フュンランとシャイマルークを結ぶ道は、チュノーラとシャイマルークを結ぶ道よりは、平坦で楽だ。チュノーラとシャイマルークを結ぶ道は険しいノイド山脈を通っていて、そこは盗賊の住処である。
最近になって、魔物達も同居するようになったので、やっかいだ。
一方、フュンランとシャイマルークを結ぶ道なら、魔物を相手にするだけですむ。雑木林と草原が交互に現れる、不思議な地形をしているところである。
彼らがラントを発ってから、七日ほど経っていた。途中、小さな街に立ち寄りつつ、シャイマルーク国とフュンラン国の国境近くまでやってきている。
エノリアとラスメイがいるため、強行するわけにも行かない。特にエノリアは、セアラが傷を癒したといっても、まだ無理をさせるわけには行かなかった。最初の3日ほどはまだ肩を痛そうに動かすこともあったが、最近はほとんど痛くないらしい。
とにかく、馬を休ませつつ、4人は着々とシャイマルークから遠ざかっていた。王からの追手が出された気配がないのが、かえって不気味だった。
警察機関として町や村に派遣された小隊は、4人を見ても不思議な顔をしさえもしない。ラスメイは魔術師の印である環を外し、どこからどう見ても普通の少女という格好をしていた。
この集団の正体を小隊の兵士に尋ねられることが、いつかあるだろうなあと覚悟はしていたが、それは意外な人物に真っ先にされた。
ラントをでて一番最初に立ち寄った村で、昼食をとろうとした4人に、人のよさそうな店のおばさんに声をかけられた。
「旅の途中かい?」
ここで、ランは思い知ることになる。この旅で恐ろしいのは兵士でもなく、詮索好きなおばさま方だということを。エノリアは美人だと言える範疇であるし(ランはこういうことには素直ではないので、はっきりと美人とはいいたくない。事実は、人目を引く美人)、ミラールも自分も、まあ、近所の娘さん達にきゃあきゃあ言われていた限りでは、まあ…見られる顔をしているのだろう。
つまり、とどまれば人目を引きやすい!
ラスメイだって、あと数年すれば美人になる保証ができる…。てっきり、旅の目的についての質問は兵士からされるだろうと、気を抜いていたランとミラールはとっさに言葉が出なかった。
そのとき、エノリアが微笑んだ。
「ええ、彼の実家に挨拶に行く途中なんです♪」
幸せそうに微笑んで、エノリアは隣にいたミラールの腕に自分の腕を絡ませた。ミラールは硬直してしまい、ランは飲みかけの茶を吹きこぼしそうになる。
ラスメイが心得たように、にやりと笑っただけだった。
「妹も行ってみたいとせがむものですから。黙ってついてくる勢いだったので、連れてきて…」
「だって、村のお外に行ってみたかったんだもん」
ラスメイもなりきってで答える。ミラールとランはその言葉にも硬直した。…小さな子らしいしゃべりかたと普段のしゃべり方のギャップが…。
「そうなの」
ふんふんと頷くおばさんに、ラスメイは人好きする笑顔を見せた。
「それに、最近物騒でしょう?彼の友達に護衛を頼んでついてきてもらって。ちょっとした旅行ですね」
「ご結婚なさるの?」
「ええ、彼のご両親に挨拶したらすぐにでも」
「似合いの夫婦になられるわ。お幸せにね」
「ありがとうございます」
おばさんは、お祝いさせてねと称して、デザートをつけてくれた。嬉しそうに、デザートを食べるエノリアとラスメイを横目で見つつ、ランとミラールは頭を抱えた。
ミラールとエノリアを若い夫婦、ラスメイをエノリアの妹とし、ランがその旅の途中を護衛する剣士とすることが、ここから定着してしまう。
ラスメイとエノリアの容姿は大きく違うけれども、富豪や貴族なんかは一夫多妻が当たり前だったし、腹違いと称していくらでも誤魔化すことができた。
追手が来ないことと、とくに兵士から追求されないことをどうしたのだろうと思いつつも、4人は旅をこのように順調に続けていたのであった。
4人はそれぞれ、立派な馬に乗っている。ランとミラールとジェラスメインは自分の育てていた愛馬であった。
ランの乗っている馬は全身が黒い。ただ、足の先と額の部分が白く、足の速さは四人の持っている馬の中で一番早いだろう。
ミラールの乗っている馬は、栗毛である。鬣はこの馬達の中では一番美しく、人懐っこさも一番だろう。
ジェラスメインの馬はそれこそ全身真っ黒であった。漆黒とも言える黒さであり、それが飼い主であるラスメイにはよく似合っている。姿には気品が漂うようで、この中では一番美しいスタイルをしている。
エノリアはこの旅で用意された馬に乗っているが、宮の筋が用意したということもあり、随分と立派な馬であった。色はこげ茶色。よく調教されているのか、それともフェミニストなのか、エノリアの乗り心地が良い様に、気を遣っているような節が見える。
「きれいな馬よね」
少し早がけをしてラスメイの横に馬をつけ、エノリアはそう言った。ラスメイは少し口元をほころばせる。
「兄様が私にプレゼントしてくれたんだ」
誉められたのが分かったのか、ラスメイの愛馬はエノリアのほうをちらりと見た。だが、すぐに興味を無くしたように前を向く。
「私以外にはなつかないし、乗せようともしない。つけた名前がいけなかったかな」
「名前はなんていうの?」
「《セラス》」
聞き取りにくい発音に、エノリアが怪訝な顔をする。
「ごめん、何て?」
「セラスだよ」
聞き取りやすく発音してみせる。
「《セラス》は精霊語なんだ。聞き取りやすく言うと、セラス。意味は【気高い】とか【気品がある】とかかな」
「精霊語って、魔法使うときに使うやつよね」
「そう、精霊語というか…。実際、創造神・イマルークがまだ地上にいて、人間が精霊達と簡単に会話できた時代には、ごく普通に使われていたというな。だから、古語とも言えないことはないらしい」
「ふうん」
納得するエノリアに、ランが振り返った。ランの隣には、ミラールが馬をつけている。
「実際、地名なんかには名残があるらしいぞ。シャイマルークはそのまま、【輝くイマルーク】ってことだしな。月宮《シャイアル》だって、輝く月の娘《イアル》ってことだろ」
「あら、以外。博識じゃない」
「伊達に変人と十八年間も暮らしてないってことさ」
「ラン、セアラが聞いたら怒るよ。変人だなんて」
「俺は、セアラだなんて一言も言ってないけど」
「僕のことじゃなければ、セアラでしかないじゃないか」
ランは肩を竦める。
「本人は自覚しているから、言ったって平気さ」
ここで、『本人がここにいないから、聞いているはずがない』という台詞が出ないあたり、セアラの神出鬼没を充分に知っている二人ならではの会話らしい。緑の館にこもっているものだと、決め付けてはいけない。急にいなくなることもあるし、市で二人の背後に立っていたことも、よくあった。
そんな二人にはお構いなく、ジェラスメインは話を続けた。
「名前にだって、精霊語が使われていることはある。たとえば、エノリア、だって」
「本当?どういう意味なの?」
すこし身を乗り出すエノリアに、ラスメイは少し微笑む。
「《エノリア》。どっちかというと、《エノーリア》かな?《エノ》は、【白い】とか、【澄み切った】とかか……転じて【美しい】とかか?
ちょっと難しいな。《リア》は【光】だろう?本当に光そのものってかんじの名前だ」
そうして、ラスメイは目を細める。
「ふさわしい、名前だ」
かみしめるようにその言葉を言ったラスメイに、エノリアは少し違和感を感じた。だが、すぐに元 の表情に戻った少女を見て、エノリアは自分の感じたものを、心の彼方に追いやった。
「みんなにも名前の由来とか、あるわけ?」
その言葉にはミラールが返答した。
「みんながみんなって訳じゃないよ。なんとなく婉曲してしまってるのもあるからね。僕のミラールだって、とくに意味はないんだよ。《ミリア》とか《ミル》とかから来てるのかなって、思ったりはするけどね」
「ミリャ?」
思いっきり、現代の言葉のように発音するエノリアに、ミラールは微笑んだ。
「ミリア。【優美な】とかかな?そうだっけ?こういうことは、ラスメイのほうが詳しいんだ。毎日、分厚い本読んでるしね」
「すごいね」
感心するエノリアに、ラスメイはちらっと目をむける。
「すごくない。魔術師なら当たり前のことだ」
「いや、すごいと思うよ。最近の魔術師は、精霊を操る言葉しか覚えようとしないからね」
掛け値なしの誉め言葉に、ラスメイの顔がすこし赤くなったように見えて、エノリアは口をほころばせる。
(かわいい)
いつも、張り詰めたような彼女の表情に、すこしだけほころび目が見えて、少女らしくなる。その瞬間が、すごくエノリアは好きだったりした。おそらく、前の二人も同じようなことを考えているのか、ミラールの目が優しくなった。
「だから、僕の馬の名前は《ミリア》だよ」
「かわいい名前だね」
「セラスとは違って、優しい人なら誰でも構わずなついてしまうんだよ。浮気性なんだ」
ミリアが少し、顔をミラールに向けたようだったが、すぐに自分の役目を思い出したように、前を向く。
「だけど、人を見る目はちゃんとあるよね。ミリア。臆病なだけかもしれないけど、危険を察知することは長けているよね。ランのラルディは、大胆で危険を察知しても逃げようとはしないんだ。ミリアと足して2で割ったらちょうどいいのにね」
「ラルディ?何か意味あるの?」
途端、ラスメイが思わずといった感じで吹き出す。つられて、ミラールも笑いをこらえているようだった。
「何?変な意味なの?」
「そういうわけじゃないけど」
「おい!ちょっと休憩するぞ。馬達も休ませたいからな」
ランが少し赤い顔をして振り向いた。少しだけ、怒っているようにも見える。それを見て、ラスメイとミラールはにやにやと、笑いを押さえ切れない様であった。
ランは、出来るだけ平静を装う様にして、指示を出す。
「あそこの木陰に水辺があった。そこに行こう」
「そろそろ、オオガに近いからね。水辺が多いみたいだ」
四人は馬から下りて、馬を引っ張りながら、草をかき分けて水辺にたどり着く。水辺は草地になっていて、色取り取りの花が咲いていた。
「奇麗!最高ねえ」
「宮の中の庭は美しくて、たくさんの芸術家たちが作品の題材にしたがるというが、それよりも美しいか?」
ラスメイがエノリアを見上げてそう言った。エノリアは、ウットリとして周りを見渡す。
「何倍も奇麗だわ。やっぱり、人の手にかかった美しさには、限界があると思うの」
エノリアは草地に腰を下ろして、近くの花を手に取った。
「自然に勝る美はないわ。芸術家もこっちを題材にすればいいのに」
「ラスメイ。水が飲めるか調べてみてくれないか」
エノリアの話を聞いていたラスメイは、ランの声にはじかれたように振り向き、駆け寄っていく。ランは、今すぐに水を飲もうとしているラルディを押さえるのに必死なようだった。それとは対照的に、ミリアは水辺に映った自分の姿を見詰めているだけである。
「本当に、馬にも性格があるのね…」
つぶやくエノリアに、近くにいたミラールが相づちを打った。
「一番、問題が無いのは、エノリアの馬だよ」
「私も、名前をつけようかな」
「そうだね」
その時、ランが水が飲めることを告げて、二人に残っているカッシュを食べようと誘う。二人は、4匹の馬とランとラスメイのいるところに、寄っていった。
「さっき、宮の庭の美しさを題材にせずに、とかって言ってたよね」
ミラールがエノリアに話し掛ける。ランは、もぐもぐと口を動かしながら、二人の様子をうかがう。
「うん。だって、宮の庭は人の手が加わっているもの。まあ、私は奥の庭しか知らないけどね」
「奥の庭しかって?」
手についた果実の汁をなめながら、ランが話に加わる。ラスメイは自分の愛馬の鬣をすきながら、その話を聞いているようだ。
「私は、幽閉状態だったのよ。でも、良く考えたら、太陽の娘《リスタル》だって、城壁から出るためには王の許可が要るんだから、同じようなものよね」
「そう言われればそうだね。長老である大地の娘《アラル》さえも、外出したことがあるとかとは聞いたこと無いしね」
「私は一般人に開放されてなくて、しかも宮の関係者の中でも、一部の人しか入れないところに閉じ込められてたの。
唯一、空が見えたのは中庭だけ。そこは、美しい花があったけど、所詮、人の手にかかって作られたものだったからね」
エノリアは茶色くなった髪に手をやる。
「私が一番好きだったのは、誰も見向きもしなかった老木。もう、何百年もそこにいるような、大きな木だった」
「僕は、宮に何回か行ったことあるし、宮を題材にして曲を作ったこともあるよ。でもエノリアは知らないだろうね」
ミラールは自分の腰に巻いていた布に、差し込んでいた笛を取り出した。
「音楽会が何度か催されてね。僕も招待されて行ったことがあるよ」
「俺もついていった。外の陰で聞いてただけだけど」
「…もしかして、シャイナが言ってた、すごく奇麗な曲を奏でる音楽家の卵って、ミラールのことかしら?」
「シャイナって、月の娘《イアル》…」
エノリアの顔が少し曇っていて、ランは言葉を中断した。
「エノリア…」
「あ、ああ。ごめん。シャイナ、どこにいるんだろうって…思ったらいろんなこと、思い出しちゃっ た…」
エノリアは空を見上げた。涙をこらえているようにも見えて、ついランは見つめてしまう。金色の瞳は、セアラの赤い瞳よりも神秘的だった。
「あんなふうに啖呵切ったけど…ね」
エノリアは膝を抱えると、膝に額をつけた。
「張り詰めてたものが、切れちゃうことがあるのよ」
「ずっと、張り詰めていたら、自分を追い込むだけだぞ」
ランが光を反射している水辺に目をやりながら、そう言った。
「月の娘《イアル》を探さなくちゃいけないのは、自分だけだって思ってるから辛いんだ」
エノリアがふと顔を上げた。ここからは、ランの横顔しか見えない。
「一人だと思うな」
ランはエノリアのほうを向かない。それは照れ隠しだろうか?そう思うと、エノリアの表情が緩んだ。
「そのためにいるんだからな」
ぶっきらぼうに言ってはいるが、その言葉に含まれている優しさを、エノリアはちゃんと受け止めていた。
(拾った責任とか言ってたけど)
エノリアは思わず微笑んでしまう。
(ようするに、世話を焼きたいだけなんじゃない…)
思わず吹き出して、エノリアの肩が震えた。
(…優しいってことなんじゃない)
エノリアは晴れ晴れとした顔をすると、横を向いているランに話し掛ける。
「ねえ、ラルディってどういう意味?」
「は?」
「どういう意味?」
ランは拍子抜けしたような顔でエノリアを見つめた。
「お前…落ち込んでるんじゃなかったのか」
「それはさっきの話!」
ちょっと身を乗り出して、エノリアは執拗に聞いた。
「ラルディって?」
当の本人(馬)は、呼ばれて顔を上げたが、何も無いと察すると、草を食み始めた。
「…【恋人】…」
「へえ、あんたにしては洒落た名前をつけたのねえ」
「いいだろ、別に…」
片肘を立ててランはそっぽを向いてしまう。ミラールとラスメイは、含み笑いをしながら体をエノリアに傾けた。
「実は、本当は《セアラ・ラ・ルデ》なんだよ」
「セアラって聞こえたけど…?」
「そう、《ルデ》っていうのはののしりの言葉だ。精霊に言ってはいけない言葉の一つだな。まあ、挑発に使うこともあるが」
ラスメイが真面目な顔で注釈するが、その顔はいつもよりも崩れている。
「おい、余計なこというなよ」
「いいじゃないか、別に。へるもんじゃないだろ」
「そうそう。ラスメイの言うとおり」
「で、で。なに?セアラをののしる言葉が、馬の名前だったわけ?」
3人は額を寄せ合って、話し始める。ランは立ち上がりかけたが、無理矢理止めるのも大人らしくないと気づいて、軽く舌打ちをして手元の草を引き千切った。
「『セアラの馬鹿〜!』って言う意味だね、ようするに。ランは、幼少期からあの魔術師の良いおもちゃだったらしいな」
「そう、よく構われていたよ。それで、泣きながら馬小屋に駆け込んでは、自分の馬の前で呟くんだ。 《セアラ・ラ・ルデ》ってね。
それはランの立ち直るための呪文だったんだ。で、いつでもそういってたから、そこにいた馬が、それが自分の名前だと思っちゃってね…」
「仕方が無いから、《ラルデ》って名前にしたそうだ」
「今の馬はその名前を引き継いだ2代目だけどね」
「ま、意味を持たせるためにラルディにしたんだと、私は聞いたな」
「《ラルデ》も《ラルディ》もそう変わらないからね」
「え、何?じゃあ【セアラの馬鹿】が、【恋人】にかわっちゃったんだ」
エノリアはふてくされるランのほうをちらっと見てから、笑い出した。
「変なのぉ!」
「笑うな!」
その程度の抵抗しか出来なくて、ランはそのままふくれっつらでラルディの元に寄る。そして、その鬣をすいてやりながら呟いた。
「お前の父親が悪いんだぞ…」
ラルディは『そんなこと知らん』とでも言うように、ふいっと顔をそらした。
「そうそう、ラスメイ。願いとか希望とかって、精霊語でなんて言うの?」
「願いは《シスタ》だな。シャイマルーク王家の名前にもくっついてくるだろう」
「じゃあ、使ったら駄目ね。不敬に当たるって、聞いた人がうるさいわ」
「希望は《システィラ》だ。精霊は願いが集まって希望に変わると考えていたのかもしれないな。よ くにているだろう」
「システラ?」
「システィラのほうが、近い」
「そう」
エノリアは自分を運んでくれている馬に顔を向けた。
「じゃあ、お前の名前はシスティラね」
「良い名前をもらったな」
ランがシスティラの鬣をなでてやると、システィラは満足そうに目をつぶった。
これで、【恋人】と【優美】と【気品】と【希望】という名の馬達がそろったわけだ。
「精霊語って面白いのね」
素直に感嘆するエノリアに、ランが皮肉げに言い返す。
「魔術を使うための精霊語ばかりが主流になって、それ以外はあまり知られていないけどな。上辺だけで精霊を使おうとするやつが少なくない」
「ランたちは、よく知っているじゃない」
「そりゃあ、一応、あのセアラに師事してたんだからな。本格的に教え込まれてるってことさ」
「ラスメイみたいに本で勉強する魔術師は上級か中級ぐらいの魔術師だけだね。掃いては捨てるほどいる下級魔術師ほど、勉強しない」
ミラールがそういうのに、ランは頷いている。
「ふうん…。難しいのねえ」
「発音が難しいからな」
ラスメイが神妙な顔でそう言った。
「私も魔術とか使えないかしら」
そう呟くエノリアに、ラスメイは意外そうな顔を向けた。
「光《リア》をもつ者は、その光《リア》の宿る部分を使って、光魔術を使えると聞いたことがあるが?」
「そうなの?」
「目に光《リア》が宿る者は、それをくりぬかなければ使えないだろうが、エノリアのように髪に光《リア》を宿す者ならそれを切って使えるだろう」
「そうなの?初耳だわ」
少し眉をしかめたエノリアだが、まあ、と言って少し自嘲気味に笑う。
「私は例外だから、宮で教えられなかったのかもね」
「私たちが側にいるのなら、魔術も必要ないだろう」
少し誇らしげにラスメイはそう言うと、口元だけで笑う。つられて微笑むエノリア。そのとき。
「何か、音がしない?」
ミラールがそう言うと、ランが目を鋭く光らせ、あたりを探った。つられて2人が耳をすます。
「風《ウィア》が運んできた」
「馬車か?」
同じく風《ウィア》の要素を持つラスメイが呟く。ミラールは眉間に皺をよせた。
「変じゃない?馬の足音が…」
ランはラルディの手綱を手に取ると、すばやくその背に乗る。ミラールもその動きに合わせるように、馬にまたがった。ランはラスメイとエノリアを振り替える。
「ラスメイ、エノリアを頼む。ここに居ろ」
「私はついて行かなくても良いか」
「いい、エノリアを守ってくれ。頼む」
二人は、そのまま草むらをものともせずに、道の方に駆けて行く。ラスメイはあたりに神経をやりつつ、立ち上がった。
「一応、あたりに風《ウィア》の糸を張る。何か悪いものが近づいたら、分かるように」
見守るエノリアの視線の中で、幼い少女は背中に背負うような形でもっていた杖を、両手に収めた。
「《ジェラスメイン・ロード・キャニスル・ウィタ・ディス》」
流れるような発音をして、彼女が目をつぶると、風が一気に駆け抜けて彼女の髪を舞い上がらせた。エノリアが自分の髪を押さえながら、彼女の様子を必死に見ようとする。
「《トヴァ》」
風はラスメイを中心に四方に駆け抜け、そして納まった。エノリアが不思議そうにあたりを見回すと、ラスメイが説明をする。
「結界、みたいなものだな」
「なにか、居そうなの?」
あたりをうかがうエノリアは、今まで忘れていた腰の剣に手をかけた。それに気づいて、ラスメイは呟く。
「その剣を抜く必要はないだろうけど…。剣の腕は確かなのか?」
「宮の侍従を抜く程度よ」
「充分だ」
ラスメイはすうっと息を吸うと、杖を水面につける。
遠くで聞こえていた馬車の音が近づいてくる。馬の異常ないななきと、ランの怒鳴り声。それが一 気に近くの道を過ぎ去ったとき、ラスメイが身動きした。
「来る」
エノリアがその言葉と同時に、剣を抜いた。ラスメイの見つめる方向に切っ先を向ける。 がさっと音がして、草むらから異形な者達が顔をだした。エノリアは息を呑む。
「もしかして」
「魔物だ。私は結界が苦手でな。捕らえ損じたものだ」
異形の者はぎょろりとした目をエノリアとラスメイに向けると、にいっと笑う。目・鼻・口の数は人と同じでも、そこから発するものは同じではない。
「グロテスク…」
呟いたエノリアに反応してかしないでか、魔物達は一斉にそこから飛び出して、エノリアに向かった。エノリアは持っていた剣をかざし、それを防ごうとする。
「来るなって!」
「《ジェラスメイン・ルシタ・ディス》」
ラスメイの言葉に水面がざわついた。
「《メル》!」
ザザッと水は生き物のように動き、魔物達の体を跳ね飛ばす。
耳にざらつく悲鳴を上げて、魔者達は四方に飛ばされた。根性のある魔物がうまく地面に着地し、エノリアに向かったが、一匹程度ならエノリアにも対応は出来る。剣は白い光を引きながら、魔物の体を裂いた。
「《ウィタ・メルレン》!」
ラスメイの呼んだ風が、四方に散った魔物達の体に鋭い刃となって襲い掛かった。断末魔の叫びに、 思わずエノリアは耳をふさぐ。
「《シア》」
音を発てていた風とざわついていた水面は、その一言で大人しくなり、先ほどまでの争いが嘘のような静けさが戻ってくる。争いがあったことを示すのは、色取り取りの花には似つかわしい、魔物の死体だけであった。
よくよく見ると、その丈は幼児ぐらいであり、足と手は異常なほど細い。肌の色は灰色で、感触はトカゲの類にも似ていそうだ。血の色は、紫ありの、青ありの…様々だった。
エノリアの好奇心に耐えたのは、ここまでの観察である。ここまででも、うら若い乙女(エノリアがいうには)にしてはたいしたものだが…、その後に続く、『未発達な羽のようなものもあった。爪が長いのもいたし、前に見た魔物よりは人間に近づいているようにも見えるのも居る。いろんな方向で、急激に進化しているようだ』という言葉は、ラスメイのものである。
それを聞いて、ランは感心したというよりは、この少女の感性にすこし不安を抱くのは、少しあとの話である。
「これが、魔物なのね」
「そう。闇《ゼク》のみで作られたもの」
ラスメイはその場にある魔物の死体の側に膝をつく。
「これを、イマルークが作ったとは信じ難いな」
「…異物だわ」
エノリアが呟いた。その金色の目に畏怖というものが浮かぶ。
「何か、こう…違うように見える。つかみ所の無い違和感だけど」
「それが闇《ゼク》だよ」
ラスメイは立ち上がると、膝を払う。
「それが光《リア》に見える純粋な闇《ゼク》なんだろう」
ラスメイは目を伏せた。
「私は純粋な闇《ゼク》ではない。強いだけだからな…。普通に近く見えるだろうが」
「ラスメイ…」
「これと本質は同じだ」
ラスメイは杖で、死体をつついた。その様子は何よりも儚く見えた。先ほどまでの強さは、一気に引っ込んでしまったようだった。
闇《ゼク》を、禁忌を背負ってきた少女。そして、目の前の魔物と呼ばれる存在は、自分と同じ物をもっているのだ。
(ラスメイ…)
泣いてしまいそうだ…。
エノリアは思わず、自分の腕の中に少女を引き寄せた。
「エノリア…?」
「同じじゃないわ」
戸惑ったようにラスメイは、エノリアの腕の中で動く。エノリアはその手に力をこめた。
「同じじゃない」
ラスメイは紫色の目を泣きそうに潤ませて、ゆっくりと頷いた。
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