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「おーいしかったわー」
 その小さな食堂を出て、満面の笑みと共に満足そうに息をつくエノリアの傍らで、ミラールは少し辺 りをきょろきょろと見まわした。
「どーしたの?」
「ん、いや。エノリアが満足そうで僕も嬉しいな」
 気もそぞろなミラールに訝しがる目を向けるエノリア。ミラールはその視線に気付いてか、誤魔化す ように少しだけ笑った。
「いや、本当だよ」
「ミラールって笑ってるときが一番怪しいのよね」
「……?」
「んー。まあ、いいや。何か確信が持てたら教えてちょうだい」
 エノリアはお腹いっぱいでご機嫌なのか、それ以上追求はしなかった。
 しばらく宿の方向に歩いていた二人だったが、エノリアがふと足を止めた。
「ねえ、ミラール。この町、変じゃない?」
「うん……」
「まだそんなに遅くないわよね?」
「誰もいない……ね」
 ミラールはポツリと呟いた。二人が足を止めれば、この町に響く音がなくなったのだ。
 家からこぼれ出る光は暖かくても、外にあるものを排除するような雰囲気を孕んでいる。
「誘拐騒ぎがあるから?」
「そうかもね」
 ミラールはさきほどの町の人々の様子を思い出しながら、なんとなく呟いた。
 一点を見つめ、逃げるように家に入っていった人達。そのときの空気の流れと、今の空気が似ている ような気がした。
「気味が悪い」
 エノリアの呟きがなければ、外に居るのは自分一人であるような錯覚におちいっただろう。
 ミラールはきゅっと拳を握り締めた。
 エノリアは辺りを薄気味悪そうに見まわしながら、あるものに気付いた。
 ふらふらとおぼつかない足取りで、それはこちらに向かってくる。
 目を凝らして見た。
(人…)
 裸足でそれはゆっくりとやってきた。
「ミラール……」
 エノリアは珍しく不安そうな呟きをもらし、彼の服のすそを引っ張り注意を向ける。
「何……」
「女の子?」
 束ねられもしていない髪の毛が、風に揺れた。ゆっくりと、こちらを見た。
 目があった。
 瞬間に、エノリアは背筋に寒いものが走る。正体のわからない恐怖?
(何?)
 腕が空を舞う。白い腕が闇を……。
 凍りつくエノリアの横を、ミラールが駆け抜ける。少女はその場に崩れ落ち、それをミラールは寸前のところで受け止めた。
 それを、エノリアは夢でも見るように見つめていた。
「エノリア!?」
 ミラールの声がエノリアを我に返らせた。ミラールは道に膝をつき、少女を抱えながらこちらを向いていた。
「ご……めん。人……。そう、人を呼んでくる!!」
 エノリアは近くの家の扉を叩いた。迷惑そうに扉を空ける恰幅の良い婦人に、エノリアはミラールの抱いている少女を示した。何といえばいいのかわからなくて、そうしたのだが充分に伝わったらしい。 婦人は顔色を変えて家の中を振り返った。
「デウマを呼んで来な!!」
 しばらくして、壮年の男性と青年が出てきた。ミラールと少女を確認するように見て、壮年の男性が頷く。
「お前は、デウマを呼んで来い。わしは巫女《アルデ》を呼んでくるからな」
 青年は指示されるままに家を飛び出し、壮年の男性は広場の方に駆けて行く。婦人はミラールの抱く少女のもとに走りより、ミラールに指示をして自分の家に運ばせた。
 一気に回りは騒然となる。堅く閉じられていたほかの家の扉が微かに開き、そこからもれる光りが道路を照らした。
 家に入る婦人に付き添うようにして、エノリアは聞いた。
「誰なんですか」
「行方不明になってた娘さ。デウマの娘だよ」
「帰ってきたんだ……」
 カタデイナーゼが言っていたことを思い出す。彼女が帰ってくれば、行方不明になったものは、戻ってくるのだと……。
「ほら、あんたも入りな!」
 エノリアは婦人につよく手を引っ張られて、家の中にほぼ引きずられるようにして入った。様子を見に路地に出ていた人達も、この家の扉が閉められると自分の家に引っ込んで行った。
 そんな気配を気にしていたのはエノリアだけみたいで、ミラールは指図されるままに少女をベッドに寝かせ、婦人は湿らせた布と水の入った桶をもって、彼女のそばに戻ってくる。
 傷だらけの裸足の足が痛々しい……。
 少女はそれでも気を失っているだけのようだった。熱があったり、苦しがったりしていない分だけでも、エノリアは安心できた。
 婦人はそれでもエノリアの隣で不安そうに呟いた。
「この子は何を忘れてしまっただろうねぇ……」
「忘れる?」
 そう聞き返した時点で、婦人はエノリアとミラールを再認識したらしい。
「あ……。ああ、あんたたちは余所の人か……。すまないね、こんなことに巻き込んで」
「忘れるってどういうことですか?」
 婦人は少女の顔をしばらく見つめ、それから二人の肩をぽんと叩いた。
「デウマがもうすぐやってくるだろう。それまで、居間で休んで行かないかい」
「あの……」
「私の名前はロッサだよ。デウマも娘を助けてくれた人に会いたいだろうし」
「いえ、あの助けたわけじゃ」
「いいからいいから」
 ロッサは二人をぐいぐいと居間まで押し、椅子に座るのを躊躇したミラールの肩をぐいっと押した。
「あの……」
「あんたたち旅の途中なのかい?」
 二人をテーブルにつかせ、ロッサは台所でお茶を入れ始めた。
(のんきなものだ)
 あんなに大騒ぎしていたのに。
「ええ、そうです」
「じゃあ、ここ一連の事件は知らないわけだね」
「ん、まあ……。話には聞きましたけど」
 エノリアは一応そう答えておいた。カタデイナーゼから依頼(と言って良いのかはまだ判断しかねていたけど)を受けたことは、今のところ言う必要はなさそうだった。
「忘れるって言ってましたよね。あれですか……。もしかして、行方不明になった人は、誰もが何かを忘れるんですか」
「あんたたちは、どう聞いてる?」
「最初に攫われた人の話だけを」
 エノリアはカタデイナーゼのことは言わなかった。別に行っても支障はなかっただろうが。
 ロッサは二つのカップとポットを持って居間に戻ってくる。
「何かを忘れちまうのさ」
「何か」
「そう。人によって違うのだけどねぇ。
 恋人のこと、家族のこと、日常のこと、風景、場所……。
 ばらばらさ。変わらない人もいるけどねぇ。つまらないことだったりする人もいる。何を忘れたのかさえ、わからないようなね」
「何を忘れたのかさえ、わからないようなっていうのがわかったんですか?」
 ミラールの素朴な疑問に、ロッサはくすりと笑った。さっきまで、そのパワーに押されてしまい唖然としていたエノリアだが、その笑顔を見て少しだけ肩の力を抜いた。
「そうだねえ。ラミュの甘さとかだよ」
「は?」
「そいつはね、行方不明になる直前に、最高級のラミュを手に入れたのさ。それを一つ食べた後に、いなくなってね。
 帰ってきて、何にも変わったところが無くて安心してたらさ。窓際にあるラミュを見て、『五つあったはずだ、一つ無いぞ』って怒鳴り始めてねえ」
「ラミュを食べたことを忘れたってことですか……」
 カタデイナーゼから聞いていた話と比べると断然深刻さが減るのだが。ロッサは眉を下げて笑う。
「まあ、そうだね。
 それがうちの旦那」
「はあ……」
 と、しか答えようがない。
「まあ、私達のことは覚えてたからね。安心はしたけどねえ。
 どうも、こう、拍子抜けって感じだね」
 トポトポと暖かい音を立てて、褐色のお茶がカップに注がれて行く。
「今まで攫われてた人はみーんな、家族のこととか、恋人のこととか、そういう、何かしら……こう、大事なもの?というようなことを忘れてたからねぇ。
 まあ、忘れられても寂しいもんだけど、忘れられてなくても……ねえ?」
 苦笑しながら、ロッサは二人にカップを渡した。
「ラミュ……きっとなにか大切な思い出があったんじゃないですか?」
 エノリアが暖かいお茶を受け取りながら、そういうとロッサはそうかねえと言って、少しだけ笑った。
「ラミュはあの人の大好物だけどね」
 ロッサはテーブルにつくと、頬をついて上目遣いに何かを思い出すようだった。
「んまあ、無事に帰ってきてよかったよ」
「13人……と聞きましたが」
「ああ。そうかい。そんな人数になるかね?」
「みんながみんな忘れたんですか」
「そうだねえ。
 一番酷いのは最初のザックラさ。
 町で二番の人形師だったのに、人形に吹きこむ美しさをわすれてしまったよ。おかげで人形は死人みたいになってね。
 それだけでなくて、家族のことも忘れてしまった。最近、やっと笑うようになったけどねえ。しばらくは、それこそ魂を抜かれたようにぼうっとしてたねえ」
「そうですか……」
「二番目は、目の創り手のミヤーゼだね」
「目の創り手?」
「そう。人形の目は、宝石で創られてたり硝子で創られてたりするけどね。そういう専門の創り手がいるもんだよ。自分で創る人形師もいるけどね。
 そのミヤーゼだよ。青色の瞳を創るのが得意だったけどねえ。その『色』を忘れたんだ」
「色……」
「あげてたら切りが無いよ。結婚間近だったのに、婚約者のこと忘れてしまったりねえ。
 自分の家を忘れた者もいるしね。
 うちの旦那はラミュを食べたことだったから良かったね。あれはすぐに取り戻せるものさ」
 ますます変な話だ……。
 断片的に失われる記憶。記憶か?それとも別の何か?
 エノリアは首をかしげた。
 大切なことを忘れる……。
 そのとき、騒がしい音が近づき、乱暴に扉が開けられた。と、同時にロッサが腰を上げる。
「む、娘は!!」
「ああ、落ちついてデウマ。こっちだよ」
「す、すまない」
 二人が呆然としている間に、二人は風のように奥へ入って行った。
「キャノは気付いた?」
 声をかけられて、二人は同時に玄関の方を向く。すがるような目をしながら肩で息をしている青年と、倒れこむように前のめりになった彼を支える青年がいた。
 ロッサの息子と、もう一人は……?
 キャノと問われ、それがあの少女の名前だと気付く。
「まだ……みたいだけど」
 エノリアが奥を見ながら返答すると、ロッサの息子を振りきる様にして、もう一人の青年は奥へ入っていこうとした。
「キャノ!!」
「いいから、ひとまず落ちつけよ、ダラウ」
 ロッサの息子はダラウという名前の青年をとどめ、ミラールの隣の椅子を引いて座らせる。
「しかし、アーズ!!」
「わかるけど!母さんにひとまずまかせろ」
 しばらくロッサの息子――アーズと言うらしい――を見上げていたダラウは、眉根を寄せてうつむいた。
 エノリアは、立ちあがると勝手に入っては悪いかと思ったが、台所に行きカップを取り、アーズとダラウにお茶を差し出した。
 ダラウは、目の前に差し出されやっと気付き、エノリアを見上げるが、その目に彼女の顔や瞳の色が映っていたどうか。
「ありがとう」
「キャノさん……って、貴方の」
「大切な人だ」
 かみ締めるように即答して、ダラウはカップを両手で握りしめた。
「ダラウ、この人達がキャノを」
 ひとまず他の話をして興味を他に向けようと、アーズがそう言うと、ダラウはやっと二人の存在を気に留めたようだった。
「キャノを?」
「助けたってわけじゃないわ。見つけただけよ。運んでくれたのは、あっち」
 エノリアが指し示すと、ミラールが微妙な笑顔を浮かべていた。
「すみません……。取り乱してしまって」
「謝ってもらうことでもないわ。大切な人なんでしょ。慌てて当然よ」
 エノリアが微笑むとダラウも少しだけ笑った。
「この町の人じゃないね」
「そうよ。旅の途中」
 ダラウの問いかけは上の空という感じだったが、最初に入ってきたときよりは、瞳の光もしっかりしてきた。
 アーズはそんなダラウとロッサの橋渡しの役を買ったようで、台所と奥の部屋の間で、カップを持ったまま立っていた。
 しばらくして、ダラウの手がかたかたと震えてくる。
「……裁かれてるみたいな気分だ……」
 呟いた言葉。
 ミラールもエノリアもそんな彼を見ていた。
 キャノが目覚めたら、何を忘れているのだろう。
 もしかしたら、彼のことかもしれないのだ。
 ただ、『忘れる』ということだけど……。
 アーズがこちらを振り返った。何か言う前に察してダラウは立ちあがる。いすが床に倒れる音も、彼の気を引くことはできなかった。
 奥の部屋に入るダラウ。
 しばらくして、その言葉はエノリアとミラールの耳にも入ってきた。
 小さく透き通った声だった。
「誰?」
 たった一言。
 無邪気な響きを持った一言……。

 

 
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