね。来るんじゃなかったかなぁ……」
 苦笑に似た笑みを浮かべるとナーミは二人に視線をやった。
「どうしよっか」
「ナーミ!あなたは知ってるんだな。この事件の犯人を」
 ラスメイの問いかけに少し表情を歪めて、ナーミは息をついた。
「そうでなければいいと、思っていたわ」
「どういう……」
「ここで立ち話もどうかしら」
 ナーミは周りをみまわしながらそう言う。気付いたミラールがナーミに提案した。
「では、向こうで」
「どうして、ナーミ」
 ラスメイの請うような目を見ながら、ナーミは困った様に笑う。
「どうして言わなかった」
「ラスメイちゃんぐらいだったかな……。あのころ」
 懐かしそうに呟いて、ナーミはラスメイの頭にぽんと手をおいた。
「大切な思い出。壊したくなかった。なんて勝手な話よね。
 会いに行けば良かった。あのころとは違うんだから、会いに行けばね……。
 そうすれば、彼も私もナーゼも……こんな風に成らなかったかもしれないのに」
 ナーミのセリフは独白の様だった。
 疑問も何もその背にかけることができなくて、二人はただ追いかけるように彼女の背中についていく。
 その背中は何かを覚悟している様にも見えた。
 ふわりふわりと揺れる金色の光《リア》。
 夢のような美しいきらめきが、今は消えそうに頼りない。

 
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