ラスメイは怒っていたわけではない。だが、あの女が許せなかっただけだ。その感情がどこから湧き上がっているのか、正確に語ることはできなかった。
「ラスメイ…!」
なぜ、自分がこんなに腹を立てているのか、自分の中のそれを探っていた少女の耳を、エノリアの声は素通りした。
「ジェラスメイン!」
いつもと違う呼び方への違和感が、彼女を我に返らせる。気がつけば分宮《アル》から外へ出ていた。
「分かるけど…、あの態度はないわ。あの人だって…、つらい思いをして、他のことを考えられなかったのかもしれない」
ラスメイは頼りなくエノリアを見上げた。二つの金色の瞳。自分の存在というものが、闇《ゼク》によってつくられているのだと、否応もなく知らしめるその色。
勿論、闇《ゼク》を憎んでいるわけじゃない。だけど…。
「…光《リア》を持つ者には…、責任があるはずだ」
ラスメイはそう呟いた。
エノリアはその言葉にうなずかなかったが、心情はよく分かった。
「人の敬愛を受けるには、それなりのことをしなくちゃならない。光《リア》を持つものはそれを忘れてはいけない…。光《リア》を持つことが大切なんじゃない。それはきっかけだ!」
ラスメイはそう言うと首を振った。エノリアはその場にひざまずいた。ラスメイと視線の高さを同じにする。
「あの人は…、この町のことを第一に考えなくちゃならないはずだ…。なのに、だって、それが巫女《アルデ》の仕事だろう?でなきゃ…、なんで光《リア》が…」
泣き出しそうなラスメイ。その黒い髪をなでてエノリアはうなずいた。
「そうね。光《リア》があるって言うのは、きっと特別じゃないんだわ。光《リア》があるってことばかり先走って、その栄誉に目がくらんで…。そこにある義務を忘れている」
闇《ゼク》を持って生まれたため迫害を受け、光《リア》という存在に敏感になりすぎてしまったラスメイ。
光《リア》を持つということ自体に、何の価値も見出せなかったエノリア。
そんな立場でなければ、誰がそこにまで考えが及ぶだろうか。特権とかそういうものは、吐き気がする。
「でもね、ラスメイ。そういう人ばかりではないんじゃないのかな。私の友達は、自分の背負った使命に、忠実であろうとしていたわ。…私はそんな彼女が大好きよ」
自分に言い聞かせるように、エノリアは話した。
「ラスメイは、闇《ゼク》を持つってことで、不当な扱いを受けたことあったよね」
ラスメイは紫色の瞳を精一杯開いて、エノリアの話を聞いていた。
「光《リア》もそうなのかもしれないわ。光《リア》を持つってことが、先走って、個人の評価は後回し…。たまたま、金色を持って生まれただけ。それだけの違いが、人を分けてしまう」
エノリアはラスメイを覗き込む。
「ラスメイはよく分かってるよね」
「…私は、リュスは嫌いだ」
歯の間から搾り出すようにそう言うラスメイを、エノリアはじっと見つめていた。
「だけど…、リュスが嫌いなだけだ。エノリアまでも嫌いなわけじゃない。そういうことだろう?」
問い掛ける紫色の瞳。エノリアは微笑んだ。
「光栄だわ」
二人は分宮《アル》を出て、門をくぐりぬけた。とたんに、エノリアは気だるさに一気に襲われる。
眠たさとだるさと…、そして、憂いが一斉に襲いかかったような気分に襲われて、その場にひざをついた。
「エノリア?」
息が苦しい。エノリアは金色の瞳を見開いた。
絡み付く思考と念。頭になにかがささやきかけてきた。
『……あ…………る……』
(何?)
聞いたことのある声と、懐かしい声と二つ重なって、エノリアの頭に何かがすみつく。
『…あ…し……る……』
「闇《ゼク》…!」
ラスメイは小さく声をあげて周りをみまわした。
自分の中にあるものとは違う闇《ゼク》が、エノリアだけを捕らえようとしている。大きくかぶさる空気の色が、変わった。
「駄目だ」
ラスメイは倒れこむエノリアを小さな腕で抱きしめた。
「来るな。来るな!闇《ゼク》!」
ラスメイはエノリアの頭を抱きこむ。自分の闇《ゼク》で異質な闇《ゼク》を撥ね付けようとした。それでも、それはエノリアにまとわりついていく。
ラスメイは必死になって周りをみまわして、闇《ゼク》の切れ目を見つけた。どちらが分宮《アル》でどちらが町なのかわからない。闇《ゼク》の切れ目をみつけて、そこに、ラスメイはありったけの力でエノリアを引っ張って行く。
「…は…」
エノリアが息を吐き出す。途端に覆い被さっていた闇《ゼク》は、四方に引いていった。
「…何…。今の…」
エノリアが苦しそうに声を出し、ラスメイはエノリアの頭を抱えた。
「わからない」
周りをみまわす。自分がつっこんでいったのは、分宮《アル》の門だった。分宮《アル》の敷地内に入ったとき、闇《ゼク》は引いていった。
「闇《ゼク》…。昨日行っていた闇《ゼク》の結界が、光《リア》を持つ者に影響を与えるほど、強くなっているようだ。分宮《アル》のみ、まだ無事らしい…」
としか考えようがない。ラスメイは、エノリアを覗きこんだ。
「頭…、おかしい」
まだうつろな目をしながら、エノリアはそう呟いた。
「今日、なんか変だった。頭、おかしい。体も、だるい…」
「エノリアは、太陽の娘《リスタル》だ。影響力も強いのかもしれない」
そう考えて、ラスメイは首をかしげた。
「いや、抵抗力が強いと考えるべきなのだろうが…?」
心配そうなラスメイに、エノリアは微笑んで見せた。
「大丈夫よ。さっきより平気」
「分宮《アル》を出ないほうがいいのかもしれない…」
「うん…」
「…ごめん。わからないんだ。この闇《ゼク》は声を聞かせてくれない。だから、どうなってるか分からないんだ」
責任を感じているこの小さな少女に、エノリアは微笑む。
「大丈夫」
少し回復してきた頭から体に、起きろと号令をかける。そして、ゆっくりと体を起こした。
「戻ろう。ランたちが帰ってからでいいわ」
「…うん…」
納得のいかないようなラスメイの表情に苦笑して、エノリアは白い手を彼女の頬に伸ばした。
「ラスメイがしたいこと、してきていいんだよ?私は分宮《アル》に居るから、平気。ここには闇《ゼク》は入ってこないのでしょ?」
「だけど、エノリア、放って置けない。ランと約束したんだから」
紫色の目が、何かを思い出したようにいきいきとしてきた。約束…、使命感…、そう言うものが彼女を支えているのかもしれない。
「じゃあ、ここでしようか?ここじゃあ、水《ルーシ》は探れない?」
「探ってみる…」
ラスメイは背中に背負っていた杖を取り出した。そして、地面に突き刺す。
そして、神経を張り詰めらせる。水《ルーシ》を呼ぶ。自分の中の水《ルーシ》に答えてくれるものが、まだ残っていることを願って。
その時だった。どさっという音にはりつめた空気が破られた。ラスメイは振りかえる。その無防備な彼女に黒い影が振り落とされた。
目の前が真っ暗になり、目に残ったのは暗くにぶった金色…。
金色の瞳。
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