「エノリア。まだ眠いのか?」
気がつくと、いつのまにか眠っていたらしい。目を開けると、覗き込んだラスメイの紫の瞳が映っていた。
「あれ…、いつのまに眠ってたんだろう…」
二度寝は目覚めが悪い。エノリアはもそもそと起き出した。気づくと、ラスメイはきちんと服に着替えて いる。
「朝食、ラン達はもういったぞ。私は、エノリアと一緒に食べようと思って待っていたんだ」
「ありがとう。ごめんね、今、着替えるから…」
なんだったんだろう…。
エノリアはぼんやりとした頭で、さっきまで見ていた夢を思い出そうとする。
赤い夢だった…。そして、ひどく憎悪に満ちていて…。
だけど、悲しい感じが後を引きずっている。
袖の片方に手を通したまま、エノリアは白い壁を見つめて、しばらくぼんやりとする。
なんだったんだろうなあ…。
「エノリア。寝ぼけすぎだぞ」
ラスメイの声で我に返ったエノリアは、彼女を待たせていることに気づいた。
「…あれ」
「変だぞ?」
眉間に皺を寄せるラスメイに、ぼうっとした顔を向けたまま、『そうかな』なんて主体性のない返事をし てみる。
いつもよりも、体が重い感じがする…。二度寝をしたからなのだろうかと首をひねるが、納得の行く答え ではなかった。
もそもそと着替えたエノリアと共に、ラスメイは食堂に向かった。食堂には、もう食事を終えたランとミ ラールがリュスと話をしている。
話の内容は分からなかったが、二人の真剣な顔を見るところ、楽しい話ではないようだ。
「おはよう」
ラスメイが声をかけると、三人はこちらに気づいて返事を返す。
「おはようございます。朝食は今御出ししますね。…それじゃあ、ランさん、ミラールさん。よろしくお願いします」
リュスはそういって奥に入っていく。頷いて出て行こうとする二人を、エノリアは呼びとめた。
「何。どっかいくの?」
「仕事だよ。外においてきた遺体を引き取らないとね」
ランは振り向いただけで、ミラールが答える。
「そう…」
「エノリアはここに居た方が安全だと思うから…」
「そう…ね」
ついていくとは言えなくて、エノリアは視線をおろした。
『狙われているかもしれないのに、私から離れるわけ?』とは言えない。『守って欲しい』なんて言えな い。
でも、『守ってやる』とは、言って欲しいわけだ。
エノリアは苦笑した。
(勝手過ぎるな)
「ラスメイが居るから、大丈夫だよ」
ミラールには、何もかも見通されているのかもしれない。エノリアはこれ以上、自分をみじめにしないために、頷いた。
弱くはなりたくない。いつだって、助けを期待するような、そんな人間にはなりたくない。
(一緒にいるのは、すがりあうためにではない)
「行ってらっしゃい。私は平気。何のために、剣を持っていると思ってるのよ」
「それは頼もしいね」
ミラールは微笑む。
「ま、無理しない程度でな」
ランはあっさりそう言うと、エノリア達の横を通り過ぎようとする。
(他に、かける言葉はない…か…)
そういう奴だとわかっていても、何かがもどかしい。エノリアはそんな自分の思いに気づいて、少し目を見開いた。
(期待…?…何を!)
「すぐ、帰るけど、気をつけろよ」
気がついたら、ランが真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「お前にもしも何かあったら…」
真剣な眼差、心配そうな瞳。エノリアは思わず見つめてしまった。その微妙な緑色…。次の言葉を期待している自分に気づいて、笑い飛ばしたくなった。
その視線に、からかうような笑いが含まれる。
「セアラに殺される」
「…殺されてみるといいんだ…」
ミラールが茶々をいれる。
「殺されたことは、まだないね。未遂は何度かあったけど…」
エノリアは少しだけ笑うと、二人に声をかける。
「ま、行ってらっしゃい。せっかくだから、大人しくこの宮で待ってるわよ。一応ね」
「いちおう…ね」
ふに落ちない顔をしながらも、ランとミラールは出かけていった。その背中をなんとなく見つめながら、 思わずため息をもらしてしまう。
「不安か?」
下から声がして、エノリアは視線を返した。
「…ううん」
「不安だって書いてあるぞ。顔に」
自分の白くて柔らかい頬を指して、ラスメイがそう言った。
「不安…というより、手持ちぶさたってとこかしら」
守られているだけでは…、駄目だ。
その居心地のよさに、自分を見失ってしまう。
「仕事は、あるさ」
ラスメイの紫色の瞳が、きらめく。指で耳を貸すように示すので、すこしかがむと、彼女は背伸びをして耳に口を近づけてきた。
「だが、食事が先だ」
ラスメイは真剣な顔でそう言った。その表情とセリフのアンバランスさに、少々笑いをこらえられなかったエノリアを気にも留めず、ラスメイは呟いた。
「その後、町を散策したい。ついてくるだろう?」
朝食の用意ができたと呼びに来たリュスの声で、二人は話を打ちきった。
「たくさん食べてくださいね。お口にあうかはわかりませんが」
にこやか言うリュスが差し出した手の先には、充分に立派な朝食がならんでいた。
「これ、リュスさんが…?」
目を丸くするエノリアに、リュスは微笑む。
「ええ、私、料理が趣味なもので」
「すごい…。でも、宮に居たらこういうの作る必要はないでしょう?」
「私、これでも、お嫁さんになるのが夢なんですよ」
柔らかに微笑むリュス。その幸せそうな笑顔につられて、エノリアは微笑んだ。
「きっと、リュスさんの旦那さんは幸せですよ。それとも、もう…相手がきまってらっしゃるとか?」
宮の関係者と結婚するのは、名誉とされている。宮に仕えているというだけで、貴族や王族との結婚話は絶えないとも聞く。このような地方では分宮《アル》の巫女頭との結婚とは、羨望の的であろう。
リュスは静かに微笑んで、うなずく。エノリアの小さな歓声を嬉しそうに受け取る彼女は、幸せを絵に描いたような笑顔を見せていた。
「エノリアさんも…、ご結婚なさるのではないの?ミラールさんと」
そう言われて、はたっと気づいた。そういうことにしていたな…そう言えば。
「ええ」
「でも、どちらかというと…」
何か言いかけて、リュスは口をつぐんだ。ふと、ラスメイが視線だけを上げて、彼女を見る。その視線に気づいてか、リュスはなんでもないとごまかして笑った。
「どちらかというと…?」
それでも先をエノリアに促されても、リュスは苦笑いしてごまかした。
「朝食が終わったら、私達は町の様子を見学してきてもいいだろうか?」
助け舟を出すつもりではなかったが、ラスメイがそう言うとリュスの気は、ラスメイの方に移った。
「町…?いいけど、今は何もないですよ。市も出ていませんし…。そう、活気があって楽しいとは言えませんよ?」
あまりにも無関心な言い方に、エノリアは少し不快感を覚えて顔を上げる。ラスメイは眉間にしわをよせ た。
「あなたは、その町を見ようともしないのか」
ラスメイの声は冷たかった。もともと、リュスに対する態度はあまりよくなかった。エノリアは、それはラスメイの気性が人懐っこいものとは程遠いものだからだろうと、思ってはいたのだが。
「…どうして…?」
リュスの返答に、ラスメイは明らかに気を損ねたようだった。そして、エノリアはラスメイの質問の意図 を知る。
「それが、あなた…、巫女《アルデ》の仕事だと思っただけだ」
小さくつぶやいて、ラスメイはその場を立ち去ろうとする。
「エノリア、行こう」
朝食に手をつけずに、ラスメイはそう言った。フォークを持ちかけていたエノリアの右手を引っ張った。
「ラスメイ」
右腕を引っ張る力はいつもより強かった。エノリアはリュスに会釈をするだけして、ラスメイに引っ張ら れてその場を出て行く。いつもより、体が重くてラスメイに逆らうことも、気だるかった…。
残されたリュスは、二人が出ていったドアをじっと見つめていた。ひとつだけ残された金色のそれは、食い入るように扉を見ていた。
「巫女《アルデ》…」
そうつぶやいて、ため息をつく。リュスは視線を落とた。その細い肩が小刻みに震えているのを見るものは、いなかった…。
◇
笑い声が聞こえる。
それは悲しい叫びである。
狂ってしまった、現実への。
悲しい…叫びである…。
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