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III 赤い瞳
 
 〔少女は待っていた、塔の上で。
  誰かがここから助け出してくれることを……。
  ここから見えるのはどこまでも続く森の緑だけ。
  そして、遠い空の青さだけ。
  もう何日も何十日も、こうやって窓の外を見つめていた。
  朝日とともに生まれる希望は、日没とともに絶望を深くする。
  そのときにこぼれる一滴の涙が、窓枠の石を少しずつ濡らし削っていたかもしれない。
  少女はまたため息をついた。
  日没の数だけついたため息。
  その数を数えることをやめたのはずいぶん前のように思う。
  そのとき……〕



 彼女はそこまで書いて、ふと手を止めた。扉をたたく音が集中力を妨げる。そっと文を書き綴った紙を机の端に寄せ、ドアを振りかえった。
「誰?」
「ナコスでございます」
「……いいですよ。入って」
 自分の侍従であると知って、彼女はその部屋に招き入れた。この部屋は彼女のために作られた部屋で、 自分直属の侍従以外の入室を彼女は禁じていた。
 ドアが開いて、見なれた顔が入ってくる。
 ナコス=フォンヌ=ヴィリスタニア。金色の混じった茶色い髪をした女性である。年は20代後半だろうか?美しいとは言いがたいが、ふくよかで愛嬌のある顔をしている。
「何か用でしょうか?ナコス」
 彼女は少し不機嫌に言って見せた。執筆の邪魔をされたのも気に入らなければ、彼女の無償にうれしそうな笑顔も気に入らない。
「陛下がお茶会にお召しですわ。ナキシス様」
 ナキシス。太陽の娘《リスタル》・ナキシス=フォン=ヴィリスタルは眉をひそめた。
「珍しいことがあるのですね」
 もう少し、物語をすすめたかった。しかし、陛下の命といえば、行かないわけにはいけない。
「支度をします。手伝ってくれますね」
 そう言って、ナキシスは机の上を片付け始める。少しだけ、ナコスが覗き込むような仕草をした。ナキシスはこの部屋にあるものを触られるのは嫌がるので、片付けの手伝いはしない。太陽の娘《リスタル》にそのようなことをさせられないとは思うのだが、この部屋だけは、ナキシス自身の手で掃除されていたのだった。
「物語…ですか?進みました?」
 陛下が呼ばなかったら、もっと進んだけどと心の中で付け加え、ナキシスはうなずいた。
「いつになったら、見せていただけますの?」
「出来あがったら……」
「そう言ってもう2年たちますわ」
 少しだけ不満そうなナコスに、ナキシスは口元で笑って見せる。
「大作なのですよ、これは。他の物語は見せているでしょう?」
「ええ、ええ。昨日、やっと私の手元に戻ってきましたわ。光宮《ヴィリスタル》の仕える者《ニア》達の話題はそのことばかりですよ」
「みな、ひまですから」
 嘲笑にもにた笑みを浮かべると、ナコスはあせったように頭を振った。
「いいえ、ナキシス様の書かれる文章が素敵なのですよ。ほんと、うっとりとしてしまいましたわ」
 ナキシスは曖昧な笑みを浮かべると、数枚の紙を束ねると、鍵をかけることが出来る引き出しにしまう。
「そちらは終わりませんの?」
 期待を持ったようなナコスの問いに、ナキシスは自嘲的な笑みを見せた。
「そうですね。まだ」
(この作品は終わらない)
 好奇心でいっぱいになったナコスの顔から、顔をそむけるとナキシスは机の前に設置された窓の外を見 つめた。
 美しい花が咲き誇った庭。宮や城の敷地内は、まるで楽園のように美しい。
(死ぬまで、終わらないわ)
 少女は塔から逃げられない。どんなに素敵な王子様が助けにきても、逃げられない。
 王子が塔に登る途中には多くの罠が仕掛けられている。
 それは、少女自身が仕掛けた罠。
 少女は知っているのだ。塔の外の過酷さを……。
 華麗で美しい牢屋。
 ナキシスはナコスを振りかえった。
「さあ、参りましょうか」
(だから、終わらない。少女が塔から出ない限り)
 死ぬまで。
 
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