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 ランがメロサに入ったのは、ミラール達がカタデイナーゼの屋敷で話を聞いているころだった。
 宿を一軒一軒確認し、三人が予約した宿を見つける。
「入られてすぐに町に出られましたが?」
 主人がそう言うのを聞いて、ランはうなずいた。
「どこかに行くとか言ってなかったか?」
「いえ、とくには……。まあ、メロサで見るものといえば人形師の工房や店でしょうね」
「そうか……。わかった、ありがとう」
 そう言って出て行こうとするランを、宿屋の主人は呼びとめた。
「お客さん」
「何?」
「お客さん達、シャイマルークからいらっしゃったんでしょ?」
 何かを含んだような口調に、ランは少しだけ警戒した。何を探っている?
「そうだけど……」
「ああ、やっぱり。シャイマルーク国のシャイマルークから?」
「……もし、そうなら?」
 ランはますます警戒する。国を超えれば、詮索は少なくなると思ったが、もしかして連絡がわたったのか?
「いいえ、シャイマルークから来た方に聞きたいことって言えば、わかるでしょう?お客さん、フュンランははじめてですか?」
 ランはその含みを持った言い方に、ふと自分の頭の中にある記憶を探った。
 微かな期待のこもった目から、引出せた答えは。
「もしかして、月の娘《イアル》のこと…」
「そうです。シャイナ様はお元気ですか?」
 わくわくして尋ねる主人の前で、ランは口篭もった。
 月の娘《イアル》・シャイナはフュンラン国出身である。しかもフュンラン国の第二王女ともあって、 フュンラン国では絶大の人気を誇っていた。
 だいたい、宮の娘達は両親の名を知らされずに育つ。ただ、出身国ぐらいはわかるものだ。
 だから、その国から娘が出れば、どうしても贔屓目になってしまうのだ。シャイナの場合、第二王女というのも、それに輪をかけているようだった。
 だから、フュンラン国の人々はシャイマルークから来た人から、シャイナの様子を聞きたがる。
「う……ぁ。俺は、あんまり宮に行かないから……」
 まさか『シャイナは行方不明です』などとは言えない。シャイナに何かあるってことは、国家間の問題にもなりえるんだと、いまさらながらに実感した。
「そうですか……」
 明らかに落胆したような様子で、主人はつぶやいた。
「だけど、噂は聞く。シャイマルークでも月の娘《イアル》は人気が高いな」
「皆さん、そう言ってくれます」
 自分のことのように主人はうれしそうに言った。ランは適当に話を切り上げて、宿から出て行く。
 月の娘《イアル》に人気があるというのは嘘ではなかった。太陽の娘《リスタル》・ナキシスはシャイマルーク出身だが、シャイマルークから娘が出るのは、そう珍しいことでもない上に、ナキシス自体、あまり表に出ようとはしない人だった。
 シャイナは積極的に、民と接しようとする。勿論、宮の中と場所は限られてはいたが……。
 ちなみに大地の娘《アラル》・ダライアの出身はルスカである。
 ランは宿を出て、あたりを見まわした。いたるところから、木を削る音や、金属を打つ音が聞こえる。人形師の町とはよく言ったものだ。
 人形師の工房と人形を売っている店が多い。大体は工房と店が一緒になっているが、中には工房だけ、 店だけというのも多かった。
 人間そのものを精巧に形作った人形から、手のひらに乗る小さな物まで、さまざまな人形が居る。
(見事だと思うが)
 ランはある店で足を止めた。
(怖いな)
 硝子で作られた目が並ぶ。自分を見止めてもらえる様、訴えているようだった。
 怖いのはそこに込められた思いだ。
 からみつくような視線を感じて、ランはふとひとつの人形に目を留めた。
 そこだけ、空気が違う気がした。
 金に近い茶色の髪と目……、エノリアの言ってた人形の容姿とぴったりとあてはまる。
「主人?」
 店の奥に声をかけると、愛想の良い婦人が出てきた。
「はい?なんでしょう」
「そこの……人形だが」
 ランが指し示すと、彼女は待ってましたとばかりに説明をはじめる。どの人形を指されたら、こう言うというのを、やはり決めているものなのだろうか?
「これは、この町一番の人形師が作ったものですよ。お客さんはお目が高いですね」
 こびるような目を少し鬱陶しく感じながら反復した。
「この町で一番?」
「ええ、ええ。二番と三番は、どんぐりの背比べ。だけど、一番はダントツですよ?」
 ランはもう一度、人形を見た。
 見事な作品だと、素人のランでもわかる。その人形の周りに置かれた人形は、影をひそめている。
「会ってみたいな。工房はどこに?」
 ランが軽くそう言うと、彼女は急に顔を曇らせた。
「どうかしたか?」
「お客さん、この創り手は気難しくてね。滅多に人とは会わないんですよ。お客さんも、不快な思いをするだけですよ。やめといたほうがいいですよ」
 ランは軽い気持ちで言ったので、彼女の言い分に気おされた。あいまいに返事をして、店を後にする。
 何か違和感を感じた。彼女の言い方が…何か。
(まあ、いい)
 別にどうしても会いたかったわけじゃない。
 ランは予定通りに三人を探すことにした。ふと踵を返すと、そこに。
 金色の目が一瞬だけ見えた。
(エノリア?)
 足を踏み出すと、ふわっと、体がゆれたような気がして、ランは立ち止まった。
(?)
 なんともない……。軽い眩暈?
 ランはまた足を踏みだした。
「エノリア」
 呼ぶが、その人物は振り返らない。
 金色の瞳はエノリアしかいなさそうだが…。
 ランはその人影を追った。フードをかぶっていて、その髪の色や長さを判別できない。
 服も、そういうのを着ていたかと考えると、着ていたような気もする。曖昧な記憶がじれったい。
「エノリア?」
 振り返らない。違うのか?からかってるのか?
 ランはなぜか判別できないままに追いかけた。人ごみをかいくぐり、気がつけば必死になっていた。
 足早になるその人影は、路地をくぐり、そして町の奥へ奥へと進んでいく。
 風景は様子を変えていった。
「エノリアじゃないのか!?」
 木々が茂り、家もまばらで人影もほとんどないところで、ランは大声で呼びかけた。
 彼女は振り返る。まぎれもなく、エノリアの顔……。
 だが、フードからこぼれた髪の色は、金色だった。
「染め粉が?」
 つぶやいたが、彼女は笑った。
 こぼれるような微笑。こんな笑顔を自分に向けたことなどない……。
 そして、気づいた。髪が…長い。
 出会った当初の見事な金髪。
 彼女は誘うように視線を送ると、森へ入っていく。
「エ……」
 エノリアじゃないとは分かっていた。だけど、まぎれもなく彼女だ。
 金色の瞳・金色の髪……。
(どういうことだ?)
 ランは彼女を追いかける。道を外れて、森をかき分けた。
 ちらちらと見える後姿。揺れる金髪。
 ランが追いかけているかどうか確認するように、後ろを振り返っては笑う。
(違う)
 違うとはわかっていても追いかけてしまう。
 ふと暗い森の向こうに、小さな明かりが見えた。人工的な……。
(こんなところに住む人が……?)
 気をとられているうちに、彼女の姿を見失った。
「エノリア?!」
 違うと思っていても、他にどう呼びかけていいかわからない。
 そのとき、ふと、前方に見覚えのある人物が居た。
 乳白色の髪、そして赤い瞳。
 笑いを含んだ瞳が、ランを見つめていた。
「セアラ?」
 彼は黙ってそこに立っている。
「どうして、ここに?」
 セアラは笑った。
(『ニナほど上手くは作れなかったけど……』)
 ランは目を見開いた。
 この声は、この台詞は……。
(『君達の体を温めることぐらいならできるかと思ってね』)
 ランは1歩踏み出した。
(まやかしだ)
(『さあ、ラン、ミラール?』)
(どうして?)
 自分の脇を駆け抜けて、セアラによっていく二つの影。
 幼いころの自分と、ミラール。
(いつ、こんな幻を)
 笑顔の少年達。優しい目をしたセアラ。
 ランは腰の剣に手をかける。気づくと微かに手が震えていた。
 三人の影はランが近づけば近づくほど薄れていった。
 柄にかけた手に力をいれ、もう一歩踏み出したとき、完全にそれは掻き消えた。
 右横に気配が出現して、ランは左横に避けた。
 少年のころの自分とセアラ。
 そんな自分の後方で様子を見守っているようなミラール。
 自分の額からは血があふれ出て、顔を真っ赤に染めていた。近くに鋭利なナイフが落ちている。それも鮮血に染まっていた。
 行き場のなくなった両手も、赤く染まっている。
 あの時の情景だ。
(『確かに捨てればと言ったよ』)
 そう言ってセアラは服で血をぬぐう。
(でも、こんなことをしても)
 ランは次の台詞を思い出していた。ゆっくりとその三人に近づく。
(『でも、こんなことしても』)
 セアラは自分を抱き寄せた。
 ランは剣を抜く。そうして、振りかぶった。
 そのとき、幻のセアラがこちらを向いた。妖艶な赤い唇に、微かな笑みが宿る。
(『無駄だよ』)
「!」
 剣をそこに一閃させるとその幻は消え去った。
 ランは知らず知らずのうちに、肩で息をしていた。
 幻……じゃないのか。
 幻の消えうせたその空間を、ランは瞬きもせずに見つめる。
 セアラのさっきの言葉が、頭にへばりついて離れない。
(『無駄だよ』)
「無駄……だよ?」
 そう言ったんだろうか。あの時も。
 注意深く、記憶を探るが出てこない。
 なんだ…これは。
 ランは大きく息を吸う。気がつけば、心臓が早鐘のように打っていた。
 動揺に気づいて、ランはまた大きく息を吸う。それを吐き出そうとしたとき。

(『俺を殺せるか?』)

 ランは弾かれたように振り返った。
 そこには『彼』がいた。鋭い光を宿した漆黒の目をした、『彼』。
 抜き身の剣を持って、あのときのようにこちらを見ている。幾分、今の自分の頭より下を見定めていた。
(『俺はお前を殺せる』)
(あんたは死んだはずだ)
 剣の先を向けられて、幻だとはわかっていても思わずランはかまえた。
 息を呑む。剣先がかすかに震えているのを見て、ランは眉根を寄せた。
(『俺を殺せば、少しは変わる。お前が探しているきっかけってやつだ』)
(あんたは…また俺に殺させるのか)
 きっとランは気づいていない。今、自分が泣きそうな顔をしているのに。
(『お前が殺せないなら、俺がお前を殺してやる。それもまたきっかけだ』)
 『彼』は、静かに動き出した。そして、剣を振りかぶる。
(そして、俺は…あのときのように)
 わざと隙だらけの『彼』の腹をめがけて、
(剣を振る)
 思ったこととは裏腹に、ランは剣を握る手を下げ、目をつぶる。
(いつも、思ってた。あんたにあの時、剣を向けなかったら……)
 そして、ゆっくりと目を開ける。
(あんたは俺を生かして、一緒に連れて行ってくれたんじゃないのかって)
 目を開けた先、そこには何もなかった。
 『彼』の幻も、その他の人影も。
 ランは剣の落ちる乾いた音を聞いた。
 自分の手から落ちたとは、気づきもしないでふらふらと足を動かす。
(幻だ)
 ランは近くの大木の根元に座りこみ、疲れたように腕を落とした。
(幻なら、思ったように動いてくれてもいいんじゃないのか)
 われながら自分の考えていることに苦笑した。
(……勝手だな……)
 体をひやりとした幹にまかせ、ランは目をつぶった。日が、ゆっくりと落ちている。それでなくとも、木々の多い茂った森の中に届く光は少ない。
 ゆっくりと時間が流れているようだった。そんな森の空気が、ランの心を奥に奥にと沈めていく。
 耳が痛くなるほどの沈黙。
 時折、吹く風が木々のざわめきを生み出す以外、何も聞こえなかった。
 鳥の羽ばたきさえも。

 ………おやすみ………。

ふと、ランは顔を上げた。
 何か聞こえた。それは沈黙を破ると同時に、時間の流れを元に戻したようだった。
「……歌」
 かすれた声でつぶやいて、よろよろと立ちあがる。気づけば、森はかなり暗くなっていた。夜になってしまったのだろうか?宿を出たとき、太陽は少し傾いてはいたが。
 ぽつんと、エノリアの影を追っているときに発見した光が目に入った。
 その明かりがなぜだかとても、優しく暖かいものに見えて、少し悲しくなる自分に驚く。
 ランは耳に神経を集中した。

   ……愛しい子、安らぎを妨げるものは……。

(あっちから?)
 優しい?切ない?悲しい?愛しい?どの言葉も当てはまらないようで当てはまるその歌声。
(懐かしい?)
 その言葉が、しっくりとくるようだった。
 心に染み込む、女の歌声。
 ランは招かれるように、ふらふらと足を明かりの方へ向けた。

 ……ルーラが消してくれるから……。

(子守唄……か?)
 ニナがよく歌っていた、それに似ている。
 声は、自分が聞いたことのない優しい声だった。
(聞いたことがない?)
 否、ある。
(どこかで、聞いた)
 明かりの燈る一軒屋。小屋とも言えそうな建物は、森の中、人目に触れないように建っていた。
 その一軒屋の扉の前に、小さなランプを持った女が立っていた。
 顔はその光が仄かに当たるだけではっきりと見えない。
 歌っているのは彼女だろうか?
 ランが森から抜け出し、その敷地に足を踏み入れたとき、彼女はこっちを見た気がした。
 柔らかい雰囲気がランを包みこんだ。
 ランは思わず口を押さえる。
 何かが、心に入りこんで悲しみを撒き散らしているようだった。
(なんだ?)
 悲しみは優しさに変わり、愛しさになる。
 ランは首を振った。
 語り掛けてくる言葉。
 その言葉の意味もわからないのに、ランは意識の中で「違う」と繰り返した。
 急激な睡魔に襲われ、その場にひざをつく。
 歌声は続いている。その子守唄に引きずられるように、ランの体はその場に崩れ落ちた。

 ……愛しい子……。
 抱きしめていてあげるから、ゆっくりとおやすみ……。


(……母さん………?)
 意識の底でつぶやいた言葉を、ラン本人も判別できないまま……柔らかい眠りの底へ彼は落ちていった。
 
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