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ランが見た光景は、彼がその場にたどり着くまである程度想像していたものと、そう変わらなかった。
魔物の生息地はだいたい固まってきていたが、最近はそれが広がっている。
旅の商人は魔術師や剣士を雇うことでそれを回避し、旅人もまた剣士を雇ったり、他人と徒党を組 むことでそれを回避しようとしていた。
だから、物価が値上がりし、前ほど国と国の交流がなくなってきたとは言うが。
小さな馬車が数匹の魔物に襲われていた。馬はすでに事切れ、がたがたとゆらされている馬車のなかからは女性の悲鳴が聞こえる。
(さっき、すれ違ったやつかな)
町から町へ人を運ぶ小さな馬車だ。メロサから隣町へいく途中なのだろう。
一人の剣士が同行していたように思うが…、御者を含めてその姿はなかった。
(逃げたかな)
悪質な剣士も中には居るのだ。
それとも…。
姿が見えない=お腹の中。
自分の発想に軽く吐き気を感じながら、ランはラルディの背から飛びおり、走りよる。
1・2・3…。
その数を数えながら、ランは剣を抜く。
5,6。魔術は使わなくていいだろう。
一匹がこちらに気付く、敵意を剥き出しにしてそれはランに襲いかかった。
見事な一線が空でそれを切り裂いた。返り血をさけて、次の獲物に目をやる。
耳を劈く悲鳴に同胞がやられたことをしり、すべての魔物が対象をランに定めた。
自分にそれ達をひきつけて、馬車から徐々に離れて行く。
窓からこわごわと外を覗く一人の娘に、出るなと一喝して、ランは剣を振り払った。
軽く大地《アル》で防御をはっているとはいえ、五匹同時の攻撃には辟易する。
一匹一匹の形態が違うことに気付き、ラスメイが以前に言ってたことを思い出した。
『進化してるようだ……』
(形態だけじゃない)
ランは一匹をしとめ、間髪入れずに出される攻撃を避けた。
(知能もだ)
明らかに、群れという概念ができている。
のこり4匹。
魔術を使わなくてもいいという判断は甘かったかと、自分で自分に舌打ちをする。
「奢ったかな」
軽く右の二の腕を引き裂かれ、ランは目を細めた。
魔術の発動を警戒してか、ただ本能のままなのか、魔物達の攻撃は止まるところをしらない。
せめて背後に何かがあれば。
三方までなら対応は出来る。四方は難しい。
彼女達の安全を配慮して、馬車から離れたことも誤算だったかもしれない。
ここで、自分が倒れれば彼女達も…。
弱気な考えを自嘲して、ランは戦うことに専念した。
「加わろう」
甲高い叫び声と同時に、低い声が背後からして、ランの背中に誰かの背中が触れた。三匹目の死体が斜め前方にかすかに見えた。
「助かる」
一言だけ礼を言うと、ランは目前の魔物に容赦なく切りかかった。背後に援護を受けた後の決着は早 い。
最後の一匹が地面に落ちるのを確かめて、ランは振りかえる。
「助かりました。礼を」
「いや」
そのとき初めて、助っ人の姿を見た。彼は笑顔ひとつ浮かべずに、剣の血のりをふいて鞘に戻す。
薄い茶色の髪と、紺色の瞳のアンバランスさに目をとられた。年はまだニ十代前半と言うところか。 その割りに落ち着いている物腰が、印象的だった。
「軽率だな」
彼はランに目を向けずに低い声でそう呟いた。
「はっ?」
「状況判断が甘い。一人で向うとは無謀も良いところだ」
その言葉にはその意味以上のことは含まれてなくて、ランは怒ってもいいのかどうか判断しかねた結果、首をかしげた。
「だが、剣の腕は良いな」
「…何の話だ。俺の評価でもしてくれているのか?」
彼の言葉をあまり好意的でないものとして捕えることにし、ランの声は少し低くなった。
「いや、癖なんだ」
彼はそう言ってやっとこちらを向いた。ランを見る目が微かに見開かれ、驚きの表情が加わる。
自分の顔を見ながら、驚かれるのはあまりいい気分がしない。ランは助けてもらった恩を、できる だけ心の隅においやり、無視をして馬車に歩み寄った。
「大丈夫ですか」
丁寧に声をかけると、中から老婦人と二人の娘が顔を出す。
「ありがとうございました」
「いいえ。失礼ですかどちらまで?」
「ペーラの町まで…。娘を訪ねようと思いまして」
ペーラは二つ先の町だ。まだ距離がある。馬が殺されてしまった以上、ここは自分が送らねばなら ないだろう。
「御者と…護衛は」
老婦人は首を振った。
「わかりません」
「よければ、俺が……」
少し時間を食うが仕方ないと思い提案をすると、後ろから例の彼が近づいてきた。
「私がいこう」
ランが振りかえると、彼は茶色の馬の手綱を引いてきた。彼の馬だろうか?毛並みのよさが手入れの行き届いていることを語る。
ランが反論しようとするのを言葉と目でさえぎる。
「この馬は役馬だ。言っている意味がわかるな」
愛想の欠片もない口調。
ランは内心冷や汗をかいていたが、表情に出さないように努力をしていた。
(役馬を使える…。つまりは、王宮関係者……か)
気配も無く近づいたことといい、剣のあつかいに慣れていることといい、兵士か……。だが、制服を着ていないし、単独行動とは…?
役馬制は町に緊急伝達用、または王宮御用達に使う馬を置く制度である。この制度は5カ国で決め られたものであり、そのおかげで、情報はある程度交換できるようになっている。水鏡の届く範囲と言うのは、どうしても限界があり、術者の器量にもよるところが大きい。
そうして、緊急の際は町から町へと馬を変える事が出来るのだ。
ただし、これを利用するには王宮、またはそれに関しての判断に際し、王の代理人となることを認められたものの許可が要る。チュノーラならそれぞれ自治権をもった領地の長の許可を指す。
一般の民も申請内容次第では許可が下りる。だが、緊急事態のときだけである。
それをこのように使うことを許されている彼は、十中八九王宮関係者ということだろう。チュノーラの人間でなければ。
勿論、これだけではシャイマルークかフュンランか、分かりはしないが。ルスカかナスカータという可能性もなきにしもあらずだが…。
彼を追い抜いた覚えが自分に無い限り、シャイマルークからというのが一番可能性が高い。ここは国境近くだから、余計に……。
(まずいのに会ったな)
「王宮関係者だから民を守る義務があるというわけか」
「それもあるが、貴殿の馬は個人のものだろう?」
彼はランの後ろで近づくタイミングを見計らっているようなラルディを指した。
「貴殿はどこに向っている?」
「……フュンランだが」
「個人の馬で逆戻りをするのは、旅に支障がでるのではないか?」
「二つぐらいなら」
このまま言い負かされるのが悔しかったのだろう。冷静に判断せずにただ反発をする。
彼は淡々と言葉を続けた。
「私が二つ戻るのと、貴殿が二つ戻るのどちらが効率が良いだろうか?」
ランはムキになりかけた自分を抑えた。
(この男が自分達を追う者でないと否定しきれない)
そう考えると、冷静になれた。
「どうやら、そっちに頼んだほうがいいらしいな」
彼は頷く。そうして、もう死んでいる馬を馬車からはずし、ラルディと彼の馬を使って、道沿いに死体を移動させる。手際よく馬を馬車に取り付けるのをその場の成り行きで、ランは見つめていたが、それが終わるとランはラルディの背にまたがり、その場をさっさと去ろうとした。
「貴殿の名を聞いておきたい」
唐突に話しかけられ、ランはゆっくりと振り向いた。片方の眉を軽く上げる。
「人の名を聞くときは先に名乗るのが礼儀だと、昔から言わないか?」
彼はその皮肉のこもった台詞にも表情を崩さなかった。
「私か。私はセイ。セイ=シャド=レスタだ」
「俺はラン」
「下は」
「……ロック=アリイマ」
躊躇したが不審がられるのも嫌なのでこたえておく。セイは口の中でそれを繰り返す。
「失礼だが、血にシャイマルーク王家との繋がりは」
だから、目を見開いたのか。
ランは今更ながら納得した。この目の色のせいか。これだけは隠せない。
いくら、すごく珍しいものではないとは言っても、王家とつなげたがる詮索好きは、必ずいるものだ。
「繋がっているとしたら、ここに居ないと思うけど」
「たしかに」
「この目の色が気になる?」
「否定はしない」
「母は、先祖帰りだろうと言っていた。何代前かが王家と繋がっていたとしても不思議じゃない。俺はシャイマルーク生まれだから」
「なるほどな」
「緑の目なんて珍しくとも、一人も居ないというわけではないだろう」
溜息混じりに言ってみせると、セイは少しだけ眉を動かした。
「……うんざりしているようだが」
「そりゃ、会う人会う人に血筋を疑われてはね。母にも悪い。高貴な方と浮気したのかと聞かれているようで」
母。母か……。我ながらそんな発想ができるとは…。ランはひとりでに苦笑した。セイにはその台詞に苦笑したとしか映らなかっただろうが。
「そうか、失礼した」
「気にしないでくれ。こっちこそ、助けてもらった。ありがとう」
「さっき聞いた」
本当に、愛想の無い奴だ。
「そうだったな」
ランは一息つくと、手綱をかえす。
「もうひとつ」
セイがまた顔を上げた。
「シャイマルーク王の下で働く気は無いか」
少しだけ、心臓が何か違う動きをした。
「腕を買いたい」
セイの紺色の目は真剣そのものだった。
シャイマルーク国は、文官と武官とが選ばれて国を動かしている。それには、試験が必要だ。
なのに、セイは推薦すると言っているのだ。
(王に推挙できる人間…)
ランは眉をひそめた。
(王に近い者か)
「無謀だけど?」
「無謀は勇猛に変わる」
「おいしい誘いだとは思うが」
ランは自分の演技力もエノリアが言うほど、そう悪くないと思った。奴の下でなんか働けるか!そう 叫びたい思いを抑える。
「自由気ままなほうがいい」
ランは出来るだけ平静にセイを見据えると、軽く頭を下げてラルディを走らせた。
セイ=シャド=レスタ……。
名前が頭から離れない。それが、何か予感めいたものであったということを知るのは、随分後のことになる。
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