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V 夢でなく……
 

 私の彼への想いを、示すことが出来るのなら、
(もう、分かっているはずなのに)
 どんなものも手放そう。
(無意味なことだと)
 犠牲にしたものの大きさで、示すことができるのなら、
(ただの自己満足)
 この手を汚してでも…。
(分かっていても、認められないだけ…)

   ドウシテ、幸セニ ナレナイ…?

選んだものが違っただけ。
望んだものが違っただけ。
単純にそう言いきれるのなら、もっと救われたのかもしれない。
でも!
どうして私ではなかったの…?
 示せば認めてくれるの?受け入れてくれるの…?
 私を…、見てくれるの…?


 太陽の光がカーテンの隙間から射し込み、それに顔を照らされてエノリアはぱっと目を開けた。光の角度から言って、まだ空は明けたばかりだろう。もう一度寝直そうと思ったが、目は気もちがいいぐらい覚めてしまっていた。
(…せっかくのふかふかベッドなのに…)
シャイマルークを出発し、ここオオガにつくまでの道のりで、泊まった宿は高級とは、お世辞にも言えない宿ばかりであった。
(ラスメイも物好きなんだから…)
 隣のベッドでかわいらしい寝息を立てて寝ている少女に、目をやりつつエノリアはため息をついた。
(わざわざみすぼらしい宿を選ぶんだもの)
 名家に生まれ、最近は一人で暮らしているとはいえ、それなりの高水準の生活を与えられてきた彼女にとって、すこし寂れたような宿は珍しかったらしい。
 最近は、少しはいい宿を選ぶようになってくれたが…。ラスメイに頼まれると、大抵のことに頷いてしまうラン達が…、まあ…自分も含めて…、恨めしくなる。
 目がさえてしまったエノリアは、ふたたび眠りにつくことを諦めた。ベッドから抜け出し、外套を羽織る。
 日が出ていても、そとはまだ肌寒いだろう…。
 部屋から中庭にでる窓をそっと開けて、冷たい空気が部屋に入らない様にすぐに閉める。もちろん、ラスメイを起こさない様に静かに。
 ひんやりとした朝の空気の肌を刺すような感覚が、エノリアは好きだった。街が起き出す直前の、まだ人の動き出す気配のないこの空気が、いろんなことを忘れさせてくれる。
 たった、一人。動いているのは、私だけ。
 他人がわずらわしいわけじゃない。だけど、一人だけだという錯覚が、心地よいこともある。
 エノリアは空を仰いだ。
(いい天気になるかしらねえ)
 雲はほとんどみつからない。
(ああ、でも雨が降ったら、少しはここの人たちが助かるのか)
 それでも、この村に、水は届かないのだろうか?
 中庭にある噴水も、ただのオブジェと成り果てていた。そこに腰を下ろしエノリアは外套の前を掻きあわせ、身を縮める。
 時々…、どうしようもないくらい心が沈むことがある。その衝撃は突然で、何の前触れもなく、自分をある思いに沈めていく。そう、こんな時間に突然…。
 自分が、金の髪と目を持っていることが、どうしてそんなに問題になるのか…。
 私が存在することが、魔物の出現の理由になってしまうのか。真実がそうでなくても、周りの人がそう思えばそれが『真実』になってしまうのだろう。
 認めたくないけど、私は異端…になってしまうんだなあ。そうでなくても、光《リア》を持つ者は、特別という観念を持って見られるのに。
 そして、私は二人目の太陽の娘《リスタル》…。
 思わず出たため息の大きさに、エノリアは苦笑した。
 異変の原因とされて、シャイマルーク王まで敵に回して、たいそうな身分になったものよね。少しでも前向きに考えてなくちゃ、投げ出したくなるような境遇ってやつ?
 それでも、殺されたリーシャのことや、行方不明のシャイナのことを考えたら、投げ出すわけにはいかない。
 それを考えたら落ち込んでなんていられないのだけど。
「重いなあ…」
 いろんな現実が重過ぎる。
 現実?……違う…、仮想・仮定。仮のもの。そうだと決まったわけじゃない。だけど…、いつか現実となって、牙をむくかもしれない。
 そのとき自分は耐えられるのか?
 いっそ、そうだと言い切ってくれたら。私がいなければ、すべてが丸く収まるのだと言い切ってくれたなら…。どこにも逃げ場がないのだと言いきってくれたら…。
(くれたら…?)
エノリアは苦笑して首を振った。
 どうすると考えるつもりだったのだろう。自分は。
 光《リア》が眩しい…。
「重い…な」
 逃げている。いろんなものから。…考えることから。
 無意識に自分の膝を抱きかかえる。
 母さん…。会いたいな。
 誰か一人でも、私の生を望んでくれるのなら。
(望んでくれるなら…?)
なんだっていうの。馬鹿馬鹿しい。
 弱気になり過ぎだわ、私。
【愛シテイルカラ】
 突然頭に響いた声に、弾かれたように顔を上げる。
(何?今の)
 聞いたことのあるフレーズ…。声。
(…あれ?何か忘れていない?)
 さっきの声、どこかで聞いたことある…。小さなころ…?なぜ今ごろ、突然思い出すのだろう?
 その時、微かな物音がエノリアを我に返らせた。同時に視線を感じてエノリアは物音がしたほうを振り替えると、テラスにある長身の影に気付く。その影が誰か、それにはすぐに気付いた。ラン…だ。
「……エノリア?早起きだな」
「そっちこそ」
 そっけない答えには、自分の感傷に気付いて欲しくないという願いが込められていたのだけど、それにランが気付くわけもなく、お構いなしに彼はこちらに近づいてきた。エノリアは膝を抱えていた腕を放した。
「まあ。ちょっと眠りが浅くて」
「眠ってないの?」
 それでもこういうときに他人と話すのは、気がまぎれる。
「いや、起きたり眠ったりで。朝日が昇ったから無駄な抵抗は止めることにした」
 ランはエノリアの隣に腰を下ろす。
「眠れない?環境が変ったりすると眠れないというやつ?」
 そんな繊細な神経をこいつが持っているのだろうかとも思いつつ、エノリアは聞いてみる。宿はいつも別々の部屋だったし、こうやって自分が早起きをするのもはじめてだった。
(こうやって、時々早く起きていたのかな)
「いや。時々…」
 ランは少し目を伏せて、その先の言葉を飲み込んだ。その顔を見詰めながら、その言葉の先を問うことも忘れて、エノリアは思わず呟いた。
「…ランって奇麗な色の目、してるのね…」
「は?」
 驚いたというよりも、戸惑ったような表情で見返す彼の目が見開かれて、その色はますますはっきりと映し出される。深い色だ。
「ううん。セアラの赤い目もすごく奇麗で珍しいけど、ランの緑の目も珍しい」
 ランはすこし首を動かした。さりげなく目の色を隠そうとしたのだろうが、その意図が分かってしまった以上、「さりげない」とは言えないだろう。
「光の入り方でそう見えるだけだろう」
 その言い方が、そう思っていて欲しいという願望を含んだものだったので、エノリアの純粋な感嘆を詮索に変えてしまう。
「…そんなものかな」
「そうだ」
 強く言いきって、ランは前を睨み付けた。それ以上、このことについての詮索は受けないというかのように。
(ある意味素直よね…)
 口先の嘘はつけても、感情と態度がついていかないタイプ。らしいといえば、らしいけど…。
「あんたって、苦労してきたんじゃないの?」
 嘲るような調子でそう言うと、ランは方眉を上げて対応した。
「どういうことだ?」
「…たーんじゅんってことっ」
 エノリアの口に笑みが上ってしまう。その笑みが不思議なことに、ランに嫌な感じを与えなかった。ランはふいっと顔を背けて、仏頂面になる。
「わかりやすくてかわいげがあるだろ。どこかのだれかさんよりは」
「あら、私は素直で正直者よ」
「…付き合いの浅い奴等は騙せるだろうな」
 結構、見るところを見ているかもしれないなと、逆に感心してしまったエノリアは、少し笑った。
「単純っていったの言い換えるわ」
 ランの問うような視線を感じながら、エノリアはまっすぐ前を向きつつ言った。
「不器用なのよ。言葉と態度と同時に演技できない不器用な人」
ランは微かに笑ったようだった。そこに、自嘲が含まれていることに気がついて、エノリアはランのほうを向く。すぐに、皮肉っぽい笑い方に変えると、ランは顔を前に向けた。
「自分のこと、素直で正直者だなんて、しゃあしゃあと言えるような虚言癖は持ち合わせていないんだ」
「あまり、聞き覚えのない言葉だわねえ」
「よくいうよ」
 少し笑ったランの顔から、しばらくして笑みがひいていった。
「……どうした?」
 エノリアは不意に問われて、首をかしげた。
「何が、どうしたって?」
「何かが、気になって眠れないとか…?」
 エノリアがこんなに早い時間に起きている理由を、ランはランなりに推測しているのかもしれない。こちらを向いてはいないが少し心配そうな目が見えた。
 なぜだろう。その表情を見るのは、少しだけ心地よい。エノリアはそんな思いを突っぱねるように、こたえる。
「別に。単純に早く目が覚めただけよ」
 ランはエノリアのほうを向くと、小さな声で問う。
「…気にしてるんじゃないのか?」
「え」
 彼は落ち着きなく自分の顎に手をやった。自分がエノリアのことを心配しているということを、表に出してしまったことを照れくさく思っているように。
「お前の目も、金色だから…さ」
 はっきりと言わずにランは、視線だけをずらした。心なしかその顔が紅潮していて、エノリアは分からない様にクスリと笑った。
「…気にしてないと言えば嘘になるけど…」
 日が建物の間から差し込んで、あたりが明るくなった。すっと立ちあがったエノリアをランは見上げる。
「……信じてるから」
 逆光になっていたから、そのときエノリアがどんな表情だったのか、ランには分からなかった。
 その時、誰も居ないはずの後ろから、微かな笑い声が聞こえた気がして、ランは振り返る。
「どうしたの」
「なにか、聞こえなかったか?」
「何も…?」
ランは、不審におもいつつ視線をエノリアにかえした。
「気を…」
 言いかけて、またランは口を閉じる。
「何?」
「いや…。いいんだ」
「変なの。いっつも変だけど、今日は特別ね」
 ランはその言葉に対した返事もせずに、うつむく。一人で何かを考え込み始めた彼の周りに、これ以上話を続けるような意志の欠片もみえなくて、エノリアはさっさと引き上げることにする。
 よく考えれば、こんな風に二人で話したのは初めてのような気がした。だから、もう少し話していたい気もしないではなかったけれども。
「それじゃ、私は部屋に戻るわ。またあとで」
 エノリアはランをおいて、部屋に再びラスメイを起こさない様に入ると、ベッドに身を投げ出す。眠るつもりはなかったが…。
「…守ってやるとか…。そういうかっこいい台詞が出てくるほど、器用じゃないよねえ…」
 小さくため息をつく。自分がため息をついたことに気づいて、エノリアは首をかしげた。
 その理由を深く考えようとせずに、目をつぶる。心外な答えがそこにはありそうだったので、思いを別のほうにやる。別のことを考えようとしているうちに、意識は遠ざかっていった。


 血に汚れた手をじっと見た。
 これは何の証となるのだ?
 血にまみれた床をじっと見た。
 これは私の望んだものなのか?
 夢を見る。そんな夢を。
 心の中に、まだ罪悪感というものが残っているのか?
 そう考えて苦笑した。
 まだ、私は、こっちの世界にいるのだろうか。
 その思いは安堵か、それとも不安か?
 自分の気もちが分からずに、ただ思うだけ。
 …終わらせることなんてできないのだ。

 

 
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