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 オオガの分宮《アル》に向かったランが、後についてきている3人を振り返ったのはすぐだった。
「放って置けない」
 何を、とは3人とも聞かなかった。
「いいだろうか」
「…よく言うよ。だめだって言っても、首を突っ込むくせに」
 ミラールのため息まじりの言葉に、ランは少しだけ首をすくめた。
「僕はいいよ。いつものことだからね」
 少し片手をあげてラスメイが上目遣いにランをみる。
「この件、一癖も二癖もあると見た。それに、闇《ゼク》がかかわっているのなら、私も放ってはおけない」
 ランは返答のないエノリアのほうを見る。エノリアは、仕方ないわねとつぶやいて、うなずいた。
「正直言うと、私もほうっておけないのよね。特に…魔物が関わっているようなら」
 そう言って視線を落とす。
「目をつぶって通り過ぎるのは簡単だけど、ずっと引っかかっていると思うのよね」
 ランは何もいわずにうなずいた。そんなランに、ラスメイが近づいて顔を上げた。
「ラン。一つ言っておく」
「何を」
「ここに入って分かったんだが…。ここには術がかかっている」
 足を止めたランはラスメイを見下ろした。
「術?」
「そうだ。いわば巨大な結界だ。さっき、霊が集まって抜け出せないみたいだと言っただろう?それだよ。入ったものを外に出さない結界がこの町には張られている」
「…どういうことだ」
「霊はいわば護りの肉体が無い状況…、わかりやすく言えば要素に戻る直前の姿だ。一番、魔術の影響をうける。結界の影響を受けやすい。たとえ、それが弱くても、一番打撃をうけやすいんだ」
「…で、俺達は」
「抜けられる。私とランはフォルタ、エノリアは太陽の娘《リスタル》同等の要素を持っているからな。ミラールも風魔術師《ウィタ》だから…一般人に比べればな。抵抗力が強いと言うべきか?」
「ここの人は…」
「おそらく、結界がこのまま強まるようならば、出ることは出来なくなる」
 ラスメイは町に出ている少数の人を振り返った。こちらを珍しいものでも見るような目で伺っている。
「水を外に汲みに行ってるようだが…それも出来なくなるだろう」
 後ろで話を聞いていたミラール達が、息を呑む気配がした。
「で、結界の要素は?何が結界を作っている?」
 ランの言葉に、ラスメイははじめてたじろぎを見せた。紫の瞳を揺るがせて、ランを見上げる。
「闇《ゼク》だ。でも、これは…、私の知っているものとは違う。…私のもっている闇《ゼク》とは別のものだ」
 ランは瞳を見開いた。
(あの少女)
 なぜだろう。あの少女を思い出した。
「どんな感じがする」
「…敵意を感じる…。そして、それ以上は何も感じない」
 少し不安そうなラスメイの背中に、ランは大きな手を置いた。
「大丈夫だ。ラスメイなら大丈夫だ」
 しゃがみこんで、ラスメイの顔をのぞき込む。その目が優しくなって、ラスメイの紫色の目に映る。珍しく頼りなさそうなラスメイの目が、ランの顔を見つめた。
「お前なら、大丈夫だ」
 ランの言葉に、ラスメイは頷いた。
 そして、呪文のように大丈夫と唇で刻むと、顔を上げる。
「それから、この結界、闇魔術師《ゼクタ》が作ったものとは考えにくい。闇《ゼク》で結界をつくるのは闇魔術師《ゼクタ》しかいないだろうが、もっと違う感じがする」
「でも、魔術師じゃなければ、誰が魔術を使うの?そういうことってあるわけ?」
 エノリアが聞くと、ラスメイがかすかに首を振る。
「分からない。だけど、何か起こってる。はっきりとは分からないけど…」
「兎に角、やることやらないといけないよね。分宮《アル》に行ってみようよ。なにか分かるかもしれないし、出来ることがあるかもしれない」
 4人はそれぞれの愛馬を連れて、町の奥へ奥へと入っていった。分宮《アル》は町の一番奥にあった。
 ミラールが門を覗き込む。裏は森に抱かれ、白い石で作られた建物は表に広く立派な庭をもっている。庭には当然のごとく噴水が作られていたが、その噴水にも水は見ることは出来なかった。
「ここは光宮《ヴィリスタル》の管轄だよ。大丈夫?もう一度聞くけど」
「大丈夫よ。今は目だけだもの」
 むしろ急かすように、エノリアは足を踏み入れた。
 分宮《アル》はひっそりとしている。この状況に、何も成す術がないとでも言うように。
「こんにちはー」
 ミラールの声が、場違いのように明るく響く。多くの人にとって憩いの場のはずであるこの宮が、 今は死んでいるような静けさにつつまれていた。
 しばらく待っていると、奥の重そうな樹の扉が、ゆっくりと開かれた。
「はい」
 か細く透明な声が、冷たい壁に響く。
「この分宮の巫女《アルデ》ですか?」
「はい、今私が光宮《ヴィリスタル》よりこの分宮《アル》の巫女頭《ファールデ》を承っております」
 彼女は4人を見て、ゆっくりと扉の陰から姿を表す。声も美しく透明だがその印象もそれに似つかわしいものだった。髪は薄茶色で、前髪がかかっていないほうの目の色は金色だった。清楚とか気高いとか、そういう単語をならべたような女性である。
ランがエノリアと見比べるような仕草を見せ、エノリアに嫌というほど足を踏まれた。
「!」
「旅の途中の方と見受けますが…」
 彼女はそういって、4人を見回しエノリアで視線を止めて目を見開いた。
「もしかして、光宮《ヴィリスタル》からいらっしゃった方?よかったわ、やっと連絡がついたのね」
 少し嬉しそうに微笑む彼女に、エノリアは少し申し訳なく感じた。エノリアが答える代わりにランが進み出る。
「我々は、フュンランへ旅の途中の者です」
 丁重に彼は言う。
「彼女は光宮《ヴィリスタル》の関係者ではありません」
「まあ、そうなの。すばらしい金色の目をお持ちだから、てっきり…」
 彼女はじっとエノリアを見詰めた。
「すばらしい金色だわ。本当に」
 あまり見つめられて、エノリアは思わずたじろいでしまう。その様子に彼女は我に返って、すこし微笑んだ。
「ごめんなさい。失礼だったわね」
「…いいえ」
 エノリアはなんとなく居心地の悪さを感じた。なぜだろう?空気が重い感じがする。彼女が光宮《ヴィリスタル》の関係者だからか?
「オオガの周りの魔者達が活性化していると聞いて、無事つくか心配で…。旅人もそれで減ったのだと聞いております」
 彼女は少し気丈に笑ってみせる。
「あなたがたがここにいらしたということは、魔物が活性化したというのは嘘だったのでしょうか?」
「いえ、本当です」
 ランは少し申し訳なさそうにそう言った。
「それについて報告にきました。森の魔物は以前と比べようのないくらい増えています。我々は…途中光宮《ヴィリスタル》からの使者の馬車が魔物に襲われているのに出会いました。
 なんとかしようと思ったのですが、魔物を追い払えたときすでに使者は亡くなっていました…」
 息を呑む音が聞こえる。
 この繊細な女性に告げるかどうか迷ったが、ランは敢えて口にする。
「目が…両目が抜かれていました」
「…同じだわ」
 彼女は口に震える手を当てる。声が上ずる。
「巫女《アルデ》も同じように殺されました…。私もあやうく…」
 彼女は、振り掛かった前髪で隠された左目をさらした。ラン達はその衝動に耐えるように体を硬直させる。
 そこには右と同じように美しい金色の瞳はなかった。
「私は片目だけ…」
 彼女はそう言うと、あげた前髪を下ろす。
「それで、その遺体は」
「地《アル》の結界を張り、ここから少し行ったところへ」
「分かりました。すぐにでも引き取りに…」
 そう言うと彼女は思い出したように顔を上げた。
「失礼いたしました。私の名はリュス=フォン=ヴィリスタニアと申します。わざわざ報告していただけたことを、感謝いたします。よければ、奥でお茶でもお出ししたいのですが」
 リュスは華やかに微笑んだ。ラン達は顔を見合わせる。
「ありがたくお受けします。それから、まだお話したいことが」
 そう言ってランは左手の腕輪を見せた。ミラールも自分の腕輪を指し示す。
「フォルタと風魔術師《ウィタ》…」
 リュスがなにか問いたげにランを見ると、彼はしっかりと頷いた。その自信のある頷きは、いつも人を安心させることを、ミラールは知っている。
「お力になれると思いますが」
 瞳の力強い光をみて、リュスは頷いた。
「ありがたいことです。詳しい話は奥でお聞きしますわ」
 リュスはさあ、と言って白く細い腕を扉のほうに差し伸べた。4人はほっそりとした彼女の後を、あたりを見回しながらついていく。扉を出ると長い廊下に出、それは中庭に面していた。
「この分宮《アル》には光宮《ヴィリスタル》の仕える者《ニア》が3人選ばれて巫女《アルデ》として派遣されます。私は16歳のときに派遣され、10年間ここにいます」
 リュスは先頭を歩きながら、部屋につくまでの間自分のことを語ってくれた。
「オオガは美しく、すばらしい町です。多くの水魔術師《ルシタ》に護られてきた町です。ですが、数日前にこの宮が襲撃されたのとほぼ同じくして、水魔術師《ルシタ》もすべて行方不明」
「それは、町の人から聞きました。原因も分からないのですか」
「ええ。そして、水が途絶えてしまったのです。幸いにも町を出てすぐに、豊富な水源があるので助かるのですが」
 リュスは一つの扉の前に立ち止まった。
「応接間はいくつかあるのですが、一人の手ではなかなか掃除が行き届かないので、ここしか使えないのです。今まで手伝ってくださった方々も、今は自分の家のことで手いっぱい」
 エノリアがその言葉に首を振った。
「どこでもかまわないです。気にしないでください」
 リュスは柔らかく微笑むと、中に4人を招き入れた。ふかふかのソファに座るように薦めると、一人お茶の用意をしに、部屋のもう一つのドアから出て行く。
「水《ルーシ》だ…」
 ラスメイが目をつぶりながら呟いた。
「水《ルーシ》がありそうなのか?」
 ランの問いかけに、ラスメイは首を傾ける。
「少し、近い。でも、…あやふやでわかりにくいな」
「光《リア》が襲われた…か」
 ランはミラールのほうを向いた。
「金色の目を狙っているのかな。あの少女も関連しているってことか?」
「…やっぱりエノリアのことを考えたら、首、突っ込まないほうがよかったかな」
 金色の目を奪っていったあの少女が、この件に関連しているとすれば…。否、関連しているような気がする。
「私なら大丈夫よ」
 エノリアはそう言った。
「言ったでしょ?魔物が関わっている以上…、私は無視できないわ」
 心情として、それは痛いほど分かった。ランはそれにあえて反対しようともしなかったし、異を唱えるものは誰もいない。
 リュスが帰ってきて、お茶を差し出す。そして、彼女がソファに落ち着くと、4人を見回した。
「そう…お話を聞けるかしら…えっと…」
 口篭もった彼女を見て、ラン達は名前を名乗っていなかったことに気づく。
「あ、お…いや、私はラン=ロック=アリイマと言います。見ての通り地《アル》と火《ベイ》のフォルタ兼剣士…、どちらかと言うと、剣士のほうが本業ですが」
 リュスはそう言ったランにくすくすと笑う。
「もう、楽にお話になってくださらないかしら?堅苦しくされるほど、私は立派な人間でもありませんから」
「…はあ」
「僕はミラール=ユウ=シスランです。風魔術師《ウィタ》の資格は持っていますが、本業は音楽家です」
「私はジェラスメイン」
 ラスメイは下の名前まで言おうとしなかった。宮の関係者と言うことは、いつ自分のことが父に知れ渡るか分からないので。
「私はエノリアです。エノリア=ルド=ギルニア…」
 リュスは一人一人の自己紹介に、いちいち頷いていた。そして、一通り終わるとランに視線を戻す。
「お話とは…。私としては、力になっていただけるのは嬉しいのですが、これ以上あなたがたに迷惑をかけることも心苦しいのです」
「このオオガに起こっていることについてです」
 ランは身を乗り出した。
「オオガは水が絶えただけではなく、結界が張られています。それも、闇《ゼク》で」
 リュスは眉をしかめた。
「闇《ゼク》の?しかし闇《ゼク》を感じることはできませんが」
 なぜ分かったのか?とでも言いたそうな彼女の表情に、はっきりと言うことも出来なくてすこし苛立ちを感じたとき。
「私は水《ルーシ》と風《ウィア》と闇《ゼク》のフォルタだ」
 ランとミラールは目を見開き、その言葉を発した少女のほうをむいた。ラスメイは、紫色の目をまっすぐに上げて、リュスを見詰めた。
「あなたが?」
「光《リア》をもつ者なら分かるのではないか」
 ラスメイはリュスの何かを覗き込もうとする視線から、目をそらさなかった。
「…確かに」
「私が察した。このオオガには闇《ゼク》で結界が張られている。それは、時間が経つに連れて強くなるだろう。ここに呼び寄せられた霊を離さず抱き込み、ますます強くなっている」
「呼び寄せられた霊ですって…?」
「術がかかっている。一つは霊を呼ぶ術。そして、その霊を離さぬ結界」
「…なんてこと」
 リュスはため息と同時にその言葉を吐き出した。
「…どうしたら…。水が絶えても、しばらくはなんとかなると思っていたのに…」
 リュスはそういって頭を抱え込む。
「…城からの兵士は魔物に阻まれるし…。どうすればいいかしら」
「あの、やっぱり…私たちにお手伝いはできませんか」
 エノリアがリュスの顔をのぞき込むようにしてそう言った。リュスが顔を上げると、エノリアが微笑んだ。
「フォルタが二人もいて、風魔術師《ウィタ》までいるなんて、珍しい状況だと思いません?」
 リュスは戸惑ったような仕草をみせたが、しばらくしてつぶやく。
「…いいのでしょうか」
 エノリアは迷う様子を見せるリュスに微笑んだ。部外者を巻き込みたくないというリュスの考えは、よく分かる。
「ええ、このランは困った人を見ると放っておけないという習性の持ち主で、こういう状況にはうってつけだと思いますよ」
「エノリア…!」
「少し、頭に血が上りやすい質ではありますが、そういう時には労働に使ってやってください」
「お前なあ!」
「私も…こういう状況を放っておけるほど、神経太くないので」
 エノリアは怒るランを後ろに、リュスに微笑んだ。
「もし、ただで使いにくいのでしたら、『雇う』ということで」
 右手をあげて指で環っかを作る。
「今なら、お安くしておきますよ」
 ただ同然の値段で、交渉は成立した。


「あれは…エノリアなりの思いやりというものか?」
 提供された宮の一室で、ラスメイが興味深そうにエノリアに尋ねた。鏡の前で髪を梳いていたエノリアは、櫛を持った手を止めて、鏡に映るベッドに寝そべったラスメイに目をむけた。
「え?」
「ラン達が言っていた。私がなぜ、あの時エノリアは仕事を請け負うと言う形にして、値段のことを言ったのだ?と聞いたら。
『あの女は金にがめつい』だの『利用できるものは利用するタイプだ』だの」
(あの…男…)
 こめかみに青筋が立ちそうなエノリアに、ラスメイは気づかずに先をすすめる。
「だけど、最後に『あの人が俺達を使いやすくするためだろ』って。それがエノリアの思いやりなんだと」
エノリアは目を見開いてしまう。そんなふうに、いわれるなんて。
 ラスメイはごろんと体勢を仰向けに変えて、天井に両手を伸ばした。
「だったら、私はエノリアのこと好きだと思う。私もランもミラールもエノリアのこと好きになる」
 エノリアは櫛を置いて、彼女を振り返った。
「好きになるよ。エノリアは一人ぼっちじゃない」
 エノリアは、はっとした。
 この少女は…ずっとそれを考えていたのだろうか。
「私たちもエノリアの大切な人になれたら、もう一人じゃない。私もエノリアも」
 ラスメイは再び、ごろんと転がって頬杖をついた。そして、エノリアに微笑む。
「いい考えだろう」
 エノリアは何の意識もせずに微笑んでいた。
「そうね。いい考えだわ」
 みんながみんなでよかった。
 エノリアは心の中で感謝する。
 私は一人ではない。
 大切な人が増えていくことは、こんなに温かくて、こんなに嬉しくて…。
 こんなに気もちを強くしてくれて…。
 大嫌いな自分自身を少しだけ、好きだと思わせてくれる。
「ありがとう」
 ラスメイにだけでなく、ランとミラールにも思いをこめて彼女は呟いた。
「ありがとう…」
 思いはきっと力になる。もっともっと強くなれる。

 

 
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