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「おやおやおやおや〜? 誘拐かい? 人買いかい? いけないよ。そんなことして来いなんて一言も言ってないけどね。私は」
 案の定、セアラはものすごく嬉しそうな顔をしてそう言った。だがのんきな顔もエノリアの傷口をみて凍り付いた。
「客室へ運びなさい。寝台はちゃんときれいなはずだね? ラン、水を汲んで清潔な布を」
 彼女の金色の髪のことも金色の目のことも気づいたが、何の反応も示さなかったところをみると、何もかもお見通しだったのかもしれない。それとも五百年も生きている彼にとって、そんなことは驚く要因にはならないのか。
 滅多に、というよりここ最近まったく使われていなかった客室にエノリアを運ぶ。使っていない部屋もきれいにしておくこと、といつもうるさく言われていたので、客室はランの部屋よりもきれいだった。
 ランとミラールを追い出して、セアラはてきぱきと傷口を洗い布を当てた。傷は肩に一個所と腕に一個所。出血はひどかったが、それ以外に問題はないようだった。
「ここは……?」
 途中うっすらと目を開けた彼女に、セアラは客用のとびっきりの笑顔をみせた。
「安心しなさい。ここに、君を害そうとするやつは入れないから」
 ランやミラールに向けるものとは違う口調でそういうと、安心したようにエノリアは目を閉じた。
「応急手当がばっちりだったね。ま、あとは、光《リア》を注いで治癒力を高めておくから。まあ、あの程度で済んでよかったよ」
 セアラは客室から出ると外で待っていた二人に、感心したようにそうつぶやいた。
「あれのことか? 市場で拾うものって」
 ランの不機嫌そうな声に、ミラールが隣で苦笑する。
「そうだよ。大物だ。しかも、美人! まあ、私には劣るがね」
「おかげで、犯罪者だよ。こっちは……」
 王宮の関係者に逆らい、その上怪我を負わせたのだ。少々卑怯かとも思ったが、魔術も使った。
「退屈してたんだから、いいんじゃないかい?」
「退屈してたのは、あんただけだろ!」
「まあまあ、ラン……。あの状況で、彼女を見捨てるなんて選択肢お前にもなかっただろ? 仕方なかったんだよ」
 ミラールになだめられて、ランは一度は自分を落ち着かせた。そんなのは百も承知だったが、腹は立つのだ。とくに、セアラの顔を見ると、嵌められたような気がして仕方ない。三人は階下の居間に行き、ミラールの入れたお茶で一息つくことにした。彼女をかばったことがどんな結果を招くのか、じっくり考えなくてはならない。夕食は適当に流されてしまいそうだ。
「あれは、正真正銘、太陽の娘《リスタル》の姿だよな……」
「そうだね。髪と目に光《リア》がきっちりと宿っていたよ。色を真似るだけなら、そこに光《リア》は宿らない」
 セアラはまじめな顔をしてそう語るのだが、その顔ににじみ出る歓喜とでも言える類のものが、事態の深刻さを明らかに軽くしていた。
「彼女の存在は、知っていたよ。4年前かな? 先代の王がまだ健在だったとき、立ち会っているからね。あのとき、彼女の存在をどうするかでもめたよ。先代と宮の長老ダライアが彼女を殺すことに反対してね、幽閉と言うことになったんだ。あのとき、まだ王太子だったゼアルークは、その決定に不満そうだったな、そういえば。
 先代とダライアと、よくもめていたよ。最終的に幽閉ということになったんだけどな。でも、彼女は自由を求めたって所だね。そして、脱走したのをいい機会にして、ゼアルークは彼女を殺そうとしている……ってとこじゃないのかな」
「邪魔なものは消す……か」
「で、セアラは? この一件に荷担しているんじゃないの?」
「うーん。実はさ。月の娘《イアル》から書簡が届いてね。どうかエノリアに協力をと……」
「そんな大切なこと……! なぜ言わないんだ!」
「だってさあ、言ってたら、考えただろ?ほら、突然の出会いのほうが、物語みたいで楽しいし……。ほら、巻き込んだほうが、有無も言わさずって感じで楽だし……。運命ってことで細かいとこ、うやむやに出来るしさ。運命かと思って、どきどきしなかった?私はすると思うけどなあ…。私もランとミラ ールを信用してるわけだから、絶対、エノリアを見捨てるようなことしないかなーって思ったりして」
「そりゃ、信頼してくれてありがと、とでも言っておくかな。だけどな、どうすりゃいいんだよ。これから……俺らも城の追手がかかるってわけだ!」
「なら、見捨てれば良かったんだよ」
 セアラは実にあっけらかんとした口調でそう言った。おかげで、意気込んでいたランはその激情を流され、気勢を殺がれた変な顔をセアラに向けた。セアラは薄ら笑いを浮かべて、ランを見つめている。
「見捨てれば良かったんだよ。君には選ぶ権利があったんだ。確かに私がお膳立てはしたけどね。私は助けろとは言わなかったよ。ちゃんと選択権を与えてあげたんだ。エノリアをさっさと引き渡して、あと、忘れることも出来た」
「そんなこと…」
 口篭もるランにセアラは目を細める。
「出来ないか。そうだろうね。君はまっすぐな道しか選べない。それは君の君たる所以だから、非難するつもりはないよ。まあ、さっさと諦めることだね。あの現場に鉢合わせて、君の選べる選択権は一つしかなかった。
 他にもあったけど、それは選べなかった。そうだろう? そして、この事態に陥った。さて、ここからだよ。どうしようか?」
 なんだか納得のいかないようなランと、もうさっさと諦めてしまっているミラールに、セアラはあえて問い掛けた。ランは大きくため息をつく。あの時点で、心は決まっていた。エノリアをかばった時点で、覚悟は出来ていた。ここで守られて生活をしてきた時代は、今日終わるのだろう。エノリアのことがなくても、いずれ、ゼアルーク王とは立ち合わねばならなかっただろうから…。
「俺が怒ってるのは、そういう事じゃないんだよ」
 いらただしげに髪をかき混ぜる。
「大事な事、内緒にされてたのが嫌なんだよね?」
 ミラールの心を見透かしたような言葉に、ランは憮然としてしまう。そう改めて言われると、なにやら自分が子供のようだ。
「そっか。らんちゃんはそれで怒ってたのかあ……。ふ」
 一人で笑いを押さえているセアラを無視して、ランは顔を上げ、ミラールのほうを向いた。
「王の手はここまで伸びるだろうか?」
「表立ったことは出来ないだろうから、例えばれても、軍隊が押し寄せるなんてことにはならないだろうけどね」
「それでも、彼女をここにずっと置いておくと言うわけにはいかないな」
 二人はそこで、息詰まってしまうのだ。助けたのはいい、隠れ場所もここが一番いいだろう。だが、ここにずっと留めておく事は出来ないのだ。彼女は自由を求めて、宮から脱走したのだろうから。
「彼女はどうするつもりだったんだろう?」
 ミラールがなんと無く聞いた。ランも頷きはしたが、答えられなかった。
「ちょっとはずすよ」
  何かを感じ取ったようにセアラがふと顔をあげて、席を外し奥の部屋に入っていっってしまう。それを目で追いながら、ミラールはつぶやいた。
「珍しいね。城から何か連絡でも入ったかな?」
 セアラは城からここに移り住んでから、奥の部屋には水鏡が置いてある。主に城と宮との連絡に使っている物で、同じように各国の城同士を結ぶ水鏡も存在する。その名のとおり、水が張ってあるだけのものであるが、これは水魔術師《ルシタ》にしか扱えないものだ。ランやミラールが小さい頃、好奇心を抱いてのぞいた事があるが、ただの水にしか見えなかった。
「宮じゃないのか?城からはこないだろうよ」
 ずずっと行儀悪くお茶をすすりながら、ランはうそぶいた。これからどうするか、考えるのが面倒になってきた。どうにかなる、なるようになる、と考え出したランの心中を察してか、ミラールは微笑んで、ランのカップにお茶を注ぎ足した。
「ま、僕は何にでも付き合うよ」
 お茶のよい香りがランの鼻をくすぐる。ランはあえてミラールの言葉に答えなかった。答えなくても、ミラールには伝わっただろうから。
「そうだ。昨日焼いたパイがまだ残っていたんだっけ。ちょっと取ってくるよ。カッシュのではないけど」
「昨日のはおいしかった…」
 そのとき、頭上でかたんっと音がした。ランが反射的に見上げると、エノリアが階段の上に立ってこちらを見下ろしていた。
「まだ、寝てろよ」
「ここ、どこ?」
 危なげな足取りで階段を降りようとするエノリアに、ランは舌打ちをして面度臭そうにかけ寄った。
「危ないって」
「これ以上、ここに居たら迷惑がかかるわ…」
 手すりにつかまって、ふらふらと降りはじめたエノリアに、中途半端に手を差し伸べたり引っ込めたりして、ランは様子をうかがっていた。
「もう、傷は大丈夫なのか」
「ええ、不思議だけれど、血は止まってる…」
「でも、寝てろ。ここは、城の奴等は手が出せないから」
「早くいかないと、道路が封鎖されるわ!」
「いいから、寝てろよ」
「大丈夫だって言ってるでしょ!」
「あんな、傷、光《リア》を注いだからって、すぐ治るものか!」
「どならないでよ。私がどうなったって、あんたには関係ないでしょ!」
「関係ないだと!? 大有りなんだよ!」
 ランはいきなりエノリアを肩に担ぎ上げた。
「何すんのよ! おろせ!」
「今、傷が痛くないのは、光《リア》を注いだからだ。でもな、それだけじゃあ完璧に治ったとは言わないんだよ。治癒力が高まっただけなんだから」
 ランはずかずかと客室へ向かい、エノリアを寝台に一応ゆっくりとおろした。
「一晩は寝てるんだ。シャイマルークから出る方法はちゃんと考えてやる!」
 突きつけられた指を恨めしそうにエノリアは見ていたが、そのきつい視線を今度はランに向けた。
「あんた、名前は」
「ラン。ラン=ロック=アリイマだ」
「なるほどね。ラン、夢の中で百回罵倒してやる!」
 そう言って、布団のなかに潜り込んだエノリアに対して、ランは怒りに身を震わせるしかなかった。扉を閉めながら、怒りを発散させる場所を探して、顔を上げる。すると、そこにはにやにやと笑うセアラの顔があった。
「セアラ、水鏡のほうは?」
「ちょっとエノリアに話があってねえ……。だけど……」
「?」
「君もお年頃ってやつかあ。恋愛はいい。恋愛はすばらしい。恋愛は自由だ。だが、それなりの礼儀というやつがある。君は顔もいい線いって居るだろう。ちょっと、声をかければついてくる女の子も居るはずだ。だから、怪我人の寝込みを襲うなんてことはしなくても、いいと……」
「この、勘違い野郎が!」
 ぶんっと振りかぶった拳を、セアラはちょっとよけて、にっと笑った。
「それから、女の子を抱えるには鉄則というやつがある。それを忘れてはいけない。いいかい、あんなふうに荷物かなんかのように肩に担ぐなんて、言語道断だよ。嫌われるよ?このように、お姫様抱きといって……」
「注釈するな!というより、俺が客室に彼女を連れて行くの、見ていたんじゃないか!」
「ふーむ。これはしまったかな」
 セアラがランの震える肩に手を回して、階段を降りはじめた。セアラはにっこりと笑う。
「まあ、恋人の一人や二人、できたらちゃんとこのセアラさんに紹介しなさい。ミラールも君も一度もそんな浮いた噂を聞かないから、心配しているんだよ」
「余計なお世話だ」
「あれ、今日は怒らないの。魔術は?」
「彼女が起きるだろ」
「ふ〜ん」
 再び、居間に戻って、今度はミラールの持ってきたパイを目の前にし長椅子に座った。
「若いっていいなあ」
 セアラの言葉をミラールは不可解そうに、ランは顔に青筋を立てて受け取った。
「エノリアさんに話があったんじゃなかったの」
 残ったパイを切り分けながら、ミラールはセアラに聞いた。
「あったんだけど、やっぱり後にする。怪我人に聞かせる話ではなさそうだから」
 二杯目のお茶を飲みながら、セアラはつぶやいた。
「……ま、いろいろと動き始めたみたいだね……」

 
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