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IV 失われるもの
 

 エノリアたちはひとまず話も聞いたので、宿に帰ろうとした。日が暮れかけていて、外にはうっすらと闇が降りてきている。
 そのとき、ラスメイが思いきったようにカタデイナーゼに話しかけた。
「レイ」
 初めてそう呼ばれて、カタデイナーゼは上機嫌で振りかえる。
 ラスメイの視線に自分の視線を合わせるために、しゃがみこんだ。
「どうした、嬢ちゃん」
「この屋敷には【水鏡】はないのか」
 カタデイナーゼは少しだけ考えこむ様子を見せた。
「あるにはあるが……。どうした?使うのか?使えるのか?」
「使える。使わせてくれないか?」
 ラスメイは大きな目でカタデイナーゼを見つめていた。彼は別に何かを気に留める様子もなく、いいよと言ってラスメイを案内しかけ、たたずんでいる二人に気づく。
「お、嬢ちゃんは送るから、あんたら帰っててもいいよ。それとも、晩飯食ってくか?」
 二人は顔を見合わせた。別にカタデイナーゼを信用していないわけでもないが…。
 エノリアが少しだけ肩をすくめる。
「晩御飯はいらない。でもラスメイは待たせてもらっていいかしら」
 この言葉に答えたのはラスメイ本人だった。
「いや、先に帰っててくれるか?時間がかかるかもしれない。ランが宿についてるはずだから、いらいらして待ってるんじゃないか?」
「でも」
「レイに送ってもらうから」
 意志の堅さが目に現れていて、エノリアは押し切られるような形で頷く。何か突き放されたような気がして、少しだけ寂しくなる気持ちがした。
「わかったわ。遅くならないようにね」
「うん」
 ラスメイは出来るだけ明るく返事を返し、心配そうに振りかえる二人を見送る。
「いいのか?」
「構わない」
 一言だけ言って、ラスメイは服のすそを握り締め、少しだけ引っ張った。
 かたくなな彼女の表情を見て、カタデイナーゼは少し笑い、ぽんっと肩に手を置く。
「こっちだから」
 ラスメイは軽く頷くとカタデイナーゼを見上げた。
「レイはいい奴だな」
「そっか?嬢ちゃんの仲間をイヂメタんだぞ」
 軽く笑う彼に、ラスメイはその紫の瞳でじいっと見つめた。
「ん?」
 ラスメイの目を覗き込むと、ラスメイは小さく呟いた。
「何か…あったのか?」
 カタデイナーゼは軽く目を見開いた。
「何か、嫌なことでもあったのか?」
「どうして」
 笑おうとした口が少しだけ引きつっていて、声も堅くなる。カタデイナーゼは、一瞬だけ相手が子供であって良かったと思った。
(エノリアとかミラールは、抜け目がないから…)
 きっとこの違和感のある笑いを気に留める。
「いや、なんとなく。忘れてくれ」
 ラスメイはカタデイナーゼの反応に困ったように、口をつぐんでしまった。そんな彼女を見つつ、彼は呟く。
「お嬢ちゃんは不思議だな。水魔術師《ルシタ》ってだけじゃないみたいだ」
 ラスメイは少し困ったように笑む。答えないが、たいして気にせずに、カタデイナーゼは続けた。
「《カタデイナーゼ》の意味もわかったしな」
「レイの名付け親は、趣味がいいね」
 やっと、柔らかく微笑んだ彼女を見て、カタデイナーゼは内心、ほっとした。
「小さいころはそりゃ、女の子みたいにかわいかったらしいぞ」
「しかし、男につける名前じゃない」
 吹き出すように笑うラスメイを、カタデイナーゼは冗談っぽくにらみつけた。
「まな」
 カタデイナーゼは館の奥の部屋に、ラスメイを通す。暗く光の入らない場所にある扉の前にたち、カタデイナーゼは扉の前の小さなランプに火をつけた。
「光はいるか?部屋は暗いが」
「頼めるか」
 ラスメイは扉を見上げていた。少しだけ期待のこもったような目で。
 カタデイナーゼは誰と【水鏡】で話すために、そんな風にこの少女がうれしそうなのか好奇心が沸いたが、どうにかそれを抑えていた。
 扉を開けてやると、ラスメイはパタパタと暗い部屋の中に入って行く。カタデイナーゼが入ってランプに火をともし、ふりかえるとラスメイはすでに、大きな【水鏡】をのめりこむように覗き込んでいた。
 大きく見開いた目に、多くの期待とほんの少しの不安が混じっているように見えた。不安の方は、期待に打ち消されそうな様子だったが。
「あまり使ってないからな。ちゃんと、掃除だけはさせているけどさ」
「充分。通る」
 もうカタデイナーゼの話などほとんど耳に入らない様子で、ラスメイは水面に手を入れた。
 ぴしゃんと小さな音がして、ラスメイは少しだけ微笑んだ。
「それじゃ、終わったら声をかけてくれるかい」
 ラスメイは振りかえるのももどかしかったらしい。うんうんうんといい加減に三回頷くことで、その言葉の返答とする。
 カタデイナーゼは人知れず苦笑をすると、それ以上何も言わずに退室することに決めた。よっぽど連絡の取りたい相手なんだろうと思いながら。
 扉のしまる音と同時に、ラスメイは映写の魔術をかける。そして、そのまま待っていた。
 応えてくれるのを。
 何時間でも待てる。気付いてくれるまで、何時間でも……。
 水面に映る自分の二つの目を見ながら、ラスメイはそのときを待っていた。
 しばらくして、自分の紫色の瞳と入れ替わるように映った優しい黒い二つの瞳を見て、ラスメイは微笑んだ。
 最高の笑顔で。



 ラスメイに軽くあしらわれてしまった二人は、しばらく館のほうを見つめていた。
「ラスメイはずいぶん、あいつがお気に入りね」
 ちょっとだけ納得がいかないとでも言うように、エノリアが呟くのを聞いて、ミラールは頬をほころばせた。
「さびしいの?」
 エノリアはミラールのほうを向いた。
 そんなことはない、と言いたくても、図星だったので言葉が出てこない。
「…ちょっとね。だって、あいつ第一印象悪過ぎじゃない?なのにさあ…。ラスメイに信頼されちゃってるわけよ」
「根は悪い奴じゃないみたいだからね」
「そうなんだろうけど」
 そう言ってまだまだ愚痴ろうとした自分に気づいて、エノリアは口を閉ざした。
「嫌だ。私、案外根に持つタイプ?」
「根に持つタイプなら、それに気づいたりなんかしないよ」
「大人気ないわよね。私も」
 苦笑してエノリアは館に背を向け歩き出す。ミラールもそれに続いた。
「こんなことなら、夕飯頂いたほうがよかったかなあ。意地を張らずに」
「彼には意地を張っても損なだけだね。意地を張ったってそれにさえ気づかないみたいだから」
 くすくすと笑うミラールに、エノリアは目を向けた。
「あんなタイプ初めてだわ」
 ちょっと怒ったように頬を膨らませる彼女を見て、ミラールは微笑んだ。
「そうだね。エノリアは苦手そうかなあ」
「修行不足だわ」
 ミラールはエノリアの言葉にくすくすと笑う。そのうち、広場の辺りまで二人はもどってきた。
「どうする?夕食は宿で?」
「ランがこっちに着いてるかどうか確認しておこうか?着いてるなら一緒に食べてもいいし」
「着いてないなら待つの?」
 ちょっと頬を膨らませながらそういうエノリアを見ていたら、ミラールはうんとも言えなかった。
「いいよ。先に食べていたら」
 その言葉を聞いて、エノリアの顔がぱあっと明るくなった。
「じゃあ、食べて帰りましょ。だって、帰って来てても私達を待つようなことしないと思うわ」
「そうだね…。それに、帰ってないってこともあるし」
「お腹すいてるから!かわいいお店をね、みつけてるんだ」
 エノリアは一つの小さな店に目をつけていたらしい。そこを指定してミラールと一緒に入っていった。
 小さく「食堂」と看板が出ている店は、夕飯時にはまだ早いせいか、人はまばらだった。
 二人は奥の小さなテーブルに着くと、愛想の良いおばさんからメニューを聞く。
 エノリアは魚料理を注文し、ミラールは肉料理を注文した。ついでに、食前酒と。
「なんだか、二人で食べるって変な感じね」
 今までは四人で一緒に食べることが断然多かったため、違和感はぬぐえない。
「エノリア、あんまり肉は食べないんだね」
 ミラールがなんとなく呟くと、エノリアは頷いた。
「私、チュノーラ出身でしょ。小さいころは魚が主だったから」
「そっか、漁師町多いよね。僕はまだ行った事ないんだけど」
 まあ、しばらくして山に引っ込んだんだけどねと小さく呟いてから、ふとエノリアは顔を上げた。
「あれ、ミラールとランって、よく旅しているんじゃないの?」
「僕が行くのは、行きやすいフュンランやルスカだよ。チュノーラやナスカータは、隣接しているとは言え、山を越えないといけないしね」
「物騒らしいわね。シャイマルークとナスカータ、チュノーラを結ぶ道は」
「山が険しい上に、賊がでるから」
 苦笑するミラール。
「チュノーラやナスカータの現状なんて、フュンランやルスカを通してじゃないと聞けないからね。あとは、旅の楽団や劇団からかなあ」
 エノリアは料理より一足早く持ってこられたお酒に、少し口をつける。
「シャイマルークって結構閉鎖されてるのかしら」
「そういうことになるかな」
「それでも残れたのは、象徴としての存在意義からかしらね」
 ミラールは少しだけ眉を上げて、その言葉に曖昧に答えた。
「……セアラの伝説も手伝ってるのかな……」
 エノリアの呟きは、特にミラールの答えを求めているようではなかった。ミラールは小さな窓から外を眺める。
 人々が家路につき、回りの家の窓からは、ほのかで優しい火がもれていた。
 しばらくすると家路に付く人々が、なにかに気づき視線が同じ方向に釘付けになった。
(?)
 そして、慌てたように視線をそらし、足早に人々はその場を去って行った。露骨に家に飛び入り、その扉を堅く閉ざす者も居る。
 沈黙が町の外に放射状に広がって行くようだった。
(何だ?)
 ミラールが人々の視線の先をうかがうように、窓のほうに身を乗り出した。
「おいしそう」
 うれしそうなエノリアの声に、ミラールはわれに帰り、自分の前に置かれた料理に視線を戻した。小さな子羊の肉に赤いソースがかけられ、周りを色とりどりの野菜が飾っていた。
「どうしたの?」
 フォークを手に持ち、エノリアは首をかしげた。ミラールは何でもないよと笑って見せると、椅子に座りなおす。
 一瞬張り詰めた町の様子と違和感が、ミラールの頭の中にしばらく残っていた。

 
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