「お久しぶりです。陛下」
形ばかりに挨拶をするナキシスを、ゼアルークは何の感情もこもらない目で受け取った。
「急に呼んで悪かった。しばらく会っていないと思ってね」
「心配なさる必要はありません。この通り元気です」
笑顔の一つも向けずにナキシスは淡々と言ってのけた。
「陛下は?」
「体調のことなら良いが、機嫌のことなら、そうとは言えないな」
珍しく遠い言いまわしをする若き王に、ナキシスは訝しげな顔を向けると、彼は少しだけ笑った。自嘲的な笑み。
「いや、それについて話があって呼んだのだ」
「陛下の機嫌を私が損ねましたか」
「相変わらず、遠慮のない人だ」
「歯に絹を着せるような返答をお望みでしたら、いくらでも」
後ろに控えている侍従筆頭のイラカがはらはらとした顔で二人を見ていた。
ゼアルーク王は、そんなナキシスに良く見なければ気づかない笑顔を向け、ソファに座るようにすすめた。
ナキシスが優雅な動きでソファに掛けるのを見て、ゼアルークも腰を下ろす。
そのタイミングを見計らうように、お茶が運ばれてきた。
「今日は、貴方に頼みたいことがあるのだが」
「私も陛下にお聞きしたいことがあります」
ゼアルークは形ばかりにカップを手に取り、ナキシスの方を向いた。
「私が先の方がいいのか。それとも、貴方が先か」
「陛下のお望みのままに」
「では、聞こう」
ナキシスはお茶を一口飲むと、それをテーブルにゆっくりと置いた。たっぷりと時間をかけてから、王に向き直る。
「シャイナ様のことです」
「耳に入ったか」
「勿論、一日とも民への挨拶を欠かさなかった方ですから。噂はいろいろと」
「どんな」
「ご病気だと。それから、行方不明だ――とも」
「それは、誰から?」
「侍従からです」
ゼアルークは形のいい顎を白く長い指でつまむと、しばらくの間、黙ってしまった。
聡明で美しき王……。
ナキシスはこのゼアルーク王の顔を、遠慮せずに見つめていた。
そして、不意に先ほど会った赤い瞳の青年のことを思い出す。
『君の予想通りのものだよ』
あれが…いや、あの方がセアラ…様。
あの赤い目。惹きこまれそうな瞳。
気高く、美しく。そして……。
孤独な空気。
ゼアルーク王とあの方が似ていると思うのは、そういう雰囲気からだろうか。
「それは、民の間でも噂になっているだろうか」
ナキシスは、声をかけられて我に返ったのだが、そんな仕草は少しも見せずに答える。
「それは、わかりませんが」
と言ってイラカを振りかえった。
「イラカは?」
ナキシスだけでなく、ゼアルーク王の視線も向けられて、イラカは心なしか落ち着かない様子を見せた。
「私も……民のことまでは」
「では、宮の中ではそういう噂になっているのだな」
「はい」
ゼアルークはため息をつきそうな顔をしたが、二人の手前それを留めているようだった。
「そのことは、貴方には話しておかねばならないと思ってはいたんだが」
「今日はそのことで私を呼んだのではないのですか?」
「その通りだ」
ゼアルークは少し息をつくと、カップを下ろした。
「噂通りだ。シャイナは行方不明」
「宮の中からですか」
「そう、忽然と消えた。おそらく、それには『あの者』が関わっているだろう」
あるニュアンスをつけられたその単語を聞いて、ナキシスの指が少しだけ動いた。
希薄な色の金の瞳に、毒々しいものが含まれる。
「『あの者』が」
その名を口に出すことさえ、彼女にとってはおぞましいことだった。
「そうだ。あれが宮を出てから一連のことは起きている。まだ推測でしかないが……。闇《ゼク》を持つ者があれの侍従だった者を殺し、シャイナを攫ったらしい」
「十分です」
ナキシスは目を伏せた。
「その理由だけで十分です。あの者が真の原因ではなくても。十分……」
ナキシスは少しだけ微笑んだ。ゼアルークはその邪さを含んだ笑みに、目を見開く。
「殺せる理由が出来たじゃありませんか」
ゼアルークはそんなナキシスの表情を見ていた。
ナキシスは顔を上げた。珍しく晴れたような笑顔をしている彼女の顔を何か恐ろしいものでも見るように、ゼアルークは見つめる。
「で、陛下の頼みたいこととは?」
「…ああ。そう、シャイナが民の前に顔を出せない分、貴方にその役目を果たしてもらいたいと思ってな」
ナキシスは少し不満げな顔をしたが、頷く。
「では、出来るだけ頻繁に表に出ましょう」
「それから…。このままでは、月の娘《イアル》失踪の噂が、民を不安にするだろう。
それを払拭させる話題が欲しいのだ」
「それに、私が協力するのですね?」
「そう。貴方にはいつか……私の隣に座ってもらいたい」
ナキシスは少しだけ顔を上げた。ゼアルークの目を見つめ、真意を探っている。
打算と策略。
それ以上のものを受け取ることはできない。そう、それ以上のものをこの人に、期待していないが……。
「それは……王座の横にも、私の居場所を作れということですか」
ナキシスは冷静だった。
いつもよりも感情を押し殺した目と目がぶつかる。
「話題のために」
ゼアルークはそこで少しだけ微笑んだ。苦笑。
「民の安寧のために」
甘やかな感情など一欠けらもない声。
ナキシスは、呟いた。
「太陽の娘《リスタル》であると同時に、王妃であれと」
〔そのとき…森の向こうから一人の身なりの良い青年が現れた〕
ゼアルークは簡単に頷いた。さほど、たいしたことでもないというように。
〔塔を登り、自分を連れ出してくれるかと
期待と不安で見下ろしていた少女に、青年はこう言った〕
「そう、私との婚姻を」
〔塔にも登らず、罠にもかからず、
青年はそう言う。
この塔から出ることもなく。
この塔から出ることもなく…〕
(少女は安心したのか。それとも絶望したのか)
「いいでしょう」
ナキシスは無表情に答えた。
「そのかわり」
〔変わらない毎日。
塔の外で青年は愛の言葉を連ねるだけ。
触れようともせずに。
少女は少し飽きてきた。
微笑まない彼女に、彼は尋ねる。
『どうしたら笑ってくれるのだ』
彼女はしばらく考えて彼にこう言った。
『塔の外に居る人間を』〕
「あれは、殺してくださるのでしょう?」
〔『毎日一人ずつ…』〕
ナキシスは微笑んだ。誰にも見せたことのないような晴れやかな微笑を、王に見せる。
「エノリアを」
〔『外に居るものを。
私の代わりに自由になっているものを。
殺してくださる?
それが出来ないなら……、私を』〕
「『殺してくださいますか?』」
ゼアルークは頷いた。
「いずれ」
〔『外に出たいのなら罠を止めればいい。
そうすれば、私が』
『外に出たいわけじゃないのです』〕
(外にいる勇気がある者がねたましいだけ…)
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