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2 弟とヨバルスの種 【1】 |
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リューラを俯きながら出たタウは、落とした視界に脚の先が入り、思わず顔を上げた。腰に両手を当てて、胸を張りこちらを偉そうに眺めている少女。美しく細い亜麻色の髪が、首を傾げたときにサラリと揺れた。
「イクロ。ヨバルスのとこで待ってるって言わなかった?」
「飽きたから迎えに来たの。それだけよ」
イクロは感謝しなさいとでも言いたそうな顔で、笑った。
「俯いてないで顔を上げなさいよ。何で怒られたか知らないけどさ」
「怒られてなんかいないよ」
リューラに呼ばれるのは、怒られるためと決めつけたようなイクロの発言に、少しだけ頬を膨らませて、タウはイクロの脇を通りすぎた。
「ちょ、ちょっと。ねえ、何言われたか教えてくれないの?」
「意地悪言うから、教えないよ」
「ええっ。タウってそういうこと言うんだっ!」
「言うよ、たまにはさっ」
足早に中庭へ向かうタウを、イクロは飛んで追いかけた。
「どうしたのよ。ねぇ、教えてよ」
タウはひょいっと飛びあがると、風を素早く捕まえた。ちょっと悲鳴を上げた風に、小さく謝って中庭の噴水近くまで運んでもらう。そして、その噴水の石に座ると風を離した。急に捕まえられてブツブツ文句をいう風に微笑んでやると、風はタウの頬にそっと口付けて飛んでいってしまった。
その風の軌跡を目で追いかけていると、隣にふわりとした空気が降りてくる。少し甘い香りがして、その空気がイクロのものだとわかった。
「ねえ、タウってばっ」
「僕、地上に行くよ」
タウはまっすぐに前を向いたまま、そう呟いた。イクロはきっと驚くだろうと思って、そのセリフをそのまま待つ。
だけど、イクロはいつまでたっても何も言わなかった。
変だなと思いつつ、タウは言葉を続ける。
「ヨバルスの悲しみの原因を見つけに行くんだよ」
「ずるいっ」
イクロはそう言うと、タウの肩に手をかけた。びっくりしながらタウはイクロに向き直る。
「タウだけ? タウだけ行くの? ずるいよっ」
「ずるいってさぁ……」
「タウ、帰ってこなくなっちゃわない?」
「帰ってくるよ。僕、ヨバルス好きだもの」
「……ヨバルスだけ?」
イクロがちょっと目をうるうるとさせるので、タウは思わずうなってしまった。いつも強気なイクロのこんな面を見せられると、なんだか少しだけおかしな感じがする。
「イクロも……シグも好きだもの」
「も?」
「……そうだよっ。『も』だよっ」
少しだけ不満そうな顔をイクロはにぃっと歪めると、ぽんっと自分の胸を叩いた。
「私も行くよ」
「…え、ああ?!」
「だって、タウだけじゃ頼りないよぉ。きっと、オジサマもわかってくれるわ。っていうか、言ってくるね」
「えっ、ちょちょ、イクロっ。地上ってそんな簡単にっ」
「平気よっ」
行ってくるねーと軽やかに弾みながら、リューラに向かって行くイクロを、口を開けたまま見送る。
「無茶苦茶だよ」
思わずため息と一緒に洩らした言葉は、タウの本音だろう。リューラにはまだ7人頭が残っていたはず。その中にいるイクロの父親が、猛反対するだろう。
タウは右足を石崖に上げ、膝に頬をくっつけた。目の前の石畳を二人の女性が、洗濯物を抱え談笑しながら横切って行く。
目を瞑り耳をすませば、小さく高い鳥達の歌声がした。
カサリと木の枝が鳴り、チチチチッと鳴き声を残して風と共に鳥がわたる。
おしゃべりな風達。何を話しているのかは分からないが、クスクスと楽しそうに笑っている。
後ろの水音はタウの心を落ち着かせて行った。
大好きな、この場所。
(お父さんは、未来と言った)
未来を繋ぐためと……。
タウはぎゅっと唇を噛み締める。膝を抱きかかえる腕に力をこめた。
(僕達はこのままじゃ……いなくなってしまうってこと?)
ヨバルスの果実は、年々減っている。そして、生まれるヨバルズシアの子供も減っている。老人は果実を若いものに譲り、自ら命を縮める。天寿をまっとうすることなく、僕達は消えて行く?
タウは膝に額をこすりつけた。
美しい天空の城。
美しいヨバルスの枝。
みんなの歌声。みんなの笑顔。
すべてが失われてしまうってこと?
「そんなのは、嫌だ」
タウは言い放つと、すっと顔を上げた。と、そこには見なれた人物の顔があって、思わずひるんでしまう。
金色の髪がキラキラと輝いた。そして、水色の大きな瞳が嬉しそうに笑っている。
「にーちゃ」
「シグ……。お前、どうしてここに?」
大切な弟のシグは、兄にそう問われてニーっと笑った。そして、足と手をバタバタとさせた。すると、すぅっとその場に浮き上がったのだ。
「お前、風に乗れる様になったんだ。動けるんだ?」
「にーちゃ」
にっこりと笑って、シグはその小さな手でタウに抱きついた。
「よかったなぁ」
「にーちゃ、泣く?」
シグの言葉に、タウは笑っていた顔を真顔に戻した。
「にーちゃ、泣く? 泣くの?」
シグの小さな手が自分の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。慰めてくれてるんだろうか……。そう思うと言い表せない柔らかな思いと泣きたくなる思いが同時にやってきて、タウはシグをぎゅっと抱きしめた。
「兄ちゃん、泣いてないよ」
黒髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜられながら、タウはシグの小さな暖かさを抱きしめていた。
未来とか、運命とか、そういう難しいことはわからない。だけど、この小さな弟が幸せになれるように……。
「にーちゃ、ピピピピ」
シグの視線と差し伸べた手の先を見ると、赤色の鳥が青空を横切るところだった。それをまぶしく見送って、タウはシグの金色の髪をなぜた。
上気した顔をしてイクロがこちらに向かってくるのを見た瞬間に、タウは全てを悟った。
だから、イクロが口を開いた時に
「「一緒に行っていいって」」
二人の声は重なった。近くにいたシグがにんまりと笑う。イクロは驚いたような顔をし、タウはため息を咽にためているような顔をした。
「……よく、ネスコさんが許したよなぁ」
7人頭の1人、ネスコはイクロの父である。つまり、ネスコとルズカルは兄弟なのだ。ネスコはイクロと同じ、茶色の瞳をし、ヨバルズシアの中では一番の物知りだった。
イクロは、そう? なんて涼しく言って、近くにいたシグを抱き上げた。
「シグ〜。飛べる様になったんだってね!」
柔らかな曲線を描く頬に、イクロが頬を擦り付けると、シグは高い笑い声を上げた。
「お父さんはさすがに、良い顔しなかったけどね。ルズカル様が強く押してくれたの」
ぺたぺたと自分の頬を触るシグに笑顔を向けるイクロを、タウは複雑な気分で見守っていた。
「ルズカル様……。何が起こってるのか知ってるんじゃないかなぁ」
イクロのセリフに何も返せずに、ただ呆然としていると彼女は赤茶色の瞳をこちらに向けた。
「私が、ヨバルスが元気無いのは人間のせいでしょって言ったら、すごく困ったような目をされたのよ」
「僕は自分の目で確かめてこいって」
「まだ気の早い話だけど、私達が次の世代ってやつでしょ」
イクロはそっとシグを地面に下ろした。まだ、抱いていて欲しかったのか、イクロの足にシグはまとわりつく。だけど、その頭に手を置いてやると、安心した様にシグはイクロを見上げた。
「……次の長老はタウなんだから」
タウは少しだけ視線をシグに向けた。
「だから、きちんと見定めろってことよね。だから、私にも許されたんだと思うのよ。
私も、きっと7人頭に入るだろうから……」
7人頭は世襲制ではない。だが、歌姫として今からでも重要な役割を担っているイクロが、将来そこに仲間入りするのは誰もが想像することだった。
自分の黒髪を収まりなく引っ張りながら、タウは呟いた。
「地上か……」
イクロはそんなタウの琥珀色の瞳をじっと見つめた。
「ファイに会えたりするのかな」
もう数年前に空から出ていった、イクロとタウの兄のような存在だった人。
その黒髪と赤茶色の瞳を思い出しながら、イクロは空を見上げた。
「会いたくないよ」
本心からではないとタウは思った。けど、その言葉が苦しそうだったので何も言わなかった。
空を見上げるイクロの横顔を見つめ、そして、そのイクロを心配そうに見上げているシグに視線を落とした。
出発は明後日に……。
シグの笑顔が、悲しく見えるのは自分にそんな気持ちがあるからかな? |
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