「ちょっと、帰ってこないわよ」
優雅に朝食を……と思っていたが、エノリアもラスメイもミラールもぴりぴりしていた。
「そうだね」
「これって、やっぱり、そうなのかしらね」
エノリアが言葉を避けてそう言うと、ラスメイがあっさりと口にする。
「攫われたって?」
「あああ、考えたくないわ。どうして、大の男が攫われちゃったりするのよ」
「それでも、被害者は老若男女かまわずなんだから」
「わかってるけど!……って、ラスメイ、やけに落ちついているのね」
エノリアの言葉に、ラスメイは微かに苦笑をもらした。
「落ちついてる?まあ、落ちつこうとしてるかな……。とにかく、ランを信じるよ」
「そうね、そうよね。あいつだって、だてに《フォルタ》じゃないわよね!」
「魔術を使うのは嫌いだけどな」
「ああっ、どうしてラスメイはそう水を差すのよ」
ぴりぴりとしてるのは3人ともだったが、一番落ち着きが無いのはエノリアだった。テーブルに付こうともせずに、周りをうろうろと歩いている。
ラスメイはそんなエノリアに、左手に持ったパンの欠片に、バターを塗りつけながらちょっとだけ笑って見せる。
「落ちついて。私だって心境は同じだ」
何才も年下の少女にこんな風に落ちつかれてしまっては、エノリアだって落ちつかないわけにはいかないだろう。ぴたりと足を止めて、ラスメイをみる。
軽く息を漏らし、黙って座ったエノリアにラスメイはバターを塗ったパンを渡した。
「はいこれ食べて」
ありがとうと呟いてエノリアは首をかしげた。茶色の髪がすっと首にかかる。
「本当にラスメイ、落ちついてるのねえ。ランは無事っていう予感でもあるの?」
それを期待しながら問いかけると、ラスメイは薄く笑った。
「どうかな。でも信じてるから。攫われたって大丈夫だよ」
ラスメイは再びパンを籠から取り出すとバターを塗り、今度はミラールに渡した。
ミラールはずっと頬杖をついて黙っていたが、それに気付いた様に顔を上げ、そして礼の言葉を呟くとパンをかじる。
「まあ、ランが攫われたかどうかわからないよね。メロサに入ったってことは確かだけど……」
「どうせ話を聞きに行くから、そのときに話を聞けばいいか……」
エノリアは自分を納得させるように呟いて、椅子に深く腰掛けた。そして、手の中のパンを食べようと口を開いたとき。
「おーお。美人さんは物を食べているときも美人さんだなあ」
などと聞いたことのある声が横から響いた。
「カタデイナーゼ!」
きっと睨みつつ顔を向けるエノリアに、カタデイナーゼが昨晩の様子など微塵も感じさせない笑顔で、腕を組みながらこちらを見ていた。
「迎えに来たよ」
「早くないかい?」
ミラールが軽く眉を上げてそう言うと、カタデイナーゼはそうかなあと肩をすくめた。
「早いほうがいいだろ?キャノが話をしてもいいって」
「ほんと?」
「うむ。だけど、あんまり覚えてなさそうだったな」
「いいわよ。少しでもなにか聞ければ」
エノリアが意気込むのを見て、カタデイナーゼは少し眉をしかめた。
「やたら、やる気だな」
「そうよ。やる気よ。さっさとつれて行きなさいよ」
「ほんと、どうかしたのか?」
カタデイナーゼはエノリアにではなく、後ろにいたミラールに声をかけた。
「まあね。一人、帰ってこないんだ」
「ミラール!」
「隠したって仕方ないだろう?ほら、言ってただろう?もう一人いるって」
「あ……あ。俺に似てるとか似てないとか」
カタデイナーゼが自分の記憶を探りつつ、目を見開いた。
「帰ってこないって、攫われたかもって?」
「短絡的に考えればそうだね。宿に来てない、ならまだ納得行くんだ。宿について僕達を探しに出てそのまま帰ってこない、ってのが気になるんだよ」
「そりゃ、攫われたんだよ」
あっさりと言うカタデイナーゼを、ミラールは軽く睨む。
「だから、そう直結できないって言ってるだろ」
カタデイナーゼはしばらく何かを考えている様だったが、ぽんと手を叩いた。
「一応、キャノに話を聞きに行く。その後探すのを手伝うよ、俺も」
「いいわ。それで」
エノリアは残ったパンを口に押し込んで、立ちあがった。行こう、と言っているらしい。
ラスメイは籠からパンをもう一つ取り出すと、布で包んでポケットに入れた。
それを、なんとなく見つめていたカタデイナーゼに片目をつぶって見せる。
「育ち盛りなんだ」
焦りが隠せないエノリアと対照的な彼女の様子に、カタデイナーゼは微かに笑った。
◇
ナーミは鏡の前でじっと動かない。
鏡に映る自分を見つめていた。その目には、微かな悲しみ。
金色の髪にそっと手を伸ばす。
狂い出したのは、いつだろう。
この手を放してしまったから?
「キール……」
離れていても、私は忘れない。けど、貴方は忘れてしまったの?
ずっと呼んでた声は、もう聞こえない。
求めるものはゆがんでしまった。
鏡の端にかけられた茶色に変色した花。それを、見つめてナーミはそっと吐息を落とす。
貴方がくれた最初で最後の贈り物。
これだけで、私は幸せになれるのに……。
貴方は、他の幸せを望むのね。
(人の思い出を狩って)
『幸せ』を。
ナーミはその花をくしゃりと握り締めた。ぼろぼろと花びらは鏡台に落ちる。形を無くしたそれを、近くのごみ箱に押しこんで……。
泣きそうになる自分を抑えた。
|