森は静かだった。静寂は重苦しく二人にのしかかる。鳥の声もしない。風が吹いても、森はざわめかなかった。
気味の悪い静けさ。
「また、変な空間に入っちゃったみたいだよ?」
音がない。風も感じない。
馬車の回りだけ、異質な空気に包まれていた。
丘陵の見晴らしのよいところではあるが、両側には森が広がっている。今は、ただ静かな森。
ミラールの呟きに、ランはただあきらめたように肩をすくめた。
「ま、予想はしてたよ。あの少女がただの通りすがりじゃないならな」
「なんだろうね。これ、やっぱ闇《ゼク》?」
「単純に考えていいなら、そうだろうな」
周りをみまわしてランは、小さく息をつく。あの少女が居ない間に、この異様な空間を壊す必要がある。罠なら…、いや、罠なのだから、かえって少女がその場に居ないこと自体が、ランには不思議であった。
「さてと、壊せるのか?これは」
「どうだろうね。闇《ゼク》にあうことがめったにないから、どれだけの力で壊れるかなんてわからないなあ」
「確かにな」
ランは手をかざしてみる。
「《アルタ・ラン・ロック・アリイマ・ディス》」
力が熱く手に凝縮して集まり出す。ランは眉間にしわを寄せた。
「《メル》」
破壊の言葉に、大地《アル》の力は忠実にしたがった。放たれる反動から体を両足で支えて、ランは力を放った方向を見つめた。
ガッ!
奇妙な振動が空気を伝わる。同時に、何かが壊れるような音がした。
「あれ?」
不信な顔をしてミラールが当たりをみまわした。空間が割れた。音や風が元に戻ってきた。
「…あっけないな」
ランがそう気が抜けたように呟くと、ミラールが納得したようにうなずいた。
「なるほどねえ」
「何が?」
「これは、壊させるためにあったんだよ。そして、壊れると、例の女の子が出てくる」
ミラールが一点を見て、眉をひそめた。少し身構えるミラールの視線の先を追って、ランは少し目を見開いた。
「ほらね。狼煙なんだよ。僕達がここにやって来たっていうね」
ミラールの見つめた先に、彼女がたたずんでいた。昨日と同じ笑みを浮かべて。
「当たり。ありがとう、緑の目のお兄さん。あ、だまされたって思わないでね?どっちにしろ、壊さなかったらここから出られなかったものね」
慰められながら、嘲られているというのは、変な気分だった。ランは、微妙に眉をしかめる。
「さてと、あっちはあっち。こっちはこっち。相手してくれるんでしょう?お兄さん」
「あっち?」
(エノリアのことか?)
ランは目を見開いて、ミラールを振り返る。要領を得たように彼はうなずき、愛馬に駆け寄りかけた。だが、その前は彼女の放った衝撃波でさえぎられる。と同時に、地面から沸いた魔物が行く手をさえぎった。
「ミラール!」
魔物の鋭いつめが、一瞬後退するのが遅れたミラールの左腕をかすめる。
「つっ!」
右手で傷口を押さえながら、ミラールは風《ウィア》を即、呼び出す。
「《ウィタ・ディス》」
2撃目をミラールは体をひねってよけ、3撃目を風《ウィア》で防いだ。
「《トヴァ》!」
ミラールの体ぎりぎりで、魔物のつめははじかれた。
「お兄さん、ミラールっていうお兄さんの心配してる場合じゃないでしょ」
一瞬、ミラールに気をとられていたランの耳元で、彼女はささやいた。一瞬の内に接近を許していたことに驚いて、ランは右手で気配を振り払う。
くすくすと笑って、彼女は空中に逃げて、彼を見下ろす。少女の目から冷たい光が消えることはない。
「お兄さんの名前は、ラン?…ランであってる?なんか怪しいなあ〜。違う違うって誰かが言ってるよ?」
「やめろ!」
ムキになったランの叫び声に、彼女は目を細めた。
「やっぱ、そうなんだ。だったら、やっぱりその色ほしいなあ。それがあれば、力になるもんね。ザクーなんて目じゃないわ」
「ザクー?」
精霊語で同じ響きを聞いたことがある。
彼女は、しまったというように軽く口を押さえたが、すぐにくすくすと笑い出した。
「ま、いいか。関係ないし。ここで、死んじゃったら会うこともないし」
ひょいと手を振りかざす。その動作からは考え付かないほど重い衝撃が、ランに襲いかかってきた。ランは剣を抜く。
「《トヴァ》!」
(間に合わない!)
間に合わない分は、剣を盾にして防ぐ。だが、防ぎきれなくて、後ろに飛ばされた。
「くっ!」
空中で体をよじり、左手を突いて地面に着地する。その足で地面をけり、少女に剣を向けてつっこんだ。
少女は軽く目を開き、後退する。その動きを見越して、もう1歩足を踏み出した。剣の切っ先が彼女の腕をかすめた。
「痛!」
少しよろめいた彼女に、もう一線踏み込む。だが、にやりと彼女の唇がゆがんだ。それを、ランは見逃さなかったが、遅かった。
闇《ゼク》を集めた衝撃波が、ランに打ちこまれた。とっさに体をひねるが、至近距離から放たれたそれは、彼の左肩を直撃する。
ザザッ…!
痛い音がして、ランの体は地面を滑っていった。
「…油断ってやつ?オニイサン」
ふわりと少女はランの頭の上に降りてくる。
「この格好は便利よね。誰もが私を幼い子供だと思ってくれるもの」
土にまみれて、ランは顔を彼女に向けた。上から覗きこむ少女の瞳。その瞳孔が縦に伸びた。
「!」
「あら、意外なの?まさか、人間だって信じてたわけじゃないよね?」
「…じゃあ、何だ」
少女は問い掛けるランの瞳を見つめていた。しばらくの間、そうやって何かを探るように、少女はランを見つめている。
「…何かな…?わかんないや」
一瞬、目から冷たい光が消えた気がした。その瞬間を逃さずに、ランは剣で振り払った。少女がその切っ先をよけ、ランから離れた瞬間に立ちあがり、彼は火《ベイ》を呼ぶ。
「《ラン・ロック・アリイマ・ベイタ・ディス》」
「あはははは!」
「《メル》!」
向かった火を少女は、つかみとった。ランは目を見開く。闇《ゼク》がランの火を包み、けしさった。
「偽りの言葉など、効くものか!」
少女は大きく目を見開いた。
「偽りの名で呼んだ精霊が、私に通用するものか…」
ランは唇をかみ締める。
「つまらない人」
はき捨てて少女は、ランに微笑んだ。
「じゃあ、いらないでしょ?本当の名を言うこともできない、お兄さんには、その証は」
「俺は俺だ」
「その目、いらないでしょう?彼と同じ色の目!」
「関係ない!」
打ち消すように叫んで、ランは剣を構えた。
少女の唇が、楽しそうにゆがんだ。
「実力行使っていいよね?」
ランは剣の切っ先を彼女にむける。
「やってみろ」
呟いて、走り出す。呟いて大地《アル》の守護を体の周りに張る。それがおそらく、少女の攻撃を軽減するだけだと知りながらも。
少女は白い腕をランに向けた。何度目かに放たれた衝撃波は、先ほどの威力をそのまま保って、ランに向かう。
ランは伸ばした手に大地《アル》の気を集める。衝撃波をその腕、一つで支えて、その軌道を変えた。振り払った衝撃波は、数メートル向こうの地面に叩き付けられ、爆風と砂埃を作り上げた。
満足そうに少女の唇がゆがむ。
あれほどの衝撃波を二つ作り上げ、そして、この余裕。ランは一抹の不安を覚える。
人間とは違う。その力を、はかり知るのは困難だ。限界などないのか?
大体、衝撃波など、上級の魔術師でも作り上げるのは難しい。特に、闇《ゼク》と光《リア》は攻撃手段として、適当ではないのだ。
それを物質化する力が必要だから。あのラスメイさえ、攻撃は水《ルーシ》と風《ウィア》を使う。
ランはセアラが作り上げた光《リア》の衝撃波しか見たことがない。しかもこのように強いものではなかった。
[魔物]。その存在と力を、誰も正確に知っているわけではない。
少女の腕がいざなうように振られた。ランは目を細める。
走り出す。同時に少女の手から、衝撃波が繰り出された。
ランは息をすった。そして、真っ向から受け止めようとしたそのとき、大きな風がふいて衝撃波にぶつかる。
ミラールだ。
予測しなかった横槍を受けて、少しだけ少女は判断をにぶらせた。ランがその懐に入る。少女は目を見開いた、が、反応できない。
光が下から上に走った。それは、少女を斜めに切り裂き、あたりには甲高い悲鳴が上がる。
「どうしてえ!」
少女の血走った目が、ランの後ろに立っている人を捕らえた。ミラールがふらふらになりながらも、立っ てこちらをにらんでいる。周りに倒れた数十体の魔物が、ミラールの戦い振りを物語っていた。
「おまえ。おまえええ!」
ミラールは茶色の目を細めた。少女は白い手で傷口を押さえる。あふれる血の色は赤かった。先ほどまでの威勢は消え去った。頼りなさそうに自分の体を自分で抱きしめる。
「ひどい…、ひどいよ…。リュス。私を呼んでよ。消えちゃう。きえちゃうよう…」
「リュス?」
二人は目を見合わせた。
「今、いくからね。いくから…」
少女の像は掻き消える。そして、残された二人は急いで愛馬にかけよった。
ざっ。
何か音がして、ランが振りかえる。ミラールが草むらに倒れていた。よくみると、肩で大きく息をしている。心配そうなミリアが顔を主人にすりつけた。
「ミラール」
「…ちょっと…、僕の中の要素も少し使っちゃったかな…」
駆け寄り片ひざをつき、心配そうに覗き込むランに、ミラールは苦々しく微笑んだ。
「よくやったよ。こんなたくさんの魔物…よく倒せたな」
「あの子、僕には無防備だったからね…。チャンスがあるとしたら、僕の攻撃だと思ったから…」
ミラールはそう言うと、ランに強い光の目を向けた。
「僕のことは、いいよ。少し休んだら追いかける。このままだと、一緒に行っても…、足手まといになるだけだから」
「平気か」
「雑魚程度の魔物なら、蹴散らす力ぐらいのこってるよ…」
「まて、大地《アル》の結界を残しておく」
「早く行けって!」
立ちあがったランに、半分体を起こして、ミラールは言った。
「狙われているのはエノリアだ!聞いてたんだろ?首謀者の手中なんだよ!」
ランは強いミラールの口調に驚いたように目を見開いた。しかし、静かに言い返す。
「お前のことも心配なんだよ」
そう言って結界を張り出したランを見て、ミラールはあきらめたように首を振った。そして、脱力したように草むらに、また倒れこむ。
(そうやって、僕のことを気にかけるたびに)
ミラールは目をつぶった。ランの呼んだ大地《アル》の気が周りを包み込み、暖かなやさしい空気があたりを満たす。
(どんな思いをしてるのか、君はしらないだろう?)
ミラールは腰に差した笛に手を触れた。そして、目をつぶる。やわらかな空気が心地よくて、ランの足音が遠ざかるのを聞きながら、呟いた。
「………なりたい」
僕は、君になりたいよ。ラン。
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