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 大地の娘《アラル》・ダライアはいつもの時間、いつものようにお茶の時間を楽しんでいた。
 地宮《ディルアラル》は、門に向かって城の背後にあるため、直接、民と出会うには城の一角に設けられた部屋にまで行かねばならない。
 そこで、拝謁に来る民に姿をみせるのだ。
 シャイナが毎日のように、月宮《シャイアル》の一角でそれをしていたときは、ダライアのところにくる人数はそれほど多くなかった。
 また、ナキシスはあまりそういうことを好まないため、光宮《ヴィリスタル》での拝謁は、10日に一度と決めてしていた。
 それでは、民の心が離れるといえば、不満そうな顔をして黙っていた太陽の娘《リスタル》の顔を思い出す。
(あの娘だけは…どうしても好きになれない…)
 ダライアは苦笑した。
 先代の太陽の娘《リスタル》を思い出す。線の細い印象しか残っていないが、それでも民を思う気持ちは大きかった。
 ほぼ同時に太陽の娘《リスタル》と月の娘《イアル》がイマルークに召されたとき、ダライアはなんとなく心に空洞を抱えたものだが…。
 あれから、もう17年…。
(私も年を取るはずだ)
 ダライアは、ここのところ毎日のように城まで足を運び、シャイナの変わりを務めるように民に姿を見せる。
 そして、帰ってきてお茶で一服するのが、日課となっていた。
 シャイナの不在を、不審に思う者もいる。さて、病気と偽ってどれくらいもつのだろうか?
 もう20日以上は経った。それでも、新しい月の娘《イアル》が出現しないと言うことは、まだシャイナは生きていると言うことなのか。それとも、あと10日も経てば新しい娘が生まれるのか?
 ダライアは頭に手を当てる。
 民をいつまで誤魔化せるか?
 エノリアはシャイナを見つけ出せるのか……。
 そのとき、ドアが静かにたたかれた。
「ダライア様。セアラ様が」
「お通しして」
 後ろに控えていた侍従筆頭が無駄のない動きで扉を開ける。侍従筆頭も、ダライアより年若い。そういう時代になってしまったのだと、ダライアは苦笑する。
 大地の娘《アラル》になって74年。
 扉を開けてにこやかに入ってくる大魔術師の姿を見ると笑みがこぼれた。
(恋焦がれた時期もあった…な)
 珍しく、そんなことを思い出して彼女はふと笑った。
(昔のことだ)
「何がおかしいんだい?」
 セアラは両手に抱えた白い花を、侍従筆頭に渡す。
「いや、若いころを思い出して」
「ふうん」
 そのころからこの姿だけは変わらない。その目の色も変わらない。変わったのは、目の奥の色だけ……。
「私にもお茶をいただけるかな。クリームをつけて」
 侍従筆頭にそう言うと、セアラはいつものようにダライアの向かいの席に座った。
「どんなことを」
 興味津々と言ったように尋ねるセアラに、ダライアは困ったように苦笑した。
「ちょっとしたことだよ…。ところで、あの花は」
「ああ、中庭に咲いてたのを失敬してきたんだ。きれいだろう」
「きれいではあるが…」
 ダライアは眉をよせた。
「陛下の庭だろう」
「いいのいいの。ゼアルークは花をみるような余裕もってないさ」
 セアラはくすりと笑うと、出されたお茶を受け取る。
「ありがとう。…あれも、花を愛でるぐらいの余裕があれば、いい王になるとおもうんだけどねえ」
 ダライアはその発言に苦笑した。
「『あれ』、呼ばわりか……。花を切るのを見ていたら、陛下も皮肉の一つなりセアラに言えてただろうにな」
「皮肉なんて通用しないよ。ああ、陛下じゃないけど意外な人物に見つかったな」
 ダライアが好奇心をむけると、セアラはお茶を一口のんだ。
「ナキシスさ」
「……珍しい。城に行ったのか」
 ナキシスは、宮にある自室に居ることを好む。
「ゼアルークが呼んだらしいよ」
「ナキシスは貴方のことを知らない。さぞかしびっくりしただろう」
「そうだね。……最初はわからなかったみたいだから」
「そうか、ナキシスも知ってしまったか」
「おやおや、私は知られてはならない存在なのかい?」
 おかしそうに笑うセアラに、ダライアは苦笑した。
「そういうわけではないが……。表向きは私しか知らないことになっている」
「シャイナを私に会わせたのは君だったじゃないか」
 くすりと笑って見せるセアラ。侍従の一人が、軽くノックをして部屋に入り、すっと二人の前にお菓子をだした。
「これは、おいしそうだ。ありがとう」
 セアラが、にっこりとまだ若い侍従に微笑む。すると彼女は微かに頬を赤らめて、消え入るような声で「いえ」と言い、逃げるように去っていってしまった。 出ていく際に挨拶を忘れて、扉の近くに控えていた侍従筆頭の眉をひそませる。
「初々しい」
「相手が500才を越えてるとは思わないから」
 ダライアのため息混じりの声に、セアラは少しだけ眉を上げた。
「年の話はしてほしくないなあ」
「宮の者が余計なことを言わないとは思うが……。最近、よく耳に挟んでな。『城にあの大魔術師を思わせる姿をした人が居る』と」
「やはり、噂になるよねえ。この美貌じゃあ……」
「……80年ほど前までは、貴方の姿も城では珍しくないものだっただろうがね」
「いいさ。セアラが街に住んでいたことは内緒でも、生きているということは周知の事実のようなものだろう。それが嘘だと思う者が増えてきただけのことでね」
 セアラはそういうと、何かを思い出すようにくすっと笑った。
「何」
「いいや、エノリアの驚いた顔を思い出したのさ。そうだね、まだ生きていると知ってはいても、こんなに若いとは思わないだろうなあって」
「エノリアか……」
 ダライアが眉を寄せた。憂いの含んだ表情に、セアラの口元から笑いが去った。
「どうかしたのかい」
「いや、最近、妙な噂が入ってきてな」
「ああ――。闇《ゼク》にとらわれる者が増えてきたというやつか」
「うむ……」
 ダライアは言いにくそうにつぶやいた。
「――エノリアの影響なのではないのか」
「つまんないことを、心配してるんだなあ」
 セアラはそういうと、微笑んだ。
「つまらない?」
「そうだよ。エノリアの影響?かもしれないね。でもシャイナの影響は?」
「そういうこともあるだろうが……」
 困惑したダライアの表情をしばらくセアラは見つめていた。
 年老いた娘の顔。
 深く刻まれた皺。だが、その瞳の強い光は健在だ。
 銀と金の瞳。そのアンバランスさは、いつ見ていても惹き込まれる。
 そして、唇。
 太陽の娘《リスタル》と月の娘《イアル》は、大地の娘《アラル》のくちづけから生まれた。
 セアラは目を細めた。
 すべては、そこから始まった。
「どうした、セアラ」
 声をかけられて、セアラはダライアを見つめたまま、気のない返事をする。
「……これが、本当の姿」
 セアラの呟いた台詞に、ダライアは首をかしげた。
「光《リア》放たれた世界。闇《ゼク》の欠如。崩れたバランス……」
 セアラは目をつぶる。
「きっと、今こそ、あるべき姿ってやつだね」
「セアラ」
「…しばらく放っておくことだよ。ダライア」
 セアラは目をゆっくりと開き、大地の娘《アラル》の戸惑うような瞳の動きを楽しんだ。
「人の心に、闇《ゼク》はいつだってあった。それが、顕在しただけのことだと思えばいい」
「しかし、セアラ」
「平和な世界。それに慣れてしまった人間には、つらい話だろうけどね。500年ほど前までは、それが当たり前だったんだ」
 セアラはカップを手に取ると、お茶を飲むわけでもなくただ、ふちに唇をつけた。
「そんな世界を見てきたんだよ、私は」
 赤い瞳が少しだけ伏せられた。少しだけ、笑っているようなその姿から、ダライアは視線を空になったカップに注ぐ。
 侍従筆頭がその仕草の意味を勘違いして、温かいお茶を再びそのカップに注ぎ始めた。
 その様子をじっと見ていると、セアラが唐突に呟く。
「ゼアルークが、動き出したみたいだよ」
「……そうか」
「ナキシスを使うみたいだね」
 ダライアは少しだけ目を見開いた。
 そして、再び表情を戻す。
「娘の意味とは……そんなものなのだろう……な」
 セアラの脳裏に浮かんだのは、昔のダライアの顔だった。
 太陽の娘《リスタル》の死。それを追うようにこの世を去った月の娘《イアル》。
 気づいてしまえば、それほど華やかな世界ではない。
 気づいても気づかない振りをしていれば、生きることはできる。
「君の言いたいことは良くわかるよ」
 呟いたセアラに、ダライアが不安そうな目を向けた。
「…………私は長く生き過ぎたな……」
 彼女のかすれるような呟きに、セアラは苦笑する。
「私もだ」
 沈黙が二人の間を通り過ぎて行く。セアラは、ふと視線を自分が持ってきた白い花に向けた。
 侍従がすぐに生けてくれたらしい。
 散らない花などないのに。
 赤い瞳に浮かんだ感情を、ダライアには理解できなかっただろう。
 いつか、創造神《イマルーク》に召されるものには。
 
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