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「水 珠」−「狭間の永遠」より−
 

 口をあんぐりと空けて、揺れる天井を見つめている。
 ぷくり。
 ふわりふわりと鈍い光を放った球が昇って行く。
「五百六十九万七千六百七五個」
 あんぐりと口を空けたまま呟いたので、唇の端から少しだけよだれが落ちそうになる。急いですすり、顔を戻した。
「きたない」
 隣に座って同じように天井を見つめていた男はそう冷たく言い放った。優しそうに笑みを絶やさない瞳に、柔らかく額に降りかかる黒髪。膝を立てて座り、その上に分厚く古びた本を乗せている。
 数を数えていた方の男は、少しだけむっとした顔で隣に顔を向ける。切れ長の細い瞳は印象深い灰色。純粋な銀髪は長く、顔を動かすとサラリとゆれ光沢を放つ。
「だったら、お前も数えろよ」
「僕の番じゃないでしょう? 貴方の番ですから」
「って、さっきからずっと本読んでるだけじゃねぇか。その本、何度目だ?」
「さて、何度目でしょうか。僕も覚えてませんね。内容なら覚えてますけど」
「だったら、お前も数えろよっ!」
「嫌です。そんな地味な仕事」
「んあ? 読書は地味な仕事じゃねぇってか?」
「これは、趣味です。それに、義務です。
 私は知識を積まなくてはならないのです、姫君のために」
「ふんっ。姫君、姫君って。それを言えばなんだって許されるとおもって居やがる」
「あ、1号、また一つ上がりますよ」
 白く神経質そうな指をすっと上げる。銀髪の彼は、はっとしてその先を見つめた。
 ぷくり。
 キラキラと輝く珠が再びふわりふわりとあがって行く。
「珍しく綺麗な色だなぁ。5697676個と」
「ちょっと見たくありませんか? サリ。取っておいで」
 黒髪の青年は足元に目を落とした。そこには大きな貝が一匹居た。大きな巻貝からいくつもの触手が出ていて、うねうねと動く。
【あい……】
 触手で地面を押さえ、反動をつけサリと呼ばれた貝は、見事に空間を飛んでいった。まるで、泳ぐ様に。
「っていうか、お前、俺のこと1号と呼ぶな」
「正式名称で呼びますか? 姫君の下僕1号」
「名前でよべ!」
「名前に何の意味があると言うのです。せっかく、私が2号に甘んじてあげてるのに」
 ふうとわざとらしくため息をつく彼を睨みながら、彼の拳が震えた。
「名前で呼べといいますけど、貴方も私の名前を覚えていたりするのですか?」
「あっ? 勿論だろ」
 と言いながらも、口を丸く開けてしまう。
「ぁ……ぅ……まあ、名前など些細なことだな」
「覚えて無いんですね。でも、珍しく気が合いましたね。名前など些細な事。
 姫君以外は、私と貴方だけしかいない。ああ、あとサリとね。
 それでも名前が欲しいなら、付けるしかないですよね。じゃあ鈴木さんでどうでしょう? 貴方は山田さんで」
「……それって、どっかの小国で多いっていう名前だろ」
「気になさることはありませんよ。そのどこぞの小国など関係ありませんからね。おっと、もう一つ……」
 ぷくり。
 またふわりふわりと昇って行く珠を指し示すと、1号は急いで数える。
 と、サリと呼ばれた貝がその触手で、大切そうに珠を持って戻ってくる。
「ありがとう。ネイ」
【あい】
「僕の膝に乗ってもいいよ。ご褒美だよ、シマ」
【あい】
 名前がころころ替わるのを、サリでもありネイでもあり、シマでもあるオウム貝は気にしていないようだった。
 とにかくそのオウム貝は2号の膝にちょこんと乗り、触手を貝殻にしまって微動だにしなくなった。オウム貝のもってきた珠を大切そうにつまみ、2号は、揺れる天井から筋をつくりこぼれる光にそれをあて、光の反射を楽しんだ。
「綺麗ですねぇ……。食べて見たいな」
 2号が言う言葉に、1号はぎょっとした顔で振りかえる。
「や、やめろよ! 姫に怒られるだろ!」
「嘘ですよ。そんなことしませんよ……。でもちょっと舐めるぐらいなら」
「おおおおい」
 つまんだ小さな珠を、少しだけ唇につけると、2号はにっこりと笑った。
「甘い」
「ほ、ほんとに舐めた。どうするんだよ!」
「恋ですかねぇ?
 かわいらしいなぁ。
 でも、この思いも」
 2号は少しだけ微笑んだ。すっと珠をはなすと、彼の手から解き放たれた様に、珠はゆれる天井へ向かって行く。
 天井へとけこんで消えてしまった。
「彼方へ」
 呟く彼を、1号が指でもくわえそうな表情で見つめていた。
「俺も見てみたいの我慢してるのに……」
「たまには、息抜きも必要ですよ。一号」
「だから、名前で呼べ」
「山田さんでいいんですか?」
「もっと違う名前だった! お前が呼んでくれなかったら、忘れちまうだろ!」
 1号は、2号の膝からオウム貝を取り上げる。
「こいつにだって、ちゃんと名前つけてやれよ。いつだって、違う名前じゃねぇか。お前だっていやだろう?」
 最後のセリフはオウム貝に向けてのものだ。両手で持たれたオウム貝は、ゆっくりと触手を伸ばしてうつろな目で1号を見る。
【別に】
「かーっ! かわいくねぇ!」
「あ、1号。もう二つ」
 ぷくり、ぷくり。
「5697677、8!」
 1号はオウム貝をぽいっと放り投げると、2号に向き直る。
「忘れたくない! 名前ぐらい、覚えてたいだろっ」
「そーかなー」
 のほほんと答える2号に、1号は天井を仰ぎ、額に手を当てた。
「なんで、俺、こんなやつと、こんなところにいるんだろう?」
「同感ですね」
 ぷくり。
「おっと、5697679」
 また、二人は黙々とお互いの仕事をし始める。
 1号は、転に昇る珠の数を数え、2号の彼はぺらぺらと本をめくり続けた。
「感心してしまうわ」
 二人は同時に声がした方を振り返った。いつのまにか、小さな女の子がそこに出現し、こちらをみてニコニコしている。青色と緑色の混じった髪は身長よりも長く、こちらに向かってくると床をずるずると這っている。
 くすっと笑って、姫君はこちらに寄ってくる。名の定まらないオウム貝はすぅっと空を渡って、姫君の腕の中に治まった。
「いくつまで、数えたの?」
 姫君は漆黒の瞳で1号を見つめた。
「えっと、5697679……デス」
「あら、沢山♪
 最近、量が増え過ぎだと思わない?」
 視線は2号に向けられてたので、意見を求められているのは2号だと解る。
「そうですねぇ。速度が速いですね」
「ねー。ほんと、何を喜びにイキテルのかしら。これ以上貯まったら天井が落ちてきちゃう!
 あと1つ数えたら、配ってきてくれるかしら?」
「そうですね。じゃあ、1号が」
「は?」
 にこやかな目で見つめられて、銀髪の彼は目を見開いた。
「ちょっとまて、また俺かよ!」
「そうねぇ。たまには、貴方が」
 姫君が黒髪の彼に目を向けたので、1号は安堵のため息をつく。だが、2号はにっこりと微笑んだ。
「いえ、数字から言うと1号からでしょう?」
「それもそうね」
「いや、俺、いっつも帰ってきたらまた1号でっ……」
 ぷくり。


「あ」


 一つ、光る珠が昇って行く。
 それを口を開けながら、1号は見つめていた。
【1号でいい?】
 姫君の胸に抱かれて、オウム貝がそう聞く。姫君はにっこりと微笑んだ。
「いいわ」
「ちょっと待てよ。あそこ、結構辛いんだぞ? 最近なんか、息できたもんじゃねぇって! 聞いてるか? 順番だよ。順番にしようぜ!」
「だから、1番から」
 黒髪の彼が笑うと、1号の身体が光り始めた。
「待った、待った待った!」
「しっかりと、配ってきてね♪
 でないと、忘れちゃうからね」
「ええええっ」
 シュンっ。思わず目を瞑るほどの光が発生し、小さな音と共に1号の身体は小さな珠に圧縮された。
 それは、オウム貝の触手に弾かれ、ゆっくりと同じように天井に昇って行く。うろうろと大きく揺れながら……。
 その軌跡を見ながら、黒髪の彼はつぶやいた。
「明日には帰ってくるでしょうかね?」
「無理じゃない?」
 姫君は珍しく冷たい目で、天井を見上げる。
「欲しがる人が、減ったもの」
 しばらく二人で揺れる天井を見上げる。姫君はまたサラサラと髪を引きずりながら、2号から離れて行った。
「姫君」
 黒髪の彼がそう呼びとめると、姫君は足を止める。振りかえらずに、ただその言葉の先を待つだけ。
「私はときどき思ってしまうのです。なぜ、ここにいるのか」
「『なぜ?』」
 くすりと笑ったようだった。姫君は少しだけ振りかえる。
「破滅の言葉だわ。
 貴方ももうすぐここから消えてしまうのかしら……」
「え」
「なんでもないわ……」
 小さく呟いて、また姫君は歩き出す。その背中が淡く光り消えてしまうのを見つめて……2号は再び本に目を移した。
 ぷくり。
 また光る珠は揺れて昇る。彼はそれに視線を移し、小さく呟いた。



「……いち……」。
 また、始まる。

 

 
  「あとがき」
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