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 エノリアはメロサの宿の一室で、一息ついた。
 豪華とはいえないが、しっかりとしたベッドが二つと、小さな棚には花が1輪生けてあって、宿の主人の心遣いが伺えた。
「まあ、不満は無いわね」
 呟いて、少女を見つめる。
「私はこっちのベッドを使うよ」
 一人一部屋取っても大丈夫なぐらいの路銀は持っているのだが、若干十歳の子供であるラスメイを、 一部屋で休ませるのも何か心配になるのだ。
 勿論、彼女にそう言えば大丈夫だと少し不機嫌そうに言うだろうけど。
 隣のベッドに荷物を置き、愛用の杖を枕下に置くとラスメイは、窓から町並みを見下ろした。
「人形師か。少し、工房を覗いてみたいと思わないか?」
「そうねえ。興味はあるかなあ」
 そう言って、外を覗きこむと隣の部屋の扉が閉まる音がした。
(ミラール?どこかに?)
「どこかに行くのかな」
 同じようなことを思ったらしく、ラスメイも振り返る。
「そうねえ」
 エノリアは部屋を出て、ミラールの背中を追った。
「ミラール?」
 階段を降りかけていた彼に声をかける。
「どっかいくの?工房を見に行くなら、一緒に行かない?」
 そう聞くと、ミラールは片手に持っていた笛を示して、照れくさそうに笑う。
「これを吹きにね」
 そう言われてエノリアは、思い出した。どこの町でもミラールが宿に部屋を取ってから、ふらっと居なくなるのを。
「もしかして、いつも吹きに出てたの?」
「……まあ…できるだけね」
(笛、両親を探すための鍵だって言ってた)
 ミラールは少しだけ落ち着かない様子で、エノリアの質問に答えていた。ラスメイが部屋から出てきて、エノリアの横に並ぶ。
「工房、いかないのか?」
「うーん。私、ミラールについていってもいい?」
 ミラールが微かに目を見開いた。
「私、ミラールの笛ちゃんと聞いたこと無いのよね」
 おせっかいかなあと思いつつ、エノリアはミラールの目を覗きこむ。
「いいよ」
 ふと、ミラールが笑みを浮かべた。
「ラスメイはどうする?」
 ラスメイはエノリアとミラールの顔を交互に見て、それから、ちょっと考え込んだが、一緒に行くことにした。
 3人はさっき通った広場に向う。人々が多く、中には路上で演奏しているものもいた。
 植え込みの近くに、ミラールは陣取り、少し離れた分宮《アル》の階段に座っている二人に、笑顔を向けた。そして笛を愛しそうに撫で、唇につける。
 ミラールがすっと目を閉じる。
(空気が変わる)
 エノリアは、少しだけ目を見開いた。
 ミラールの周りの空気が変わったのだ。集中したミラールが息を吸うのをじっと見つめる。
 音が、風に乗った。
「わ…」
 エノリアの声は、ほとんど息としてもれた。
 ミラールを中心に、空気が変わる様子をエノリアは食い入るように見つめていた。
 人々が徐々に振りかえり、足を止め、その瞳が輝き出す。
(すごい…)
 ふと気付けば、ラスメイが誇らしそうにミラールを見つめていた。
 エノリアは心底もったいないと思った。ミラールとこれまで一緒に旅をしていて、一度もこの腕前を披露してもらったことがなかったのだ。
 そういう考えにもいたらなかった自分が、これまでそういう余裕さえなかったことに気づく。
 一曲終わると、身じろぎしなかった人々が、息を漏らしたのが聞こえた。そうして、拍手するために人の輪がうごめく。
 拍手を人懐っこい笑みで受け取り、ミラールは身の置き場に困ったようにはにかんでいる。
 そんなミラールに、周りで演奏していた数人の音楽家達が寄ってきて、なにやら話しこみはじめた。
 文句を言いに来たのかと思ったエノリアは、思わず腰をあげたが、ミラールの穏やかな表情を見るとそうではないらしい。
 何か始まるのかと言う感じで、その場に残る人も居れば、もう終わったのかとがっかりしてその場を離れる人もいた。
 ミラールはその人達と頷きあうと、その人達はその場に腰を下ろした。
「合奏…かな。珍しい」
 ラスメイが少し楽しそうに呟いた。
 一人が合図をして、それは始まった。
「『花の国』だ」
 ラスメイが呟いた。
「知ってるの?」
 エノリアの問いに、心は音楽に置いたまま、ラスメイは頷いた。
「知ってる。ミラールの曲だよ。フュンランでの音楽会で、フュンラン王家に捧げると言って、作った曲だ。そのときは竪琴で弾いたらしいが」
 ラスメイは目を細めた。
「その帰りに私の家へ寄ってくれて、評判が良かったとうれしそうに語ってくれた」
「綺麗な曲ね」
 こんな風にみんなが知っているということは、かなりすごいことだと思うのだが……。
 エノリアは顎を両手に置き、両膝に両肘をついてミラール達を見ていた。
 人の輪がどんどん厚くなるのを、遠くから見ていた。
「すごいなあ。竪琴も聞いて見たい……」
「いい音楽家になると思うのだが」
 ラスメイはそう言って口をつぐんだ。
 語尾に含まれたものが気になって、エノリアは首をかしげる。
(だが?)
 ラスメイはエノリアの何かを問うような視線に気付いて、エノリアのほうを向いた。
「何か?」
 自分で言ったことに気付いてないようだった。聞きにくくて、エノリアは何でも無いと呟く。
 そのとき、音楽が急に中断され、人のざわめきが支配した。
 その異変に気付き、エノリアは少しだけ腰をあげて、視線をミラールに向ける。
 人の輪が崩れ、次々に人々がその場を立ち去って行く。まるで、逃げるように。
「ここでの興業は許可がいるんだけどぉ?」
 言葉は柔らかかったが、その粘りのあるイントネーションが鼻につく。
「という事で、稼いだ分は没収だ」
「興業をしていたわけじゃありません」
 ミラールの丁寧だがはっきりとした声が聞こえ、周りの音楽家達は、ミラールの袖をひっぱり、やめさせようとした。
 相手が悪いと誰かがささやく。
「こんなに集めて、金を取らずかあ?まさか、なあ」
 人々の輪はもう無くて、エノリアはそんなに苦労せずに、相手の姿を捉えることが出来た。
 ぼざぼざの赤毛の髪、だが、身なりはいい。背は高めで、背中に大ぶりの剣を下げていた。
 がっしりした体格は、その剣をなんなく振りまわせそうだ。
 二人、下品な笑みを浮かべた取り巻きをつれているのが気に入らない。
「どういう権利で、取り締まってるんですか?お聞かせ願いませんか」
 ミラールはあえてにっこりと微笑みながらそう言った。目が笑っていなかったが。
「……旅のものか。俺の顔を知らないらしい」
「一度会っていたら、忘れないのですけどね」
 赤毛の男はミラールを標的に選んだらしい。他の音楽家達が、その間に一人二人とさりげなく去ろうとしても、気にも留めてないようだった。
 逃げ腰のその男達をみて、エノリアの我慢が限界に達した。その場に立ちあがり、よく通る声で一喝する。
「あんたたち!一緒に、演奏してたんでしょうが!ミラールにまかせて逃げる気なの!?」
 エノリアの隣で、ラスメイが苦笑した。敵知らずと言うかなんというか…。
 赤毛の男が振りかえり、音楽家達は唖然とした。もちろん、ミラールも。
「それに、あんたも。ミラールはお金取ってたわけじゃないわ。難癖つけるのもいい加減にしなさいよ」
 つかつかと歩み寄るエノリアを、面白そうに男は見ていた。
「あんたも旅の者か」
「そーよ。旅の者だから、ここの勝手はよく知らないの。少しは大目に見てくれないかしら?」
「ふーん」
 二人の言いあいの隙に、音楽家達はバラバラと散っていってしまう。
 男はニヤニヤと笑い、エノリアの顔を検分するように見ていた。
「金の目か。宮か?」
「違う」
「ほーう。もったいないな」
 何が言いたいのか。エノリアは目を細めた。
「よし、決定。君、合格」
「何の話よ」
 エノリアは気色ばんだ。なぜか鳥肌が立つ。
「野暮なこと聞くなよ。わかんないかなあ…」
「彼女は関係無いだろう!」
 ミラールがそう言うと、赤毛の男は振りかえる。
「この女、あんたの何か?」
「お前に関係あるのか」
 丁寧な言葉遣いが崩れた。
 冷静さの消えたミラールのみぞおちに、取り巻きの一人の拳が入り、倒れかけたところを後ろからもう一人に羽交い締めにされた。
「ミラール!」
「儲けようとした分この女、貰っていってやるよ」
 ニヤリと笑う赤毛の男を、ミラールはにらんだ。こんな表情が彼にできるのかというぐらい、険しい顔で。
「ふざける……な」
「んじゃ、行こうか?」
 赤毛の男はにっこりと笑い、エノリアの腕を抱えようとした。
 ぎっと金色の瞳でにらんだ。
「触らないでよ。身分相応ってものがあるでしょ。その程度じゃあ、私は高いわよ」
 剣は置いてきてしまった。持ってきていても敵わないだろうけど。
(どうしてこんなときにあいつがいないのよ)
 頼りたくないけど、そんな風に思ってしまう。
(いなくちゃいけないときにいないんだから!)
 男の手が、エノリアの二の腕をつかんだ。
「心配するなよ。身分はそれなりにある。ここメロサの領主の息子サマだ」
「品位が無いな」
 ラスメイの呟きを、赤毛の男は後ろに聞いた。さっきまで、離れて様子を見ていた少女が近くまでやってきていた。
 ぎょっとして振り向いた赤毛の男は、そこに紫の瞳の少女を見た。
「うーん。もったいないが……お嬢ちゃんは、7年後だな」
「7年後?7年後があるのか」
 口の端を上げて、ラスメイは笑う。
 そのとき、微かな音と共に赤毛の男の頬に紅い線が走った。
「っ?」
 エノリアをつかんでいた手の力が抜け、エノリアは咄嗟にその場を離れた。
「ラスメイ?」
「違う。ミラールだ」
 見れば、ミラールはみぞおちの部分を抑えながら、二人の男を伸していた。
 風魔術師《ウィタ》の力だ。いつもと雰囲気が違う……。
「……やばくない?」
「珍しい。切れかけてる」
 感心するようなラスメイの言葉に、エノリアは目を見開いた。
「切れかけてるって…!?」
「心配しないでいい。ミラールはランよりは理性があるからな」
「そういう問題じゃあ……」
 自分の頬に手を当て、赤毛の男はその手の血を確認した。そうして、にやりと笑う。
「風魔術師《ウィタ》か」
「さがるか、来るかどっちだい?僕は、攻撃になると加減が出来ないんだ」
 ミラールはそう呟いた。倒れた男の体を跨いで、赤毛の男に近づく。
「ほら、確認してるだろう?ランなら、問答無用だけどな」
「そういう……意味なのね」
 二人はなぜか観戦に回っている。
「だから、あんまり人間相手には戦いたくないんだけど」
「俺もあんまり戦いたくないな」
 と、言いつつ赤毛の男は大剣のつかに手をかけた。
「お前の細い腰なら、一閃で終わる」
 薄ら笑いを浮かべながら、赤毛の男は剣呑とした目を向ける。
「譲歩してやろう。女は要らない。当初の通り金だけを差し出せば許してやる」
 エノリアはその言葉に溜息をつく。
「どこが譲歩なのよ……」
「領主の息子にしては、金にこだわるな」
 外野から、そんな声が聞こえる。勿論、エノリアとラスメイなのだが。
 街の人々は、かなり離れたところで見物をしていた。その様子を見ていると慣れていて、こういうことは頻繁にあるみたいだった。
「止めさせられない?」
「ミラールが負けるとは思わないけど…」
 ラスメイはそう言いながら、小さく呟いて自分の周りに風《ウィア》を寄せ集めた。
 待機、させる。
「いざとなれば、入る」
 エノリアは二人に視線を戻した。
 二人はしばらくにらみ合っていた。ミラールの集中力が切れるのを待っているようだった。
 ミラールもミラールで、顔には出さないが攻撃を少しためらっているようだ。
 人間にその力を向けたことがないから。
 その均衡を破ったのは赤毛のほうだった。
 重さを感じさせない速さで剣を抜き、その体格に似合わない速さでミラールの懐に入り込む。
 ミラールはその瞬間に、目を見開いた。
「《ウィア・トヴァ》」
 風《ウィア》が吹きあがり、男の目の前で渦を巻いた。ミラールを守るように。
 ラスメイが感心したように、溜息を漏らす。
「見事」
 一瞬、男は風《ウィア》に押され後退する。だが、そのパワーを甘く見てはいけなかった。足に力を入れると、ミラールの風《ウィア》の壁に向う。
「ミラール!」
 ミラールは目を見開いた。
 男の剣が縦に一閃される。その光を見た。
(殺してしまう……)
 瞬時にそう思った。殺されるではなくて、殺してしまう。このまま自分の身を守ろうと思ったら、攻撃力を制御する自信はなかった。
 だが、男はその手をミラールの顔面の前で止めた。そして、その剣をゆっくりおろし、ミラールに笑顔を向けたのだった。
「譲歩案、その2」
 赤毛の男はよく通る声でそう言って、すっと戦闘態勢を解く。
 ミラールが不審な顔をして、男の顔を見た。
 そうして、にやりと笑った。
「その力を『ただ』で貸してくれないか」
「は?」
 男の様子ががらりと変わったようだった。
「いいだろう?町のためにもなることなんだが……」
 ミラールは困惑したように男を見つめたが、男はにこにこと笑っている。
 どこまでが本気なのかよく分からない奴だと思った。
「俺の名前は、カタデイナーゼ=レイ=メロサーデだ。名前を教えたんだからな、この件はなかったことにしてくれ」
 勝手な言いようだと思っていると、ラスメイの笑い声が響いた。
「《カタデイナーゼ》か!いい名前だな。似合わん!!」
 その笑い声で、その場の空気が変わり、カタデイナーゼと名乗った男は、苦笑いをする。
 そういうふうに笑うと、意外に愛嬌があった。
「笑うなよ。レイと呼んでくれ。頼む」
 何か、怒りもどこかに追いやられてしまって、ミラールとエノリアは、はあ、と気の抜けた返事をするしかなかった。
 
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