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(シャイナ!!)
 なびかせる銀色の髪。
 人ごみをかいくぐり、追いかける。夢中で、銀色を追いかけた。
(……銀色の髪?)
 はた、と気付いた。気付くのは遅かった。人通りの激しいところからは随分離れたところで、エノリアは立ち止まった。
(なんで、誰も気付かないの?)
 エノリアが止まると、彼女も止まった。
 森へと入っていく手前の、家もほとんど見られないような所で彼女は振り返った。
 銀色の瞳に、いつものような笑みをたたえている。
 風が渡り、木々のこすれる音が人のざわめきの様に響いた。
「誰?」
 エノリアはそう投げかけた。シャイナは微笑んだままだ。
「シャイナ?」
 頭がくらくらした。シャイナの笑顔は張り付いた様に変わらない。
 頭だけが急速に冷えていった。気味が悪い。シャイナは微動だにしなかった。
「シャイナじゃないの?!」
 彼女はゆっくりと、エノリアを見つめたまま森へ後ずさりをした。足音は、しなかった。
『ただお会いしたかっただけ』
 頭に直接響く言葉。エノリアは首を振った。
 この感じは……。
『また一緒にお茶をしましょう?』
 柔らかく響く言葉。なんて甘美な声。
 だけど、惑わされたりはしない。
「私の……記憶で……」
『次も次の日も、一緒にお茶を飲みましょう』
『企み?企んでるとしたら貴方と……、お友達になることかしら』
 エノリアはかっと目を見開いた。
「私の記憶で遊ぶな!!」
 一瞬だけシャイナの映像が揺れた。エノリアはぐっとその先を睨む。
「闇《ゼク》は分かるの。闇《ゼク》の作った幻影は分かるのよ」
 シャイナの映像は掻き消え、そして、ゆらゆらと陽炎の様に空間がゆがんだ。
「最近、経験したばかりだから」
(皮肉なことに、光《リア》の塊だから)
 エノリアは腰に下げた剣の柄に手をかけた。
 ゆらゆらと揺れる陽炎は、また人の形を作って行く。
 今度は何を出すのかと身構えた。
『エノリア』
 エノリアは口を微かに開け、目を見開いた。
『エノリア……。お外は駄目よ……』
 見開いた目をエノリアは細めた。そして、ぐっと唇を噛む。
 出された映像は、彼女に郷愁に似たものをつれてきた。だけど、それは決して優しいだけの思いではない。
 胸のつぶれるような思いを生み出す。
『愛しい子……』
「人の心を覗いて、創って、一体何の遊びよ!!」
 母の目は悲しく潤んだ。私を叱った後に、母はそんな目をする。儚くて弱い母。
 閉じ込めることでしか、子供を守る術を知らなかった母。
 きっと、私は母を恨んでいた。
 それと同時に注がれる愛情の深さも知っていた。
 だから、忘れていたかった。母が、私を閉じ込めたことを。暗闇に一月。
「無駄だって言ってるでしょ」
 噛んだ唇から、微かに鉄の味がした。エノリアは、カッと目を見開いた。
 母の映像は、ゆっくりと掻き消えて行った。目の前には暗い森がこちらに入り口を向けていた。
 ざわざわと気味の悪い誘いの音を出す。
「出てきなさいよ。人の記憶を覗いて何も言わずに逃げるなんて!!」
 かさっと、森の奥で何かが動いた。
「待て!!」
 追いかけようと森に向かって駆け出そうとしたエノリアは、誰かに二の腕をつかまれて衝撃で舌を噛みかけた。
「っ」
「どうした?」
 だいぶ慣れたはずなのに、その声がまた憎憎しく聞こえる。恨みがましい目をしながら、たっぷりとその声の主を振り返った。
「カタデイ……。ほんっとうに、あんたって役立たずね!!」
「この森は駄目だ」
「何いってんのよ!怪しすぎる奴が」
「駄目だ」
 かたくなな彼の目が、いつになく真剣だったので、エノリアは、深く息をつくと力を抜いた。
 真剣、というよりは何かを思いつめたような。あの、キャノが見つかった夜のような。
 それで、エノリアは問いかけた。
「何が、あるのよ」
 はじめて見るその男の救いを求めるような目。
 なんでこんなにもいらいらするのだろう。
 焦りがエノリアを追い詰めて行く。
「そんな目をしたって駄目よ!あんた、おかしいわよ。
 余所者の私たちを事件に巻き込むようなマネをするくせに、ちっとも協力する気がない!
 中途半端にしか動かない!
 核心に降れようかというところで、邪魔をする!
 どうなの?解決して欲しいの?
 それとも、このままみーんなの記憶を取られるまで、うだうだとしてるわけ?」
「解決して欲しい」
「だったら。放しなさいよ」
「だけど、守りたいものもある」
「…………それが、関わってるってこと?」
「俺にもよく分からない……」
 歯切れの悪い返答に、エノリアは大きくため息をついた。
「したいことはあるけど、本当に何をすべきか分からない?だったら、あんたに私を邪魔する権利は無いわ。
 こっちは、したいこともすべきことも、はっきりしてるんだから」
 問いかけるカタデイナーゼの目。
「何にも分からないづくしのあんたに、答える必要は無いわ」
「怖がってるみたいだな」
 エノリアは目を見開いた。カタデイナーゼの言葉が、何故か核心をついてきたようで。
(恐怖?)
 自覚をするとますますそれは広がって行った。
「私のことを話してるんじゃないの」
「そんなに心配か?そのランって奴が」
「話をすりかえないでよ!!」
 エノリアは捕まれた腕を振り解こうとした。カタデイナーゼはこちらをずっと見つめていた。答えを求めている。
「なんで、そんなに聞きたがるのよ。
 私の答えで結論出そうなんて……ずるい」
「心配なんだな?そいつが」
「心配?心配なんてしてないわ」
 エノリアは何度もその腕を振り解こうとする。
「心配はしてない!
 怖い?
 そうよ、怖いのよ!だって、忘れるんでしょう?
 攫われた人間は、何かを忘れてしまうんでしょう?」
 大きく腕を振って、そして、ぴたりとエノリアは動きを止めた。顔を伏せ、くぐもるような声で言う。
「忘れちゃうかもしれないじゃない!
 もしかしたら、私達のこと、忘れちゃうかもしれないじゃない!
 忘れるものは大切なものだろうって言うけど、それが何だかわかんないじゃない!」
 きっと顔を上げてカタデイナーゼを睨むエノリア。その瞳の強さよりも、彼を驚かせたのはうっすらと浮かんだ涙だった。
 息を呑むカタデイナーゼの目に映った彼女の金の目は、みるみるうちに涙を貯めていく。
「怖いわよ。
 私のこと忘れちゃうかもなんて、自惚れでしかないわよ。わかってるわよ。
 でももしかしたらって思うのよ。
 忘れられるのも、私を忘れちゃったランを見るのも怖いわよ。
 どう、満足?満足のいく答え!?」
 まつげでなんとか留められていた涙のしずくが震えて、解かれたように頬を滑り落ちるのを彼は見つめていた。
 綺麗だと、なんとなく思った。それで、その頬に手を伸ばし涙の粒に触れた。エノリアはこちらを食らいつくように見つめたまま動かずに、カタデイナーゼの手をも留めたりしなかった。
 カタデイナーゼはエノリアの涙を拭いた指を見つめた。苦い感情が湧き上がってくる。
「大事な奴なんだな」
「そうよ、大事よ。
 生意気で嫌いだけど、いないといないで困るのよ」
「好きなのか」
 エノリアはその質問に、一瞬困ったような顔をした。
「嫌いだっていったでしょ」
「だけど、お前はそいつのこと、随分……その……思ってるような感じがする」
(『お前』)
 ランからそう呼ばれるのは嫌いじゃない。
 エノリアはその言葉に失笑してしまった。
「単純なあんたにそう言われてもね……」
「好きなんだな」
「……わかんないわ。『好き』にもいろいろあるって言うじゃない?その『いろいろ』の分け方がわかんないのよ」
「『好き』にいろいろある?」
 まじめに聞き返す彼の表情を見て、エノリアは軽い脱力感を覚えた。それが、複雑に絡み合っていた心を少しだけ解かせる。
「はぁ、あんたにそういうの求めた私が馬鹿よね」
 涙をきちんとぬぐいながらそう言うと、カタデイナーゼはふと笑って、エノリアの腕を放した。
「行こうか」
 カタデイナーゼの視線は森の奥に注がれていた。先ほどまでの頼りない目つきではなく、力強い目。
「あいつに会うのは、何年振りかな……」
 ぽつりと落ちてきたカタデイナーゼの呟きを、エノリアは心に納めて彼を見上げた。
「ちょっと」
 ん?とこちらをみるカタデイナーゼに、エノリアはちょっとかがむ様に指示する。近づけた耳元に手を当てて、そっと呟いた。
「泣いたことは内緒よ。レイ」
『レイ』。
 カタデイナーゼがにやりと笑った原因は、そう呼ばれた喜びか、それとも呟かれた内容の方か。
「ま、黙っておくよ」
 勿体つけた言い方に、エノリアはその大きな背中をばしっと叩いた。
 苦笑するレイを伴って、エノリアは森へ足を踏み入れた。
 何が居るのか、レイは知っているようだったがあえて聞かなかった。
 共に行けば、いやでも聞かざるを得なくなる。
 いやな思いは一度で良い……。そんな思いがエノリアの言葉を封じていたのかもしれない。

 
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