創造神《イマルーク》の末裔が、この地にその存在を明らかにし、この世界を統治することを誓ったとき、娘達はこの世界
に戻ってきた。
正確に言えば娘の姿を継ぐ者が現れたのだ。
大地の娘《アラル》は金の目と銀の目を持っていたと言われている。
月の娘《イアル》は、銀の目と銀の髪を持ち、太陽の娘《リスタル》は金の目と金の髪を持っていたと言われている。
その姿を受け継いだ3人の娘は、丁重に創造神《イマルーク》の末裔によって祭られた。
彼女達のために地宮《ディルアラル》、 月宮《シャイアル》、光宮《ヴィリスタル》が造られ、創造神《イマルーク》の末裔の住む城がその側に造られたとき、やっ
と乱世が治まったと言う。
それから娘達はその宮の司と呼ばれ、大地の娘《アラル》・月の娘《イアル》・太陽の娘《リスタル》を称号に戴くように なった。
ただ、不思議だったのが、その姿を受け継ぐ者は一人ずつしか現れないことだった。彼女達は死ぬとき他の女性に姿 を譲り渡して行くのだ。たいていは生まれたばかりの乳児で、まれに少女や成人女性が受け継ぐこともあった。彼女達はすぐ
に宮に引き取られ、最高の教育を受け、立派な司として育てられる。
創造神《イマルーク》が去り、調和神からも見放されたこの世界を支えるのは、彼女達と創造神《イマルーク》の末裔だと すべての人が思っている。そして、娘達、つまり宮の司は一人ずつしかいない。絶えたりもせず、また、二人以上おらず。そ
れが、アライアルの人々の常識だった。
◇
シャイマルーク。それはアライアルの中心にあり、創造神《イマルーク》の末裔が治める美しい国である。その国を治める
第三十五代国王ゼアルーク=シスタ=シャイマルークは、まだ二十歳の若き王だった。だが、その聡明さは少年のころから民
の間で噂になり、その美しさも民の心をとらえて放さなかった。
その王も【イマルークの血】と呼ばれる、創造神《イマルー ク》の血を引く者に与えられた世界に二つとない宝石を下げた眉間に、皺を寄せていた。【イマルークの血】は、創造神《イマルーク》がこの世界を離れるとき、自分の血を引く者に与えて行ったと言われている。つまり、これは創造神《イマルーク》の末裔である印であり、ひいてはシャイマルーク国王のあかしなのだ。
美しいシャイマルーク王・ゼアルークが悩んでいるのは、最近重役がうるさく言う王妃選びのことでもなければ、ささやか
に問題になっている財政のことでもなかった。
民に明かせない秘密についてであった。そして、昨晩現れた謎めいた少年の言 葉についてであった。
ゼアルークはため息を吐く。こんなことを考えている場合ではないのだ。その少年が現実か夢かさえ分 からないのに。
『二つの太陽が闇を強める』
少年の言葉が気になっていた。夢だとしても…。
『闇は闇を呼ぶ』
現実的すぎる。少年の感情のこもらない蒼い目は自分の突きつけた剣の切っ先を平然と見つめていた。
『そして、目覚める。創造神の愛するこの世界をことごとく憎んでいる者が』
青い石を額に戴いて、作り物かと疑うほど美しく、感情のない顔で、神々しささえ感じた、少年。
『破壊神が』
蒼い目が、焼き付いている。
『気づいているのだろう?聡明な王よ。魔物と呼ばれる、闇にのみ属するものが十数年前から現れたのは、何故なのか』
『何が原因なのか』
『それは、この世界のどんな秩序が乱れたからだ?』
ゼアルークは苦笑した。現実のみ信じればいいのだ。夢かもしれないそれに、一国の王が悩まされるなど笑い話にしかならな
い。しかし。
『二つも太陽は要らない』
ゼアルークは遠くを見つめた。額の赤い石がゆれる。
本当なら? 夢かもしれない。けれど、現実だったのかもしれない。その少年があまりにも現実ばなれしていて、どっちだっ
たのかあやふやだ。大体、この城には幾重にも結界がはられているのに、それを素通りしてきたこと自体、信じられないのだ。
とくに、自分が就寝中のときはその警護も堅い。それにもかかわらず、少年は侵入したことになる。現実だと、思えるだろう
か。
だけど、本当なら。二つの太陽については、心当たりがある。魔物という存在がこの世界に現れたのも、それが現れたのと
同時期だということは、ずっとひっかかっていた。消しておくべきなのか。あの少年が現実でも夢でも、要らぬ芽は消してお
くべきなのか。
ゼアルークは顔を上げた。
「セイ」
自分の側近の名を呼んで、側に寄せる。
「大地の娘《アラル》を呼べ。【もう一つの太陽】についてだといってな」
薄い茶色の髪をしたセイ=シャド=レスタは、すっと頭を下げるとその場を離れた。ゼアルークは『イマルークの血』に手
を触れた。世界を平和に統治するのが王の、または、創造神《イマルーク》の血を継ぐ者の使命だとしても、そのために一人
の少女の命を奪うのは、正しいのか。一人の命で左右される世界のほうが間違っているのか。
ゼアルークは目を閉じる。何にしろ、いつか何とかしなくてはならなかった。二つはだめだ。二つも同じ者は要らない。
民に知られる前に、始末しなくてはいけないのだ。
◇
シャイマルーク城を三方に囲むように地宮《ディルアラル》・月宮《シャイアル》・光宮《ヴィリスタル》は位置している。
それは、大地の娘《アラル》・月の娘《イアル》・太陽の娘《リスタル》の住まいであり、人々の心の拠り所でもあった。城と
宮を守る城壁で包括された領域は、シャイマルークの中でも莫大な広さをほこっていた。(ここで言うシャイマルークは、シャ
イマルーク国のシャイマルークと言う町のことである。アライアルには他に四つの国があるが、それぞれ城のある町の名は国
の名前と一致している。)
一部は公園として民衆に開放されており、運がよければ面する露台に国王の姿が見ることも できる。その公園とそれぞれの宮へ参詣するための入り口以外は、立ち入り禁止である。
立ち入り禁止区域、その中でも特に奥まったところで彼女は生活を強いられていた。その名をエノリアと言う。彼女の存在
を民は知らない。宮に仕える者達と、国王とその側近しか知らないのだ。
彼女は美しく豊かな金髪と美しい金の瞳を持ってい た。つまり、太陽の娘《リスタル》なのだ。だが、彼女は一般に公表され、人々の賞賛と憧憬、尊敬と信仰を受けている太陽
の娘《リスタル》ではなかった。その称号を受ける者は他にいて、ナキシス=フォン=ヴィリスタルと言う名前のエノリアと
同い年の女性である。
彼女は、太陽の娘《リスタル》の姿を継いだため、生まれ持ってつけられた名字も名乗れず、また異例となる二人目の太陽
の娘《リスタル》と言うこともあり、フォン=ヴィリスタルの名字もつけられない、ただのエノリアであった。だけど、彼女
は悲観した様子もなく、毎日をただ退屈そうに過ごしていた。
彼女がこの光宮にきたのは四年前、十四歳のときである。それまでは両親と山奥の田舎で暮らしていた。生まれたときから、
金髪・金の目だったけれど、両親は村の分宮に知らせを出さなかった。すぐに髪を茶色に染め上げ、巧みにごまかしながらエ
ノリアを育てた。
美しい金色の目は誤魔化しようもなく、その体に持つ光《リア》の要素の強さもあって、分宮から、宮に仕 える身にならないかと再三誘われたが、すべてことわって惜しまれていた。
宮に仕える者には、条件がある。その体のどこか に金か銀の色を持つことと言うことだ。目が金色や銀色であったり、髪の一房がその色であったり、と言うことである。そし
て、宮に仕えることは大変な名誉だあった。宮に仕えているということで、王族や貴族からの求婚を受けることもあったし、
何より人々の羨望と信仰の対象になりえた。
アライアルの世界の人間は、属性というものをもって生まれる。つまり、光《リア》・闇《ゼク》・地《アル》・火《ベイ》
・水《ルーシ》・風《ウィア》のどれかの要素を持って生まれるのだ。
ただし、闇《ゼク》のみをもって生まれる者は今まで に存在しない。闇《ゼク》を持って生まれること自体少ない上に、闇《ゼク》を持つ者は、他の要素ももって生まれ、属性は
そちらになる。闇《ゼク》のみから生まれる者は、魔物以外にありえない。その魔物でさえ、つい十七年前に発見されるまで、
人々の架空の物とされていたのだ。
また、金や銀の色を持って生まれる者は、必然的に光《リア》の属性に入る。ちなみに、要素の強い者はそれを魔術として
使うことができる。その体にある要素によって、周りの精霊達と契約を交わすことができるらしい。光魔術師は《リスタ》、
闇魔術師は《ゼクタ》、地魔術師は《アルタ》、火魔術師は《ベイタ》、水魔術師は《ルシタ》、風魔術師は《ウィタ》と言
う。
それはさておき、宮からの誘いが頻繁になってくると両親はエノリアの素性がばれることを恐れて、今まで住んでいた海際の町から引越した。エノリア7歳のときである。山奥でエノリアを極力家の外に出さないようにして住んでいたのだが、十四歳のときに、その存在は義兄に
よって暴かれ、エノリアの自由な生活は終わった。義兄は、宮からの謝礼金と口止め料をもらい、その後どう暮らしているか
は、エノリアの知るところではない。
シャイマルーク王からの迎えは丁重さと強引さを同時に持っていた。無理やりに宮に連 れてこられて、わめくエノリアを宮の奥に押し込めた。
エノリアは今日も奥の庭にある大きな木の枝の上で、ひなたぼっこをしている。つまらない日々、代わり映えのない日々、
自由を奪われた日々、そんなものに悪態をついていたのは随分前のことのように思えた。ため息をつくことが日課になり、こ
の枝の上がエノリアの憩いの居場所となった。ここに来て数日後に脱走を企てたこともあったけれど、城壁に触ることもで
きず、閉鎖された空間に押し戻された。それから、毎日をエノリアはうって変って、おとなしく暮らしてきたのだ。
この空間から出られるのは、月の娘《イアル》であるシャイナ=フィン=シャイアルから茶会の招待を受けたときだけだっ
た。それ以外は、ある区域から出ることも許されない。ただ、こんな色の髪と目だからと言うだけで、自由も存在も奪われた。
「馬鹿馬鹿しい」
つぶやいてエノリアは苦笑した。
色だけで聖女と祭り上げられ、すべての人間の信仰の対象となる。娘達はたいてい生まれたときから、司としての教育を受け
るのでそれに対しての違和感はないが、エノリアは違った。髪の色を変えていたと行っても、周りの人間と同じように生きて
きたので、光《リア》を持っていたってなにも変わりはしないと言うことに、彼女はとっくに気づいている。目の色が金色と
言うことでうらやむ者もいたが、それがかえって不思議だった。
でも、そんなことで黙っているほど、エノリアは大人しくなかった。髪の色とか目の色とかそんなも のを理由に、奪われた自由と名前を取り戻せないなどとは考えた事もない。
「エノリア様!」
はじかれたように枝から身を起こした。そして向こうから小走りにかけてくるリーシャに手を振る。リーシャ=フォンヌ=
ヴィリスタニア、目の色が金色のエノリアの侍従である。彼女は当初、エノリアの見張り役として仕えてきたが、今では数少
ないエノリアの理解者の一人であった。
「どうだった?」
よほど急いでいたのか、リーシャは木の枝の下で立ち止まると、大きく息をしながら話し出した。
「いいそうです!」
エノリアは瞬く間に表情を一変させ、輝かんばかりの笑顔でリーシャのほうへ、枝の上から体を乗り出した。
「今すぐいけるの?」
リーシャは自分のことのように、嬉しそうに頷いた。
「場所は城壁に一番近い部屋です。それに、どうやら大地の娘《アラル》・ダライア様がお城より召喚を受けたらしくて、警備
のほうはそちらにまわされて、こちらは薄くなりそうです」
「好機ねぇ」
上出来だとエノリアは心の中で微笑む。この日のために頑張っていた甲斐があるというものだ。
「いよいよだわ。さようなら、窮屈な生活。さようなら、つまらない日々。リーシャやシャイナに会えなくなるのと、この居心
地のいいこの枝と別れるのは、つらいけど!」
エノリアは身振り手振りの大きい舞台役者のように、両手を広げてそう言った。リーシャはその大袈裟な手振りに少し微笑み
ながら、エノリアを見上げる。
「本当によかったですよねえ。四年前ここにきてすぐに、脱走しかけたときから今まで、大人しくなさっていましたもの。もう、
警戒もだいぶ解けましたし、きっと大丈夫ですわ。」
「猫かぶるの大変だったわ。ここの連中は単純だから、私が宮の権威に恐れ入ったとでも思っているんでしょうけど」
気持ちの咎が外れたのか、今まで心に秘めていただけで、言葉にしなかった思いが口から出てしまった。はっと、我にかえっ
てリーシャのほうをきまりが悪そうに伺った。ここに仕えているリーシャにはあまりにも無神経な言葉だったろう。
「ごめん…」
「いいえ」
リーシャは苦笑としかいいようのない笑みを見せる。
「私もそう思います。私だって、きっと、エノリア様と会わなかったら、いつまでも宮最上主義のままで居たと思います。自分が
なぜ、宮を信仰するのか、疑問を持たないまま、ただ詰め込まれた知識だけで自分を誤魔化していたでしょうね」
リーシャはすこし遠い目をする。
「エノリア様と会って、一緒の時間を過ごして、学んだ事はたくさんありました…。自分の疑問にまっすぐに立ち向かう事を教え
られました。きっと、宮に仕える者のなかで、私のような者は居ないと思います。でも、それを誇りに思います。エノリア様に会
えてよかった…」
エノリアは、決まりが悪そうに笑った。
「そんな、大袈裟な事はしてないわ」
リーシャはその言葉に、微笑んだだけだった。エノリアもそれに微笑み返す。空はいつもより濃い青で、エノリアが愛しつづけ
た大樹の枝の影が、二人にやさしく振り掛かる。計画を実行すれば、いい意味でも悪い意味でも、こんな時間はもう二度とこない
だろう。成功すればここには二度とこない。失敗すれば、なんらかの結果が待っている……。
リーシャは大樹を見上げ、それから思い切ったようにエノリアに顔を向けた。まじめな顔に先ほどの微笑みはない。
「お茶会の場所は、一番城壁に近い所です。結界は心配ありません。私たちのように光《リア》を属性に持つ者は、引っかかりま
せんし、一番いいのは、公開されているところから、人ごみに紛れることですけど、この場合警備の目が気になりますね」
「その城壁を登るつてはあるんでしょ」
「と、言いますか…。登っておりてもらうしかないので。その……木を」
エノリアはにんまりと笑った。
「ふうん。あの高さをね。面白そうね」
ここに来てから、二人目の太陽の娘《リスタル》ということもあって、全然礼儀作法や勉強を押し付けられなかったエノリアは、
木登りという楽しみを見つけていたのだ。この大樹をはじめ、この庭にある木々は、木登りにはもってこいの枝振りをしていた。
「まあ、とにかく行きましょうか」
エノリアは反動をつけて、軽く木から飛び下りると、相変わらず心配そうに見ているリーシャに、微笑んでみせた。
「シャイナの所に行かないと、なにも始まらないしね」
リーシャはその時、気づいた。エノリアの笑顔がいつもと違うことを。その笑顔はここにくる前のものだろうと、リーシャは思った。ここから解き放たれるという希望が、この笑顔をもたらしているのだ。
リーシャは微笑んだ。自分のしていることが宮に対する裏切りでも、エノリアのこの笑顔を見ることが出来ただけで、よいのだと思った。
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