夜も更けてセアラは一人、面度臭そうに水鏡の前に立っていた。大地の娘《アラル》・ダライアと待ちあわせている時間になって、セアラは水に人差し指をつける。
「《ファシス・ディラアラル》」
ぱあっと、水面が光りダライアの顔を映し出した。
『珍しく、時間通りじゃないか。セアラ』
「君が持ち掛けた話題に興味があるからね。でも、こんな時間を指定するなんて人が悪いな。年寄りがこの時間帯に起きているのはつらいんだよ」
『よくいう……。私よりもよほど若いくせに……』
ダライアは水の中で笑った。
『で、本題に入りたいのだが』
「エノリアの件と月の娘《イアル》の件かな。その前に一つ聞いておこう。ダライア、この水鏡を他の場所にも繋げているのかい?」
『? いや、こっちの専属水魔術師《ルシタ》を使って、そちらにしか繋げさせていないが?』
「その水魔術師《ルシタ》に聞いてくれるか、故意に他とも繋げているのかと」
『セアラ?』
ダライアが不審な顔をした。セアラの顔に楽しそうな表情が生まれる。
「覗き見はいけないことだ。……忠告はしたよ」
セアラは両手を水に浸した。ダライアの映像が歪み、他のものを一瞬映し出す。よく知っている……赤い宝石。
「《ルーシ・シア・ウィア・メル》」
ぱんっと何かがはじけた音がして、水面の水が揺れた。風《ウィア》が水にぶつかったのだ。そのまま、水を通して向こう側にたどり着くだろう。覗き見をしていた張本人に。
『どうした。セアラ』
「育ちの悪い王様が、覗きをしていたんだよ。王の水魔術師《ルシタ》はきっと驚くだろうな。水鏡で魔術が送られてくるなどと思わないだろうから。いい経験だよ……。目、一つと引き換えに高等魔術を実感できるのだから」
ダライアは言う言葉を捜した。しかし、これ以外の言葉は見つからなかった。
『……性格、悪くなったな』
「そうかな?私にしては温和な処置だと思うよ?逃げる時間は作ってあげた上、忠告もした。それに、水魔術師《ルシタ》を殺すまではしてないし、王様にはいっさい手を出してないけどな」
『……ここ数十年の姿しか見てないから、温和かどうかは判断できないな』
「正確に言えば七十四年かな?」
それは、ダライアの歳なのだが、ダライアはそれを笑ってすごした。ゼアルークには滅多に隙を見せないダライアが、こんな風に笑うのは生まれた頃からずっと知っているセアラが、相手だからだろう。
「さて、ダライア。ちっとも用件に入らないようだが」
『とんだ邪魔が入ったものよ……。ゼアルークの信頼を少しも買っていないと見えるな。お互い』
苦笑する彼女に、セアラは肩を竦めてみせる。
「彼は、誰も信用していないよ。エノリアを逃がした事が、よっぽどこたえたと見えるね。で、月の娘《イアル》がどうなったか分かったのかい」
『さて、少し面倒なことになってね……。ローザ、これはシャイナの侍従だが、が言うには、微かに闇《ゼク》の匂いがしたと……』
「匂いが、ねえ」
『ローザは風魔術師《ウィタ》の素質もあったから、空気の流れには敏感な上、光《リア》の持ち主でもある。まあ、ローザでなければ分からなかっただろうが』
「……宮に闇《ゼク》が入れるとは思わないけどな」
セアラの平凡な答えに、ダライアは少し眉をひそめた。
『エノリアの侍従をしていたリーシャが発見時にはもう死んでいたらしいが、こちらの死因もよく分からなくてな』
「闇《ゼク》がからんでいるなら、私の知識では追いつかないことがあるね。私は要素としての闇《ゼク》なら少し持っているが、魔術としては扱えるものではないからなあ。闇《ゼク》の魔術は、一般にもあまり知られているとは言えないからねえ……」
セアラの発言は仕方が無いことだった。五要素を扱えるだけでも、フォルタニーの称号にはふさわしい。
『闇魔術師《ゼクタ》は禁忌。その存在も決して表にはでないからな』
「闇《ゼク》が宮の内部での出来事に、関わってくる事自体、変な話だからなあ」
『ゼアルークがいうには、破壊神が関わっているのだとか』
「!」
セアラは目を見開いた。完全に虚をつかれたという感じの反応に、ダライアは違和感を覚える。
(ああ、そうか)
こういう風に驚く彼を、見たことがなかったからか。この七十四年間、彼の表情はいつも余裕にあふれていて、このような顔を見ることが出来るとは思いもしなかった。
「破壊神……?」
『ゼアルークの寝室に現れた、少年がそう告げたらしい。二つ目の太陽が、破壊神を呼ぶのだとかなんとか…』
「少年……ねえ」
彼の動揺した顔も一瞬の出来事だった。すぐに、赤い瞳に落ち着きを取り戻し、気のせいか嬉々とした光まで宿らせているように、ダライアには見えた。ダライアはゼアルーク王の発言を思い出す。
『蒼い瞳をしていたと聞いたが』
「――ふっ……。ははははは……」
何がおかしいのか、ダライアには分からないが、セアラは突然笑い出した。先ほどの驚いた顔といい、急に笑い出したりすることといい、今日のセアラは…。
「そっか、蒼い瞳ね……。少年ね……」
『どうした、なにか心当たりでも?』
「うん、まあね。でも君が知る必要はないことだからね。こっちの話。まあ、私も五百年ほど生きていると、いろんなことがあったって事さ……」
セアラはらしくない誤魔化し方をして、ダライアに微笑んだ。微笑んでるくせに、その瞳には予断のない光があって、あまり心穏やかになれないダライアである。
(逆らわないほうが、いいのだろうな)
ダライアはセアラの性格を完璧に捕らえてはいなかったが、その人物にまつわる挿話はいくつか知っていた。五百年前に現れ、いまや伝説となっているこの魔術師は、一般には初代国王につぐ英雄のように語られ、尊敬している魔術師も多い。だが、実際の姿は違うものである。
まあ、完璧な平和主義とは言えないことは確かだった。
『それで、月の娘《イアル》はどこにいるのか、探れないものだろうか。闇《ゼク》が関わり、破壊神が関わっているとしても、そうでないとしても、どこに彼女が居るのか』
「ムズカシイね、それは。破壊神っていうのも、どこからそんな発想が出来るのやら。その、蒼い瞳の少年やらも、信用してしまっていいのかな?大体、いくら特別な存在だからって、その光《リア》をたどるようなことはできないよ。私にもね。まあ、殺されることはないだろうよ。シャイナが死ねば次の月の娘《イアル》が生まれるだけだからね」
セアラはそう言って、にやっと笑った。
「案外、そっちのほうが手っ取り早いなあ。ゼアルークは願っているかもね。シャイナが死んでくれたら、一つは問題が解決する。新しい月の娘《イアル》を探せば良いんだから」
『彼女は月の娘《イアル》っというだけではない。フュンラン国の王女でもあるのだぞ。外交問題に勃発しかねない』
「まあ、そこが王様のシャイナの死を願えない微妙なところだろうねえ」
口に手をあてて、セアラはくすくすと笑った。城の仕事を大幅に干されたことを根に持っているのか、それともただ、厄介ごとが起きて楽しいだけなのか、ゼアルークの苦労話はセアラの楽しみになってしまっている。ダライアはあからさまに嫌な顔をしながらため息をついた。
『真面目に話したいのだがな』
「まあ、月の娘《イアル》が居なくなったことは、どうしようもないよ。世界に、宮からひとり司が欠けた程度の災いが起こるだけさ。みんな居なくて起きた乱世よりは、ましな災いがね。まあ、魔物が増えるとか、強くなるとかその程度じゃないのかな?」
『セアラ…』
「乱世だって、娘達を祭らなかったから起きたとかいわれてるけど、本当のところ、どうだかわからないからねえ」
『セアラ!』
「五百年も前の話なんて、忘れちゃったけどね。でも、エノリアの行方なら知ってるよ」
『!』
急に話の筋を変えることで、ダライアの驚きは普通に話すよりも増加しただろう。予想通りの効果にセアラは満足そうに笑った。
『どこだ』
「それよりも、教えて欲しい。お前は、エノリアを殺すことに賛成か反対か」
『愚問だな、セアラ。私は、宮や城の関係で、二度と罪なきものを殺すまいと誓ったんだ。それは、貴公がよく知っているだろう?』
ダライアの苦しそうな表情を見て、セアラは微笑んだ。
「そうだね。本当に愚問だったね。ただ、エノリアの存在が、民にばれたらいらぬ流言が宮を脅かさないかと思ってね。破壊神がうんやらかんやらも、エノリアが原因だといわれたのだろう?」
『そうだが……。本当にそうだときまったわけではない。王は極端すぎるのだ』
「まあ、要らぬ芽は摘む考えの持ち主だけど」
セアラは、白い指を自分の形のよい顎に持ってきた。
「……エノリアはこちらで預かっているよ」
『なぜ、エノリアがそこに?』
「まあ、月の娘《イアル》から頼まれたというか……」
『そうか、ひとまずそちらに居るのなら安心だ』
「それでだね。ダライア。一つ、私に任せてくれないだろうか?」
『?』
「エノリアのことだよ。二人目の太陽の娘、今回、役に立つかもしれないから」
珍しく真面目な顔をして、セアラはダライアにそう言った。よい方法を考え付かないダライアは、ひとま ずその意見にのることにする。
『ゼアルークに渡すよりはまし』
そんな言葉が部分的に聞こえても、セアラはにっこりと笑うだけだった。
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